ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十一話 心の底の暗闇

 冒険者ギルド本部の訓練場の一角。大勢の武芸者が体を鍛えている中、この場に不釣り合いな容姿をしているエリアスたちは周囲の視線を集めていた。
 しかし数は相当少ないが、未だ十代に見える男性や女性もちらほらと見かけるため、年齢だけがその原因ではない。

 猫耳と尻尾を生やしているソラや、耳の尖ったセレナ、それと低身長で筋肉質であるブライアン。
 つまり、王国では珍しい獣人にエルフとドワーフの三人。そんな彼らが一か所に集まっていれば、人目を集めるというものだ。

 それに加えて女性陣の容姿が優れているというのも理由の一つではあったが。

「ふうっー!」

 そんな注目もどこ吹く風と、素振りを続けていたエリアスは一度手を止めると剣を鞘に納めて自身の腕を見つめる。分かり切っていたことだが、体の動かし方に違和感が大きい。使い慣れない形状の得物、というのもあるがそれ以上に肉体の変化が問題だった。

 体にみなぎる人の限界を超えた力も、溢れんばかりの魔力も無い。だが、それだけなら無理をしなければ戦闘不能と言う訳ではない。体の変化による手足の長さや重心の変化の方が致命的なのだ。

 日常生活ではどうにかできても、戦闘中にこのズレは下手したら命を落とすことに繋がりかねないだろう。
 実戦に出る前に可能な限り修正したいが、時間はそこまで取れない。ならば、効率の良い方法を選択する他無かった。

「そろそろ準備運動は十分だ。誰か、やろうぜ」

 少女の容姿には似合わない獰猛な笑みをレオンたちに向ける。それに真っ先に応じたのはソラだった。エリアス同様、素振りをしていた彼女はその特徴的な片刃の剣を置くと、代わりに木製の訓練用のものを手にする。

 エリアスも足元に置いておいた木剣を拾い上げると、その切っ先を小柄なソラに突き出し、

「まずはお前からだな」

「お手並み拝見ってね」

 それぞれの得物を向け合い集中力を高めていく。少女同士の睨み合いとは思えない気迫が周囲を支配し、槍の型をなぞっていたレオン、瞑想していたセレナ、筋トレをしていたブライアン──それだけでなく周囲の冒険者たちまでもが一旦手を止めると、そちらへ視線を吸い寄せられていた。

「ルールは有効打を先に入れたら方が勝ち。魔法の使用は?」

「もちろん無しだな」

 しかし、今の二人はそんなことには目もくれない。模擬戦とはいえこれは戦いだ。それぞれの目に映る世界には、お互いの姿しか存在しない。
 やや無骨な木剣を大上段に構えるエリアスに対して、ソラは片刃の木剣を真正面に構えていた。特に小細工の見当たらない基本的な初動。そして、我流で剣を覚えたエリアスと違い、何度も何度も数えることもおこがましいほどに繰り返してきた明白な剣の型を感じる。

 ソラの年齢でそれを感じさせるということは、相当な幼少期から剣を振っているということだ。相手として、不足はない。

(待つのは性に合わねえ!)

 先に動き出したのはエリアス。元より先手を打ち続ける攻撃的な戦い方がエリアスの持ち味だ。それは『勇者』の力でのゴリ押しでもあったが、だからと言って長年の定石を今更変える気は無い。

「おりゃあぁッ!!」

 剣を構えたままソラの目の前にまで走り、左足で力強く踏み込むと大上段からの斬り下ろし。少女らしからぬ雄たけびと共に放たれた斬撃は、棒立ちしたままの猫耳の少女に一直線に向かっていき、

「──ふっ」

 合せられた剣に勢いを流された。鮮やかな芸当にエリアスも剣を引き戻すことは叶わず、木剣はソラの足元に着弾して激しく砂ぼこりを立てることに留まる。もちろん、その剣を握っている両腕も地面に向けられてしまい、体勢は大きく崩れてしまった。

 その隙だらけのエリアスへ、ソラも容赦はしない。斜めの一撃がエリアスの胴体を狙い、どうにか手元に戻した木剣で受け止める。すかさず反撃に出ようとして──僅かにソラの方が速い。

「くっそ……っ!」

 今度は下方からの斬り上げ、続いて横薙ぎ、再び斬り下ろし。その連撃にエリアスが反撃する余地は無い。体勢の崩れてしまったエリアスが対処しきれていないのも要因の一つだが、何よりも動作と動作の間の無駄が限りなく削られている。
 ソラの体格も影響して特別に重たい剣ではない。だが、斬撃が速すぎた。澄んだ川の流れを幻視するような、一つの攻撃が次の攻撃の予備動作となっている洗練された剣捌き。

 ──だからこそ勝つ意味があるというものだ。

「うわぁ……まさかそんなことする?」

 ソラが呼吸の合間に驚いたような声を上げたのも無理はない。徐々にエリアスの対応速度が上がっているのだ。
 最初はギリギリで受け止めるのが限界だったのに、今では一瞬でも隙を見せれば反撃の一撃を叩き込みかねなかった。

