剣豪幼女と十三の呪い
ニ/二百年後
カイネが目を覚ますと、そこは薄暗い石室だった。
(ここはどこだ。……なぜおれは生きている?)
最後の記憶。カイネは自らの腹に刃を突き立てて死んだはずだった。
カイネはお腹の辺りを軽く撫でる。血痕や傷跡は一切ない。
なめらかで瑞々しい肌の感触は少女のそれ。
アーデルハイトにかけられた呪いは今なお健在だった。
(……なぜ、裸なんだ)
身体に視線を落として気づく。
今のカイネは一糸まとわぬ裸身であった。
無垢な肌の表面には縄のように太い黒布が幾重にも巻きつけられている。
「……なんじゃこれ」
と、カイネはそれを片手であっさり引き千切った。
黒い布はたちまち雪のように解け、掻き消える。
その布こそはヴィクセン王国が誇る魔術の精髄――拘束制御術式〝六道呪帯〟の産物であったことをカイネは寡聞にして知らない。
(とりあえず、ここを出るか)
じっとしているのは性に合わない。
カイネはほの暗い石室の中をぐるりと見渡す。
後方の石壁には奇妙なくぼみがあった。
くぼみの両端には仄明かりを宿したろうそくが並び、中央に一振りの長物が置かれている。
(……おれの、刀)
銘刀〝黒月〟。
カイネ・ベルンハルトが生涯の半ば以上を共にした一振りである。
黒漆塗の鉄鞘を一目見ただけでカイネはそれを自らの愛刀と確信した。
カイネは迷いなく鉄鞘に手を伸ばす。
その瞬間、バチンッと空気の爆ぜる音がした。
「――っつぅ……!!」
カイネは痛みのあまり腕を咄嗟に引く。
白い手のひらにくっきりと残るやけどの痕。
領域内に触れたものをただちに昏倒させる高位結界術式〝紫電界〟――カイネは尋常ならざる反射速度によって難を逃れていた。
「……くそったれめが」
カイネはべろりと手のひらを舐めながら毒づく。
愛刀が自分以外の誰かの管理下にある、という事実がはなはだ不快であった。
カイネは鋭い瞳をにわかに細め、胸の前に手刀を立て――
ひゅん、と風を切る音がした。
左右のろうそくの火が掻き消える。
愛刀はすでにちいさな手のひらの中。
カイネは反対方向に歩き出しながら、ふと壁際を一瞥する。
(……服もいただいておくか)
むき出しの石壁を覆うようにかけられた黒い天幕。
カイネはそれを手で引き裂き、自らの身体に適当に巻きつける。
特に手足は厳重に保護。
そして最後に、石室の一角――八尺ほどもありそうな石扉へ目を向ける。
(……また何か仕掛けがあるのであろうが)
カイネは手で押してみる。
異変はないが、開きもしない。
その時、ふと頭上から人間味のない声が聞こえた。
『認証を要請します。脅威度級位:竜への接触には学院長、あるいは国家元首相当の認可が必要とされます。権限を持たない場合、ただちに退去してください』
「……あァ?」
カイネは可憐な面差しを怪訝そうに歪める。
二度同じ音声が繰り返されると、カイネはため息をついた。
「もういい。勝手に出ていくぞ」
カイネは丸鍔を親指で弾き、黒塗りの柄に指先を絡める。
『権限を持たない場合、ただちに退去してください。門への攻撃が確認され次第、即座に緊急警戒態勢が発令されます。権限を持たない場合、ただちに退去――――』
無機質な音声を断ち切るように、ひゅん、と風の音が咲いた。
銀のきらめきが鞘走り、バキン、と鏡が割れたような音が響く。
かちん、とカイネが納刀した瞬間、堅牢な石扉は四つに断ち割られた。
石塊がゴロゴロと転がり落ち、床に叩きつけられて砕け散る。
瞬間、カイネの頭上からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
