竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第二十章 一人の男として



 二、三時間気絶していたという事もあって、頼み事を了承した千火は、ベッドと呼ばれる布団の上でなかなか寝付けられないでいた。
 そんな千火より一時間前に起きた筈のグィネヴィアは、丸一日動き回り戦っていた疲労がのし掛かっている影響か、千火の隣にあったベッドで穏やかな寝息を立てている。
 あのあと近くに置かれていた小さな机で何やら書き物をしていたアーサーも、真っ白い紙を枕に、筆を握ったまま机に突っ伏して寝ている。その姿は、かつてお寺でお経の勉強をさせられている時によく見た、同年代だった坊主を思い出させる。

「ふふふ。まったく、しっかりしているなと思ってはいたが、こう言うところは本当に子供だな」

 目が冴えて眠れないのを良いことに、千火はベッドから立ち上がると、足音を立てないようにゆっくりとアーサーの所に歩み寄る。
 そして、少し無理やりではあるがアーサーの頭をそっと持ち上げ、よだれや寝相で紙がクシャクシャにならないように手早く回収し、変わりに自分の枕を敷いた。急に高い物の上に頭を置かれた事で、少しだけ身じろぎをする。起こしてしまったか、と心配する千火をよそに再び穏やかな寝息を立て始める。
 それで一時的なものだったと理解してホッと胸をなで下ろしつつ、手に握られている円筒状の細長い筆を取り、近くに置いてある四角い大きな机の上に置いておく。
 そこで改めて、部屋の中を確認する。
 提灯ちょうちんーーもといランプが消えた事で暗がりではあるが、広さは丁度二十丈程と広く、壁や床のみならず、家の中にあるもの全てが木で出来ている。何の木かまでは流石に分からないが、自然が好きな千火としては好感を持てた。部屋の中心には、本物の木と思わしき幹のようなものがある。木の上にでも建っているのだろうか。
 今し方まで千火が寝ていたベッドの壁へと視線を向けると、一部分だけ何やら布が被せられている。うっすらと丸く輝いているところから見て、恐らく障子の代わりとなる何かなのだろう。
 グィネヴィア達が起きたら聞いてみるか、と思いつつ、紙と筆を置いた大机へと目を向ける。横が五尺、縦が二尺程と大きく、そこそこ色んな物が置けそうである。
 その側には、机の門に沿うように曲がった形の繋がった、布に包まれた椅子があった。触った感触からルシファムルグの羽毛を思い起こさせるようなふんわりとした物で、布の方も手触りがすこぶる良い。何で作られた布なのだろうかと考えながらも、この机の大きさや椅子から察するに大人数で何かをする時に使うものなのだろうと推測する。
 その大きな椅子の側には、ギッシリと様々な本が詰められた本棚がある。千火の身長より少し高い程度なのだが、様々な色をした背表紙が一際本棚の存在感を引き立せている。
 どれか適当に手にとって読んでみようかとも思ったが、あいにくまだこの世界の文字の読み方が分からない。日の本の国からの転生者が多いことから考えて、この世界の言葉を和訳したものがあってもおかしくない。そう思って本棚に詰められた一冊一冊を良く見ようとも思ったが、いかに夜目であったとしても暗がりで文字を読むのは目に良くない。弓の使い手でもある以上、アクティビションでいかに視力を強化できようとも、視力を落とすような真似をするのは得策ではない。

(…………とは言え、どうしたものかな)