 これはエリアス自身も自覚の無かった強みだ。いくら『勇者』の力で敵を圧倒してきても、抗う強者は時々現れる。
 それだけでなくとも、十年間戦場を渡り歩いてきたエリアスはもっと大勢の戦士を見てきた。例え一瞬で薙ぎ払ってきた敵からでも、十年間も積み重ねれば様々な経験を得られる。

 ソラの戦い方にだって近いものは記憶の中に存在するのだ。足さばきが似ている者、視線の飛ばし方が似ている者、体格が似ている者。それらを合わせて目の前の剣士に重ねてみれば──即座に体は対処法を練り出す。

「もういっちょッ!!」

「うわっ!?」

 防戦一方だったエリアスの斬撃がついにソラへと牙を剥いた。予測していたソラもすぐに一歩引いて事無きを得るが、一方的な展開から外れてしまった。

 先ほどまでとは逆に、一撃の重みがあるエリアスの猛攻に対して受け流しきれないソラはゆっくりと、だが確実に後退していく。
 本当ならソラは一度離脱して仕切り直しをしたいのだが、それを理解しているエリアスが許可を出すわけがなかった。

「がぁッ!!」

 ソラが受け流そうとした横薙ぎの一撃を力技で強引に振り切ると、即座に反対向きに斬り返す。逆に体勢を崩されたソラが次の動きへとつなげるよりも素早く、武器による対応を間に合わせない。
 受け止めるのを無理だと判断したソラが無理やりにでも後方へ飛び下がろうとして、

「ちょ!?」

「行かせないぜ」

 その前に左の手でソラの襟首を掴み引き寄せる。腕力の低下を両手持ちで補っていたため、斬撃の威力は下がるがこの戦いの勝利条件は有効打を一発入れること。必中の状況なら片腕でも問題無かった。

「俺の、勝ちだな」

「うぅ……最初はいけると思ったんだけどなあ」

 後は切先をソラの喉元に突き付ければこの模擬戦の勝ちは頂きだ。悔しいそうにうめき声を上げるソラを見て勝利の余韻に浸る。が、引き寄せた関係でその顔が目の前にあり、甘い女性特有の匂いが鼻に着くと顔に火照るのを感じた。
 その感覚が忌々しく、突き飛ばすようにソラを開放。雑な扱いにソラが頬を膨らませて抗議するのを無視して、

「よっしゃ! 次は誰だ?」

「少し休憩しなくていいのか?」

 早速次の相手を探す姿にレオンが呆れ気味に聞き返す。そんな心配を受けても当たり前と言った様子で頭を書きながら、

「戦場じゃ、疲れてるからって相手は待ってくれねえよ。んで、次は金髪でいいのか?」

「まあ、本人が言うならいいのか……それじゃあ俺が相手だよ」

 先ほど同様にエリアスは大上段に木剣を構え、レオンは中段に刃を潰した身長ほどもある槍を向ける。いくら刃を潰しているとはいえ、金属製の槍頭は直撃すれば危険極まりない。
 それでもレオンが模擬戦で扱うということは、エリアスに当てずに寸止めする自信があるということ。
 槍使いとしての実力に大きな自信を持っているということだ。

(こいつ……)

 それを裏付けるように、レオンから発せられる闘気はソラ以上のものだった。普段の温厚な雰囲気からは想像もつかぬような鋭くひたすらに真っ直ぐな刃。そのようなものさえ、透けて見えてくる。

 それはただひたすらに訓練しただけでは、ただひらすらに戦いを繰り返しただけでは得られない。幾多にも渡り、修羅場を潜り抜けてきた戦士だけが纏うことを許される気迫だ。

 そう言った人間は戦場でいくらでも見てきた。彼らは総じて戦いに心酔した狂人の眼か、生への活力を手放した暗い眼をしているものだが、レオンは違う。
 それは生きることに光を見出している人間の眼だ。目的と手段が入れ替わり、理由の見失った戦いに明け暮れる者の眼とはまるで異なる。

 ──それは忌々しいオスカルと同類の眼つきで。

「ふぅーっ」

「エリアス……?」

「──悪いけど本気で行くぞ」

 模擬戦とはいえ、負けるわけにはいかないと自然に思った。全身に力と不快感が廻っていき、エリアスの闘気が爆発する。

 またこの感覚だ。頭に靄が張るような最悪な気分なのに、それに反して体には力が宿る。しかし、十年間付き合ってきたこの感覚など、とうに慣れている。後はこの胸糞悪い精神に肉体を任せるだけだ。
 それだけで、気が付いた時には全て片付いている。

