機械仕掛けと墓荒らし

山本航

歴とした命の恩人

 トマウは目覚める。

 煤に四角く縁取られた紺碧の空には雲一つない。強い風でも吹いたのか、少しも靄がかっていない空は珍しい。
 つと空の端に輝く鳥が現れる。いつか見た硝子部品の多い鳥型機骸スペクターだ。太陽光を屈折させて眩いばかりに光っている。
 トマウは眩しさに目を細め、そこでようやく自分が目覚めた事に気付いた。咳き込み、炭の匂いをいっぱいに吸う。腹の痛みもまた目覚めて、全身の痛みを押しのける。強く目を瞑り、自身の肉体を感じる。鼓動と血流と筋肉の収縮を感じる。

「俺は生きている」とトマウは呟いた。
「そう、君は生きている」と何者かが応じる。

 トマウは痛みに呻きながら跳ね起きる。そこにいたのは聖火大学附属病院の医者だった。

「あんたは……」
「タスキイだよ。もう忘れたの?」

 タスキイはあの時の白衣とは違ってスーツに身を包み、しかし灰塗れになっている。

「いや、覚えてるよ。確か靴磨きの……」
「ハーシーさんの担当医だよ! 靴磨きだと自己紹介したのは君じゃないか」
「いや、すまん。あんたが助けてくれたのか?」
「助けたのは慈悲深き幸運の女神様さ。深い裂傷だけど臓器は避けていてくれた」

 不運と幸運が同時にやって来たのはこれで何度目だろう。

「どうして中州なんかにいるんだ?」
「どうしても何も心配したんだよ。君は命の恩人なんだしさ。そりゃあ、あの時は成り行きだったのかもしれないけれど、僕にとってはれっきとした命の恩人なんだ。ちなみに新聞は……見てないだろうね。ルミクの喜び寺院を武装墓荒らしが襲撃したとさ。顔写真はなかったけど特徴は君に一致していた。当然墓荒らしなんてのは旧シウム区を根城にしているものだからね。そして確かに君はここにいた」
「だがそう簡単にこの場所は見つけられない、はずだ」

 とうの昔にメルキンに見破られていたのだろう事はともかく。

「その点は君、またもや運が良かったね。たまたま出会った少年が教えてくれたんだ。少年が泣きじゃくってたからどこか痛いのか聞いたら、腹を刺された男がいるってね。優しい子だよ」
「そいつは……そいつが俺を刺したんだ。だが、何だってそんな……」

 何故刺したのかは分かる。母さんを返せと少年は言っていた。あの二対の腕はつまり彼の母親の腕だったのだ。つまりただの死体だ。何故そんなものを取り戻すのに必死なのか。今となってはトマウもそれがよく分かっているつもりだ。だけどそんな恨めしい憎らしい相手を刺した後に助けた理由はよく分からない。

 タスキイは神妙な顔つきでトマウの腹の辺りを見つめ、何かを思い出すように煤けた壁に目をやる。

「単に後悔したのかもね。後悔……重要な事だよ。何が正しいかなんて分からないけれど、自分が正しいと思う事に反したくはないもんな。人生に地図はなし、とは言っても方位磁針くらいは欲しいもんだ」
「地図か。俺は地図を持っているつもりだった気がする。結果はこのありさまだけどな」
「みんなそうだよ。不安だからね。白紙に少しでも書き込んでお手製の地図を作るんだ」

 トマウは改めて自分の腹に手を当てる。相変わらず容赦なく痛いが不安や恐怖は感じなかった。生きていられるという安心が確かにあった。

「ありがとう。タスキイ。本当に死ななくてよかった」
「大げさだな。成り行きだよ」

 そう言ってタスキイは笑った。そこでなぜ笑うのかトマウには分からなかったが、トマウ自身も微笑を浮かべる事が出来た。

「とにかくまだ寝てるんだね。傷を開きたくないならだけど。いくつか食べられそうな物が残ってたんだ。麦粥くらいは作れるだろう」

 トマウはタスキイの言う通りに素直に寝転がると、後頭部に何かがぶつかる。思わず振り返ると、そこにエイハスが丸くなっていた。
 修理されている。眼球レンズは残り二つだし、所々擦り傷があったり、凹んだりしているが千切れた足は元通りで動きにぎこちない所もない。

「エイハス! お前、流されたのかと」トマウは何度も何度もエイハスを検める。「あんたが治したのか? タスキイ」
「だからそう言ってるだろ。とは言っても正直大したことはしてない。消毒して縫合して……」
「そうじゃない。エイハスの事だ」

 トマウがエイハスの頭を撫でると嬉しそうに歯車を回した。

「ん? ああその機骸スペクター。エイハスっていうのか。いや、僕がここに来た頃には既に君の傍に寄り添っていたよ。ちょっと邪魔だったけど梃子でも動かないって感じだったね」

 スースだとすぐに分かる。他にトマウのエイハスを直そうなんて奇特な人間はいない。
 スースは一人で母を探すつもりだろうか。トマウは最後に見たスースの表情を思い出す。絶望や諦観とは違う悲しみを湛えた顔だった。

「ハーシーの……屍材はどれ程すごいものだったのだろう」とトマウは独り呟いた。
「そもそもだけど、屍蝋病の特徴の一つに他の霊体、つまり抵抗力のない人間や屍材、霊気機関に何かしらの影響を与えるんだ」

 台所の方から投げかけるようにタスキイが言った。

「影響? 壊してしまうのか?」
「影響自体は様々だよ。壊したり、一時的に停止させたり。その影響する形を決定する仕組みはまだ判明してない。噂だけどハーシーさんの影響は霊気機関の活性だったそうだ」
「それは……欲しがる人間が多そうだ」シッダの言っていた価値ある果実がこれだろう。「何で前回教えてくれなかったんだ」

 タスキイが持ってきた器には本当に何の変哲も飾り気もない麦粥だった。しかしその温かな料理を食べるだけでトマウの心まで温めてくれるようだった。

「噂は噂だよ。それでハーシーさんの屍材がどれ程のものだったか、だけど。一般人と同じ、あるいはそれ以下だ。健康な人間であれば霊気の放出は微弱なもので、死ぬまでそれらが大量に解放される事はない。屍材は霊気の漏出を堰き止めて弁を取り付けた死体だね。だけど屍蝋病患者は生きながらに多大な霊気を放出してしまう。かといって生きた人間を屍材加工するわけにはいかない。結果、亡くなった時には空っぽになっている事が殆どなんだ。ハーシーさんがそうだったとは限らないけどね」

「じゃあ、ハーシーの遺体が盗まれた理由はその研究成果の痕跡でも残ってないかという期待か」
「そういう事になるね。仮定の上での憶測にすぎないけども」

 タスキイがお代わりを注ぎに器を持って行った時、エイハスの背中から何かがぶつかる音が聞こえてきた。何も入っていないはずのエイハスの背中を開く。タスキイの目は気にしない。

 トマウの予想通り中身があった。奪われたはずの弔銃と、そして手紙だ。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く