ひとりよがりの勇者

Haseyan

第二話 勇者の終わり

 どこまでも続いているのではないかと、錯覚するほどに広い平原を人影が飛行していた。それは地面すれすれ、数メートルの高さを高速で飛び続けたかと思うと、突如急停止。
 空中で身を捻った何か──王国の人間兵器、『勇者』エリアスは危なげなく平原へと着地した。超速からの強引な停止で、常人ならバラバラになりかねないほどの負荷がかかったはずだが、『勇者』の身体はその程度でビクともしない。

「あの臆病者が! 毎度毎度、吹き飛ばしやがって……!」

 つい先ほどまでいた戦場の方向へ怒りのままに吼える。残念ながら既に血の匂いも嗅ぐことも、人影も見ることができないぐらい距離を移動させられ、追い付くのはさすがに厳しい。
 仮に補足したところで、オスカルに抑えられて異能の範囲外から火力支援で削られれば、エリアスとは言え苦戦は免れない。先ほど勝機があったのはエリアスの奇襲により、敵軍の統率が崩壊していたからである。さすがに今から戻るのは無駄骨もいいところだった。

「ああ、くっそ……次は覚えてろよ」

 目に見えぬ騎士に悪態を付きながら、ふと足元の草が次々と枯れていくのを見つける。早送りのように萎れ、茶色くなっていく植物たちは明らかに何かの干渉を受けていた。
 一つ苛立たしく舌打ちをして、エリアスは意識して己の異能を抑え込む。その結果、目に見えて植物が枯れていくのは止まったが──それでも少しずつ萎れていくのは変わらなかった。

『勇者』として、完璧に近い身体能力を持っているエリアスの数少ない欠点。それは周囲の魔力を無尽蔵に奪うという異能を、完全に止めることができないことだ。
 無論、今のようにある程度まで抑え込むことは可能である。しかし、完全に停止することは『勇者』として力を得てから十年間、一度もできていない。
 限界まで抑え込んだとしても、ただそこに立っているだけで植物は枯れ、動物は衰弱していく。同じ人間ですら一般人だと徐々に覇気を失い、あまりに接触を続ければ最終的には命を落とす。実際、そのような経験がエリアスにはあった。

 存在するだけで周囲の生命を脅かす。『勇者』として崇められている一方で、エリアスに近づく者は気が付いた時にはいなくなっていた。

「違う……俺は『勇者』なんだ。仲間なんて、一人もいなくたって生きていける」

 もう何度も出し切った結論だというのに、考えるだけで、口にするだけでどこかが痛むのを感じる。だが、そのような痛みを感じた時の対処法はとっくに編み出していた。

 人間性を捨てろ。孤独を恐れるな。それをする暇があるなら、少しでもあの穢れた種族を殺せ。

 そうやって念じれば心が落ち着いて、またいつもの『勇者』に戻れた。ヒューマンの敵たる魔族を蹴散らす『勇者』に、戻ることができた。

「ん?」

 その時、エリアスの鋭い知覚に引っかかったものがあった。何かが動く気配。もっと言えば僅かな衣擦れと、呼吸の音だ。
 それを理解した瞬間、エリアスは背後に裏拳を放っていた。そこには何もなく、地平線まで続く平原の景色が見えるだけ。
 しかし、反射に近いその動きをエリアスは長年の経験から一切疑わない。事実、何もない空間で何かが拳に触れて、

「おらあぁぁ!!」

 そのまま地面へと叩きつける。地面があまりの衝撃に陥没し、小さなクレーターの出来上がりだ。確かな手応えを感じて構えを解くと、クレーターの中心の景色が歪み顔面の潰れた人間の男の死体が姿を現した。
 間違いない、この男はいつの間にかエリアスの背後へ忍び寄っていたのだ。それもどういう手品だろうか、視界から姿を消した状態で。

「こいつはウェアウルフ……いや、犬の獣人か。どうしてこんなところに獣人が?」

 死体に近づき、屈んで調べてみると頭から犬の耳が生えていた。続いてひっくり返し、白いローブを剥いでみれば、今度は腰の辺りに尻尾を確認する。その特徴は獣人のものと合地していた。
 ウェアウルフ──魔族であればまだ分かる。多くの魔族を殺害してきたエリアスは大量の恨みを買っているのを自覚しているし、復讐に襲われることも良くあった。

