竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第二十一章 瞳で語らう



 道場の床を砕かんばかりの勢いで蹴り、刃無き鋼鉄の槍の穂先を向けて一直線に向かってくる。
 その槍を下段より大きく切り上げて弾き飛ばそうとするが、それよりも早く小さな身体を反転させ、槍諸共切り上げから逃れる。

「ハァァッ!」

 裂帛れっぱくの声を張り上げ、避けた槍をもう一度反転させ、その勢いを使った刺突を見舞う。

「フッ、少しは良くなったな。だが、この場合はどう動く?」

 不適な笑みを浮かべ、刺突が自らの身体に到達するよりも早く、切り上げた槍を横凪一閃に払う事で更に弾きに掛かる。その槍の一撃を受け、小さき未熟者は槍を落とすーー事なく。

「なら、僕はこうする!!」

 その言葉と共に、弾かれた勢いそのままに身体を回転させ、反撃の刺突を繰り出した。
 だが、弾きに掛かった槍の衝撃をもろに受けたのだろう。槍を握る手に力があまり入っておらず、突きの動作へと移行するその腕は、服越しでも分かる程震えている。
 そんな脆弱な刺突など、たとえ切れ味の良い大業物であったとしても到底決め手にならない。

「もっと力を抜き、弾かれる勢いを受け流せっ!!」

 大喝と共に、横凪の一撃そのままに身体を反転させる事で刺突を避け、がら空きになった胴目掛けて凪払いを喰らわせる。

「ガッハァッ!!」

 問答無用に放った一撃を受け、その重さのあまり吹き飛ばされた未熟者目掛けて、師は宙に浮かんだまま成す術のない相手目掛けて、容赦なくトドメとなる一撃を浴びせる。
 回転させた勢いを乗せたその一刺しは、吸い込まれるように未熟者の左胸を捉える。

「っ!!」

 その刺突を受け、未熟者は声すら上げる事なく道場の床を転がり、壁に全身を叩きつけられると、そのままピクリとも動かなくなる。

「…………ふふふ、懐かしいな。私もよくこんな風にやられていた物だな」

 意識を失っているとすぐに見破った千火は、ゆっくりとアーサーの所まで歩み寄る。
 そして、

「何をそこで寝ている!!強くなりたいのならばとっとと起きろッ!!」

 既に二時間近く戦い、満身創痍の未熟者目掛けて、大喝と共に柄尻で肩を強かに打ち据えた。

「…………」

 しかし、そのまま永眠してしまったかのように、未熟者アーサーはまったく目覚める素振りを見せない。

「…………限界を越えたか。仕方ない、今日の鍛錬はここまでだ」

 一人しかいない道場でそう呟くと、千火は気絶したアーサーから槍を取り上げる。そして、アーサーが持ってきた槍の置き場に戻した所で、アーサーを担ぎ上げた。十六歳とは言え、まだまだ子供だ。体重は軽い。

「…………あぁ~、少しやりすぎたかな……?」

 しかしその軽さを感じて、千火はあることを思い出した。
 この村の人間と相対した時、千火が何者であるか分からない人間が大多数を占めている。そんな中でぼろ雑巾のようになったアーサーが気絶し、それを自分が担いでいたらどうなるか。…………想像に難くない。

(とは言え、腹も減ってしまったからな。グィネヴィアもいるし、支援魔術でなんとか起こして貰えるだろう。それからアーサー本人に直接話を聞いて貰えれば、なんとかなるだろう)