 それでも、本を読もうとした理由はただ一つ。
 暇なのだ。
 グィネヴィアやアーサーが寝ている以上、ここを活動の拠点としているのは間違いない。しかし、ここがどんな場所なのか分からない以上、下手に動いて起こさざるを得ないような状況を作る可能性もある。加えて、この部屋以外にも様々な部屋があるのだろうし、アーサー達のみならず他にもたくさんの人間が暮らしているのは、気配からして分かる。気絶していたという事もあって、千火はここの住民の顔を覚えてもいないし、見られたかどうかも怪しいところだ。……十中八九見られているだろうが、それでもこの場所に住む人間にとってまだ異物でしかない。
 だからと言って、またベッドに入って眠れるかと問われれば、眠れない可能性が高いと断言出来る。
 リヴァイアと話そうとも思ったが、親竜派であると言えども一応竜神姫である事は隠しているのだ。ここで万が一リヴァイアの名前を口にした時に目覚めてしまった場合、完全に自分の正体が割れてしまうのは日を見るよりも明らかだ。正直本当のことを言ってしまっても良いのだろうが、それで親の後ろを歩く雛鳥みたくなってしまっては困る。

「…………どうしたの、千火。そんなアメイベアーーじゃなかった、熊みたいに一人でうなって。何かあったのかい?」

 どうやってこの暇を潰そうかと考えていると、不意に背後から声が聞こえた。
 この場において、爽やかな少し高めの低温を発せる人間など、一人しかいない。

「すまない、起こしてしまったか?」

 うなり声で起こしてしまうとは情けないと思いつつ、声の主 アーサーの方へと視線を向ける。

「違うよ。寝返りを打った時に起きた、と言えば良いかな。それで、どうしたの?眠れないのかい?」
「眠れていれば、こんな部屋の中心に立って一人唸ってなどいないだろう」

 それもそうだね、と頷きながらアーサーは大きく背伸びをした。筋肉が凝り固まっているらしく、十数歩離れた位置に立つ千火の耳にもパキパキッ、という伸びた事で生じる音が届いた。

「……君はまだ子供なのだから、あまり無理するではないぞ」
「………………僕は千火が言う程子供じゃないと思うんだけどな~。確かに千火と比べたら小さいけど、今年で十七になるんだ。アメイラル打倒の為に色々策は張り巡らせているし、偵察をお願いしたり、まだまだ未熟だけど槍や剣の振り方だって一通り出来る方だし、魔術だってグィネヴィア程じゃないけどある程度は使える。これだけ沢山出来る事があったら、もう大人と一緒なんじゃないかな、って思うんだけど」
「私に言わせればまだまだ子供だぞ、アーサー。確かに何でも出来る所は認めるが、紙を枕にして無防備な寝顔を晒しているようではな」
「……寝顔ぐらいは見逃してくれないかな?寝ていても隙がない人間なんて、そう沢山いる訳じゃあないんだし。ああ、寝顔と言えば、紙と筆を取ってくれてありがとう。あれ、結構大事な物だから、起きた時クシャクシャになってないか少し焦ったんだ」
「そう言う大事な物を書くときは、昼間にしておくのが一番良いぞ。……ところで、少し良いか?眠くなければの話だが」

 丁度アーサーが起きてくれた事だし、これならグィネヴィアが起きるまで暇潰しが出来る。そう思って声を掛けたのだが。

「うん。僕は一度でも起きるとなかなか寝付けないから、大丈夫だよ。それにちょうど良かった、僕もグィネヴィアに内緒で千火に頼みたい事があったんだ」
「それは奇遇だな。ならば、先に君の頼みを聞こう。なにぶん私は、この場所の構造を理解していないのでな」