 しかし、獣人となると話は変わるだろう。ヒューマンの国である王国では、生活している他種族は少なく獣人もその例に漏れない。何よりここは王国と連邦の国境付近だ。
 兵士か騎士のような軍人か、『勇者』などの特殊な肩書の人間以外いるはずがない。それか非公式で勝手に侵入している盗賊の類か。そうだとしても、国内外に有名なエリアスに無謀にも単身で敵意を向ける存在がいるわけが──

「ちっ、一人の訳がねえよな!」

 そこまで思考したところで、今更ながら周囲に意識を向けると、一、二、三──分かる範囲でも二十以上の気配を感じた。しかし、視界に映る人影はどこにもない。全員、姿を消しているのだ。
 どこの誰かは知らないし、エリアスは見つけた魔族を片っ端から殺しても、それ以外の種族まで積極的に手を出すつもりはない。だが、向こうから仕掛けてくるのなら話は別だった。

「お前らの魔力、根こそぎ奪い尽して……あぁ?」

 故に容赦はしない。先ほどは抑え込んだ己の異能を全力で発現──しようとして失敗する。思わず間抜けた声を出してしまい、思考が停止した。
 完全な停止こそできなかったが、強弱や、誰に集中して行うかなどの異能の操作に関しては息をするようにできていたのだ。

 当たり前のようにできていたものができなくなる。言わば、腕の動かし方を忘れてしまうぐらい現実味の無い感覚であり、混乱は免れない。
 疑問によって侵される思考。しかし、肉体の方は反射的に動いていた。

 前後から突撃してくる気配を感じ、一歩前に踏み込む。目の前の空間に向けて剣を抜き放つと、適当な高さに突きを放った。何かを剣が貫通してくぐもった悲鳴が上がり、その何かを剣で突き刺したまま、背後へ振り向きながら剣を振るう。

「きゃっ!?」

 その勢いで剣から抜けて、徐々に姿を現し始めていた死体が飛んでいく。それが空中で不自然に停止すると同時に高い悲鳴が上がった。
 思考の端に聞き取りながらも、特に躊躇いなく左手を向けて雷撃を放つ。何も見えない空間で確かに何かを捉えると、そこから死体を抱えた人間が姿を現し、地面へ死体を下にしてうつ伏せに倒れた。

 一人は若いヒューマンの少年。もう一人は美しい女の森精族エルフだった。

「一体どういう集団だ?」

 剣を鞘に納めながら、疑問を口にする。先ほどの獣人と言い、全く共通性の見えない顔ぶればかり。共通して仕立ての良い真っ白なローブを身につけており、盗賊というわけではなさそうだ。
 しかし、そうでないならどうしてこのような場所で、わざわざ『勇者』を襲うのか。意味が分からない。

「頭使うのは得意じゃないんだよ……。今すぐ姿を見せて説明するなら見逃してやるけど、どうだ? 俺だって、魔族以外を殺す趣味は無いんだ」

 一旦攻撃は止んだようで、ひとまず一番近くにいる気配に向かって語りかけてみる。既に三人殺しておいて何だと言われそうだが、全て本音だった。理由があるなら殺すが、無いのに殺すのは魔族だけ。
 全員殺してしまって訳の分からないまま終わるより、平和に会話で済ました方がよっぽど良い。それに異能の操作が不可能になっていることも、この集団が関係していそうだ。しかし、エリアスの願いは聞き遂げられることは無く、

「何だってんだよ」

 今まで動きを止めていた残りの気配が同時に動き出した。交渉は決裂だ。さすがに刃を受けてくる相手に黙って平和論を説くほど、お花畑な頭は持っていない。
 姿が見えず、異能が使えなくとも、たった数十人を相手するのに特に労力は必要ないだろう。適当にあしらって、さっさと終わらせる。この集団を殲滅すれば、異能の封印も解けるはずだ。
 特に根拠のないままにエリアスはそうやって結論付けると、剣を引き抜いて、