 事情を聞けば、千火の実力を知りたがって、刃を合わせたがる人間が居ないわけではないだろう。その時は、朝餉あさげを食べてからという条件を付けた上で、刃を交えるつもりではある。むしろ、そう言った血の気の多い村人であることを願わずにはいられなかった。
 あの騎士団達と戦えるだけの戦闘技術がどれほどの物か、どのような戦い方を得意としているか、確認しておきたいからだ。アーサーに聞けば、それぞれがどのような戦い方をするのか分かるかも知れないが、ハッキリ言ってそんなものは相手と刃を合わせなければ確証を持てない。それに、本人がその戦い方を気に入っていたとしても、千火の知りうる限りではあるが、その戦い方よりも遥かにその個性と特徴が噛み合った戦い方に矯正きょうせいする必要があるかもしれないのだ。
 戦を起こすのは一週間後と定めているが、千火は戦を起こした所で勝算が薄いと思っている。
 ここ最近、アメイラル王国は雨量が足りない為にーー魔術で水を作るという形で凌げるのではと思ったが、水を生成するには何故かは分からないがかなりの量魔素が必要らしく、しかもそこまでの過程が複雑過ぎてその魔術を使えないのだそうだ。誰もいない所でリヴァイアに問うつもりではいるーー不作続きで、国民の不満が高まってきている。しかも、グィネヴィアが助けだした騎士のように、国のやり方に反対して武力蜂起を考えている純親竜派革命団が各国の裏路地に身を潜めているらしい。アーサーが放った偵察隊はそれら一団一団と接触に成功し、自分達が動き出すと同時に連動して蜂起して欲しいと頼む事に成功している。加えて、重い食糧難に陥っている事もあって長期戦を不利としている状況下にあるのに対し、こっちは大樹海を拠点としている。一部の魔物を狩れば幾らでも食料は確保出来るし、千火を除いて殆どの人間が大樹海が庭と殆ど変わらないのだ。どうとでも調理が出来ると思うかもしれない。
 だが、あのゼルギウス・ネアエルデスという男をどうにかしなければ、到底勝ち目がない。移植される以前より上位竜族を単騎で討ち取れるだけの実力を誇っていながら、移植を受けた事で更なる力を手にした化け物。恐らくあれと真っ向から刃を合わせられるのは、この世界の水を司る龍王リヴァイアと、上位竜族に次ぐ実力を誇るようになるルシファムルグと契約を交わした千火しかいない。……他の村人、特に村長がどれだけの実力を持つのか分からない為、ひょっとしたら村長も戦えるかもしれないが。
 しかし、その問題のゼルギウスの足止めに成功したとしても、今度は竜族の臓物や身体の一部を移植された、第零騎士団、第一騎士団、第二騎士団、第三騎士団という、四つの化け物の群れが立ちふさがる。さすがに数は一部隊につき二百人程度と少ないものの、その実力は折り紙付きだ。ゼルギウスにこそ劣るのは間違いないが、それでも世界を守護する竜族の一部を体内に埋め込まれているのだ。実力差は、ゼルギウスより一段から三段弱い程度と見て良いだろう。
 アルベルトというあの副騎士団長の高い戦闘能力から見ても、アーサーの実力はーー予想の範疇ではあるがーー第三騎士団の騎士一人を討ち取るので手一杯だろう。本人は第二騎士団の下級騎士と刃を交わせたと言っていたが、実際に刃を合わせた感想としては第三騎士団程度が限界なのではないだろうか。
 そんな事を考えながら、千火は木で出来た半円形の門を開いた。

「………………」

 そして予想通り、太陽光に照らされて青々と輝く大樹海の中に、二十数人ほどの人間の姿が見受けられた。
 戦い馴れているとアーサーが言っていただけあって、今この場で千火を睨みつけている男の殆どはガッシリとした筋骨隆々の男ばかりだ。鎧こそ身につけてはいないものの、ルシファムルグが食べていた緑色の狼の毛皮で出来ているであろう服を纏うその姿は、大樹海に生きる戦士の名に相応しい姿をしていた。…………千火にとって見たことがない服装ではあったが。
 金色や赤といった、鮮やかで美しい長い髪を垂れ流している、浅黒い肌をした女性達も同様の毛皮で作られた服を来ているのだが、纏っているのは下半身だけ。ほっそりとした、しかし戦う者ならではのガッシリとしたくびれた腰に、細いながらもたくましさを感じる腕。そして、ーー流石にさらしで抑えつけられているもののーー女性の美の象徴とも言えるたわわに実った胸も、全て大気にさらけ出していた。下半身は男のそれとは異なり、に近い印象を受ける。