『警告! 神殿内の対城多重結界の消滅を確認! 即時に軍の出動を要請! 学院内の生徒はただちに避難してください! 警告――――』
「……ちょいと、えらいことになったようだな」
カイネは頭上を仰ぎ見たあと、石塊を乗り越えて一目散に走り出した。
***
石室の外は明かりに照らし出された石造りの地下道だった。
内部の造りは整然としており、人間の管理下にあることは明らかだ。
途中、壁に『危険収容物管理区域』と彫刻されているのを発見する。
おかげでここがどのような施設かは見当がついた。
早い話、カイネは〝危険物〟として〝神殿〟とやらの最奥に収容されていたわけだ。
なぜそうなったかは全くの不明だが。
「……そもそも、今はいつなのだ……?」
凸凹が一切ないなめらかな路面は高度な技術の存在をうかがわせる。
しかし、時間が経っているのなら自分はどうして少女の姿のままなのか。謎は深まるばかりである。
途中、分かれ道や扉はいくつもあったが、カイネは見向きもせずに進み続ける。けたたましく鳴り続ける警報だけがカイネの耳をつく。
そして行き着いた通路の先、カイネはついに外の光を発見した。
(うむ、まずは外だ。外に出ねば話にならん――)
カイネは逸る気持ちを抑え、落ち着いた足取りで外に出る。
瞬間、カイネの耳に警報とはまた別の騒音が届いた。
「来た!!」
「姿を見せたぞ!!」
「……あれがか!?」
陽光の下、神殿から姿を表したカイネを遠くから包囲する多数の兵。
数はざっと二十ほど。全員が同じ制服と、三尺ほどの棒のような装備を身に着けている。
「どこからどう見ても子どもじゃないか」
「なぜ、裸なんだ……?」
「教授、我々は彼女を保護するべきでは」
「馬鹿者! 見かけに惑わされるな!!」
戸惑いを隠せない若い兵たちを叱咤する五十代の男。
彼は蒼黒のローブを翻し、肩を怒らせてカイネを指差した。
「奴の名はカイネ! カイネ・ベルンハルト!! このヴィクセン魔術学院を創立なさった時の女王を暗殺した張本人であるぞ!!」
「ご冗談を、教授」
「カイネ・ベルンハルトは男でしょう」
「男の、しかも爺さんです」
「あれはどう見ても女で、しかも子どもですよ」
「黙れ!! では、対城多重結界が破壊されたことを何とするか!?」
カイネは彼らを遠くから観察する。
統制が取れていない様子を見るに、おそらく彼らは正規軍の兵ではない。
魔術学院、教授。これらの言葉が意味するところはすなわち、壮年の男も指揮官ではない、ということだ。
「先生、いったい何ごとなのです?」
「最上位警戒態勢なんて初めて聞きましたが」
「私たちにも、もしできることがあれば――」
「おまえたちは下がっておれ! 避難命令が出ていたはずだろう!!」
衛兵たちの後ろには数人ほどの若者の姿が見える。
男女ともに制服を身に付けていたが、衛兵のそれとは異なっていた。
カイネは混乱した状況を見かねて歩み出る。
「……少しいいか?」
「う、動くな!! 衛兵、筒を構えよ!!」
壮年の男が言うと、衛兵たちはすばやく膝を立てて座し、〝筒〟の先をカイネに向けた。
クロスボウの縁戚か、とカイネは判断しつつ足を止める。
「おれはおまえたちと敵対する意志は無いのだが。見逃してはくれんか?」
「黙れ! ならばなぜ結界を破壊した!?」
「邪魔だったからだ。おれを閉じ込めておく権利はおまえたちにはないだろう」
カイネが手短に答えると、衛兵たちはにわかに固唾を呑んだ。
「まさかあれが、本当に……?」
「もう二百年前の話だろ」
「だが、剣を持ってるのは妙だぞ……」
衛兵たちの反応に続き、壮年の男が言う。
