剣豪幼女と十三の呪い

きー子

十一/人形師

「セルヴァ殿ー、セルヴァ殿ー。生きておられるでありますかー?」

 薄暗く、じめじめとした地下牢に朗々とした声が響き渡る。
 それは牢屋というよりも穴だった。出入り口は地下の天井と一階の床に面する小窓しかなく、梯子でも降ろさなければ脱出することは絶対に不可能である。

 地下穴の中には、ひとりの男がいた。
 白髪交じりのブラウンの髪、角ばった顔立ちを埋め尽くすように伸びっぱなしの髭。四十絡みまで歳を重ねてなお岩のような身体を覆うのはボロ布のみで、肝心の肉体もいささか痩せている。
 実年齢より幾分老けて見えるのは、男が疲労困憊している何よりもの証であろう。
 ただ藍色の瞳だけが、開かれた小窓の向こう側を鋭く見つめていた。

「……その、声は……」
「セルヴァ殿、助けに来たであります。私がここに来たからには、もう、セルヴァ殿を痛めつけさせぬでありますよ」

 地下穴の内部に光源はおよそ皆無であった。小窓が開かれた際に射し込む光だけが、男の視界をほんのわずかに照らした。

「……顔を、見せてくれ」

 男――セルヴァ・グロワーズが上からの明るい声を認識しても、薄汚れた顔は依然としてけわしい表情を保っていた。
 その声が娘のように想っている少女のものに聞こえても、セルヴァは表情を崩さなかった。

「セルヴァ殿、私の声を忘れてしまったのでありますか……?」
「顔を見せてくれ、シャロン。おまえの顔を、拝みたいのだ」
「……わかりましたであります。そうまでいうのなら……」

 立ったままでいた穴の上の少女はゆっくりと屈み込み、穴の中のセルヴァに向かって微笑を見せる。
 セルヴァはその顔を見るなり渇いた笑い声を漏らした。

「やめろ、ソニア・アースワーズ。つまらん小細工をしてくれるな」

 次の瞬間、セルヴァの視界からシャロン――否、シャロンに限りなく近い形をした人形の顔が消えた。
 けたたましい破砕音が上から聞こえてくる。出来損ないの人形を叩き壊しているのだろう。癇癪を起こした子どものように。

「…………なぜおわかりになったんですの?」

 細い息遣いのあとで女の声がした。
 まださほど年を経ていない、三十路絡みの女の声だ。
 セルヴァは瞳だけを炯々と輝かせながらつぶやく。

「顔を見て気づいたのだ、顔が悪いに決まっているだろう。こんな簡単なこともわからんか」
「……顔には寸分の違いも無かったはずですわ。表情の作り込みも完璧なはず。なのに、どうして?」

 つぶやきの主――ソニア・アースワーズはそぉっと小窓から顔を覗かせる。
 それはシャロンを一回りか、二回りか大人びさせたような顔立ちだった。
 金の髪質はふわふわの質感ともっさりした量感を保っており、髪の先でくるりと巻き上げている。唇にはくっきりと鮮やかな紅が引かれ、切れ長の瞳が鋭くセルヴァを見据えている。
 セルヴァは言った。囚われの身でありながらまるで臆するところのない口振りで。

「私のざまを見たまえ。このみすぼらしい姿を、薄汚れた姿を、疲れきった姿を。これを目の当たりにして少しも表情を変えずにいられるほど、あの子は演技上手ではなかろうな」
「…………チッ」

 ソニアは舌打ちしてセルヴァを見下す。忌々しげな感情を隠しもしない顔。

「案外、まだまだ元気なようね。しばらくそこで飢え、渇き、暗闇に藻掻き苦しみなさいな」
「……無駄なことだ。心変わりなどありえはしない」
「ほざいてなさい。所詮あなたは反逆の臣……裏切り者は何度でも裏切るわ」
「この私が仕えるのはアースワーズ家のみ。断じて貴様などでは――」
「私がアースワーズよ。この私こそが、アースワーズの名を継ぐにふさわしい女よ」
「それを決めるのは、貴様ではない」