 と言って、アーサーに連れられ、長方形の形をした取っ手付きの扉を開いて部屋を出たーーその一秒後、千火は足を止めざるを得なかった。

「ほぉう…………これはまた随分凄い所だな」

 千火が感嘆の息を漏らしたのは無理もない。
 二人が立っていたのは、木の上だった。いや、厳密に言えば、千火が予想した通り、大樹海を彩る太い木々を囲うようにしかれた、丸い木製の床の上だった。
 その床から隣の丸い形をした家にらしき場所が置かれた床に向かって、木の板と紐で作られた橋が架けられている。だが、それは決して一つや二つという数ではなく、一つの場所からいくつも架けられており、その様はまるで樹海を走る根っこのようだ。
 上を見上げてみれば、穏やかな風に吹かれて揺れる葉っぱや小枝の姿が見受けられ、架かっている橋の下の方を見やれば、ちゃんと木の枝や葉っぱ群生した場所もある。が自然でよく見受けられるボサボサの感じではなく、適度に見栄え良くなっている。加えて、所々枝を斬られた様子が見受けられるところから、程度木に対して干渉しているのは分かる。
 とは言え、それはあくまで自分達が暮らす上で邪魔になる物だけではなく、月明かりに照らされてうっすらと生えているのが分かる植物達の成長を、妨げないようにしている物もあるのは、切り落とされた跡の位置から見ても理解できた。加えて、家々が建てられている位置も、必要以上に木に負担を掛けなくて済むような、枝と枝の間に板を敷く形の物が多く、千火としては更に好印象を持てた。

「そう言ってくれて嬉しいよ」

 と我が事のように喜ぶアーサーは、この村について色々教えてくれた。
 この村はビツガ村と呼ばれており、竜族のみならず魔物や自然とも共存する世界を目指す人々が作り上げた村で、純粋な親竜派の人間も多く住んでいる。魔物とも、契約という形ではなく、本来のあるべき姿のままで共存関係を築き上げたい、という人々が住民の大多数を占めており、その思いを形にしたものがこのアメアクダイエ大樹海の木々を利用した村なのだそうだ。
 ただ、その関係上、魔物達を恐れて大樹海より外に建国した国々の人間とは一切交流を取っておらず、そもそもこの村の存在を知っている人すら殆どいないのだ。当然、食料や水は自分達で確保しなければならない。ゆえに、魔物達と交流を深めようとする反面、別の魔物を狩って食べざるを得ない状況に苦心を抱いていたそうだ。かと言って断食する訳にもいかないし、同じ種類の魔物を狩り続けるのは樹海の自然環境を大きく崩す事へと繋がってしまう。為に、今はこの大樹海に生きる魔物達の数や状況に応じて狩る獲物の種類を変えているのだそうだ。

「…………良い心構えをしているな、この村の人間は」

 全てを聞き終えた千火はただ一言、そう呟いた。
 世界とアメアクダイエ大樹海と比べるのは規模的におかしな話ではあるが、さりとてやるべき事に変わりはない。生態系や自然環境を監視し、少しでも崩壊に傾くような原因が発生すれば、即座にこの手で摘むがなければならない。それは、世界を調和する者としての当然の責務である。
 今でこそいないが、自分達の代わりを果たす存在がいると言うのに、それに最も近い動きを見せているこの村の人々には、尊敬の念しかない。むしろ、こういった人間がもっと増えて欲しいとさえ思う。
 そのためにも、自分が世界の頂点に立ち、竜族と人々の関係を元に戻してから、こういった取り組みに一人一人取り組んで貰うように呼び掛けないとな、と考えつつ、

「ところで、私に頼みたい事とはなんなのだ?グィネヴィアがいないところで頼むとしたら、今が絶好の好機だと思うのだが」

 嬉々として語ってくれたアーサーにそう問い掛ける。
 リヴァイアにも言える事だが、アーサーは自分の好きな事や相手に知って欲しい事があると、必要以上に詳しく説明してしまう所がある。これは個性の問題なので仕方がないのだが、そのまま満足されて本来の目標を忘れられては困る。

「……ごめん、また忘れてたね」

 そこはアーサーも自覚しているらしく、苦笑いを浮かべたまま謝ってくる。けれど、それも一瞬。次の言葉を発する頃には、至極まじめな、散々アーサーを子供扱いしていた千火ですらも思わずときめいてしまいそうな、真剣な表情へと変えていた。
 月明かりに照らされたその顔に子供らしさの欠片もなく、一人の男としての覚悟が秘められていた。

「千火。僕は君に、槍術か剣術、どちらか片方でも良いから教えて貰いたいんだ」
「確かに私はモノノフだ。剣術槍術双方ともに心得てはいるが…………学んだところでどうする」

