竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第二十二章 処罰の決定



 千火が先に道場に入ってから十数分後に、長半円の扉がギギギッと音を立てて開かれる。
 先頭に立つのは、この村の長 クロノス・サイズだ。流石に魔刃器を使うつもりはないらしく、激しく隆起した腕には何も握られていない。その後ろに続く老若男女も同様だが、その数はぱっと見で十人程度。村で戦える人間の十分の一にも満たない。しかも、クロノスの娘であるあの赤髪の女の姿が見当たらない。まだ魔術で起こされていないのか、それとも思いのほか重傷でまだ治癒仕切れていないのか……千火の姿を見て憤激する恐れがある為ワザと起こされていないのか。
 恐らく最後者だろうな、と結論付けつつ、千火の周囲を囲いだした十人の村人の面構えを見る。
 いずれの者達も一目で歴戦の強者だと判断出来る古傷を負った者ばかりで、傷一つ無い人間がまったくいない。中には激戦地に置いてきたのか、腕や眼と言った身体の一部が無い者も見受けられる程だ。どうやら魔術であったとしても、腕を生やしたりする事は出来ないーーいや、特殊であるとは言え、竜族や魔物の臓器を人間に変えられる魔術が存在するくらいだ。生やす事は可能ではあっても、かなり難しいのだろう。
 しかしその傷だらけの全身を覆い尽くす覇気は、彼らが未だ最前線で得物を存分に振るえる猛者である事を雄弁に物語っていた。

「…………よく集まってくれた、皆の衆」

 千火が中心になるように立った村人達の目の前で、クロノスは千火に歩み寄りながら言葉を発した。

「お主らを呼んだの他でもない。アーサーと共にこの道場に足を踏み入れたこの者の罪状を聞いてもらい、その上でわしが下す刑に異論があるか正否を問う為じゃ」

 ビッ、と勢いよく千火を指差し、咳払い一つすると、裁きを下す者に相応しい厳かな声で罪状を読み上げ始めた。

「この者はビツガ村の掟が一つ、村長たるこのわしの許可なくして道場に踏み込みおった。皆の知る通り、刃が潰れているとはいえこの村の者達全員が得意とする得物が飾られておる。すなわち、この村の戦力をわしの許可無くして覗き見た事になる。知らなかったと言えども、掟を破った事に変わりはない。ゆえに、勝手にこの村の全戦力を覗き見た罰として、鞭百叩きをした上でこの村を追い出そうかと、わしは考えておった」
(…………いけしゃあしゃあと、よくもそんな嘘を言えた物だな。……あまりしたくはないが、こういう状況下になる可能性が高い以上、私も少しは嘘を言えるようにならなければな)

 最初に目を合わせた時から、既にクロノスの目論見は分かっている千火としては溜め息を吐かざるをえない。……当然、村人達に気付かれないように小さく、ではあるが。
 人々の頂点に立つ人間が私情を優先したい時は、多少なりとも嘘を吐かなければ押し通す事は出来ない。ましてや、千火はいずれこの世界を調整する、竜神姫としての役割を課せられた身だ。世界にすら影響する選択に、私情を持ち込みたい場面に直面しないとも限らない。
 そうなった時に私情を優先出来るようにするためにも、上手く嘘を吐くクロノスの様子をまじまじと観察する。

「じゃが、いかに魔刃器を使ったといえども、アメイラル王国第七騎士団を単独かつ生かして撃退してみせたその実力は、決して侮れぬ物がある。さらに言えば、この身なりから分かるとおり日の本の国の転生者じゃ。純親竜派である事に疑いの余地は無く、、来るべき戦に参戦するとアーサー達に言っておった。ゆえにわしは思った。この者を村から追い出すべきでは無い、むしろこの掟の事については不問とし、村の者達全員の武術の基礎を上昇させる事を条件に村の永住を許可すべきではないか、とのう」