「ひとつ問う。貴様の名は、カイネ……カイネ・ベルンハルトに間違いはないか?」
「ああ。その通りだよ」
我が意を得たり、と壮年の男は深く頷く。
そしてカイネを指差し、命じた。
「撃て!! 奴を仕留めよ!!」
少女の姿にためらうような一瞬の間隙。
されど衛兵たちは引き金に指先を置き、引いた。
パンパンパンパン、と空気の爆ぜる音が連続する。
響き渡る生徒たちの悲鳴、あるいは血肉沸き立つ叫び声――次の瞬間、それらは全て驚愕へと転じる。
「……なるほど」
すっ、と地を滑るような淀みない足取り。
それだけでカイネは全ての銃弾を躱していた。
カイネの後方にいくつもの丸い弾痕が穿たれる。
「直線軌道、射速は一定。弾が見えぬのはちと厄介……と、こんなものか」
「幽体弾を避けただと……!?」
「打て、打ち続けよ!! 時間を稼ぐのだ!!」
銃撃後、衛兵たちは筒を縦に掲げて額に当てて集中する。
次弾を用意するためなのだろう。
第二射までの時間は約三秒。
決して遅くはないが、カイネが距離を詰めるには充分すぎる時間だ。
(……なるほど。剣は、廃れたのだな)
カイネはわずかな寂寞感を覚える。
パンッパンッ、と再度の銃撃音が響き渡る。
カイネは黒塗りの柄に手をかけ、腰のひねりとともに抜き払った。
――――ばつん。
「……な、なんのつもりだ」
「き、斬ったのか?」
「た、弾を斬ったと? 馬鹿な!?」
第二射に対してカイネは一歩も動いていない。ただ剣を振るったのみ。
その芸当を目の当たりにした時、衛兵たちは心底震え上がった。
「……怪物め。だが貴様の狼藉もこれまでよ――この二百年、魔術は進歩を遂げたのだ!! 受けよ、〝血束の鎖〟ッ!!」
カイネが前に踏み出した瞬間、壮年の男が魔術を発する。
彼の杖先より生じ、地面と水平に空を走る幾筋もの真紅の鎖。
ただの鎖ではない、とカイネは感じた。
アーデルハイトの身体に覚えた違和感とよく似ている。
つまるところ、それは――――
「……斬れる」
と、いうことだった。
カイネが一閃した刹那、それだけで迫りくる鎖は血煙のごとく雲散霧消する。
「なッ……!?」
「う、うそでしょ?」
「アーガスト教授の拘束術式が……」
壮年の男――アーガストは一気に顔色を白くする。
カイネは筒の第三射を難なく避け、衛兵たちのすぐそばをすり抜けていく。
「ちと、大人しくしといてくれ」
「えっ……わ、うわッ!?」
「ひッ!?」
衛兵とのすれ違いざま、風の音とともに筒の先端を斬り落とす。
そしてカイネはアーガストの前で立ち止まった。
「おい、おまえ。これをやったのは誰の差し金だ?」
「……だ、誰でもない」
「……あぁ?」
「誰の命令でもない! この私が学院を守るため独自にやったことだ! この学舎に軍の介入を許すなど――ぶげぇッ!!」
カイネはおもむろに鞘でアーガストの頭をしばき倒した。
「な、な、なにをッ!!」
「こいつでは話にならん。おまえら、誰か、誰でもいい、言葉と話が両方通じるやつを呼んでくれんか」
「あ、あの、あちらに……」
「む」
生徒らしい少女のひとりがカイネの後方を指差す。
そこには真紅のローブを身にまとった妙齢の女性がいた。
彼女は数人の護衛をともない、カイネの元に悠然と歩いてくる。
「あれは?」
「……ユーレリア学院長です」
ぽそぽそと耳打ちで教えてくれる女子生徒。
男子生徒はカイネの半裸姿を盗み見ては神妙に目を逸らしていた。
カイネは学院長を見上げて言う。
「お初にお目にかかります、学院長。おれはカイネ・ベルンハルトと申す者です」
「学院長、危険です!! そやつは結界どころか私の魔術をも切って捨てたのです、一体どのような害をもたらすか――」