「お前、アーサーと一緒に道場で何をしてたんだ?余所者だから知らなくて当然だったかも知んねーが、そこは村長の許可成しに立ち入る事は禁止されてんだぞ。アーサーを脅しでもしたのか?」

 逆立った緋色に染まった短髪の男が代表して、アーサーを肩に担いだ千火に問い掛ける。

「…………私はアーサーに連れられ、この道場で軽く刃を交えただけです。確かに刃を合わせたいとの申し出は受けましたが、その点については何も聞かされていません。……とは言え、掟に背いた事実に変わりはありませんので、お詫びさせて頂きます」

 道場を使うのに村長の許可が必要だとは聞いてはいない。だが、あの時間帯だ。わざわざ理由を説明して許可を貰うためだけに起こすのも気が引けたのだろう。

「掟の事もそうだけど……軽く刃を交えただけ?それにしては随分手酷くボロボロにしたじゃないの。あんた、大人の女なのに子供相手に容赦ないのね?日の本の国の女モノノフは気高く優しいと聞くけれど、あんたはどうやらその限りではないようだね」

 そんな千火の思考をしながら詫びようとしたところで、赤髪の女性が声を荒げる。千火に負けず劣らずの美貌を歪ませ、千火よりも深く鮮やかな真紅色の瞳に怒りの炎を灯す。その様子から見て、アーサーに対して強い愛着を抱いている事がすぐに察せられた。

「ふっ。確かに私は、日の本の国のモノノフの中でも異端者でしかありませんな。ですが、それもこれも望んだのはアーサー本人です。私は本人の望みに沿っただけです」
「…………そんな言葉を信じるあたし達と思うかい?あんたはアーサーがグィネヴィアを助けてくれたからって言ったから、仕方なくこの村にいさせてやってるだけさ。けど、そのアーサーをそんなにボロボロにするのなら」

 痛い眼見ない内にとっととこの村から出ていきなっ!!

 赤髪の美女はあからさまに怒気を強め、まるで見えない槍でも握っているかのように大気を掴む。
 すると、赤髪と完全に相反する青色の炎が迸り、みるみる内に槍の形へと姿をかたどっていく。

「おいサーシャ。流石にソイツは納めとけ。村長に見つかったら何言われるか、分かったもんじゃねぇぞ」

 先に千火に声を掛けた男が見かねて諫めるが、サーシャと呼ばれた女性が納める気配はない。

「何を言ってんのさ!!この女は、私達の大切なアーサーをあんなにボロボロにしたんだよ!?それをあんたは眼を瞑るっていうのかい!?」

 むしろ、諫める男に対してまで牙を剥いていた。その反応に対し、怒りの牙を剥き出しにされた対象は口を開いた。

「…………当然の反応ですな。貴公の言い分も分からない訳ではありません。が、私が話した事は全て事実です。村長の許可なしに道場に入り、勝手にアーサーと刃を交わした事については、確かに詫びるより他にありません。……ですが、アーサーがその事を話さず、私を道場へ招き入れた事に変わりはありません。そして、これだけボロボロになっても尚、私に槍の技術を求めた事もまた、変わりようのない事実です。村を出ていけ、と言われましても、私としてはまったく支障はありません。求められるのなら、大人しく出て行くつもりです。しかしーー」

 その事にアーサーやグィネヴィアはどう思うのでしょうかね。
 その言葉を発した直後、赤髪の美女は弦から放たれた矢の如き爆発的な勢いで刺突を繰り出した。

「ふっ。血の気が多いのは戦士として結構な事だが、あまり頭に血を上らせすぎるとアーサーを傷付ける事に成りかねないぞ?」

 敬語を止めた上で言葉を投げかけつつ、サーシャの一刺しを軽々と避けてみせる。が、青白い炎による熱風が、僅かに千火の左頬をあぶる。

(ふむ、なかなかに早く鋭い突きだな。確かにアーサーより遥かに上であるし……第零騎士団とも戦えそうだな)