 言葉を聞き終えたや否や、十人全員の表情が険しくなる。
 掟破りへの処罰に例外はあってはならない。もし例外を作ってしまえば、この場にいる者達のみならず、村に住む人間全員に示しが付かなくなる。それでは守るべき掟としての役割が破綻し、到底住みやすい環境では無くなってしまう。
 村に住んでいた千火としても、さすがに眉をしかめる。いくらこれが死合いの為の三文芝居であると理解していても、村を束ねる長としてそれは言ってはならない事柄だ。しかしそんな事は分かり切っているとでも言わんばかりに皆の顔を見て大笑すると、

「お主らのみならず、罰せられる立場に居るこの女傑にまで顔をしかめられるとはのう。…………無論じゃが、お主らの懸念はもっともであるし、口走ったわしが言うのもなんじゃがそんな事は到底するつもりはない。アーサーへの処罰も決めておったんじゃが、お主らも耳に挟んでいる通りこの女傑が随分手荒く扱いたゆえに、それで手を打つ事にした」

 千火はそこでホッと胸をなで下ろした。
 元はと言えば、今回の問題を引き起こした張本人なのだ。しかも千火と違って既にこの村に住み、掟の事についても重々承知している筈だ。なにも知らないで掟を破っただけで村を追い出されるまでの話が出たくらいだ、最悪アーサーが殺される事態にまで発展しかねななかった。……そうしようとすれば必ずあの赤髪の女傑が反発するのは目に見えていし、何より互いに共通する理念を抱いた上で共闘する約定を結んだ間柄だ。殺害にまでは至らない可能性が高いのは、分かっていた。それでも、掟を守る為に強行する可能性も僅かにあった以上、千火は心配せずには居られなかったのだ。
 ここに集まった者達の表情をチラリと伺う。千火の時とは異なり、処罰の内容に異論が無いらしく、表情を変える者は誰一人としていなかった。

「…………そして、この女傑への処罰じゃが……」

 紡ぐや否や、村人達が纏う空気が変わったのを、千火は肌で感じ取った。針を全身に突き刺されているような敵意を、一気にこちらに向けてくる様子を。

(…………この仕打ちも仕方ないか)

 千火は小さく息を吐く。
 アーサーにグィネヴィアを助けてくれた命の恩人だから招き入れたものの、目覚めて早々いきなり掟破りを犯したのだ。これだけ敵意を剥き出しにされても仕方がないと言うものだ。……それでも、まるで村長の言葉を聞いていなかったとばかりに、今すぐにでも処刑せんばかりの鋭気を向けられるのは、あまり気分の良いものではない。
 そんな千火への敵意は、クロノスの次の一言で霧散する事になった。

「わしが直々に、こやつと大鎌で刃を合わせ、その結果を踏まえて決めようと思う。魔刃器でこそ無いが、単騎で第七騎士団を撃退しうるだけの実力を本当に持っているのであれば、わしとそれなりに良い試合が出来るだけの技量を持っていて当然じゃろう。アーサー達の言葉を疑う訳ではないが、さりとて魔刃器が強力なだけじゃったと言う末路も否めなくはない。ましてや日の本の国の転生者じゃ、倭の国のモノノフ達と同様に、太刀や槍、弓、薙刀といった得物も存分に使いこなす筈じゃ」
「…………つまり、この女が転生者を扮したアメイラルの回し者か否かを確かめる意味もある、っつう訳ですかい。ついでに俺たちの戦力を勝手に覗き見た対価として、この女の力を見せて貰うのであれば、この上なく意義のある決め方ではありますな。……んで、罰はどのような物にするつもりで?」