「お黙りなさい、アーガスト」
アーガストの警句をただの一言で黙らせる。
そして彼女は折り目正しい所作でカイネに向き直った。
「私はここヴィクセン王立魔術学院の学院長、ユーレリア・コルネリウスです。……実のところ、私はあなたのことを存じておりました」
「そうなのか」
きょとん、と外見相応の表情を垣間見せるカイネ。
ユーレリアは深々と頭を下げ、次に両膝を地面に突き、続いて両手のひらを石床に置いた。
「私としてはカイネ殿に対し、援助を惜しまない心つもりです――――ですから、その、どうかこの大失態をお許しくださいませんでしょうか!! なんなればそこの阿呆は好きにしてくださっても構いませんので!! 軍の出動を控えさせるのに手間取ってたらこんなことになっているとは思いもしませんでしたわ!!!」
土下座。
完膚無きまでの土下座である。
ユーレリアは恥も外聞もなく地面に頭を擦り付け、カイネに許しを乞うていた。
「……お、おう」
「が、学院長ともあろうものがこのような輩に頭を下げるなどあってはなりませぬ!! どうか頭を――」
「ええい黙りなさい!! 学院存亡の危機なんですよ!! というか私が頭を下げてるのも九割あんたのせいでしょうがあんたも頭下げなさいよ!!」
「が、学院長――うぐぐぐッ!? す、すみませぬ……ッ!!」
ユーレリアはおもむろに腕を伸ばし、アーガストの頭も地面に押さえつける。
体面や周囲の目などどこ吹く風、と言わんばかりのガチ土下座だった。
カイネはその光景を見て思わずため息をつく。
この茶番で全てをうやむやにするつもりはないが――
「飯と寝床と、あと服も頂戴できるか」
「もちろん用意させましょう!! ぜひとも!!」
カイネはひとまず、厚意に全力で甘えることにした。
(ここはどこだ。……なぜおれは生きている?)
最後の記憶。カイネは自らの腹に刃を突き立てて死んだはずだった。
カイネはお腹の辺りを軽く撫でる。血痕や傷跡は一切ない。
なめらかで瑞々しい肌の感触は少女のそれ。
アーデルハイトにかけられた呪いは今なお健在だった。
(……なぜ、裸なんだ)
身体に視線を落として気づく。
今のカイネは一糸まとわぬ裸身であった。
無垢な肌の表面には縄のように太い黒布が幾重にも巻きつけられている。
「……なんじゃこれ」
と、カイネはそれを片手であっさり引き千切った。
黒い布はたちまち雪のように解け、掻き消える。
その布こそはヴィクセン王国が誇る魔術の精髄――拘束制御術式〝六道呪帯〟の産物であったことをカイネは寡聞にして知らない。
(とりあえず、ここを出るか)
じっとしているのは性に合わない。
カイネはほの暗い石室の中をぐるりと見渡す。
後方の石壁には奇妙なくぼみがあった。
くぼみの両端には仄明かりを宿したろうそくが並び、中央に一振りの長物が置かれている。
(……おれの、刀)
銘刀〝黒月〟。
カイネ・ベルンハルトが生涯の半ば以上を共にした一振りである。
黒漆塗の鉄鞘を一目見ただけでカイネはそれを自らの愛刀と確信した。
カイネは迷いなく鉄鞘に手を伸ばす。
その瞬間、バチンッと空気の爆ぜる音がした。
「――っつぅ……!!」
カイネは痛みのあまり腕を咄嗟に引く。
白い手のひらにくっきりと残るやけどの痕。
領域内に触れたものをただちに昏倒させる高位結界術式〝紫電界〟――カイネは尋常ならざる反射速度によって難を逃れていた。
「……くそったれめが」
カイネはべろりと手のひらを舐めながら毒づく。
愛刀が自分以外の誰かの管理下にある、という事実がはなはだ不快であった。
カイネは鋭い瞳をにわかに細め、胸の前に手刀を立て――