 あぶられながらも、千火はそう推測する。
 あくまで推測の域を出ないし、実際に刃を合わさなければ第零騎士団がどれだけの技量を誇るのか分からない。だが、推測ではこのサーシャと呼ばれた女性はーー段々とこの世界の名前に馴染み始めていることに喜びつつーー確かに第零騎士団と戦っても十二分に討ち果たせるだろう実力を持ち合わせているのだと、確信を抱けた。

「あんたのような鬼畜、アーサー達と一緒にいない方が良いわ!!」

 千火がアーサーを肩に担いでいるという事実すら目に入っていないのか、サーシャは心臓や頭、肩や太股など、傷を負えば戦闘に支障が出る部位や致命傷を狙って、断続的に刺突、払い、斬撃、殴打を仕掛けてくる。その度に青白い炎が尾を引き、白い髪を、純白の肌を焼くが、一撃も受ける事なく悠々と避ける。軽業師のような身軽さでありながら、いつでもその身で反撃出来る余裕を持ち合わせ、様子を伺うーーいや、体力切れを狙っているその様は歴戦の豪傑そのものだ。

「……………」

 本来ならば炎の槍を振り回して千火に一撃を与えんと動き出した時点で、村人達は止めに入らねばならなかっただろう。だが、そのやり取りに見入られてしまったのか、魂を抜かれてしまったかのようにボケーッと立ち尽くしている。

(冷静さを失いやすく、一撃を与えられないとすぐに動きが乱雑になるのが最大の欠点ではあるが…………冷静さを失い、しかも乱雑になっても尚これだけの動きを見せられるとは、大した女だ)

 この分なら、アーサーを引き剥がした上でちゃんと戦わせれば、ゼルギウスは無理でもアルベルトは討ち取れるかもしれんな。
 そう思った時だった。

「そこの客人に何をしておるかっ、馬鹿者!!」

 大喝一声。
 大樹海全域に響き渡りそうな、威厳と威圧をありありと感じ取れる大音声と共に、大上段より振り下ろされた青炎槍と千火の間に黒い影が割って入りーー到底受け止められそうにない漆黒の刃に直撃する。
 直後、ガギィィィンッ!!という振り下ろされた青炎槍では鳴り響きそうにない、金属と金属が奏でる特有の悲鳴が響き渡った。
 槍の穂先を受け止めたのは、千火が扱いづらいだろうと言っていた、あの大鎌だ。『淤加美おかみ』の神々しいそれとは明らかに異なる、雪山に吹き荒れる猛吹雪のような、明らかに死しか連想することを許さない、獰猛な銀色輝きを放つ刀身はあまりに巨大。千火の身長程もありそうだ。そこに備え付けられた刃もまた重圧感を纏った、水晶のように透き通った藍色に染まりきっている。一見すると美しく、『淤加美おかみ』程ではないにしても壮麗な印象を受ける。しかしそこには、確かに自然が持つ牙が潜んでいるかのような、不気味な仄暗ほのぐらさを感じ取れるのは、自然の厳しさをこれでもかと体験してきた千火だからこそだろうか。

(…………なるほど、これはアーサーでもあぁ言うのも頷けるな)

 そして、千火に背を向ける大鎌の使い手を見て、心の奥底から納得する。
 千火のそれと異なり、艶やかさの欠片のない、水という水が消えてしまったかのような輝きを放つ短い白髪。本来ならば弱々しいという印象を抱くはずなのだが、そんなものを全て吹き飛ばす、いや、むしろ危険な存在であると本能的に警鐘を鳴らさせるだけの威圧感が込められている。
 千火より頭一つ小さい身長ではあるのだが、緑色に黄色の稲妻模様がビッシリと刻まれた外套を羽織った後ろ姿は、他の男達よりもゴツゴツしたその背中は、千火よりも大きいのではとさえ思わせる。
 髪の長さ、羽織っている服装こそたがえど、そこにあるのは千火にとってよく知る、老練なる豪傑のみが持つことが許される憧れの後ろ姿だった。

