竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第十三章 大樹海に鳴り響く爆音




 
「どうしたものか……」

 こんがり焼き上がった大蛇の肉に食らいつきながら、千火は一人頭を抱えていた。
 リヴァイアが言っていた通り、焼いただけだというのに脂がたっぷり乗っている上に柔らかく、何も調味料を使っていないというのにし醤油にも似た味がついてとても美味ではある。だが、そんな味すらも、千火が今抱えている悩みを一時的にでも取っ払う事は出来なかった。
 魔素を消費した影響か、時間が経った影響か、どうにも腹が空いて仕方がないが、それでも大蛇の肉を全部平らげてしまえば問題ない……と思う。
 最悪足らなかったとしても、昨夜程の空腹感にはならないのは明確だし、この樹海には数多くの魔物がいる。普通に大人しい魔物を探して仕留めるよりも、自分を餌代わりにして襲い掛かってきた肉食魔物を返り討ちにしてやれば、幾らでも食料を確保出来るだろう。
 木の実や野菜が見つけられていないのが玉に瑕だが、大樹海と言うだけあってそれなりに広い事は想像がつく。リヴァイアの知識を頼って探索していれば、いずれは見つかるだろう。
 問題は、

(どうすれば、魔素を消費する事なく魔素の扱いに慣れられるだろうか)

 息を吹きかけて冷ました肉にかぶりつきながら思った事、その一点に尽きた。
 あの後こっそり魔素を練り上げて魔素の練度を高めようと思ったのだが、

『わたくしはご無理は禁物と申し上げた筈です。そのわたくしの言葉を無視して、まだ魔素を練られるおつもりですか?』

 と若干怒気が籠もった声を放ちながら、リヴァイアの半身たる薙刀が飛んできた時には、流石の千火も度肝を抜かれた。
 いや、普通にルシファムルグに頼んで投げて貰った上で飛んでくるのなら、千火も驚かない。
 どういう原理でそうなったのかは未だ不明だが、それまで確かにルシファムルグの側に突き立っていた薙刀がいきなり独りでに浮かび上がり、柄尻を向けたまま凄まじい勢いで飛んできたのだ。その勢いたるや、飛竜が最初に羽ばたいた時と同等かそれ以上の暴風を周囲に撒き散らし、雪ばかりか地面までも巻き上げ、すぐ側にあった木々をなぎ倒し、近くで武器作りに励んでいたルシファムルグの巨体を大きく後退させる程であった。
 なんとか千火は右腕と眼に意識を集中させることでアクティビションを発動させ、リヴァイアの動きを見切って掴み取ったから良いものの、下手をすれば千火の身体に風穴を空けられていたかもしれない。
 原理についても問うてみたが、

『わたくしの言葉に従わなかった罰です、千火様が反省なされるまで一切その質問にはお答え致しません』

 …………今までの大人しさや身の引きようが嘘のような怒気を発して、断固として答えて貰えなかった。そればかりか、

『もしまた千火様の魔素の動きを感じ取りましたら、ルシファムルグに千火様との契約方法について一切お教え致しません。自力で方法を見つけて頂く事にし、千火様の魔素の監視に徹底させて頂きます』

 とまで言われる始末だ。
 魔素の扱いに慣れたいだけなのだが、ここまで怒られると流石にその気も失せる。
 なんでだと怒鳴り返しても良いが、それだといつまで経ってもルシファムルグとの契約を交わせなくなりそうだし、最悪延々と説教される事になりかねない。
 そこでなんとかリヴァイアを宥めた上でルシファムルグの所に戻し、かなり遅めの朝餉あさげにいそしんでいる訳なのだが。

(いや、待てよ?)

 ふと、あることに思い至った。
 けれどそれは、魔素を感じる為の方法などではない。それ以前の、魔術の発動方法にあった。

(リヴァイアはたしか、私の場合は集中させるだけで魔素を練って魔術を発動する事が出来ると言っていたな。だが、アクティビションを除けば、魔法陣に魔素を流し込んで魔術を発動するにしても、昨日の炎を纏う魔術にしても、あの小さな四角い物体が見え、魔素をしっかりと感じ取れるまでに意識を集中させた事で魔術を発動させている。……集中力によって練り上げて発動させた時と、アクティビションを発動させた時とで、何か差異があるのか?)

 恐らくこの両者の最大の違いは、リヴァイアが言っていた意識しての意味に集約されるのだろう。だが、どちらも千火の意識を集中しているし、明確な違いと呼べるのは魔素の流れ込む様を明確に感じ取れっているか、そうでいないか程度でしかない。
 この違いに魔術が発動した時にどういう影響が出るのか。それについて考えふけってみるのも面白いかもしれない。
 そんな事を考えながら焚き火で焼けた最後の大蛇肉に手を伸ばしたーーところで。

『千火様、ルシファムルグが魔刃器を形成致しました。お食事中の所申し訳御座いませんが、今すぐこちらに来て頂けますか?』

 と頭の中にリヴァイアの声が響き渡った。その声音には、先ほどまでの怒りが嘘のような、いつもの月夜の海を連想させる静かな物だった。

「分かった。最後の一切れだから、食べながらそちらに向かっても良いか?」

 聞こえているかどうかは分からないが、そうは言えども歩いて四、五分で着ける場所で武器造りに励んでいたのだ。
 あのルシファムルグの性格から考えると達成感のあまり叫んでもよさそうなのだが、リヴァイアがわざわざ呼んだ所から見るとかなり疲弊しているらしい。現に、翡翠色の翼に覆われた巨体は丸まっており、遠目から見ても分かるほど身体を上下させている。
 魔素の扱いにまだ慣れていないからだろうか、と考えながらリヴァイアの許可を貰った千火は歩き出す。相変わらず雪の踏む感触ばかりで冷たさを感じられないのが残念でならない。