ひゅん、と風を切る音がした。
左右のろうそくの火が掻き消える。
愛刀はすでにちいさな手のひらの中。
カイネは反対方向に歩き出しながら、ふと壁際を一瞥する。
(……服もいただいておくか)
むき出しの石壁を覆うようにかけられた黒い天幕。
カイネはそれを手で引き裂き、自らの身体に適当に巻きつける。
特に手足は厳重に保護。
そして最後に、石室の一角――八尺ほどもありそうな石扉へ目を向ける。
(……また何か仕掛けがあるのであろうが)
カイネは手で押してみる。
異変はないが、開きもしない。
その時、ふと頭上から人間味のない声が聞こえた。
『認証を要請します。脅威度級位:竜への接触には学院長、あるいは国家元首相当の認可が必要とされます。権限を持たない場合、ただちに退去してください』
「……あァ?」
カイネは可憐な面差しを怪訝そうに歪める。
二度同じ音声が繰り返されると、カイネはため息をついた。
「もういい。勝手に出ていくぞ」
カイネは丸鍔を親指で弾き、黒塗りの柄に指先を絡める。
『権限を持たない場合、ただちに退去してください。門への攻撃が確認され次第、即座に緊急警戒態勢が発令されます。権限を持たない場合、ただちに退去――――』
無機質な音声を断ち切るように、ひゅん、と風の音が咲いた。
銀のきらめきが鞘走り、バキン、と鏡が割れたような音が響く。
かちん、とカイネが納刀した瞬間、堅牢な石扉は四つに断ち割られた。
石塊がゴロゴロと転がり落ち、床に叩きつけられて砕け散る。
瞬間、カイネの頭上からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
『警告! 神殿内の対城多重結界の消滅を確認! 即時に軍の出動を要請! 学院内の生徒はただちに避難してください! 警告――――』
「……ちょいと、えらいことになったようだな」
カイネは頭上を仰ぎ見たあと、石塊を乗り越えて一目散に走り出した。
***
石室の外は明かりに照らし出された石造りの地下道だった。
内部の造りは整然としており、人間の管理下にあることは明らかだ。
途中、壁に『危険収容物管理区域』と彫刻されているのを発見する。
おかげでここがどのような施設かは見当がついた。
早い話、カイネは〝危険物〟として〝神殿〟とやらの最奥に収容されていたわけだ。
なぜそうなったかは全くの不明だが。
「……そもそも、今はいつなのだ……?」
凸凹が一切ないなめらかな路面は高度な技術の存在をうかがわせる。
しかし、時間が経っているのなら自分はどうして少女の姿のままなのか。謎は深まるばかりである。
途中、分かれ道や扉はいくつもあったが、カイネは見向きもせずに進み続ける。けたたましく鳴り続ける警報だけがカイネの耳をつく。
そして行き着いた通路の先、カイネはついに外の光を発見した。
(うむ、まずは外だ。外に出ねば話にならん――)
カイネは逸る気持ちを抑え、落ち着いた足取りで外に出る。
瞬間、カイネの耳に警報とはまた別の騒音が届いた。
「来た!!」
「姿を見せたぞ!!」
「……あれがか!?」
陽光の下、神殿から姿を表したカイネを遠くから包囲する多数の兵。
数はざっと二十ほど。全員が同じ制服と、三尺ほどの棒のような装備を身に着けている。
「どこからどう見ても子どもじゃないか」
「なぜ、裸なんだ……?」
「教授、我々は彼女を保護するべきでは」
「馬鹿者! 見かけに惑わされるな!!」
戸惑いを隠せない若い兵たちを叱咤する五十代の男。
彼は蒼黒のローブを翻し、肩を怒らせてカイネを指差した。
