機械仕掛けと墓荒らし

山本航

今後の為にも

 少年を地下水道に叩き落した公園の程近くに地下道がある。地下道自体はこの中州、旧シウム区のどこにでもあるし、中州自体が廃棄された今でも利用されている場合が殆どだ。ただし、この地下道はそのほとんどが水没してしまっている。不潔な生活環境に慣れ切った旧シウム区の連中ですら近寄らない。かつて大いに威勢をふるった疫病、屍蝋病が大陸原産の鼠を媒介しているという定説もその一因だ。
 しかしトマウはそのような事を気にしていない。そもそも疫病に関する知識も満足にない。薄暗く黴臭く曲がりくねり、いくつか分かれ道になっている地下道を迷うことなくずんずんと進む。しばらくすると天井の崩落した場所に辿りつき、瓦礫を登って地上へ出る。

 そこは中州の東の端に位置する団地の一角だ。その空間は四方を集合住宅の壁に囲まれている。割れた窓と暗緑色の蔦に取り巻かれている。四角い地面と四角い空に挟まれている。日当たりは概ね悪く、正午を除けば影の中だ。普通よりも背の高い楢の木が中央に聳えている。今は赤茶色になった葉が太く捩じれた枝にしがみ付いている。

 かつての旧シウム区はこのような集合住宅が数多くあってなお、人口を抱えきれない程の港湾都市だった。団地は地下道同様に浸水した場所も多い。地下道同様、中州の住人ですら忌避している。今では様々な悪い噂に取り囲まれていた。
 新大陸の呪術師が潜んでいるだとか、内戦を落ち延びたメビトニアの兵士達が反抗の機会を待っているだとか、はたまた巨大な人食い機骸スペクターの巣だとかだ。それらの噂の醸成にはトマウも一役買っていた。迷い込んできた者を驚かせるのに利用してきたのだ。

 この中庭にはトマウが持ち込んだ様々な廃品でもって住環境が作られている。初めは集合住宅の部屋に住んでいた。居心地が悪くなって飛び出した。どの部屋もまるで突然人が消えたかのように家具等がそのまま残っており、とても落ち着かなかったのだ。残り香もそれを手伝った。仕方がないので彼はこの中庭に住居を自作する事に決めたのだった。材料は大体団地にあったし、足りなければ拾ってきた。

 華やぎし二十数年前まで中州には大小様々な橋が架かっていた。しかし東岸と西岸へ一本ずつ架かっていた最も古く巨大な橋を残し、全てが取り壊された。
 今ではその二つの橋を一つに繋ぎ、中州に降りることなく東西を行き来する事が出来る。中州に降りる脇道も北側にあるが、軍によって厳しく管理されている事になっている。そして、その関所の反対側、橋の南側からはありとあらゆるものが中州に投げ捨てられていた。そこは丁度中州の南端で、ゴミが積もっては崩れ、山を築き谷を穿つ地域となり、人々には棄て山と呼ばれている。それらがトマウの塒の資材となった。

「エイハス」

 トマウがどこともなしに周囲を見やりながら呼びかけた。すると木陰から現れた犬型機骸スペクターがよたよたと走ってくる。

 関節部から覗く歯車は嫌な音で軋み、鱗のように体を覆う真鍮の肌はくすんでいる。五つの眼球レンズの内、二つにヒビが入っている。膝丈程の大きさしかないが、胴の太さに比して足が短く、どうにもバランスが悪い。中型四足の機骸スペクターは犬型と呼ばれるのが一般的だが、丸い背中や太い尻尾を持つエイハスは亀や蜥蜴にも見える。

 トマウは身を屈めるとポケットから今日の稼ぎを取り出してエイハスに差し出す。そして全ての紙幣をエイハスに食べさせる。啜るようにして全て飲み込む。エイハスは不満げに歯車を軋ませた。

「注油は後でしてやるよ」そう言ってトマウはエイハスの丸い背中を撫でた。エイハスは弱々し気に汽笛で答えた。

 集合住宅に住んでいないとはいえ、その広い空間を持て余しているわけでもなかった。ある部屋は棄て山から拾ってきた使えるが売れないゴミを置く倉庫になっている。大量の欠けた食器や家具、薄汚れた服や機械部品。売れる物、使える物、使えない物が部屋ごとに分類されている。ある部屋は保存のきく食材を置いている。干し肉や酢漬けのニシン、殻付きの大陸豆。戯れにエイハスのために作った犬小屋めいた部屋もある。エイハスがこの部屋にいる事は滅多にない。どの部屋にも高価なものはない。棄て山からそんなものが手に入る事はほとんどない。あれば売るので手元には残らない。

 生活自体はもっぱら中庭で行っていた。天幕の下に設えた自家製のかまどで火を焚いて、凹んだ鍋を持ち出して、適当な食材をぶち込んだスープを作る。血を洗い流した服を干して、日向ぼっこをする。エイハスの整備をしたり、その背中に貯めている金を数えたりした。