「っ!!何をするつもりだいジジイ!!いくらあんたの言葉であろうと、そこの女をこの村に置いておくのはあたしが許さないわよ!!」

 正面から堂々と受け止められていながら、赤髪の女傑は牙を剥き出しにしたまま問い掛ける。

「落ち着かんか馬鹿者!!」

 問答無用と言わんばかりに再度一喝すると同時に大鎌を跳ね上げ、青炎槍を弾き飛ばすなり頭上で回転させ、柄で強かにサーシャの露出した脇腹を打ち据えた。

「ッ!!」

 メキッ、という明らかに骨が折れただろう嫌な音が響き渡ったかと思うと、まるで突風に吹き飛ばされた石ころのような凄まじい勢いで吹き飛び、彼女の身体は木に叩きつけられた。のだが、相当な勢いだったらしく、叩きつけられた木が細かったのも相まってバキッと音を立ててへし折りーー四、五本木を叩き折ってようやく地に倒れ伏した。
 へし折れた木が地面に倒れるのと同時に、橋が壊れてしまうのではないかとも思ったが、幸いなのか狙ってやったのか、橋や家に影響のない位置に木々は倒れ込んだ。

「これで少しは頭を冷やしたじゃろうて。まったく、朝早くから面倒事を起こしおって。そらっ者共!サーシャを早よぅ治さぬか!!」
「「「……………………」」」
「何をボケーッと突っ立っておる!!早よぅエイドを掛けぬかぁっ!!」
「「「っ!!はっ、はい!!只今!!」」」

 最初こそあまりの事態に立ち尽くしていた村人達も、再度放たれた大声にビクリの背筋を伸ばし、いそいそとサーシャの方へと向かっていった。

「千火ぁー!!」

 やれやれ、助かったな、と一人ごちる千火の視界に、青銀色の髪を振り乱して掛けてくる少女の姿が目に入った。

「おぉグィネヴィア。おはよう、起こしてしまったか?」
「おはよう千火ちゃんーーじゃなくて!!大丈夫なの!?サーシャに喧嘩ふっかけられーーってアーサー!?なんでこんなにボロボロになってるの!?千火ちゃんっ、知ってるなら全部教えて!!」
「落ち着け、グィネヴィア。あまり混乱するな。そこのご老人にも事情を説明しがてら話すから、な?」

 どうやってサーシャに喧嘩を仕掛けられた事に気が付いたかはともかくとして、アーサーの様子に驚くグィネヴィアを宥めると、

「それより、アーサーの傷を治してやってくれないか?」

 死んでしまったかのように大人しいアーサーの治療を依頼する。
 頼まれるまでもないわよ、と若干声を荒げつつもグィネヴィアは早速魔術を発動させようとしたのだが、

「いやグィネヴィアよ。ここはわしに任せて朝飯を済ませるが良いじゃろう」

 大鎌使いの老将は待ったを掛けた。

「えっ、村長?でもーー」
「お主の話も聞いてはおるし、アーサーの事が気になって仕方ないのは分かる。じゃが、飯を食わねば力も入らぬし戦えんじゃろう。アーサーがこれだけ手酷くやられたのも、飯を食わなかった所為じゃ。武術が未熟なお主じゃあ、三十秒も保たぬやもしれん。じゃから、お主は先に飯を済ませい」

 うるさいの一言に尽きる大声でそう命じられると、グィネヴィアは少し戸惑った様子ながら「……分かりました。アーサーをよろしくお願いします」と一礼してどこかへと姿を消していった。
 そうしてようやく、千火はこの村の村長と顔を合わせた。
 外套の上からでも大体察しは付いていたが、やはり浅黒く焼けた肌に覆われた筋肉はガッシリとしており、さながら鎧のようだ。とは言え、至る所に刻み込まれた大小様々な裂傷や刺し傷の跡が、やはり肉で出来た脆弱な物でしかない事を物語っていた。…………傷を見せ付けて相手を威嚇するという千火と同じ考えをしているからか、上半身を覆うのはそれくらいだった。
 身体から視線を上に向けると、頬に斜め十字に刻まれた傷が特徴的な顔があった。張りがある、しかし奥底に年季を感じられる声からしても、かなり年を重ねていることが予想出来てはいた。しかし年寄りと呼ぶにはまだ早いと言わんばかりに、本来ならば寄っている皺が少しもない。こういったところは、本当に宗一とそっくりだ。
 その顔にはめ込まれた二つの双眸は紫色に染め上がっており、どこか人間離れした印象を受ける。しかしながら、そこには人間特有の知性を感じさせる輝きが確かにある。のだが、どちらかと言えばそちらよりも闘争心が燃え滾った獣特有の輝きの方が強く、誰かと刃を交わすのが好きな事が、これでもかと言わんばかりに訴えかけてくる。