「奴の名はカイネ! カイネ・ベルンハルト!! このヴィクセン魔術学院を創立なさった時の女王を暗殺した張本人であるぞ!!」
「ご冗談を、教授」
「カイネ・ベルンハルトは男でしょう」
「男の、しかも爺さんです」
「あれはどう見ても女で、しかも子どもですよ」
「黙れ!! では、対城多重結界が破壊されたことを何とするか!?」
カイネは彼らを遠くから観察する。
統制が取れていない様子を見るに、おそらく彼らは正規軍の兵ではない。
魔術学院、教授。これらの言葉が意味するところはすなわち、壮年の男も指揮官ではない、ということだ。
「先生、いったい何ごとなのです?」
「最上位警戒態勢なんて初めて聞きましたが」
「私たちにも、もしできることがあれば――」
「おまえたちは下がっておれ! 避難命令が出ていたはずだろう!!」
衛兵たちの後ろには数人ほどの若者の姿が見える。
男女ともに制服を身に付けていたが、衛兵のそれとは異なっていた。
カイネは混乱した状況を見かねて歩み出る。
「……少しいいか?」
「う、動くな!! 衛兵、筒を構えよ!!」
壮年の男が言うと、衛兵たちはすばやく膝を立てて座し、〝筒〟の先をカイネに向けた。
クロスボウの縁戚か、とカイネは判断しつつ足を止める。
「おれはおまえたちと敵対する意志は無いのだが。見逃してはくれんか?」
「黙れ! ならばなぜ結界を破壊した!?」
「邪魔だったからだ。おれを閉じ込めておく権利はおまえたちにはないだろう」
カイネが手短に答えると、衛兵たちはにわかに固唾を呑んだ。
「まさかあれが、本当に……?」
「もう二百年前の話だろ」
「だが、剣を持ってるのは妙だぞ……」
衛兵たちの反応に続き、壮年の男が言う。
「ひとつ問う。貴様の名は、カイネ……カイネ・ベルンハルトに間違いはないか?」
「ああ。その通りだよ」
我が意を得たり、と壮年の男は深く頷く。
そしてカイネを指差し、命じた。
「撃て!! 奴を仕留めよ!!」
少女の姿にためらうような一瞬の間隙。
されど衛兵たちは引き金に指先を置き、引いた。
パンパンパンパン、と空気の爆ぜる音が連続する。
響き渡る生徒たちの悲鳴、あるいは血肉沸き立つ叫び声――次の瞬間、それらは全て驚愕へと転じる。
「……なるほど」
すっ、と地を滑るような淀みない足取り。
それだけでカイネは全ての銃弾を躱していた。
カイネの後方にいくつもの丸い弾痕が穿たれる。
「直線軌道、射速は一定。弾が見えぬのはちと厄介……と、こんなものか」
「幽体弾を避けただと……!?」
「打て、打ち続けよ!! 時間を稼ぐのだ!!」
銃撃後、衛兵たちは筒を縦に掲げて額に当てて集中する。
次弾を用意するためなのだろう。
第二射までの時間は約三秒。
決して遅くはないが、カイネが距離を詰めるには充分すぎる時間だ。
(……なるほど。剣は、廃れたのだな)
カイネはわずかな寂寞感を覚える。
パンッパンッ、と再度の銃撃音が響き渡る。
カイネは黒塗りの柄に手をかけ、腰のひねりとともに抜き払った。
――――ばつん。
「……な、なんのつもりだ」
「き、斬ったのか?」
「た、弾を斬ったと? 馬鹿な!?」
第二射に対してカイネは一歩も動いていない。ただ剣を振るったのみ。
その芸当を目の当たりにした時、衛兵たちは心底震え上がった。
「……怪物め。だが貴様の狼藉もこれまでよ――この二百年、魔術は進歩を遂げたのだ!! 受けよ、〝血束の鎖〟ッ!!」
カイネが前に踏み出した瞬間、壮年の男が魔術を発する。
彼の杖先より生じ、地面と水平に空を走る幾筋もの真紅の鎖。
ただの鎖ではない、とカイネは感じた。
アーデルハイトの身体に覚えた違和感とよく似ている。