 明くる日、トマウは棄て山にいた。いつからだか分からないがエイハスが後ろ脚を引きずっている事に今朝気付いた。工具は一通り揃えているが、部品が足りず、適当にそこら辺で機骸スペクターを狩ろうとうろつく内にここまで来てしまったのだった。
 棄て山を勝手に取り仕切っているエムガという老人に笑われる。

機骸スペクターを破壊してばかりのお前が機骸スペクターのために部品を探しに来るとはな。愛着でも湧いたか?」
「まあそんなもんだ。ペットみたいなもんだからな」

 そして大事な大事な金庫でもある。

「連れてくりゃ、わしが直してやったのに」
「爺さんが? そんな技術持ってるのか?」

 エムガが曲がった腰を反らして自慢げに豪語した。

「わしはこれでも霊気機関の設計技師だったんだぞ」
「落ちぶれたもんだな。まあ仕方ないが」

 トマウのちらとやった視線の先、エムガの右肩の先には何もない。事故で無くしたのだと昔語っていた。というより昔から何度も語られている。

「これはな。大河イドンに潜む巨大機骸スペクター、通称ヴァゴウに食われっちまったんだ。それはもう巨大でな。鯨のような鰐のような形をしているが、水中でも地上でも豹のような身のこなしでわしに襲い掛かって来たんだ」
「そりゃ気の毒に。技師はさぞ儲かっただろうにな」

 若い頃に工作機械に挟まれたと聞いた事があったような気がしたがトマウは気にしない事にした。
 いずれにせよ、全財産を他人に預ける馬鹿はいない。

「どうしても手に負えなかったら直してくれよ、爺さん」
「おう。任せとけ。なんなら番犬に改造してもいいぞ」
「それは遠慮しとく。高くつきそうだ」

 俺以外から確実に身を隠す機能なら欲しいとトマウは思った。

「お前さんこそ景気は良いんじゃないのか? ケスパーに重用されとるだろ」
「逆に言えば中州ではケスパーとしか取引できないからな。利権というか縄張りというか。奴のシマだからな」
「他所では取引できないのか? お前さんならどこでもやっていけるだろう」
「他所には他所の決まりごとがあるし、そもそもふらふらしてたら信用されねえんだ。一度やろうとした時はどこで嗅ぎつけたのかケスパーに釘刺されちまったし」
「よく生きとったな」
「取引成立する前だったからかな。そこそこの額で許してくれたよ」

 トマウは背後に注がれるエムガの視線に気づく。

「噂をすれば。お前さんに仕事じゃないか?」
「こんにちは、トマウ」という声を耳元で聞き、思わず手で振り払う。
「おっと」と零してひょろ長い男がトマウから離れた。

 メルキンだ。一揃いの気取ったスーツを買える程下っ端の稼ぎが良いはずはないが、メルキンは財を持っていた。元々良い所のお坊ちゃんだという噂をトマウは耳にしていた。

「見かけないと思ったら、こんな所でゴミ漁り? 腹ごしらえは済んだの?」
「食い物なんて探してねえよ」

 トマウ自身もメルキンから数歩離れる。気が付くとメルキンが近くにいる、という経験をトマウは何度かしてきた。油断も隙もない男だ、とトマウは思う。

機骸スペクターの部品を探してるんだとよ」とエムガが勝手に話してしまう。
「ふーん。何のために?」

 メルキンは探るような視線を向けてきた。

「ペットだよ。悪いか? 弔銃の練習に丁度良いんだ」
「うーん。僕の知ってるペットの概念となんか違うな。まあ、いいや。最近何か刺激的な事あった?」
「いや。だけどお前にはあったらしいな」
「何の話?」
「噂聞いたぞ。しくじったらしいな」

 メルキンが両目を見開き、怯えた様子で問うた。

「どこで? 誰に聞いたの?」
「グムタだったかな。お前がびびった様子で『しくじった。どうしよう』って呟いてたのを聞いたって話だ。相当重大な案件だったか?」

 メルキンは大げさにため息をつく。

「ああ、本当に酷い失敗をしたんだ。金を払って何とか怒りを抑えたんだから、その話をケスパー様の前でしないでよ?」
「しないさ。何の得もない」
「得があったらするんじゃないか。勘弁してよ」
「だからしないって言ってるだろ。わざわざケスパーの怒りをぶり返させて、八つ当たりで損する可能性があるからな」
「神に誓って?」
「ああ、哀れな迷い子メルキンを見守る一つ目の神に誓って」

 メルキンの胸の前に垂れる真鍮の眼球と目が合う。

「ならいいけど。それより仕事があるんだけど。要る?」
「何て言ってた?」
「連れて来いってさ」
「頼んで来いでもなく、聞かせて来いでもなく、教えて来いでもなく?」と、トマウはうんざりした様子で言った。
「連れて来い。そう言ってた」

 トマウは深々とため息をつく。

「行った方がよさそうだな」

 メルキンは神妙な微笑を浮かべ、

「今後の為にもね」と言った。

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