 渇きに耐えながら声を絞り出す。
 セルヴァがこの穴に入れられてから与えられた水と食料はごくわずかだ。昼夜問わず暗闇のため時間の感覚はとうに失われ、投獄からどれほどの日時が過ぎたかも定かではない。
 ソニアはもはや彼の言葉に耳を傾けなかった。

「私に従わなかったことを後悔することになりますわよ? そう遠くないうちにね」
「……私がどうなろうとも構いはすまい」

 シャロン様さえ無事であるならば――
 そんな考えを見透かしたかのようにソニアは言った。

「見ものでしょうねぇ。あの忌々しい小娘の死体を目にする時の、あなたの顔……」
「……くだらぬはったりを」
「私のかわいい人形たちが、もうあの娘のもとに向かっておりますのよ? あなたに大人しく協力していただけたなら、命だけは許して差し上げようと想っていたのですけれど……」

 ソニアがくすくすとあざ笑うような笑みを漏らす。顔立ちこそシャロンとよく似ているが、彼女は決してそのような表情はすまい。

「……それこそ無駄なことだ。まがい物の人形ごときでは学院を――」
「あらあら。そのまがい物にしてやられたあなたが言うわねぇ。――あれを持ってきなさいな?」

 ソニアはぱちん、と指を弾いて何かを命じる。おそらく配下の人形に向けてのものだろう。
 ややあって、セルヴァのいる地下穴にまるい何かが投げ込まれた。
 どさっ、とにわかに渇いた音がした。

「……な」

 セルヴァはかすかに目を見開く。
 それは生首だった。セルヴァがよく知っていた男の顔。
 薄暗がりの中で見える断面は生身であり、作り物の人形ではないとすぐに知れる。

「〝無駄なし〟のイルドゥ。あなたとはお友達だったかしら? この男を殺さなきゃいけないのは残念だったわ――まぁ、人形で十分に替えがきく程度だけれど」
「…………馬鹿な」

 先代からアースワーズ家に仕え、臣下の中では一、二を争う実力を誇る魔術師にして騎士イルドゥ。彼の放つ矢は延々と獲物を追いかけ続けるために〝無駄なし〟の異名を取る。
 いざという時にはシャロンのために馳せ参じようというこの男がすでに殺害されていたという事実は、セルヴァに少なからぬ衝撃をもたらした。
 しかもそれをやったのが、ソニアの使役する人形に過ぎないとすれば――

「さぁて、次に見せてあげられる生首は誰のものになるかしら――とても愉しみねぇ、グロワーズ?」

 階上から垣間見える嘲笑。
 やがて小窓がゆっくり閉ざされていき、再び地下牢に静寂と暗闇が訪れる。

 おぉ、なんたることか、神よ――

 セルヴァにはただ祈ることしかできない。
 天に坐す創世の神に。安全と信じてシャロンを託した学院に。そして眉唾ではあるが、シャロンから送られてきた手紙にあった〝命の恩人〟の名前に。

 その名は奇しくも、二百年の昔に護国の将として知られた男の名前でもあった。

 ***

 カイネらがオーレリア領を出た翌朝。
 街道沿いの宿場を出発した二人の行く手は、強い雨脚に妨げられていた。

「……くそ。急いでおるというのに」
「まだ激しくなりそうだなこりゃ。……ゆっくり休んどいてくれ、道も相当悪くなりそうだ」
「そうしたいのは山々なんだがな――」

 魔獣・一角馬が牽引する馬車は尋常ならざる揺れと震動に見舞われるが、その渦中にあってさえ悠々と寝付ける図太さはカイネの妙技のひとつである。
 しかしながらカイネはそうはせず、雨降りしきる車外の後方に意識を向けていた。

「後ろのやつ。昨日同じ宿場で停まっておったやつではあるまいか」
「……よく覚えてんな。いやこっちからじゃ見えねェけどよ」
「どうも従けられているような気がしてならんでな。しかもあの馬、この雨だというのに妙に早い」
「……少し緩めるか? こいつらに無理させるのも本意じゃねェんでな」
「そうしてくれるか。どうも気になる」