つまるところ、それは――――
「……斬れる」
と、いうことだった。
カイネが一閃した刹那、それだけで迫りくる鎖は血煙のごとく雲散霧消する。
「なッ……!?」
「う、うそでしょ?」
「アーガスト教授の拘束術式が……」
壮年の男――アーガストは一気に顔色を白くする。
カイネは筒の第三射を難なく避け、衛兵たちのすぐそばをすり抜けていく。
「ちと、大人しくしといてくれ」
「えっ……わ、うわッ!?」
「ひッ!?」
衛兵とのすれ違いざま、風の音とともに筒の先端を斬り落とす。
そしてカイネはアーガストの前で立ち止まった。
「おい、おまえ。これをやったのは誰の差し金だ?」
「……だ、誰でもない」
「……あぁ?」
「誰の命令でもない! この私が学院を守るため独自にやったことだ! この学舎に軍の介入を許すなど――ぶげぇッ!!」
カイネはおもむろに鞘でアーガストの頭をしばき倒した。
「な、な、なにをッ!!」
「こいつでは話にならん。おまえら、誰か、誰でもいい、言葉と話が両方通じるやつを呼んでくれんか」
「あ、あの、あちらに……」
「む」
生徒らしい少女のひとりがカイネの後方を指差す。
そこには真紅のローブを身にまとった妙齢の女性がいた。
彼女は数人の護衛をともない、カイネの元に悠然と歩いてくる。
「あれは?」
「……ユーレリア学院長です」
ぽそぽそと耳打ちで教えてくれる女子生徒。
男子生徒はカイネの半裸姿を盗み見ては神妙に目を逸らしていた。
カイネは学院長を見上げて言う。
「お初にお目にかかります、学院長。おれはカイネ・ベルンハルトと申す者です」
「学院長、危険です!! そやつは結界どころか私の魔術をも切って捨てたのです、一体どのような害をもたらすか――」
「お黙りなさい、アーガスト」
アーガストの警句をただの一言で黙らせる。
そして彼女は折り目正しい所作でカイネに向き直った。
「私はここヴィクセン王立魔術学院の学院長、ユーレリア・コルネリウスです。……実のところ、私はあなたのことを存じておりました」
「そうなのか」
きょとん、と外見相応の表情を垣間見せるカイネ。
ユーレリアは深々と頭を下げ、次に両膝を地面に突き、続いて両手のひらを石床に置いた。
「私としてはカイネ殿に対し、援助を惜しまない心つもりです――――ですから、その、どうかこの大失態をお許しくださいませんでしょうか!! なんなればそこの阿呆は好きにしてくださっても構いませんので!! 軍の出動を控えさせるのに手間取ってたらこんなことになっているとは思いもしませんでしたわ!!!」
土下座。
完膚無きまでの土下座である。
ユーレリアは恥も外聞もなく地面に頭を擦り付け、カイネに許しを乞うていた。
「……お、おう」
「が、学院長ともあろうものがこのような輩に頭を下げるなどあってはなりませぬ!! どうか頭を――」
「ええい黙りなさい!! 学院存亡の危機なんですよ!! というか私が頭を下げてるのも九割あんたのせいでしょうがあんたも頭下げなさいよ!!」
「が、学院長――うぐぐぐッ!? す、すみませぬ……ッ!!」
ユーレリアはおもむろに腕を伸ばし、アーガストの頭も地面に押さえつける。
体面や周囲の目などどこ吹く風、と言わんばかりのガチ土下座だった。
カイネはその光景を見て思わずため息をつく。
この茶番で全てをうやむやにするつもりはないが――
「飯と寝床と、あと服も頂戴できるか」
「もちろん用意させましょう!! ぜひとも!!」
カイネはひとまず、厚意に全力で甘えることにした。
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