 丁度クロノスの後ろに立っていた隻眼の男が、首を縦に振りながらも少し荒っぽさが伺える声音で問い掛ける。
 クロノスと似た格好をしているものの、髪の毛は艶やかな漆黒に染まっており、顔付きから見て、大体三十代くらいではないだろうか。僅かに生やした無精髭が特徴的だが、はめ込まれた緑色の瞳には、好戦的ながらもどこか人が良さそうな輝きがある。
 身体つきもかなりゴツゴツしており、まるで巨岩に意志が籠もって人間になったとさえ思えるような高身長を誇る。他の村人達が比較的小さい所為もあるが、この場では村長であるクロノスと同じくらいの存在感を放っている。……とは言え千火とほぼ同等くらいなのたが。
 その他の村人達も決め方に異論はないらしく、無言のままだ。

「無論、このわしとの立ち会いで第七騎士団を単騎で屠ったと認められる実力を示せば、村の追放を瞠目した上で村の居住許可を与える。しかし罰として、次の戦までに必要な兵糧の材料集めや、まだだ未熟な者達の技術強化の為の師範代、そして魔物をこちら側の戦力に引き込む作業を行って貰うつもりじゃ」
「…………なに?その女は魔物と意志疎通が図れる、そう仰られるのですか?」

 にかわには信じがたい、と言わんばかりに言葉を発する隻眼の戦士に、クロノスは大笑しながら告げる。

「お主の気持ちも分からぬではないが、これはわしが太鼓判を押してやろう。なにしろこのわしと、眼合わせだけで意志疎通を図れたんじゃ。事実こやつの持っている魔刃器は、魔物の契約魔刃器じゃ。実際に見せて貰った訳ではないが、さりとて素手で第七騎士団の連中を追い払えるとは考えにくい。しかもあのゼルギウスが撤退の条件として挙げた位じゃ、かなり強力な魔物と契約したのは言うまでもなかろう」

 どうやらグィネヴィアは、あの魔刃器が何と契約した魔刃器かは伝えていないらしい。何故伝えなかったのかは後で聞くとして、とりあえずそのおかげでこの場は切り抜けられそうだ。

「…………なるほど。魔物であれば、言葉を発せられる者と出会うことは稀だ。村長の意見はもっともですな。……では、その可能性が無いと断言出来る実力を持ち合わせていなかった場合はいかなる罰を?」

 問われた瞬間、クロノスの纏う空気が一転した。いや、大鎌使いの纏う空気だけではない。道場内その物の空気が、まるで墓場を荒らされて怒り狂う怨霊達の溜まり場になってしまったかのような、おぞましさの伴った冷気によって支配されていたのだ。
 これだけ気配を一気に変えるのはかなり珍しい事らしい。周囲を取り囲む村人達の喉から、散々この老将と打ち合ってきたであろう歴戦の猛者達の喉から、呻き声が漏れ出ていた。

(…………なるほど。眼でもある程度実力を推し量れてはいたが……これは想像以上だ)

 ただ一人、先にこの老将の実力がどれほどの物察していた千火だけは、空気に飲み込まれる事なく冷静に分析する。
 正直な話、眼での推測だけでも、かつての師であった父、宗一と同等かそれ以上の技量の持ち主であることは見抜いていた。だが、これだけの威圧を放てるとなると、間違いなく宗一よりも上の技量の持ち主であると評価を改めざるを得ない。それでも、今の自分の技量がまったく通用しない相手ではない。むしろ、相手は完全な人間だ。、今まで体得した辰巳神流の技全てを存分に生かせる以上、たとえ宗一を超える技量の持ち主であったとしても勝機はある。千火はそう考えた。……後々聞いたのだが、あの冷気を纏うのは本気で死合いをする時や、強力な魔物と対峙した時くらいで、道場を含めて村の中ではまず纏わないのだそうだ。

「…………その時は、わしの『アダマス』であの細首を刈り取るまでじゃ」

 そう言って千火に送った紫炎の瞳は、告げる。
 先の言葉は、脅しや冗談などではなく、本気であると。

「(…………フッ、背水の陣に立たせてまで私の本気の刃と合わせたいようだな。この私を、死地に興じさせようとは良い度胸だ)私は土台異論ありません。むしろ、罪滅ぼしも兼ねて最も刃を合わせたかった方と死合う事が出来るなど、感謝の一言に尽きます。存分に実力を発揮する事なく、醜態を晒して敗れるはモノノフの恥。生きる価値もありません。そのような時に陥った場合の死に場所も用意して頂けたのです。存分に死合い、あなた方に私の実力とモノノフの戦い方を示すことで、掟破りの罪をここに清算しましょう」

