剣豪幼女と十三の呪い

きー子

二十三/明けの夜話

 カイネ、クラリーネ、ジョッシュの三人は程なくして魔術学院に帰り着く。慌ただしい日々は過ぎ去り、以前と変わりない日常が戻ってくる。
 いや――ひとつだけ大きな変化があった。

「リーネ、おかえりでありますよー!」
「……おかえりっていっても、いまさらだけど」
「zzz......」

 クラリーネはベッドで眠りこけているネレムに会釈して部屋に入る。久しぶりの寮の部屋。
 この部屋で寝泊まりするのはあくまで一時的のつもりだったが、そのことを話すとカイネはこう言ったのだ――『向こうの部屋に慣れたのなら本格的に移っても構わんぞ?』と。

 カイネいわく、「ちょっとした観察でわかるようなことはもうあまり無かろう」とのこと。自分より小さな女の子をひとりにすることを思うとなんだか気が引けてしまったが、正直に告げると「おれをいくつだと思うておる」と苦笑されてしまう始末だった。

 そして――
 クラリーネは数日間悩みに悩み抜いた末、最終的にこちらの部屋で寝泊まりすることを選択した。

「困ったことがあれば気楽になんでも言ってほしいでありますよ。すっかり助けられてしまったでありますから」
「それは、違う」

 クラリーネは自分のベッドに荷物を置き、シャロンのすぐそばに歩み寄る。

「え……なんででありますか?」
「助けられたのは、私のほう」

 シャロンは一瞬うろたえ、ベッドに腰掛けてクラリーネを見つめた。

「……ど、どういうことでありましょう」
「そのままの意味。……心当たりがあるはず」

 クラリーネは確信を持って断じる。
 シャロンは図星を突かれたようにびくっと肩を震わせて、本当にわかりやすいと妙におかしくなってしまう。

「う、うーん。その、私は安全なところで祈っていただけでありまして……」
「その祈りがなければセルヴァさんは――私も生きてなかったかも」
「……も、もしもでもそんなことは言わないでほしいであります」
「ごめん――でも、本当のこと」

 お風呂を済ませたあとのシャロンは濡れた髪を真っすぐ下ろしていた。代わりに前髪を銀の髪留めで上げている。
 クラリーネはその髪留めにぴたりと触れた。

「ひゃ」
「……これは、私の身体の一部のようなもの。これが元になったものだから」

 クラリーネは自らの肩の上にふよふよと浮いている白銀の球体を指す。

「あ、やっぱりそうだったのでありますな」
「気づいてたの」
「ネレムに教えてもらったのでありますよー、多分そうじゃないかって……あ、ネレムにも力添えしてもらったのでありますよ?」
「……そっか」

 あの時流れ込んできた魔力はふたりの力だったんだ。
 クラリーネは遅ればせながら得心する。もしあれがシャロンひとりの魔力なら、平均よりやや多いクラリーネの二倍は下らないということになる。

「なら、セルヴァさんが生きているのはシャロンのおかげで――ネレムさんのおかげでもある」
「そう言われても、こう、あまり実感がわかないのでありますが」
「私がシャロンを守るつもりだったけど、逆に助けられてしまった」
「……それは自分を卑下し過ぎでありますよ」

 シャロンの手が、髪留めに触れるクラリーネの指先にそっと重ねられる。

「……本当なら、私自身が向かい合うべきだったこと。貴女は……それを、全部引き受けてしまったでありましょう」
「誰かがやるべきことを誰かがやるだけ」

 向かい合わなければならないことなんてない、とクラリーネは頭を振る。だからこそシャロンの祖母は、呪術という力を一切捨て去ってしまおうとしたのだろう。
 彼女はじっとクラリーネの顔を覗き込む。

「叔母様のこと。なにか、知っているのではありませぬか?」
「ッ」
「これほどの大事となっては、国王陛下の手入れが入らずには済まされぬでありましょう。……呪術。〝十二使徒〟。私がなにも知らなかったこと。ソニアあのひとが知っていたこと。少しでもわかったことがあるのではありませぬか?」
「それは……」

