機械仕掛けと墓荒らし

山本航

汝、生者の如く死者を労われ

 東岸のトアラン区の地下に存在するその巨大な空間はイドン河よりも幅広く、シウム大橋よりも遥かに高い。その天井は幾本もの柱で支えられており、一面に無数の鬼火灯が据えられ、昼も夜もなく煌々と照らし続けていた。

 東岸の地下工業区は国内最大の企業、シムダインズ社の重要な生産拠点だ。この巨大な地下空間では銃用霊管から始まったシムダインズ社の兵器関連工場が運営されている。そればかりではなくこの空間を中心に、蟻の巣のようにいくつもの地下空間があり、関連企業の工場が稼働し続けている。そしてそれら工場群にて働く工員達が利用する商店街や歓楽街の他、寺院、駐屯所、僅かながら住宅地域も存在する。霊園はないが地上には集団墓塔がある。かつて旧シウム区にあった旧工業区の繁栄をそのまま引き継いでいた。

「それでメルキンはどこに行ったんだ?」と、トマウは誰に言うともなく呟いた。
「俺様が最後に千里眼映像を見た時にはまだ地下通路だったぜぇ。あの野郎どこ行きやがった」

 行き先を見届けろよ、とトマウは心の中で愚痴る。

「どのみち中州でさえ全域が映る訳でもないのに中州の外まで追えるわけもないか。メルキンが行きそうな場所、となると当然屍材の隠し場所だろうな。その後はバザに引き渡そうとする」
「だがバザを張るわけにもいくめぇ。おそらくあいつには通用しねぇなあ」
「なら屍材を奪い取るしかないが、どこに隠したかだな」
「家ならグムタを向かわせたぞ」
「なら無駄足だろうな。誰かが知っている場所に置いておく事を隠すとは言わない」

 もはやケスパーにばれている以上、遺体を隠していた事を隠して何食わぬ顔でケスパーの信頼に値する部下であるかのようにバザに引き渡すことは出来ない。金を手に入れた後、ケスパーから逃げおおせなくてはならない。

 いくらの金を受け取ったところで不可能のようにトマウには思えた。もう、そう簡単にはこのクヾホオク市から抜け出すことは出来ないはずだ。ケスパーがここにいる事が何よりの証左だろう。既に罠を張り巡らせ、あとは獲物を囃し立てるだけだ。だがそんな事はメルキンも知っている。

 そもそもメルキンは何故ハーシーの遺体を聖火病院から盗んだのか。奴自身にそれを欲する理由があるとは思えない。それに『しくじった』と焦りながら呟いていたという。つまり誰かに命じられての事だろう。それはケスパーではないし、バザでもない。あの病院を襲撃、もとい訪ねてきた墓守でもないはずだ。
 トマウは唐突に思い出す。

「そういえばあいつ、火と鉄の戒律の信徒だったな」
「寺院かぁ? だがそんなところに屍材を隠さねえだろ」
「いや、墓場に隠された死体を見つけるのは骨だぜ。他に手がかりもないしな」

 ここに限らず寺院、そして墓場や霊園の場所をトマウは熟知している。二人は辻馬車を捕まえて、この地下工業区を教区とするルミクの喜び寺院へと向かう。
 しかし、その途中、大通りであっさりとメルキンを見つける。

「やっぱりだ」とトマウは呟く。

 胸の前に垂らしている真鍮製の目玉を握りしめ、メルキンは足早に何処かへ向かっている。真っすぐに逝けばルミクの喜び寺院だ。

「あの野郎!」と罵り、辻馬車を飛び出そうとするケスパーをトマウは抑える。
「待てケスパー。こんな人通りの多い所でどうする気だ。あいつの足の速さは知ってるだろ」
「じゃあどうするってんだぁ? ここから足を撃ち抜くよりも良い方法があるってのなら教えてくれ」
「今は近道も出来るし、足もある、ついでに実弾を込めた銃もある。上手くやれば足の速さなんて関係ない」