「悪いけど、面倒だ」

 横一文字に振り抜いた。ただの素振りであるはずのそれは、『勇者』の力によってあり得ない速度で衝撃波を生み出し、剣圧が斬撃へと昇華する。
 飛来する斬撃は周囲の気配を軒並み捉えると、そこら中から血が噴き出した。その出血元一つ一つから人間が姿を現して倒れていく。

 ヒューマン、魔族、ヒューマン、エルフ、土精族ドワーフ、魔族、獣人──

 本当に、種族にまとまりのない集団だった。

「魔族も混ざってたのか。まあ、魔族につるんでる奴なんかは、殺されても仕方がな……」

 魔族が居たことで、エリアスは一定の納得を示す。このような屑どもと一緒にいるのがいけないのだと、多少はあった罪悪感もそれだけで吹き飛んでしまった。その直後、

 ──直感に従い、背後へ剣を振るった。

 見知らぬ男性の構えた剣とぶつかり合い、拮抗する。手を抜くどころか、エリアスは全力で斬撃を放ったはずなのに。
 それを受け止めたというのなら、相手は『勇者』か『魔神』か。しかし、『勇者』と『魔神』の顔は公表されているため、全て知っている。その中に目の前の男性の姿はなかった。

 まず目につくのは堀の深い初老の男性の顔。白いものが入り始めた黒髪をオールバックにしたヒューマンだ。先ほど倒した集団と同じような仕立ての良い白いローブをまとっているが、他と違って刺繍によって嫌味でない程度に豪華な装飾がなされていた。
 一本の白銀の長剣を構える、厳格な雰囲気を漂わせる人物であり、ただならぬ人物でもあるのは間違いない。

(このジジィのどこにこんな力がッ!?)

 歯を食い縛っているため心の中で叫び、その間に徐々に剣が押し込まれる。魔法を放つ余裕は無いし、異能は相変わらず操作できない。思えば、エリアスが異能を抑え込むタイミングでこの襲撃をしたのでは──

「ぐっ……!?」

 一瞬の思考の隙間を狙われ、剣が受け流される。そのまま僅かに体勢を崩したエリアスの腹へ、鋭い蹴りが突き刺さった。
 それは『勇者』であるはずのエリアスに少なくないダメージを与えながら、身体を吹き飛ばす。数メートル先、つい先ほど作ったばかりのクレーターへ転げ落ちると、獣人の死体の隣へ着弾した。
 久々に感じる痛みに苦しみながら、エリアスはクレーターの底から地上を見上げる。こちらの様子を探る様に男性が見下ろしていた。しばらくそうしていた男性が、不意に口を開くと、

「異能を封じたとは言え、あまりに弱いな」

「うるせえジジィ……。お前ら一体、何者なんだよ……!?」

「すまないが、情報開示の許可は出ていない」

 エリアスの疑問をバッサリと切り捨てて、男性は倒れる彼のすぐ目の前に飛び降りる。元々大した深さの無いクレーターだ。滞空時間はほとんどなく、だがエリアスはその隙を見逃さない。

「消し飛びやがれッ!!」

 倒れた姿勢のまま左手を男性に向けると溜め込んでいた魔力を解き放つ。一瞬だけ金色に光る魔法陣が宙に浮かび上がり、巨大な雷の竜が男性へと襲い掛かった。
 その一撃に男性は驚くことも許されぬままに、飲み込まれていく。だが、魔法の威力は衰えることを知らず、盛大に地面を抉り取っていき視界の届かぬほどの場所でようやく消滅した。

『勇者』の身であるエリアスが全力で放った魔法だ。いくら何でも今の直撃を受ければ、消し炭になったことは明白。大量の土煙の舞う中、エリアスは勝利を確信して、

「はっ?」

 煙を切り裂いて、目の前に迫った魔力の奔流に唖然とするしかなかった。純粋な魔力の塊はエリアスに着弾するとともに破裂し、再び彼の身体を吹き飛ばす。
 その先でエリアスはどうにか顔を上げ、次の瞬間には顔面を鷲掴みにされた。指の隙間から見れば、頭から血を流しつつも、致命傷には程遠い男性が目の前にいる。

「くっそ、離せ!」

「身体能力、保有魔力、戦闘技術、全てが優れているが、それに比べて判断能力はおざなりすぎるな。今のも威力を拡散せず、一点に集中していれば、私も手傷を負ったというのに」