 クラリーネはアルトゥールから話を聞いていたことを今さらながらに後悔した。
 沈黙を守ることも、嘘でごまかすこともできる。でも、そうすることに果たして自分は耐えられるだろうか。
 シャロンの真っすぐな青い目は、まるでクラリーネの動揺を見透かすかのようだった。

「教えてほしいであります、リーネ。……この期に及んで秘密とは水くさいではありませぬか?」
「……秘密は、守られなければ意味がない」
「なるほど。では私とリーネの秘密というのはどうでありましょう」
「が、頑固ッ……」

 クラリーネは助けを求めるようにネレムのベッドへと目を向ける。銀色の球体を飛ばしてちいさな頭を突っつくと、彼女は眠たげに瞼をこすりながら言った。

「……なにかな。せっかく聞かないように寝付きかけたところなのに」
「この頑固者になんとか言って」
「……こっちに聞かれてていいのなら大人しく話すというのはどうかな。私も無関係じゃないから」
「うむ。でありましたら、三人の秘密といたしましょう!」
「ちょっと」

 シャロンは寸分も迷わなかった。
 クラリーネは再び逡巡する。シャロンの祖母と母はアースワーズ家の薄暗い歴史を闇に葬ろうとしたというのに、自分の一存で軽々と話してしまって本当に良いのだろうか。

「どうせよごれるのならば、いっしょによごれたいと思うのが本望ではありませぬか?」

 考えあぐねるクラリーネに、シャロンはにっこりと微笑みをたたえて言う。言葉とは裏腹なほどに晴れやかな、穢れなど一切感じさせないような表情。

(……ああ)

 それは、堕落への甘美な誘惑にも似ていた。
 秘密の共有という背徳に心をくすぐられ、クラリーネは『汚れているのは私だけだった』とかつて口にした言葉を想う。
 悪魔は天使の顔をしてやってくる、とはよく言ったものではないか。

(ごめんなさい。シャロンのご先祖さま――)

 ――私はただ自らの歓喜のためだけに、あなた方の御心を裏切ります。

 そして三人は秘密を知った。
 シャロンは「だいたいリーネが予想してた通りでありますなぁ……」と感慨深そうにつぶやいたくらいで、ネレムに至っては「……知ってた」などと口走りそうなほど眠たげな表情をしていた。無論知っていたはずはないのだが。
 思わず拍子抜けするクラリーネに、シャロンはまたにっこりと微笑んで言った。

「では、そろそろ堅苦しい話は抜きにして――カイネ殿との愉快な旅の土産話でも聞かせていただけるでありますか?」
「ないよ」
「なんででありますか!?」
「…………zzz」

 用は済んだとばかり夢の中に舞い戻るネレム、おもむろに自らのベッドを整えるクラリーネ、不満そうにベッドの上で頬をふくらませているシャロン。
 以前とまるで変わらない、いつも通りの日常。
 これが、クラリーネの守りたかったものだった。

 ***

「娘の親離れとはこういうもんなんかのう……?」
「俺に聞くんじゃねェよそんなもん……!」

 クラリーネがいなくなった自室はやけに広く感じられた。自分から言いだしたことではあるのだが、多少の寂寞感が無いといえば嘘になる。
 かくてカイネはジョッシュの部屋を訪ね、大麦の蒸留酒を開けていた。王都の庶民的な酒蔵からいくらか買い込んできたという逸品である。

「いい年まで生きてたんだろ、ガキの一人や二人いたんじゃねェのか?」
「妻帯しておらなんだしな。残さねばならぬ家もなし、そのうち死ぬじゃろと思うて家族も作らんで
「それで結局一〇〇とかまで生きてたんだろ。ウケる」
「うけんでええ」