 トマウはルミクの喜び寺院を背に、人込みの中を待ち続ける。丁度工員達の帰宅時間と重なったようだった。メルキンは真っすぐにこちらに向かっているはずだ。
 一瞬メルキンが見えたが、若干俯いており、顔はよく見えなかった。トマウは息を潜め、獲物近づいてくるのを待つ。立ちはだかり、気付くのを待つが相当焦燥しているのかこちらに気付かない。このまま捕まえるのもいいが、念には念を入れて予定通りに行う。

「メルキン」とただ一言トマウは声をかける。

 体をびくつかせてメルキンはゆっくりと顔を上げる。

「違うんだトマウ。聞いてくれ」
「言ってみろ。何でも聞いてやる」
「これは使命なんだ。哀れな信徒を食い物にする鞴派への鉄槌なんだ」
「そうか。悪いが俺程信心深い男はいないんだぜ、メルキン。汝、生者の如く死者を労われだ」

 メルキンは引きつるような微笑を浮かべて言う。

「トマウがそんな警句を引用してみせるなんてね」
「引用? これは墓荒らしの心構えだと聞いたがな」と、トマウは言って考える。誰に聞いたのだったか。「さあ、遺体はどこにあるんだ。俺が元の場所に戻しておいてやる」

 メルキンは青ざめた顔でトマウを睨み付ける。その顔や手はあまりに白くなっている。まるで骨か蝋燭のように。

 メルキンは裏路地に飛び込んだ。類まれな反射神経だ。臆病でなければ、それなりに膂力があればもっとケスパーに重宝された事だろう。
 トマウはメルキンを追うが、逃げる者に比べれば追う者のそれは悠々とした足取りだ。その裏路地の先にはケスパーが待ち受けている。メルキンに続いて裏路地に入ると、ほどなく銃声が鳴り響く。

「おい! ケスパー! まさか殺したんじゃ……」

 倒れた男を見下ろす者はトマウに背を向けていた。メルキンを待ち伏せしているはずのケスパーがこちらに背を向けているはずがない。
 倒れているのはケスパーだった。薄暗がりではっきりとは分からないが、首元からどす黒い液体が溢れだしている。
 メルキンは何事かを呟いている。

「ケスパーを殺したのか? メルキン」

 メルキンは銃を手放して、ゆっくりと振り返った。柔和な微笑を浮かべている。

「どうしたんだい? トマウ。君はケスパーが嫌いだったろう?」
「お前はそうでもなかったはずだが」
「まあ、十数年世話になったんだっけ? 情の一つくらいあってもおかしくないか」

 そうだろうか、とトマウは自身に問いかけるが答えは返ってこなかった。

「僕は、そうだね。憧れていたよ。中州の帝王ってのは僕にとってとても刺激的な概念だったんだ。まあ、あっけなく死ぬときは死ぬんだね」

 メルキンの肌は白いばかりでなく、青い血管が強く浮かび上がっている。

「ハーシーの遺体はどこだ、メルキン」
「ハーシー? ああ、あれか」と言ってメルキンはふふと笑う。「言ったろ? 使命なんだ。蝋燭派の寺院にあれを引き渡すのがね。まあ、もうどうでもいいけど。何だかね。力が湧いてくる気分なんだ。とっても刺激的だ」

 次の瞬間、メルキンがトマウに向き直った、とトマウが認識した時にはメルキンが横を素通りする。トマウの反射はあまりに遅く、ナイフは虚空を突き刺した。振り返った時にはもうメルキンの姿はどこにも無かった。

 トマウはケスパーのもとへ駆ける。屈んで調べるが呼吸も心臓も止まっていた。よく見ると足元に小鬼型機骸スペクターの残骸が散らばっていた。どうやらこれに気を取られた隙を突かれたらしい。
 トマウの目の前には死体があるがこれを売りつける相手はもういない。その二丁の拳銃を貰い受けるとトマウは片目を瞑り、合掌した。トマウの覚えている限り、他人の冥福を祈ったのはこれが初めてだった。

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