 恐らくグィネヴィアが言ったあの頼み事と同じ内容だろう。とは言え、辰巳神流武術を、命を奪うことに特化した技術を体得したいと望むのなら、相応の覚悟は示して貰わなければ困る。
 だからこそ、察しこそすれ、それに気付かぬ振りをしてアーサーに問い掛ける。その表情に、先ほどまでの子供と接するような優しさはなく、一切の慈悲を持たない一人の武人としての顔が浮かび上がっていた。

「少し待ってもらえないかな?ここだと、グィネヴィアに聞かれる可能性があるからさ。……道場までの道は僕が直接案内するから、そこに付くまで待っててくれると助かる」
「……そうか、分かった。それにしても、丁度良かった。私もそこに行きたいところであったからな」

 待ったを掛けたアーサーの言葉に対し、千火は了承の言葉を返しつつそう言った。
 こんなつもりではなかったが、アーサーが眠れないようであったら、実力確認も兼ねて刃ないしは拳を合わせたいと思っていたのだ。……無論、本人が嫌だと言った場合には千火ひとりで鍛錬に励むつもりであったが。
 ありがとう、と礼の言葉を返して貰ってから、千火はアーサーと共に道場に向けて歩き出した。
 木と紐で出来ている割には結構しっかりしており、殆ど軋んだり揺れたりする事がない。さながら柱などでしっかり固定した橋のような安定感に感心しつつも、地上へと降りていきーー十数分程で道場に辿り着いた。
 道場といえども、それは千火が知っているそれとは大きく構造が異なっている。
 亀の甲羅にも似た形をしており、保護色とするためか色合いは全て緑で統一されている。大きさは千火の知っている道場と比べて一回り程大きく、道場に入るための門もまた、それに見合った大きさだ。部屋のそれと比べると、楕円を半分に切ったような形をしている。扉の両脇には、取っ手らしき、丁度真ん中に穴が空いた半円形の突起と、棒が掛けられたままのかんぬきが取り付けられている。地上に棲む魔物に門を壊されて道場内に入られない様にする為だろうか。
 木の上に道場を建てると、本気で戦った時に周辺の家々や木々に傷つけ、挙げ句道場そのものが地上に落ちてしまう恐れがある。そのため、互いが全力を尽くせるように地上に建てざるを得なかった、とはアーサーの言葉である。

「しかし、正面に堂々とかんぬきを置いては、盗っ人が来たときにすぐに侵入されるのではないか?」

 いかに魔物が跋扈ばっこするアメアクダイエ大樹海にあり、この村の存在が知られていないと言えども、千火のような人間であれば幾らでもこの場所に辿り着ける筈だ。
 それだけの力を持った人間なら、騎士団にでも所属している可能性は高い。が、前世において、賊として生かすには勿体ないと思える程の豪傑ごうけつと死合った経験のある千火としては、一概には否定できなかった。だからこそ先の言葉を発したのだが、どうやら杞憂であったらしい。
 アーサーはさもおかしそうに笑いながら、

「そこはこの村の人々も視野に入れているよ。だから、ただ閂を外しただけじゃ道場に入れないように工夫しているんだ」

 かんぬきを手を掲げて、短く何か言葉を発した。瞬間、かんぬきの中心に一条の閃光が走ったかと思うと、いつの間にか真っ二つに割れていた。

「……何をした?」

 割れた閂をさも当然のように、取っ手と思っていた突起に突き刺すアーサーに向けて、千火は言葉を投げ掛ける。

「今のは゛合い言葉゛さ。原理としては詠唱と同じなんだけど、『かんぬきが真っ二つになる』っていう事象を思い浮かべながら、この村で定められたある言葉を掛けると、勝手にそれが実現する、っていう魔術の一種なんだよ」