 カイネの頬はすでに赤くなっていたが、対面に腰掛けているジョッシュもいい勝負だ。

「クラストに連絡やってやれよ。妹さんは元気に領主軍を相手に大立ち回りを演じておりますつって」
「うむ……あらためて考えるとまずすぎるな……保護者失格とかそういう話では済まされぬぞ……」
「本気にすんじゃねェって冗談だっつの。まァ、良い友達ができたっつーのはいい報せだろ?」
「それは全くもってそうなんじゃが」

 クラリーネは人と打ち解けるのがあまり得意ではないように見えたが、なかなかどうして上手くやっている。カイネの懸念はすっかり解消されたと言ってもいいほどだ。

「俺としちゃあ少し残念だがね」
「なんでだ」
「あの嬢ちゃんがそばにいりゃあんたもちょっとは落ち着くだろ、って話さ」
「そういえば、前もそんなこと言っておったな」
「そうだったっけな……?」

 神妙に首を傾げるジョッシュをカイネは呆れ顔で見つめる。すでにだいぶできあがっているらしい。
 ともあれ、監視役である彼にとってはカイネが大人しくしている方が好ましかろう。

「大人しゅうできんですまなんだな。またよろしゅう頼むぞ」
「へいへい、わかってますっての……でだ、今回は何か目ぼしいもんは見つかったのかい?」
「……目ぼしいもの、のう」

 カイネにとって、ソニア・アースワーズの始末をつけるのは副次的な目的に過ぎない。彼女を尋問して得た情報こそが今回の本命であった。
 収穫は確かにあった。それは端的な事実によって示される。

「魂は、つくれる」
「……あん?」
「あやつは、ソニア・アースワーズは魂をつくる技術を確かに持っていた。……あいにく、その技術を扱える器では無かったようだがの」
「……まァ、実物を見てるからには信じるっきゃねぇんだがよ」

 思い出されるのはイルドゥのこと。
 彼の帰還は叶わなかった。それを伝えた時のシャロンは少し悲しげであったが、故郷の土に埋葬されたというと「必ずうかがわせていただくであります」とも言っていた。
 彼女自身も長らく故郷の土を踏んでいないはずだ。無事帰郷できるようになったのは実に喜ばしいことである。

「そこで、ひとつ可能性が浮かんできおる」
「どういう」
「おれの魂もつくりものに過ぎぬやもしれん、ということだ」

 カイネは言った。話し過ぎかもしれない、と考えるより早く言葉が口をついていた。
 ジョッシュは一瞬呆けたような顔でカイネを見つめ、杯に新しく酒をつぐ。

「ふぅん……」
「もうちょっとなんか言うことあるじゃろおまえさん」
「いや、ねェよ」
「……なに?」

 おれにとってはすこぶる深刻な問題なのであるが――
 カイネの鋭い一瞥に、ジョッシュはとろんとした目で応じる。

「俺が知ってんのはいま、俺の目の前にいるあんただけだ。その魂の真贋なんざ別に興味ねぇさ」
「……軽々しく言うてくれおる」
「他人事だからな」
「……陛下になんと報告するつもりだ?」
「あの国王陛下のことだ、お慶びになられるかもしれんぜ? 『やはりそうであったか、貴様の魂が真に男であろうはずもなかろう』なんつってな」
「やめよ。本気で寒気がするわ」
「飲み過ぎなんじゃねえかい。ほどほどにしとけよ」
「おまえさんが言うでないわ……」

 カイネは半目になってジョッシュの赤ら顔を観察する。明日の目覚めはおそらくかんばしくあるまい。
 だが――

「……まぁ、よい。もうちと付き合え、どうせ明日は休みだ」
「へいへい。その身体で無理すんじゃねェぞ?」

 例えまがいものであろうが気にしない、と断じてくれる者がいるのは決して小さからぬ救いであろう。

 カイネは空っぽにした杯を差し出し、ジョッシュは若干おぼつかない手付きで酒瓶を傾ける。澄んだ酒精が器いっぱいになみなみ注がれていく。

「乾杯」

 二人はどちらともなく囁き、鉄の杯を打ち合わせた。

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