「──っ!?」

 何の前触れもなく、エリアスの体が弾丸のようにレオンへと飛ぶ。その速度はソラと戦った時とは比べものにならず、眼を見開くレオンは対応に一歩遅れた。
 元より剣と槍とでは槍側の方が圧倒的に有利である。しかし、それは槍の間合いを保った場合にのみ適用される。だからこその先手。初手で一気に懐へ踏み込み、有利を崩すことから始める。

 レオンもそれは分かっていたが、なにぶんエリアスの初動が速すぎた。そして一度懐へ侵入されれば、後はエリアスの間合いだ。体ごと回転するような大振りの斬撃を柄で辛うじて受け止めるが、

「重すぎ、るッ!?」

 小柄な少女のものとは到底思えない力で強引に押し切られた。咄嗟に槍を深く持ち替えて接近戦に備え、その間にもエリアスの猛攻は続いていく。
 上、右、下、左上、あらゆる方向から目まぐるしく放たれ続ける斬撃は正に刃の嵐。

 しかし、レオンの実力も本物だった。少しずつ後退して間合いを開こうと狙いつつ、隙の少ない刺突での反撃を忘れない。

 その刺突もエリアスを度々掠っており一見互角の戦いに見えるが、それは間違いである。レオンの刺突がエリアスを捉えかけているのではなく、レオンの刺突を完全に見切ったエリアスが最低限の動きで回避行動をとっているだけだ。

 掠るだけなら有効打には程遠い。合理的に考えれば、勝負の判定になりえない攻撃に大げさな動きで対処する理由は無かった。

 ──しかし、だ。いくら模擬戦とはいえ、顔を掠りながら迫る矛を平然と無視できる人間がどれほどいるだろうか。
 下手をすれば命を奪い変えない刃を前に一切動じない人間がどれほどいるだろうか。

 それを実行して見せるエリアスは、対面するレオンとそれを見守るソラたちへ、得体の知れない恐怖を植え付けるには十分すぎた。

「貰ったぁ……ッ!」

 戦いが数十合にも及んだ末に、エリアスの斬り払いがレオンの槍を大きく弾き飛ばした。この模擬戦が始まってから最大の隙を、エリアスはもちろん見逃さない。
 一気に力強く左足で踏み込み、両腕で剣を頭上へ持ち上げる。全体重を乗せ、全身の筋肉を総動員し、可能な限りの威力と速度で振り下ろす。
 ただ一点、目の前の男を斬リステルコトニダケゼンシンケイヲシュウチュウシ、

「あっぶないな!?」

 渾身の一撃が寸前のところで避けられた。
 全身の力を結集した一撃が空振りとなり、さしものエリアスも集中が一瞬だけ途切れる。その一瞬の間にレオンの槍がエリアスの手の内から木剣を弾き飛ばして、

「あっ……」

「どうしたエリアス!? 途中から変だったぞ……!?」

 宙に放り出される木剣を気の抜けた声で見送り、目の前で叫ぶレオンへと意識を移した。直後に襲い掛かるのは全身の筋肉と骨の悲鳴だ。
 興奮で押さえつけられていた痛覚が一斉に舞い戻り、思わずその場で膝を付く。

「最後の、どうしてかわせた……?」

「踏み込みが足りなかったんだよ。小柄なんだから、もう半歩は踏み込まないと。まあ、今のが直撃してたら俺も骨何本か持ってかれてたけど……」

 そう指摘されてようやく気が付いた。今の体を襲っている痛みも、貧弱な少女の体で今まで通りの無茶をやろうとしたことの対価だ。
 小さな体格では踏み込みが僅かに足りず、無理をすればその反動はすぐさまやって来る。

 この体は絶対的な武力を持つ『勇者』ではない。それは最初から分かっていた。だが、それ以上の問題だった。

 ──こんな小さな少女の体は、剣を振るようには創られていないのだ。

 それでも決して認めてはならない。戦う力を失ってしまえば、エリアスの生きる意味だって手放すことになる。断じて、認めてはならない。こんな模擬戦程度で根を上げていては、何もできやしないのだ。

「お、おい。さすがに休んだらどうだ? 顔色悪いぞ」

「いや、もう少し素振りでもしてる」

 軋む体に鞭を打って立ち上がると、木剣と真剣を交換する。そのまま少し距離を置いた場所に足を進めようとして、目の前にセレナが立ち塞がった。
 その顔に冷たい無表情を貼り付けながら、エリアスの顔を覗き込んでくる。

「エリアスさん、あんまり無茶はしないでくださいね。それから……」

 そこで一呼吸だけ間を作ると、次の瞬間には何もない表情の裏側に祈願するような空気を漂わせて、

「──最後の一撃が当たっていたら怪我では済まなかったですよね。お願いですから、私たちにあなたを信用させてください」

 セレナの言葉も無視しながら彼女を避けて、空いた場所にたどり着くと一心不乱に剣を振り出す。今のエリアスには、自身の力を少しでも鍛え上げることしか見えていなかった。

 心配げに見つめてくるレオンたちの視線も、届いてはいなかった。

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