機械仕掛けと墓荒らし

山本航

刺激的な力を手に入れたわけ

 庭を出て初めてトマウは花々の香りに掻き消されていた血の臭いに気付く。どの建造物からも死の匂いが漂ってくる。エイハスの姿はどこにも見えない。

 ふと一つの伽藍の屋根の上にあの硝子の鳥型機骸が止まっている事にトマウは気付く。そこは庭から最も近く、エイハスの足でトマウの視界から逃れるならここに入る以外にない。
 中心にある巨大な建造物に比べれば小さいが、それでも寺院の大きさとしては標準以上だ。外見も内装も宗教的かつ伝統的な意匠の石造りの建造物だが収められた設備からして近代的な研究施設だった。トマウは迷わずその伽藍へと飛び込んだ。

 いきなり目の前に血に染まる白衣を着た男の死体があった。まだ生々しい臭いが立ち込めているし、それは明らかに一人分では足りない臭気だった。その死体の血を踏んだのかエイハスの足跡が続いている。血の足跡を追う。足跡は次々に廊下を過ぎて、階段を登り、死体を踏み越えて最上階に辿りついた。

 足跡が掠れて見えなくなると、ようやくエイハスの姿を見つけた。閉じられた扉の前でうろついて、寂しそうに尻尾を揺らしている。その扉の向こうへ行くべきなのだという意味だ。勢いをつけたトマウが扉を蹴破ろうとした瞬間、逆に内側から扉が破壊される。

 四本足の猛禽が錆びた翼をばたつかせつつ狙いを定める。そうして鋭い爪をかざしてトマウにとびかかる。間一髪でトマウは扉を失った入り口から部屋に飛び込んで凶刃を躱した。

 部屋はお偉いさんの執務室のようだった。毛足の長い絨毯、磨き込まれた机、港町を描いた緻密な絵が飾られ、大きな窓から花に溢れた庭が見える。誰の死体も無かったが、部屋の端にはスースがいた。

「トマウさん!」と言ったスースに、しかしトマウが応えている暇はない。

 真鍮と錆ついた鉄の猛禽は猶予を与えてはくれない。いやに耳障りな羽ばたきと共に空中で身を捻った鳥型機骸が猛突進してくる。トマウは弔銃の引き金を引く。しかし既に弾丸のように飛んでいる猛禽の勢いが止まるはずもない。トマウはスースを庇うように倒れ込んだ。背中に激痛が走る。
 猛禽は既に空中で体勢を整えて、鋭い角度で嘴を向けて落ちてきた。十二分に殺傷力のあるその嘴がトマウに突き刺さる直前、猛禽は勇敢に飛び込んできたエイハスの体当たりを横ざまに受ける。二体は部屋の隅へと転げ込んだ。トマウはすぐさま二体の元へ駆け寄り、鳥型機骸の頭部を踏み潰す。三重の殻に包まれた卵のような感触が残る。

「トマウさん! 背中、酷い怪我です」
「ここに来る前に転んだんだ」
「そんな器用な転び方しないでください! ちょっと待ってください。お腹からも血が滲んでますよ!」
「とにかくここを出るぞ。医者が待ってるから傷なんて大丈夫だ」

 スースはまだ何か言い返していたが、どの言葉もトマウの耳には届いていなかった。

 突然窓が塞がれたかのように部屋が暗くなる。窓の外に黒い影が現れた。その影の中心にメルキンの白く薄気味悪い笑顔が浮かんでいる。
 何かが爆発するような音が壁から発せられた。倒れ込んだトマウとスースの頭上を巨大な質量が通り過ぎ、机も椅子も額縁も天井も全てを横薙ぎにする。さっきまでの陰気な部屋が明るい空の元に露わになる。そして二人の前に立ちはだかるそれはメルキンを胸部に取り込んだ巨人だった。どんな機骸よりも巨大な機械の鎧だった。