 村人達が声を上げるよりも早く、罰を決めるための試練を受けさせられる筈の千火が賛同の声を上げた。

「…………」

 本来、試練や罰の内容について罪人が否応を口走るなど言語道断。その口を閉じろと誰もが騒ぐ筈だった。しかし、負ければ死が待っている状況下でありながら、それでも尚ビツガ村の頂点に立つこの老将との立ち会いを望み、力を示せなかったその時は潔く首の跳ねられようと豪語するこの女傑の堂々たる態度には、流石に投げつける言葉も失ってしまう。
 これで身体のどこかしらに恐怖がにじみ出ていれば、ただの強がりだと言えただろうが、指先一つすら震えていない。紅玉とも表現出来る真紅の瞳は、暗闇を引き裂く炎のように獰猛な輝きを放ち、恐れるどころかむしろ好んで死地に飛び込まんばかりの闘争心に満ち溢れていた。

「ガッハッハッ!まさか罪人自らがわしの提案に好色を示すとはのう!!気に入ったわ!どうじゃ、皆の衆!こやつはこう言っておるのじゃが、異論はあるかのう!?」

 そうこなくてはおもしろくないと言わんばかりに大笑しながら、クロノスは千火の闘争心の強さに気圧された村人達に問い掛ける。

「…………ははは。いや、これには恐れ入りましたな。まさかこの罪人が、村長のような事を言い出す者であったとは。村長がそう仰るのであれば、私共としましても異論はありません」

 硬直からいち早く抜け出した隻眼の男が、未だ身体を動かせぬ村人達を代表して答えた。千火も一応他の村人達の様子を見てみるが、隻腕の男同様反対の意志は見受けられない。

「そうか。ならば、早速始めるとしようかのう。お主は……そうじゃのう。ここに飾られている武器の中で自分の使える得物を多数使っても良いぞ」

 クロノスはそう言って、最奥部に飾られていた大鎌に手をかける。他の武器と同じ鋼鉄製の重厚な得物だというのに、軽々と片手で持ってみせる。アクティビションを既に使っているのだろうか。

「自分の使える得物、と言いいますと、魔術の使用も可能なのでしょうか?」

 答えはある程度予測は出来ている。それでもここは前世の常識がまるで通用しない世界。道場内であってもバカスカと高威力の魔術を発動させても問題ない、といった事すらあり得る以上、聞かずには居られなかった。

「なんじゃ?お主、魔術の使い手じゃったのか?いや、契約魔刃器をしまえ、かつ力量の試練を突破し、、ブレイジングスター・レインを発動させた位じゃ。別に使えてもおかしくはないのう」
「あぁいえ、そう言う訳ではありません。魔術と言っても、私が安定して発動できるのはアクティビションだけです。それ以外の魔術の発動は出来ませんし、先の武器魔術に関しましてもたまたま発動させられただけですので、決して魔術が得意というわけではありませんし、まともに発動出来た代物ではありません。私はただ、道場内での魔術の発動が可能なのか聞きたかっただけです」

 顎に手を当てて考え出したクロノスに対して、決して魔術が得意な訳ではないと言い直した上で、改めて問う。
 なんじゃ、そういう事じゃったのか、と何故か溜め息を吐きつつ、

「原則として道場内での魔術の発動は禁止じゃ。アクティビションなら発動してもよいが、それとてこの道場を破壊しない程度の力加減をせねばならん。無論、お主が出来るというのであれば話は別ではあるし、その場合はわしも使わさせて貰うがのう」