 まあ、材質はそこら辺にある木々と何も変わらないんだけどね、と付け加えるアーサーは苦笑いを浮かべている。

「この゛合い言葉゛も色々決まり事がーー」
「話の途中で悪いが、あと二、三時間が過ぎたら日が昇るぞ?その頃にはグィネヴィアが起きる可能性もあるのだし、早く中で話を聞かせて貰いたいのだがな……」

 早くも長々とした説明が入りそうな気配を察知し、東の空を見上げながら時間があまり無い事を告げる。
 そう言う千火の視線の先では、星の輝きが徐々に薄れ、次第に暗闇から緑掛かった空へと変わり始めていた。

「……ごめん、ありがとう。さあ、中に入ろう」

 感謝と謝罪の言葉を述べながら、アーサーは両手で扉を開いた。
 中は外見に見合った広さをしているのだが、意外にも道場内には明かりが灯っている。穏やかな緋色の輝きは、壁やて天井に飾られた弓や斧、それに噂していた剣や槍を含めた十何種類という得物を照らし出す。……とは言え、一目で鋼で出来ていると分かるそれらの刃は潰されており、到底命を奪えそうな代物ではなかったが。

「…………見た目だけで言えば、随分物々しいのだがな」
「僕も最初見たときは随分驚かされたよ。でも、剣、槍、斧、弓を使う人が大半で、それ以外の武器を使おうとする人は滅多にいないんだ」

 道場の扉を閉め、手頃な位置にあった槍を二振り手にしながら、アーサーは肩を竦める。

「それなら何故こんなに沢山の武器を?あんな大きな鎌など、到底使えた物ではないだろう。……ふむ。とは言えなかなかの使い勝手の良さだ。重さは魔刃器と比べて重いが、やはりこちらの方が安心するな」

 差し出された片方の槍を受け取り、軽く突いたり払ったりして取り回しの良さに感心しつつ、千火は道場の最奥部に掛けられているある物へと視線を向けた。
 そこにあったのは、今まで千火が見たこともない長大な鎌だった。柄は短槍程でしかないが、それに反して刃の部分は、切っ先の部分でも手の平と同等の幅を誇る。刃は他の武器同様潰れているものの、鎌本来の山形の刀身に沿った刃、という形に変わりはない。
 とは言え、鎌が備え付けられた柄の先端には丸みを帯びた矢印型の突起があり、もし真鎌であったとしても鎌槍として扱えなくは無さそうだ。加えて、鎌の刃の反対側は槌にも似た突起があり、鈍器としての役割なら十二分に果たせる。柄尻に至っても、刃が潰れているが小振かつ両刃の剣が備え付けられ、戦い方の幅の広さを伺える。
 だが、いずれにしても鎌の刃が長大すぎる上に、これらが全て本物であった場合の事を考えると、重量的にアクティビション抜きでの運用は考え物だ。加えて、鎌は手前側に引くことによって初めてその本領が発揮される。形が形だけに上段からの振り下ろしには向かず、刺突や打撃、柄尻の剣での斬撃の運用は出来るにしても、あまりに鎌が大き過ぎてかえって邪魔なだけだ。
 さらに言えば、柄尻の剣が自らの動きを阻害する厄介な要素となっている。柄尻に刃が付いているという関係上、取り回しを誤れば自らの身体を傷付ける事に繋がりかねない。
 総じて、あれは到底戦いで使えた物ではないと、千火は評価を下した。のだが、

「僕も最初はそう思ってたよ。けど、この村の村長、多分この村で君と対等な戦いが出来る唯一の人が使いこなすのを見たら、多分君も驚くと思うよ」

 アーサーはそれを否と答えた。
 驚く、と言った本人の腕は大した物ではない。それは、千火にとって分かりきった事だ。
 それでも、何を根拠にしたかは分からないものの、千火と唯一対抗しうる技量を誇る人間だと聞いて、己と対等に刃を交わせるだけの豪傑だと聞いて、刃を交えたくなるのは、武人としての性ゆえだろう。

