一人で出来る、コトにさえ。

ノベルバユーザー161766

81号:行動記録817014-B

 ……昔のことは、なるべく思い出したくない。せっかく二一六番さんと、私以外の“私達”と人間らしいことをしているのに、お風呂の最中に思い出してしまった。あの時の記憶だけは、出来ることなら92号が受け持って欲しかった。
 (やっぱり、マフラー着用は良くなかったのかな)
 びしょ濡れで身体に貼りつくし、肌に触れるとちくちくする。首の結合部を隠すためとはいえ、脱衣籠に置いても良かったかもしれない。でも彼は服を脱ぐと言った。マフラーは服ではなく防寒具だ。裸になれば外気に晒されて寒さを感じることもあるし、手袋などの防寒具は着用したままが正しいのかもしれない。そう考えてそのまま入浴を続けている。
 マフラーが肌に触れる度に軽微な刺激を感じる。それに耐えながらシャワーを浴びた。流石に身体を洗う時には浴槽に引っ掛けたけど、結局最後まで真っ赤なそれを着用し続けた。
 シャワーを止め、脱衣籠に入れた着替え一式を取り出そうと、浴室の扉を少しだけ開く。……別段彼に対して特別な感情はない、………………わけでもないんだけど、それでも何故か裸を見られることには著しい抵抗があった。嫌悪と言うより、羞恥からくるそれだったのだけれど。
 「……先に、身体を拭くんだったよね」
 彼の教えの通りにバスタオルを先に取り、身体の水気を取る。首の後ろにタオルを当てた時に、鏡に映った自分の肢体を見た。……曇っていたからよく見えなかった。手で拭いて、自分の身体をよく観察する。
 「前はもっと、いわゆる女性らしい身体つきだったなー」
 結合前と結合後で、体型は大きく変わってしまった。私の胸部や胴部は男性に“ウケる”ものだったようで、首から下を消されるまでは、人間の男に不快な視線を向けられたものだった。それに比べ、今の身体は標準的な体系と言える。二一六番さんに見られることは不快ではないとはいえ、前の身体を見られるよりも強い抵抗を覚えた。
 「うん、ぺったんこだし」
 自身の胸部を軽く掴む。嘗てはわかりやすい膨らみがあったものだ。前のそれと比べて、今の身体には、なんというか、こう、もにょっとした感触が薄い。標準程度のものだとは思うけど。軽いことだけがメリットで、小さいことは小さいことで癪だった。大きくて軽い。そんな便利があればいいのに。
 「お風呂、気持ちよかったな。人間達はいつもこんなことをしてるのかな」
 また入りたい。そう感じさせる程には、入浴というものを好きになれそう。思えば、散歩と読書以外に行った人間の真似はこれが初めてだ。散歩は暇潰しに行っていたことで、人間の真似事という意識はなかった。読書は人間を知るために行っていたことではあるけど、これも人間を模倣した行いという意識は持てなかった。どちらも自分のためではあったんだけど、今回のようにただ人間の行動を真似たのは初めてだったのかもしれない。
 色々な服を着てみたり、それを見てもらったり。買い物も初めてした。本は隠れ家の地下にいくらでもあるから買ったことはなかったし、着替える必要性も感じなかった。正直なところ、服を替えることに何の意味があるのかは、未だにわからない。
 破れたあの服よりは、確かに新しく綺麗な服の方がいい。着ていて新鮮な気持ちになれたし、隣に二一六番さんがいたというのもあるけど、ただ歩くだけで世界が綺麗に見えた。アパートから服屋までの道程はそう長くない。短い距離で、それも見慣れた光景が、どこか新しいものに見えた気がした。あの感覚を味わうために服を買うのなら、人間達はとても素晴らしい発明をしたのだと思う。それが服を替える意味なのかは分からないけれど。
 マフラーを二つ折りにして浴槽の縁に引っ掛けて、身体を拭く。髪はどれだけ拭いても少し水気が残るようだったから、滴らない程度に拭いておいた。