 と、半ば予想通りの答を返してきた。流石に木造の道場の中でグィネヴィアがやったような大爆発魔術などを乱発すれば壊れるらしい。ある意味千火はホッと胸を撫で下ろした。

「そうですか。それならば安心です。私としましても、こんな狭い場所で魔術を避けきれる自信はありませんので。……では、改めて、私の得物を選ばさせて頂きます」

 そうして改めて、道場内に飾られた得物の数々に視線を向ける。
 アーサーと入ったときには分からなかったが、確かにクロノスが言っていた薙刀や太刀などの姿が見受けられる。しかもご丁寧に二振りずつあり、千火が丁度試したい事がやれるような状況下となっていた。

「………では、これらを使うことにしましょう」

 そう言って千火は道場に飾られた大量の得物の内、四種類、計八振りの得物を手に取るべく道場内を歩き出した。
 たかが数日程度でしかないが、魔刃器を使っていた所為で以前のそれと比べると少し重く感じてしまう。しかい、さりとて普段から大量に武器を担いでいた身だ。それら全ての得物を苦に思うことなく担ぐ事が出来たのは、長年あれだけの武器担いで山道を駆け回っていたからであろう。

「…………確かにわしは多数の武器を使っても良いとは言ったが、それだけの武器を一辺に担いでみせるとは。いやはや、珍しい光景を見れたものじゃ。……日の本の国の人間は、常にそうやって武装しておるのかのう?」

 歩きながら器用に、しかし手慣れた様子で、二振りの大太刀と太刀を両腰に差し、ついでとばかりに薙刀を背負うまでの過程を見届けたクロノスが、物珍しげな視線を向けて問いかけてくる。

「いえ、ここまで武器を担いでいるのは、私くらいでしょう。一気にこれだけの武器を担ぐとなると、重量的に厳しい物があります。加えて、大太刀や太刀の動きに支障が生じやすいですし、なにより環境によっては長柄物がかえって邪魔になる時があります。私は修行の一環として、これだけの武装をした上での戦いを何度も強いられ、そしてこの恰好で様々な戦況でも戦えるよう鍛えたからこそ、この様に大量の武器を担いでいるだけです。普通の人間にとっては、重りの付いた枷を手足に付けられたまま戦わされるのと同じくらい無謀な事なのですよ」

 苦笑混じりに答えながら、丁度入り口近くに飾られていた最後の得物へと手に取った。最後に握ったのは、千火の身長より二尺長い一振りの槍。それも、アーサーが持っていた魔刃器と同様の、斬撃と刺突に対応したあの大身槍に似た槍だった。

「やはりその槍に目を付けおったか」
「勿論です。薙刀程の威力は望めないにしても、斬撃も放てるのは私としても好感を持てます。私が体得している武術は、使う武器で出来る全ての技を繋ぎ合わせる事で、単騎であろうと多数であろうと相手を圧倒する流派です。技名や構えに竜や蛇の名前が多用されている所から、辰巳神流と呼ばれているのですがね」

 どこか誇らしげにそう語りながら、自身の身体に対して二時の方向に矛先が向くようにした構えーー辰巳神流槍術 横上顎竜・下段の構えを取る。
 上段や中段からの攻撃に素早く対応出来る、防御に特化した下段の構え。それを改良し、長い首を曲げて側面から獲物の首めがけて食らいつく竜を体現化した、攻守双方に優れた構えだ。槍術において千火が最も愛用する構えでもある。