 トマウはスースの無事を確認するとよろよろと立ち上がり言った。「しばらく見ない内に随分背が伸びたんだな、メルキン」
「拾い物だよ。鞴派の連中、霊気機関に批判的なふりしてこういう物を作ってるんだ。狡い奴らだ。まあ、未完成品らしいけど。見てよ。僕の霊感でこの通り、機械の巨人の出来上がりって訳さ」
「一体何がしたいんだよお前は」

 メルキンは呆れた様子で溜息をつく。

「何度も言ったろ? 破壊だよ破壊。破壊こそが僕にこの霊感を与えてくれるんだ。ここの連中も随分殺したよ。でも、ほら、お陰でこれだ」

 機械の巨人が大きく腕を振り上げる。トマウとスース、そしてエイハスは部屋の隅に逃げる。腕は床を叩き割り、二人と一匹は階下に落ちた。

「こうして刺激的な力を手に入れたわけだよ」
「確かにそれなら今まで以上の逃げ足を発揮できそうだな」

 トマウは弔銃をメルキンに撃つ。しかし機械の鎧の歯車は休みなく働いている。

「どうやら君の銃も僕の霊感には敵わないようだね。つまり逃げる必要もない」
「ハーシーの遺体をどこにやったんだ」とトマウは言った。
「ああ、あれか。ここ数日必死に探していたようだけど申し訳ない。実は盗んだその日に失くしてしまったんだ」

 トマウの腕を掴むスースの力が強くなった。

 メルキンは悪びれもなく言う。「シウム大橋で事故っちゃってね。そう、丁度トマウがあそこで棺を奪い取った時みたいに橋の下に落としてしまったんだ。僕も必死で棄て山を探したんだけどね。結局見つからなかったよ」
「酷い」スースがトマウにも聞こえるか聞こえない声を漏らす。
「さて、そういう訳で悔いもないだろう。君たちはよく頑張ったと言えると思う。さよならだ。トマウ。スースちゃん」

 メルキンが巨大な拳を振り上げる。しかし振り下ろさず、メルキンは高笑いする。その巨大な手で兜の面頬を下げるように、露わになっていたメルキンの体を金属の外装で隠した。
 銃声が響く。それも一つではない。数十人が地上からメルキンに向けて銃を撃っているようだった。メルキンはトマウ達を捨て置き、高笑いと共に銃声の方へと歩き去った。

「大丈夫か」

 トマウの腕にしがみ付いて震えるスースに声をかける。スースは答えられず、しかし何度も首を縦に振った。

「とにかく逃げるぞ。蟻みたいに踏みつぶされる前に」

 トマウとスースは階段を下り、がれきを滑り降る。エイハスもそれに続く。外に出て見えた光景はまるで戦争の様だった。機械の巨人と様々な機骸に相対しているのは警邏軍のようだった。血が流れ、機械部品が飛び散っている。

 二人と一匹はイドン河へと走りだした。タスキイもこちらに気付き、岸へと向きを変える。
 庭の半ばを過ぎた頃、全力で走る二人と一匹の後ろから重く速い足音が追ってくる事に気付く。メルキンの乗る機会の巨人だろうが、確かめるために振り返るつもりは微塵もなかった。とにかく筋肉が千切れんばかりに、骨が砕けんばかりに力の限り走る。そうしなければ追いつかれる事は音と振動で分かる。そしてタスキイの船が岸に辿りつく前に、トマウ達が岸に辿り着いてしまう事も見れば分かった。そうして岸でまごつく二人と一匹は背中から襲われる事になってしまう。逃げ場はない。

「スース!」
「はい! 私ですか!?」

 他に誰がいるんだ。

「飛び込むしかない」
「ええ!? あの汚い河にですか!?」

 トマウは返事をしない。中州よりは上流だ。まだマシだと思うしかない。
 スースの腕を掴み、何とかエイハスを拾い上げる。二人と一匹が川に飛び込むのに少し遅れて、メルキンの機械の巨人も河に足を突っ込む。大きな波が二人と一匹を飲み込んだ。

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