「…………ガーッハッハッハッ!!このわしの戦好きを見抜いてたまげおったか!お主、良い眼を持っとるのう!!お主みたいな人間と会うのも久方振りじゃぜ!!ガーハッハッハッ!!」
 思わず苦笑いを浮かべてしまったらしい。おかしくて堪らんと言わんばかりに腹を抱えてゲラゲラと笑うその姿は、快活な印象を受ける。……後ろの方では、何事かとサーシャを助けに行った村人達が数人振り返っていたが、いつもの高笑いかと治癒魔術を再開する。

「そういう村長も随分良い眼をお持ちのようで」
「いんやなに、昔はわしよりも良い眼を持った奴が居たもんじゃぜ。わしなぞまだまだひよっこじゃったというのに、最近の若いもんはまったくその眼を持って生まれて来ん。そんなんじゃから、わしが村長をやっているようなもんじゃ。わしとしては早く隠居して、のんびり暮らしたいものなんじゃがのう」
「村長という重役を降りて、大樹海の魔物と死合いたいの間違いでは?」
「ガーハッハッハッ!!一度わしの本質を見抜かれては、そう言うのも頷けるわ。そう言えば自己紹介がまだじゃったのう。わしはクロノス、クロノス・サイズ…………日の本の国の名乗り方じゃとサイズ・クロノス、という者じゃ。もうお主も分かっておるじゃろうが、ここビツガ村の村長をしておる。して、お主の名は?」
「これは失礼致した。私は辰巳神たつみがみ千火ちかと申す者。既に聞き及んでいるとは思いますが、アーサーに助けられここに身を寄させて頂いてます。以後、お見知りおきを。……それと、貴公の名前、しっかり覚えさせて貰えますか?」
「……転生者ゆえの弊害じゃな?良いじゃろう、お主が満足するまでわしは名乗り続けよう」

 そうしてまた名前を何度も言い間違えつつも、なんとか覚える事に成功する。その間にザクロスもアーサーの傷を少し見た後に治癒魔術を掛け、全て綺麗さっぱり完治させていた。……治癒する前に傷の様子を観察していた所から見て、なんの鍛錬をしていたのか確認していたようだ。

「しかし、お主は礼儀正しい所のう。よもや、わしの名前の発音にまでこだわるとは流石に思わんじゃったぜ。……じゃが、戦力確認の為とはいえ、あまり挑発して荒事を起こしてくれるなよ?」
「…………気付いていたのですか。その様子ですと、私が次の戦に参加する事も承知しているようですね」
「無論じゃとも。グィネヴィアがわしを叩き起こした時に、事情は聞いておる。………グィネヴィアを助けてくれた上に、アーサーの目指す未来のために参戦してくれたのは、わしとしてはありがたい限りじゃ」
「あれは私としても看過しがたいです。本来の親竜派として意義を曲げた罪は、死を以てして償って貰おうと思っただけです。……ところで、先の槍使いは娘さんですか?大層な腕前でありましたが」

 そう言って、先に千火に声をかけた男に抱えられる女性に視線を向ける。遠目で見る限りでは怪我らしいものは見当たらない。完治したようではあるが、しかしあれだけ派手に骨が折れる音が鳴り響いたのだ。本当に大丈夫か心配ではある。

「あぁ、そうじゃ。わしの事をジジイ呼ばわりして、わしが手荒くあしらってやった所から察しておったようじゃのう」

 どこかあなたの動きに慣れを感じましてね、と付け加えると、

「ガーハッハッハッ!やはりお主は良い眼を持ってるのう!初対面の人間相手に見て取れるようなモノじゃあないぞ!!……まあ、あやつは到底わしの子とは思いたくもないのじゃがな」