「辰巳神流、か。実に良い名前じゃのう。ならば、竜や蛇の名が付くに相応しい武術、受けてみるとしよう」

 そう言うクロノスが取った構えは、長柄物の中でも最も順応性に特化した脇構えの構えだ。大鎌の刃は、クロノスに対して外向きに向いている。

「ではお望み通り、貴公に辰巳神流武術を存分にお見せしましょう」

 そう言って道場の床を蹴り、瞬く間にクロノスと肉薄するーー事なく、千火はその場から動く素振りを見せない。

「…………辰巳神流武術を見せてくれるのじゃろう?ならば、お主が動かなければ話にならんじゃろうて。それとも、辰巳神流武術など端から存在しないのかのう?」
「確かにお見せしましょうとは言いましたが、何故私から手を出さなければならないのですか?」 
「わしらの戦力を先に覗き見たのじゃ、お主のその技量を先に見せねば対等とは到底呼べぬよ。それとも……死ぬのが怖いか?あれだけ死地に身を置くことに悦を感じる身でありながら」

 その言葉を聞いて千火は溜め息を吐かざるを得なかった。
 千火としては相手の出方次第で立ち回りをどうするか決める予定であった。しかし相手はそれに乗ることを望まず、むしろ掛かってくるよう挑発してくる。千火としても攻め手に欠けるわけではないし、先手必勝という単語があるくらいだ。先に仕掛けた方が有利である事は理解している。それでも、先に手の内を明かしてしまうと、その予備動作に入った瞬間になんの技か見抜かれるてしまう。事実上、二度と同じ手を使う事は出来なくなってしまうのは、千火としてはあまり好ましくない。
 とは言え、確かにクロノスの言い分は分からない訳でもないし、モノノフとして恐怖を抱いてると笑われるのはあまり気分の良い物ではない。……死地に追い込まれる事に少なからず喜びを感じてしまうのもまた、千火としては否定できない事実でもあるが。

「良いでしょう。あとで先手を譲らなければ良かったと言わないでくださいよ!」

 暗に負け犬の遠吠えをするなと言いつつ、千火はついに道場の床を蹴った。ダンッ、と力強い足音一つと共に、槍の間合い内にクロノスを捉えると、穂先を使って足払いに掛かる。

「最初に牽制とは慎重な奴じゃのう」

 つまらなさそうに言いながらも縄跳びの要領で足払いを避けると、空中で脇構えから上段の構えへと移行。足場も安定していない状況下であるにも関わらず、そのまま剣や薙刀と同じように振り下ろしてくる。

「本来の鎌の扱い方とは随分かけ離れた使い方をしますね。そんな事繰り返していたら、いずれ刃が折れて使い物にならなくなりますよ」

 鎌の形状をまるで理解していない使い方をするクロノスの動きに眉をしかめながらも、大鎌を斬撃を払った勢いそのまままに回転して避ける。そのまま遠心力の伴った打撃を、宙に浮いたままの無防備な胴体目掛けて放つ。
 前世の人間であれば、重力に逆らう術を持たない以上、どうしても低高度の空中で行動する事は出来ない。受けるより他に術はない筈だ。だが、この世界は魔術と呼ばれる世界に干渉する力が存在する。ならば、この状況をどうにか出来るだけの何かがある筈だ。でなければこんな無防備極まりない状態で攻撃に移るなどーーないらしい。

「ガハッ!!」

 柄からじかに手に伝わってくる。肋骨を覆う肉をしっかりと打ち据えた確かな手応え。それに疑問を抱くと同時に、空気を無理矢理吐き出された事による嗄れた短い悲鳴が空気を振動する。次いで、千火の鼓膜を、確かに床に重いものが落ちた時特有の衝撃が揺さぶった。

「………………」

 三尺程離れた床に転がった大鎌使いの老人を見る千火の視線は、恐ろしく冷たい。まるで道端に倒れ込んで泣き叫ぶ狂人を見つめるかのような眼差しを向けたまま、千火は老人の元へと歩みを進める。…………無論、形式上のトドメを刺す為だ。
 普通の千火であれば、ここで何かしら驚くなり心配したり別の行動を取ったであろう。だが、今執り行っているのは自らの命を賭けた厳正なる死合いだ。慈悲を掛ける必要など毛頭ない。あるいは死に真似の類で、何かしらの策を講じているのかもしれないが、命を賭けた死地においていちいち思考を揺さぶられていては、リヴァイア戦の二の舞になってしまう。…………もっとも、この世界の常識や明らかに前世では起こり得なかった事象が多発したのだ。あらだけの事を一遍に体験して、思考を揺さぶられない方がおかしいのだが。
 仕留められる時は確実に仕留める。狩り場で散々学び、新たなる教訓を得た千火に隙はない。