 彼が投げ寄越した服は、シンプルなカーキ色のTシャツとライトグレーのキュロットだった。着用しようとする間際、脱衣籠の黒いそれとそれ、下着一式のことを失念している自分に気付く。服屋に下着は売っていなかったから、これらだけは専用のお店で買い揃えたものだ。シャツやパンツと違い、必要性のない装飾が目立つ。
 下着を自分で着けるのは初めてだったから、そこだけが苦労したものの、着替えは無事に済んだ。濡れたマフラーを軽く絞って水気を切る。まだ水は滴るようだったけれども、このマフラーも古く痛んでいる。千切れたりするのが怖くて、力を入れることは躊躇われた。
 使い終えたタオルを脱衣籠に入れ、最後にマフラーをややきつく巻いた。濡れたそれが、肌に雫を滴らせる。シャツも濡れているのを感じたが、マフラーを巻かない選択肢が存在しない以上、仕方のないことだ。
 これは恋愛小説に書いていたことだけれど、男性はどうやら、女性の湯上がり姿が好きらしい。首もとや頬、露出している肌部分に関心が働くようだ。私は女形だから、少なくとも首の欠損以外の見た目は人間の女と大差ない。彼がこの傷を見るくらいなら、まだ裸を見られる方がずっとマシだと思う。多分。だから、いつもよりきつくそれを巻いた。
 足裏の水気を浴室前に置かれたマットで払い、ぺたぺたと足音を立てて彼の部屋に入ると、彼は私のマフラーを指して大爆笑した。
 「はは、ははははは……!!イナミ、お前、マフラーだけは絶対外さないのか、くく……」
 彼がここまで笑うとは思っていなかった。どうやらマフラー着用は失敗だったらしい。あまりの恥ずかしさに思考が定まらない。顔に熱を感じる。気が付けば、「はい!」と頷いてしまっていた。
 「ああああ、いえ、今のは違いまして」
 「いや、うん、俺も悪かった。……でも、くく……はは……!」
 くぐもった笑いを押し殺し切れない彼を見てると、何故だろう。少しだけイラっとした。気持ちの内訳がうまく表現できないけど、顔の熱のせいだと思っておこう。
 「笑わないでくださいよぅ……」
 それでも彼に対して怒ることはできなかった。むしろ恥ずかしすぎて感情が耐えきれない。どうしてこんな感情が沸いてくるのかは分からないけど、何故だろう、彼に笑われることはとても恥ずかしい。少しばかり泣いてしまいそうなほどでもあった。
 「ああ、ごめん、ごめん」
 何に対しての謝罪かはよくわからなかった。ベッドから困った顔で立ち上がる彼を見ると、何故だかそれだけで許せる気がした。何を許すのかは、自分でもまるで分からなかったけれど。
 「うん、許します。もう笑っちゃダメですよ」
 彼は照れ臭そうに頭を掻いた。視線は私から外れている。壁を向いているようにしか見えなかったが、何を見ているのだろう?その方向に視線をやると、あるのはやはり壁だけだった。手を前で組み、首を傾げて疑問を示す。
 「何を見ているんですか?」
 「いや、見ていないと言う方がいいのかもしれない」
 彼の言うことは難しかった。私を見ないために視線を逸らしたということ?何故だろう。私はそれ程に悪い見た目だったかな。さっき確認した限りではそんなことはないはず。機械人形は基本的に美しい顔立ちをしているから、顔が変だということもないはずだ。まさか、私が馬鹿だから嫌われてしまったのかな。それは…… 
 「……とても、悲しいです」
 率直な意見を言ってみた。二一六番さんとの距離は近くなったと思うし、強い本音を言ってもいいかなと思ったからだ。二一六番さんはそれに対して、再び照れ臭そうに、今度は頬を掻きながら、私の胸元を指差して言った。視線は壁のまま。掻いた頬は真っ赤だった。そんなに強い力で掻いたのかな。
 (……二一六番さん、すごく赤い。そんな風に掻いたようには見えなかったけど)