 カイネは腕を組み、脚を組んで耳を澄ます。外界の足音、馬蹄の音、車輪の音――そして遠く後方からの音を聞き分ける。
 乗っている馬車のペースが落とされたのに対し、後方の馬車は依然として一定であった。

「……あァ、聞こえるな。近づいてきたか……このまま追い越していくんじゃねェか?」
「であればよかろうがな……」

 カイネらの馬車の斜め後方から一台の馬車が迫りつつある。速度を緩めないまま直進し続け、このまま通り過ぎるかという瞬間に備え神経を研ぎ澄ませる。
 泥が弾ける。砂礫が跳ねる。ともすれば車輪が接触してしまいそうなほどの距離に迫りながら、かの馬車はふたりの乗る馬車にぴたりと並んだ。

 ばたん。
 横付けされた馬車の扉が突如として開き、カイネはその奥に潜んでいた影を垣間見る。

「弓使いッ! こっちを狙っておるぞッ!!」
「あぁッ!? 心配すんなッ、こんな雨風の中じゃ当たるもんも当たらな――」

 車内から姿を見せたのは、藍色の蓬髪の男だった。
 扉口から身を乗り出すように弓を引く彼は天を仰ぎ、降りそそぐ雨の流れに逆らうように矢を放つ。
 てんで見当違いの方向に放たれた矢はやがて放物線を描きながら落ちると思われたが、カイネはすぐに予測を修正した。

 矢は落下を始めるより早く軌道を〝ぐにゃり〟とねじ曲げ、その矛先をある一点に向けたのだ。
 カイネは扉を蹴り開けながら叫ぶ。幼くも端正な相貌が雨粒に濡れる。

「ジョッシュ、やつの狙いはおまえさんだッ! 逃げよッ!!」
「バカ言えッ! こっちは手綱握ってんだッ、脚をダメにしたらなんにもならねェだろッ!!」
「――――頑固者がッ!」

 カイネは扉口から身を乗り出して飛び、馬車の屋根に接地。
 身を打つ雨も意に介さず。矢を視認することなく風を切る音を聞き分け、ジョッシュに迫りくる一矢へと肉薄――抜刀。

 ――ひゅん。

 銀のきらめきが雨滴を吹き散らし、鉄の矢を半ばから真っ二つに斬り落とす。
 半ばから先は力を失いひょろひょろと地に落ちる。落下地点が遥か後方に流れていく。

「悪い、世話かけ――――ぐッ!?」

 カイネが向かいの馬車に飛び渡りかけたその時、苦悶の呻きを耳に聞く。
 明らかに苦痛をこらえるような声色。

「どうしたッ!?」
「ッ――――どうってこたねェ、先にそっちだッ! いいな気にすんじゃねェぞッ!!」

 明白な意志を感じさせるジョッシュの声。
 カイネは振り返らなかった。向かいの馬車の屋根に着地し、車内の射手目掛けて屋根を勢い良く貫き通した。
 確かな手応えがあった。肉を貫いたそれではなく、鉄を斬るような手応えが。

(また、人形――)

 屋根から引き抜いた刃には、血ではなく粉末状の金属が付着していた。
 カイネは屋根伝いに進んで馬車の御者を蹴落とす。が、馬車を牽く二頭の馬はなおも規則正しく走り続ける。

(――よもや)

 カイネは確信とともに刃を二度翻らせた。
 馬の首が飛んだ。
 その断面から血が噴き出すことはなく、その内側には奇妙なからくりが覗き見える。

(さしづめ、機構馬とでも言ったところか)

 生物ですらない鉄の馬なのだから雨風を物ともしないのは当然だった。
 カイネは失速とともに傾き始める車体を蹴り、元いた馬車に飛び移る。
 盛大に横転する向かいの馬車――泥と土と雨水を弾けさせ、車体はばらばらと砕け散った。