「…………わしの……負けじゃ……」

 そうしてもう見下ろせる距離にまで歩みを進めた千火の耳を、明らかに演技といえる弱りきった荒い息づかいで、クロノスは自らの敗北を宣言した。

 ………………ふざけているのか?

 死合いと聞いて、本能的に気持ちが昂揚こうようしていた千火が、怒りがにじみ出たその言葉を発するよりも早く、

「うむ。これだけの戦力差を出されたらどうしようもねぇな。……クロノス村長の命の下、条件を満たしたお前には村の居住許可を与え、この件に関する一切の罪を不問とする。代わりに、兵糧の材料集め、村人達の師範代、そして魔物をこちらに引き込む義務を課す」

 隻眼の男は処罰の決定を宣言した。

「貴様の目は節穴か?今のが厳正なる死合いだと?ふざけーー」
「お主の気持ちも分からぬではないが、そこは抑えては貰えんかのう?」

 いきり立つ千火に対して、今し方まで倒れていたクロノスが起き上がりながらそう言って宥める。

「…………どういう事か説明して貰えますか?」

 どうしてこうなったかは分からないが、ともかく死地を脱する事が出来たのだ。理由についてとやかく言った所為で、死地に逆戻りにされる恐れがあるのだし、文句を言わずに甘んじて受け入れてしまえば良いだろう。だが、命を奪うことに恐れを抱く一方で、死地を何度も潜り抜けきた代償として、窮地に陥らなければかえって落ち着かなくなってしまった千火はーー正確に言えば狂ってしまった闘争本能が、その言葉を発っさせずには居られなかったのだ。
 その狂った闘争本能な持ち主たるクロノスは、冷静に話し始めた。
 曰わく。
 クロノスとしても、最初は当初の予定通り千火と本気の死合を演じて、その実力を根刮ぎ暴き出すつもりだった。だが、クロノスが村人の猛者を召集する為に呼び掛けに回っていた時、朝食を終えたグィネヴィアと遭遇。千火の処遇をどうするか素直に話すと、案の定猛反発してきた。
 だが、村の長である以上、そう易々と考えを改める訳にもいかなかった。たとえ見ず知らずのグィネヴィアを単身で助けに入り、第七騎士団を生かして返せるだけの実力者であったとしても、掟で破った事実に変わりはない。加えて、いかにグィネヴィアを助け、次の戦に参加すると意思表示されていたと言えども、千火は部外者だ。助けたとは言えども、村の掟を常に破るような荒くれ者の可能性も否めない以上、そのような所がないか、刃を合わせるついでに確かめなければならなかったのだ。
 当然クロノスもグィネヴィアの言葉に耳を貸さなかったーーのたが、正直本当に殺すような事態にでもなったら厄介な事に成りかねない。そこで、表向きでは本気で戦って負けた事にして、そのあとに本気で刃をーー魔術も含めた死合いをする方向に転換したのだ。……無論、この場にいる村人達全員はその事について承諾済みであったし、実際に千火がかなりのやり手であると一目みた時から気付いていたそうだ。

「…………それで形質上、私があなたよりも強いという方向性に持ってくる為に、この戦は手を抜いたという事ですか」

 事情を聞き終えた千火としては、そんな余計な事をしなくても良かっただろうにと思った。とは言え、そうしてでも千火を生かそうとしてくれたその心遣いには、感謝していた。

「まあ、そう言う事じゃ。さて、お主を皆に紹介せねばならん。少しわしらについてきて貰えるかの?」
「無論です。参りましょう」

 そうして、クロノス達と共に道場を後にするのだった。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く