 「その、下着、透けてる、から、ごめん、見れなくて」
 「は、」
 そういえば、男性は下着を見ると何故か照れるものなのだという。シャツやスカートと同じ衣服に違いはないのに、そういう思考をするものらしい。私の胸元は、明るい色のシャツだったこともあり、ものの見事に透けていた。黒の下着がシンプルなシャツ越しに主張している。
 もう一つ、思い出したことがある。私は彼に(多分)人間の女として意識されている。女は下着を見られたり、あるいはそれが裸であっても、見た男に対して全力を以て抵抗していた。叫んだり物を投げたり、裸のまま殴りかかったり。私もそうするべきか悩んだが、投げつけられるものは彼の私物か買ってもらった服だけだし、彼に殴りかかることは考えたくもない。どうしていいか分からなかった。疑問符を浮かべることでしか、彼に対応できない。
 「その、せめて、隠してくれないか。見えると、困る」
 至極照れ臭そうに言う彼は、よく見ればちらちらと私に視線を寄越していた。私は彼が言うように胸元を手で隠した。
 「隠しました。二一六番さん、髪を洗って来ましたよ、綺麗になりましたか?」
 入浴前よりはマシになったと思う。乱れはかなり減ったし、見える部分では真っ直ぐに背中まで程の長さが伸びている。前髪が額に貼りついて邪魔ではあったけど、おかしなところはないと思う。いや、入浴前だって自分では変だとは思わなかった。二一六番さんが見れば、どこか変なところがあるのかもしれない。
 「……」
 少しの間があった。私の胸元に視線をやったが、それも一度。きっちり隠していることを認めると、赤らめた顔をこちらに向け、髪をよく見てから言った。
 「うん、すごく良くなった。街中で見かけても普通の女の子に見えると思う」
 二一六番さんは腕を組み、顎に拳を当てて頷いた。どうやら私の姿は、彼から見てもまともになったようだ。湯上がりだからか、顔が少し上気しているのを感じた。今は涼しいくらいの時間帯なのに、何故だか暑い。頬を押さえて自分の熱を確認した。………熱いのは自分らしい。
 「虫歯?」
 「いや、いえ、うん、違います。なんだか熱くて」
 「湯上がりだからかな。少し窓を開けるよ。寒くなったら教えてくれ」
 気を利かせて窓を開ける二一六番さん。見事に勘違いをしているようだが、とりあえずは顔の熱を冷ますのに丁度よかったのかもしれない。特に止めることはせず、入り込んでくる微風が頬を撫でる感触を楽しんだ。
 「マフラーは干しておこうか。そのままだと気化熱で冷たくなるよ」
 「えー……と」
 それはいけない。機会人形だということはバレてもいいけど、それによって関係が悪化する可能性がある。せっかく見つけた“私達”なのに、そんなことになるのは本当に困る。私は答えに迷って、部屋の中にある色々なものに視線を移す。ベッドの上のファッション誌、床に置かれた二一六番さんの財布、開けっ放しのチェスト。いずれも、話題を逸らすために必要な発想は得られなかった。
 彼に視線を戻すと、あの辺だったかこの辺だったかとか言いながら、買ってきた服を入れてある袋を漁っている。私が入浴してる間に、少し片づけてくれたようだ。散らかしたのは私なのに、申し訳ない。やがて探し物を見つけたようで、赤いそれを見つけると、またも照れ臭そうに私に差し出した。
 「これ、よかったら」
 「……マフラーですか?」
 「うん。そのマフラーの代わりになるかは分からないけど、濡れているものは乾かさないと」
 それが破れたりしたときのために買ったのだけど、と彼は続けた。確かに今巻いているものはボロボロだ。目覚めてからずっと巻いているし、解れも所々にある。別段このマフラーに拘りはない。一度バスルームに引っ込み、マフラーだけを巻き替えた。濡れたマフラーを彼に渡す。
 「ありがとう、ございます」