 男性の言葉を聞いている暇はない。拘束から抜け出そうと拳を振り上げ、男性に叩き付ける。だが、顔面に拳が当たるより前に半透明の壁に遮られた。
 魔法の基礎中の基礎である『障壁』だ。しかし、その強度は『勇者』の一撃を受けてもヒビ一つ入らないほどに高い。何度拳を放っても、全て受け止められてしまう。
 そんな暴れるエリアスを無視して、男性は空いている左手で懐から何やら丸い水晶を取り出した。それは見ているだけで意識が吸い込まれそうになる、奇妙な雰囲気を放つ青い水晶。

 不思議と、とてつもなく嫌な予感を覚える水晶だ。

「ふむ、初めてで使い方がよく分からないが」

「おい、待てジジィ! 何をするつもりで……」

「こうだったか」

 ──想像を絶する痛みが全身を襲ったのは、その直後だった。

 身体の外から、内蔵を強引に抉り取るような痛みにその場でのたうち回る。視界が真っ赤に染まっていき、それが血の涙を流したせいだと気がついた。
 その認識も、すぐに痛みによって押し流され思考から消え失せる。

「がああぁぁぁぁぁ!!?」

 何かが、エリアスの内側から引っ張り出される。いや、何かではない。それは『勇者』だ。
 エリアスの一部を確かに構成していたはずの『勇者』としての力が無理矢理に奪い取られている。そのことをエリアスは真っ赤に染まる意識の中で、確かに感じていた。

 痛みと苦しみと喪失感。どれか一つでも狂ってしまいそうなのに、それを同時に三つも押し付けられたエリアスが意識を保っているのは奇跡に近い。
 それはエリアスの強靭な精神力の賜物か。──それとも『勇者』の力に対する執着心の現れだろうか。

 どれ程の時間が経ったのか分からない。ようやく痛みが引いてきたエリアスは、いつの間にか男性の手から解放された頭を何とか上げて、睨み付ける。

「何をしたんだよ……!? 返せ、俺の、力を返せ……!!」

 いつもなら常に傍らにあった圧倒的魔力の鼓動も、全身にみなぎっていた力も今は感じられない。今も痛みと熱の残る身体には、僅かな力しか残っていなかった。

「次の作業だ」

 いつの間にか男性の右手に金色の石が握られており、そちらに意識を向ける男性はエリアスを気にも止めていなかった。
 何とか力を奪い返さなくては。そう咄嗟に思い、立ち上がろうとするが、身体は言うことを聞かない。

「動くな」

 続いて男性がエリアスの額に手を添えた。それに連動し、エリアスを中心として地面に巨大な魔法陣が展開される。見たことも無いような複雑な術式だ。軽く見ただけではとても理解できないものであり──それが唐突に収束するとエリアスの体の中へと飲み込まれていった。

(──ッ!?)

 あまりの苦しみに思わず叫ぼうとするが、機能を失った喉からは何の音も発せられない。声すらも上げられないエリアスは再び襲い掛かる苦しみに、心の中で叫ぶしかなかった。痛みは既に引いている。だが、その代わりに体の内側から耐え切れないほどの熱が膨れ上がっていた。

 ──熱い暑い厚いあついアツいアツイ!

 体が溶けているのではないかと錯覚するほど。加えて言えば、まるで己の内側から肉体を作り変えられているような。
 指一本動かすことも、叫び声を上げることも、熱に抗うことさえも許されない。
 確かに痛みはなくなった。だが、その分増した熱による苦しみと、自分が自分でなくなっていく喪失感は耐え難い。

「すまないが、これも必要なことだ。世界の為の犠牲になってくれ」

 無感情だった声に僅かながら同情らしきものが混じる。苦しみ悶え、それをさえ認識できないエリアスを男性は見下ろすと、

「お前が次目覚めた時には、王都にいることだろう。そこで頼みがある」

 熱い。苦しい。ついに意識が限界を迎え、視界がブラックアウトを始める。
 真っ赤な視界も、許しがたい男の声も、全身を暴れまわる苦しみも。全てを置き去りにして、沈んでいく。

「──絶対に死ぬな。いずれ訪れる災厄の時まで絶対に」

 エリアスが『勇者』として最後に聞いた言葉が、それだった。

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