機械仕掛けと墓荒らし

山本航

まだ生きている

 再びトマウが気が付いた時、日は沈み、真っ暗な川岸で水音だけが聞こえていた。煌びやかな両岸に挟まれた闇の中で上半身を起こす。いくら目を凝らしてもエイハスの姿が見当たらない。さっきまでエイハスのいた辺りに精一杯手を伸ばし、波に洗われる小石の上をまさぐるがトマウの手は何にも届かない。冷たい水が傷に染みる。エイハスまでも失われた。

 トマウは南東へと流れ消えゆく川に背を向ける。両岸にかかるシウム大橋もまた、そしてその下に寄生する橋裏さえもが鮮やかに瑞々しく光り輝いている。
 俺は今、中州にいる。俺は今も中州にいる。俺は未だに中州にいる。

 とにかく、トマウは塒に戻る事にする。最早そこに何も残っていない事は分かっていたが、トマウにとって他に戻るべき場所はない。

 棄て山を迂回して、出来るだけ人目につかない廃屋の間を縫うように歩く。

 復讐。奪還。脱出。裏切り。様々な言葉が浮かんでは消えていく。掴み損ねて沈んでいく。トマウは考える。何をすべきか、如何にすべきか、何処へ向かうべきか。

 地下道に潜る直前、何者かの尾行にトマウは気づいた。よくよく気配を探ってみれば隠す素振りすら見せていないように思えるほどのお粗末な尾行だ。素人臭い足取りに今まで気づかなかった自分を恥じる。
 まだ俺から何かを奪うというのか、トマウは悪態をつきたい気持ちをこらえる。最早奪われる物は何もない。逆に何かを奪ってやる、と自棄になる。いつでも応戦できる気持ちを整えて、塒への道を進む。

 浸水した地下道を通り、ついに塒へと戻ってくる。明かりも何もない真っ暗な空間だ。
 手探りで倉庫代わりにしていた部屋から熱で変形した携帯用の鬼火灯を見つけ出す。明かりは点きそうだ。

 赤い炎を点火すると、変わり果てたありさまが浮かび上がる。壁は煤で真っ黒になり、地面は灰で真っ白だ。窓は砕けて溶け、壁を覆っていた緑の蔦は一つも残っていない。トマウが愛用していた家具も保存していた食べ物も何もかもが焼けている。
 トマウは灰に覆われた四角の空間の真ん中に立つ。鬼火灯を掲げると自分の今いる場所を強く実感した。

「俺は今ここにいる」とトマウは口に出す。「何もかもを失って、まだ生きている」

 何者かが暗闇の中トマウの元へ走ってくる。その足音だけで分かる事は多い。素人だ。その上、まだ子供だ。銃さえ必要のない、俺に足蹴にされるべき弱者だ。

 鬼火灯を振り上げて、叩きつけようと振り下ろす、その手が止まった。
 鬼火灯に照らされたその子供をトマウは知っていた。何故記憶に残っていたのか不思議に思った。ナイフを握る少年の手に銀の指輪が光っていた。二対の腕を盗み、トマウに奪い返され、銀の指輪を取り返し、地下水道に蹴り落された少年だ。
 直接手を汚すのを躊躇い、強い水の勢いに任せた結果が眼前に示された。

「母さんを返せ!」

 ナイフが己の体に沈んでいく様が見て取れた。思いのほか自身の肉は凶器に抵抗せず、刃がすんなりと突き通る。軽い体の弱々しい突進であるはずなのに、トマウの体は無抵抗に倒れ込む。

 地面に伏して、天を仰ぐ。四角く切り取られているはずの夜空は、壁が黒いせいでとても広く感じられた。西の端に儚げな星が一つ瞬いている事に気付く。いつからそこにあったのかは分からない。

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