 一際大笑したかと思えば、急に険しい眼差しに変えて娘を見る。そこに浮かんでいたのは、呆れと心配という二つの感情だった。

「手厳しい事を言うものですね」
「そうかのう?お主も実際に挑発したから分かったじゃろうが、あやつはあまりに単純すぎる。子供が好きなのは良いのじゃが、その度が過ぎておってのう。アーサーくらいの年頃じゃあまだ子供扱いする上に、少しでも子供が傷つくのを見るとすぐに怒って刃を抜き払って切りかかってのう。…………あの事がある以上仕方がないと言われれば、それまでなのじゃがな」
「…………やはりそうでしたか」

 あの女傑が過去に子供関係で何かあったのは千火も察してはいた。
 千火も子供は好きだ。出来ることならアーサーのように鍛錬と評して槍でボコボコにしたくもないし、アーサーやグィネヴィアを戦場などという不毛な殺し合いの地に繰り出したくない。
 しかしだからと言って、本人が望んでいる事柄を、私情を優先して諦めさせる程ではない。それに、子供子供と言ってはいても、意志がない訳では無いのだ。中途半端な覚悟で望むのならともかくとして、たとえそれが修羅の道であったとしても歩みたいと望み、それに見合った覚悟を持ち合わせているのであれば、多少傷だらけにさせる事になろうとも、その道をしっかり歩めるように教育してやるのが、大人としての当然の務めであろう。
 だが、あの槍使いの女は、大人としての務めすらも放棄し、ただ可愛いあの二人……正確に言えば子供が自らの元を離れていく、その手伝いをする事に酷く恐怖を抱いているように見えた。加えて言えば、確かにアーサーをボロボロにしたものの、あの程度の傷など、魔術が存在するこの世界において掠り傷にも満たない。
 事実、あの女を運んでいった男は道場を村長の許可無しに使ったことにこそ咎めていたものの、アーサーについては全く触れていなかった。それは、支援魔術で幾らでも傷を癒せるし、すぐにでも体力を回復出来るという考えの下だろう。
 この世界についてまだ精通していない千火ですら思い付く考え。だというのに、その考えに行き着く事なくあそこまで過剰に反応したのだ、子供関係で何かあったのを察せない方がおかしい。

「まあ、その事については後で話すとしようかのう。無論、お主が聞きたいのであれば、じゃがな」

 察しやすい事には気付いていたらしく、村長も特に褒める事なくそう言った。

「それは聞かない事にしましょう。本人と信頼関係を築いて直接聞かなければ、その胸に秘められた思いまで聞き取れませんからね」
「…………お主は優しいのう。あんなに邪見にされたと言うのに」
「あれは私から挑発したのですから、当然ですよ」
「…………あぁ、そうじゃったか。そういえばお主、わしの許可無しに道場を使ったようじゃな」

 真っ当な答えを返した千火の言葉で、ようやくこの事件の根幹に行き着いたクロノスは、改めて千火の眼を見る。老人とは言え相手はなかなかに良い顔立ちをした男だ。紫色の瞳にジッと見つめられれば緊張感を抱いたり恥じらったりしかねない瞳だが、しかし千火は冷静に見つめ返す。
 無論、瞳に映し出された言葉を読み取るためだ。…………端から見ると危ない恋に落ちた二人のように見えて、精神衛生上よくないのだが。

「………………フッ、やはり貴公はそれを望みますか。ですが、良いでしょう。それで私の罪が消えるのであれば」

 瞳に浮かんだ言葉を全て読み取った千火は、真紅色の瞳を伏せて失笑する。

「仕方ないじゃろう。アーサーはともかくとして、お主がどのような人間かを住民に理解させる必要があるからのう」
「そんな事言って……いえ、なんでもありません。では、先に入って待っていますね」
「うむ。全村人を集めてから、始めよう」

 そうして、千火はクロノスに背を向けると、掟破りの罪を償う為に道場へと歩み出した。

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