「そうか。ならば、グィネヴィアの鍛錬が終わった後に、刃を交えるとしよう。……そろそろ本題に入っても良いか?」

 刃を交えようとする意志を伝えつつ、千火はついに本題へと踏み込んだ。
 途端にアーサーも雰囲気を変える。剣の切っ先の様に研ぎ澄まされたその空気ら、ただ興味本位で武術を学びたいのではなく、並々ならぬ覚悟を持った上で学びたいのだと雄弁に物語っていた。

「ハッキリ言って、僕はとても弱い」

 単刀直入に、しかしどこか苛立ちと悲しみの感情が強く入り交じった声音で、アーサーは語り始めた。

「君に槍の穂先を向けた時点で、君との実力差には気が付いてはいたんだ。魔術に関しても、グィネヴィアから散々手解きを受けていた僕を、軽々と越えられる才能を持ってるのも、ルシファムルグの魔刃器でブレイジングスター・アローを放った事実から確信を持てたよ。……正直、僕は君が羨ましい。それだけの才能や技術があれば、アメイラル王国の王国軍と単騎で対峙しても、しっかりと戦えるしね。…………君は日の本の国からの転生者だから、そんな事はないと否定するかもしれない。まだこの世界に転生してきたばかりだから魔術についてとやかく言われても何とも言えないだろうし、武術だって、前世で生き残る為に、大切な誰かを守るために、努力して得ただけだと言い張るかもしれない。それでも、僕にとっては、それが本当に羨ましくて仕方ないんだ」

 腹の奥底に今まで溜め込んできたであろう怒りが、己の無力さに対する悲しみを、鼓膜は静かか振動という形で千火に伝える。

「…………」

 声音からより感情を読み取ろうとする千火もまた、真紅色の瞳を閉じて静かに聞いていた。
 まるで寝ながら話を聞いているかのような、無礼極まりない行動であった。しかしアーサーは、決してそれを咎める事なく話を続ける。

「僕には、君のような突出した才能が無かったんだ。魔術はグィネヴィアから四年間教えて貰って、ようやく得意な火と雷の中級魔術ーーそれも低難易度の魔術を使えるようになった程度。それも、五属性の低級魔術全て使う事が出来ても、詠唱と魔法陣無しで断続的に発動する事も出来ない、中級魔術師としても下の下でしかない。槍や剣だって、第二騎士団の下級騎士とは対等に戦うことは出来ても、多対一では第七騎士団と全力で戦ってやっと勝てるかどうか分からない程度でしないんだ。……そんな程度の力しかないから、グィネヴィアを使者として立てるしか方法がなかったんだ……」

 本当は自分が直接、倭国へと出向きたかったのだろう。アーサーの声に今まで以上の強い自己嫌悪がにじみ出ていた。

「…………そして、使者にしてしまったが為に、グィネヴィアを死地に追い込む事になってしまったんだ。……グィネヴィアは絶対に自分の所為にして僕を責めないだろうし、僕は仮にもアメイラル王国を変える為に戦ってくれる、革命軍の長だ。そして、ヴェルザード王を討ち取った後のアメイラル王国を支える事か出来る唯一の人間なんだ。グィネヴィア一人のために動いて、僕が討ち取られるような事態になってしまえば全てが水の泡になってしまう。その事を考えても、グィネヴィアが大樹海で戦っているのを分かってても、助けに行けなかったんだ。革命軍の大部分を占める、この村の住人を、援軍を送ることも視野には入れていた。でも、アルベルトやゼルギウスと戦う事になった場合、援軍がいたらかえってグィネヴィアの邪魔になってしまいかねなかったんだ。……君も見たから分かるかも知れないけど、あんな大規模魔術の乱戦に巻き込まれないようにするためには、互いが互いの呼吸を合わせる必要がある。そして、僕しか、彼女と呼吸を合わせる事が出来ない」