 彼はボロボロのそれを、まだ日の当たる床に置いた。新品のマフラーはサラサラしており巻き心地がよかった。首を一撫でして、その手触りを確かめる。
 「さらさらですね」
 「新品だからな。そりゃあ」
 ぐぅという音に遮られ、会話は中断された。人間の発する空腹時の音に似ていた。というかほぼそれだった。
 「お腹、空いたな」
 「昼食、まだでしたっけ?」
 朝を迎えて散歩して、五日間も彼が来ないことに腹を立てて、ここに押し掛けて泣き、それから買い物。楽しさのあまり、食事をすっかり忘れていた。私は不要だけど、食事自体は楽しいものだ。栄養も不要だし消化と排泄もしないけれど、体内で分解して皮膚を維持するためのタンパク質や脂質として利用できる。目覚めてからはまともにそれらの補給をしていない。折角だし、久々に食事を摂ろう。
 「うん、よかったら一緒にどうかな」
 「もちろんです!」
 誘ってくれることはわかっていたが、それだけでも嬉しいものだった。食べたい物はあるか聞かれ、麺類がいいですと答えると、彼は悩み出した。一口に麺と言ってもたくさんあるのだから、彼の好みで決めてもらおう。
 「この近くにファミレスがあったよな。とりあえず行ってみよう」
 「ファミレスって、あのファミレスですか?」
 読んでいた小説の中には大体登場したそれは、基本的に何でも食べられるというお店らしかった。広く浅く料理を扱い、好きな物を食べられることをウリにしているのだろうか。
 「どのファミレスかは知らないけど、普通のファミレス。行ってから何を食べるか決められるし、麺類もあると思う」
 行ってはみたい。みたいのだけれど、そういえば私にはお金がなかった。服を買ってもらい、食事までご馳走してもらうのは気が引ける。
 「でも、私はお金を持っていませんから、今日はこの辺で」
 「それ、服の時も言った。気にしなくていい。イナミは命の恩人なんだし、そもそも使い切れないほどあるんだ。本当に気にしないで」
 彼はそう言ってくれるが、お金は大切だ。お金のために人は人を殺したり、恋したりする。大抵の場合は“お金が全てじゃない!”みたいなお話になるのだけど、それはつまり、お金で買えない物を数える方が難しいことをも示唆していた。つまり人間の社会は、お金がないと生きていけないのだ。
 「でも……」
 そのことをどう伝えるか言い淀んでいると、二一六番さんは爽やかに笑った。気にするなと言わんばかりに床に落ちている財布を拾って、カーゴパンツのポケットにねじ込む。足は玄関に向かっていた。
 「いいんだ。イナミといるのは楽しいから。ほら行こう」
 ああ、もう。卑怯だと思う。気持ちが同じというだけでこんなに嬉しいのだから。そう言われたらもう、私は顔を熱くして頷くしかできなかった。嬉しさに身を任せて、Tシャツの上に薄手のプルゾンを羽織った。白のプルゾンに汚れが付かないようにしないと。
 彼の部屋を出て、ファミレスに向かう。気付けばもう少しで日が傾く時間帯だ。今日は楽しかった。私が製造されてから、一番。歩道を歩きながら、彼の数歩先を行き、振り返る。
 「今日は、ありがとうございます」
 我ながら満面の笑顔だったと思う。自然に出たものだった。
 「…………ああ。うん。こちらこそ。お陰で、名前も決まりそうだ」
 「あ、名前、決まったんですか!教えてください!」
 彼は鼻頭を掻きながら自分の番号を口ずさんだ。懐かしむような響きで、に、いち、ろく。私がやったように、語呂合わせでもするつもりなのだろうか。
 「ひ、い、ろ」
 「緋色?」
 「日色、かな。日の色」
 彼は太陽を指差しながら言った。自分の名前としてしっくりきたらしい。少しだけ嬉しそうに、うんと頷いた。

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