「ジョッシュ、無事か! 死んでおらぬであろうな!?」
「こんくらいで死ぬわきゃねェっての……!」

 カイネはそぼ濡れた衣服もそのまま御者席の屋根の下に入り、ジョッシュの安否を確認する。
 放たれた矢の無力化は成功したかに見えたが、違った。矢の先端を失った鉄の棒が、ジョッシュの腕に鋭く突き刺さっていたのだ。

「馬車を止めよ。放っておいたら面倒なことになるぞ」
「これくらいでいちいち停めるこたねェだろ。このまま応急手当だけでもやってくれりゃ」
「よいから。止めよ」
「急ぐんじゃねェのかよ。あの元気いっぱいな嬢ちゃんになにかあるかもしれんって話だぜ?」
「この雨でがむしゃらに急いでも仕方なかろうが。はよう止めよ、おまえさんの腕がだめになったら誰がこの馬車を走らせられると思うておる」
「……あんたも相当な頑固者だと思うぜ、カイネ……」

 苦笑交じりのつぶやきは先ほどのカイネの叫びに対する返礼か。
 ジョッシュはしぶしぶながらも一角馬を制し、馬車の速度をゆっくりと落とす。
 カイネは車内に備え付けの救急箱を引っ張り出してきてジョッシュのそばで膝をつく。肩に突き刺さった鉄の棒に手をかける。

「引っこ抜くぞ」
「あァ、一思いにやっちまってくれ」

 カイネは彼の言うとおりにした。ジョッシュは歯を食いしばって苦痛を噛み殺す。声にならないうめき声。
 ジョッシュの顔を濡らすものは吹き付ける雨風か、それとも激痛によって滲み出した脂汗か。

「ちと脱がすぞ」
「……こう、なんだ、悪くねェな。びしょ濡れの絶世の美女に脱がしてもらうっつーのは」
「そんだけアホなことを言ってられるなら大丈夫そうだの――」

 馬車は速度を緩めながら、やがて街道沿いの大きな木の陰で完全に停車する。
 カイネはジョッシュの軍服を脱がせてシャツの腕をまくり、患部の消毒と塗り薬の塗布、包帯の巻きつけを手早く済ませた。
 重要な神経は避けているようだが出血量が多く、定期的に包帯を替える必要があるだろう。

「……追ってきてねェか? さっきのやつら……」
「来とらんよ。脚は潰したから心配なかろうが……人形が魔術を使いおるとはな」

 それがカイネの誤算だった。また、魔術の効力も見誤っていた。
 カイネは口惜しげに眉を垂らし、ジョッシュは額に汗をにじませつつ笑った。

「あんたが気にするこっちゃねェよ――というか俺が下手こいたせいだ。悪い」
「……意外だの」
「何がだよ」
「おまえさんがそこまで責任を覚えることでもなかろうに。勤労精神にでも目覚めおったか?」
「脚になるくらいしか仕事がねェからな。俸給分の仕事は真面目にやろうと思ったのさ」
「仕事なんぞ命がけでやるものではなかろうよ」
「……軍人に言うこっちゃねーぜ、そりゃあ」

 あんたも元は軍人だろうによ、とジョッシュは苦笑しつつカイネを一瞥する。
「しょせんは傭兵上がりでな。死にそうになればとっとと逃げるが常道よ」と、カイネは包帯の端をそっと短刀で切りながらうそぶいた。

「……わかんねェもんだな、あんたも」
「おれがか」
「あァ。俺の替わりになるやつならいくらでもいるだろ、そんな大げさに慌てるこっちゃない」
「おらんよ。替わりにはならん」

 カイネはジョッシュの肩に軍服の上着を羽織らせる。
「助かる」とジョッシュは小さく頭を下げ、二頭立ての一角馬を木陰のかたわらに止めさせた。

「……それも軍人に言うこっちゃねーな」
「似ているものは、似ているだけだ。断じて同じものではない。おまえさんの替えにはなりえんさ」
「その顔でそういうこと言うんじゃねえ」
「顔は関係ねーじゃろ顔は……!」

 カイネは汗と雨が流れる頬をそっと拭いながらつぶやく。
 瞼を伝って流れる雨雫は一見して涙のようでもあった。

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