 声かけなどで合図を送れば良い。なんて、そんな当たり前だが、しかし無粋な言葉は、決して千火は発しなかった。
 戦場に幾たびも立っていた人間だからこそ、乱戦真っ只中で合図を送るなどと言う行動が、どれほどの愚行かよく理解していた。
 戦場で、それもあんなに強烈な威力を誇る飛び道具が行き交う乱戦の最中に、しかもそれをつがえる為の作業を中断するような行動など、足を引っ張る以外の何物でもない。どころか、魔術の発動を邪魔して逆に双方の身を危険に晒すことになる。加えて言えば、合図の意図を読み取られたが最後、数と圧倒的な破壊力という、最悪にして最強の暴力を前にして、『こう動くともっと端的に動けるよ』と教え、全滅させられる事になる。
 その辺りを理解している所から見て、アーサーがかなり優秀な、大局を見極める眼を持ち、私情とは別に冷静な判断を下せるだけの頭がある事が伺える。

「だから……僕は彼女が窮地に陥っている知っていても……助けに行きたくても……行けなかったんだ…… 」

 たが、それだけの理性と頭脳を持ち合わせているからこそ、動けない事実が悔しくて仕方ないのだろう。今にも泣いてしまいそうな切ない声を震わせて、アーサーは言葉を紡いだ。

「…………本当に、グィネヴィアが大切で大切で仕方ないのだな」

 千火としても、アーサーの気持ちが分からない訳ではない。
 今でこそ、これだけの武術を体得し、この世界でも十二分に戦えるだけの実力を持っている。だがそれは、師匠にして父親であった宗一の厳しい教えと、未熟な己に対する強い劣等感を抱き続けられたからこそだ。
 強くなくては、動けなければ、何も守る事が出来ない。どんなに目の前にいる大切な人間が殺されようとしていても、窮地に陥っていると理解していようとも、力が無ければ、行動が出来なければ……その人間が死ぬという未来は、確定されてしまう。

「そうだよ。僕にとってあの子は、グィネヴィアは、本当に大切な人なんだ。だから……僕は強くなりたいんだっ!アメイラル王国を本来の形に戻す為の戦いで、彼女が死ななくて済むように!僕が死んで、アメイラル王国を本来の形に取り戻す事が出来なくならないように!!彼女を悲しませないようにする為にっ!!だからっ」



 君の心得る剣術槍術の全てを、僕に叩き込んでくれ!!



「…………………………よく言った、アーサー・クロムウェル」

 緋色の灯りに照らされた道場の中で、千火が真紅色の瞳を開く。
 口から放たれた静かな言葉は、しかし道場内に激しく響き渡った。

「君ーーいや、お前のその覚悟と願望、しかと聞き入れた。愛おしき人を守りたいと願うその言葉に応じ、我が辰巳神流武術の神髄、存分に叩き込んでみせよう」
「…………ありがーー」
「礼の言葉は、我が武術を体得し、グィネヴィアを失う事なく戦を終えたその時までに取っておけ。戦を仕掛けるまでに時間が無い上に、グィネヴィアの指導や教授、兵の召集をしなければならん。お前に裂ける時間も限られている以上、少しの時間も惜しい。……構えよ!!」
「はいっ、師匠!」

 そうして、決意を固めし一人の男と、その師匠となりし竜神姫との稽古けいこが始まーー

「とその前に、一つ聞いておきたいことがあるのだが……」

 ーーと始める前に千火が待ったをかけた。

「何かな?」
「この武器は、訓練用なのだろう?それなら、これらの武器を振るっただけでは魔術が発動しないように何かしらの細工は施してあるのか?」
「あぁ~……そういう事ね。大丈夫だよ、そういう細工はしてあるから、全然本気で振るって良いよ」
「そうか、水を差すような真似をして済まなかったな。……なら、気兼ねなくやらせてもらうぞ。全力で来い!!」
「はい、師匠!!」

 そうして、今度こそ稽古が始まるのだった。


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