「…………これは、想像以上に重傷だな……」

 ルシファムルグの惨状は、歩み寄った千火のその一言に集約されていた。
 柔らかくふんわりとしていた羽は、まるで大雨に降られてしまったかのようにずぶ濡れになっており、ぐったりと首を地に着けて横たわっている。まるで熱を出して寝込んだ子供の真似をしているかのようだ。
 獰猛な白銀色の輝きを放つ嘴から吐き出される息は荒く、目を開けるのも辛いのか空色の瞳は赤い目蓋に閉じられたままだ。
 そんな辛そうにしているルシファムルグの顔の側に、怪鳥の力を具現化させた得物ーーリヴァイアの言葉を借りて言えば魔刃器が無造作に置かれていた。
 鱗のような模様が描かれた二尺程の黄色い棒の両端には、ルシファムルグの翼を人間大に小さくしたような翼が飾られていた。ただしその翼は翡翠色だけで染まっている訳ではなく、赤、青、黄、翡翠、白銀、黄金、とそれぞれ外側に向かって色を変えており、太陽に当たって輝くその姿はまるで少し風変わりな虹を思わせる。その側には、同じ色合いをした紐付きの円筒形の物体が置かれている。
 円筒形の物体の中に入っている七色に輝く羽が付いた大量の白銀棒、翼の両端に空色の糸が翼の先と先をピンッとキツく春まで結び付けている様子から見て、どうやら弓のようだ。全長から言わせれば千火の身長を軽く越えるような巨大弓なのだが、今まで使っていた和弓と大差ない千火にとってはさほど驚きもなかった。

「…………お前、私にあれほど無茶や無理をするなと言っておきながら、これから契約を結ばんと望んでいるルシファムルグには随分厳しいな。もう少し優しく指導する事は出来なかったのか?」

 あからさまな態度の差に少し怒気を込めて言いながら、全力を以てして作り上げた怪鳥の巨大弓を握る。まるで空気を掴んでいるかのように軽いのは、怪鳥のすぐ側に突き刺さっている薙刀と変わらない。 だが、試しに弦を引いてみると今まで使っていたそれよりも遥かに張りが強い。どちらかと言えば、早撃ちよりも威力を重視した弦の張り方であったのだが、

(これで今まで通りの早撃ちが出来れば、かなり使えるな。契約が完全に終わったら、試し撃ちも兼ねて現状でどれだけ早く撃てるか試してみるか)

 と当たり前なようにそんな事を考えていた。
 平然とそんな事をしてはいるが、既に授力の儀式は始まっている。握った右腕にルシファムルグの魔素が流れ込んでくるのを感じ、同時に痛みが全身を蝕みだしていた。
 ただしリヴァイアの時とは異なり、動けなくなるような痛みが全身に行き渡るような事はなく、むしろ少し重めの反動が来た時と殆ど変わらない痛みだ。性質が若干痺れるようなものだったり、火傷しているような感じだったりと、多種多様な物である点だけは少しキツいが、この程度の痛みであれば動けない訳ではない。……勿論、全力を出せなどと言われても到底出せたものではないが。

『魔刃器を初めて作る時は、他の魔物やわたくし達も同じくらい苦労するものなのです。ただ武器の形を想像するにしても、一番具現化しやすい武器は個体によって大きく異なりますので、どうしても限界まで魔素を消費してでもどの武器が一番主人に力を捧げられるかを探さなければなりません。これでもわたくしは他のルシファムルグの個体が契約をする際に作り上げた武器の形を教え、その上で何度も試行錯誤させたのですから、負担をそれなりに軽減させた方です。……それにしても、よく授力の儀式を行いがら弦をお引きになられますね』
「…………お前の授力の儀式を受けた後なら、この程度の痛み誰でも耐えられると思うのだが。まあ、それは置いておくとして……お前がそれだけやって、やっと造れたとなると、あまり魔刃器は作れた物ではないな」
『……作られるおつもりだったのですか?』
「そんなところだ」

 とは言え、この調子ではそれも難しそうだな、と肩を竦めて千火は言う。

「別に、お前やコイツの魔刃器を使うのに躊躇いはない。だが、そうだとしても薙刀と弓、つまり遠距離と中距離武器しかない現状を考えると、刀の一振りくらいは欲しいなと思ってな。……そう言えば、こうして契約で手に入れた魔刃器は、自分の意志で武器を消したり取り出したりする事は出来るのか?」

 ふと、その事に思い至る。
 魔術同様想像しながら魔素を練り込み、事象として具現化するという点に変わりはない筈だ。それなら、こうしていちいち持ち歩くよりもーー前世においても大量の武器を持ち歩いたのだ、別に抵抗があるとかそう言う意味ではないーー手が空いて非常に楽なのだ。
 すぐに取り出せないというのは玉に瑕だろうが、なまじ大振りな武器ばかり持ち歩いていたせいで、枝に引っかかったり、急斜面が登りづらかったりと、何度も煩わしく感じる場面があった。それでも、多様な武器を持つ事で様々な場面に応じた戦い方が出来る点を考えれば、我慢してでも持つ価値がある。
 ついでに言えば、常に武器を持ち歩いて歩き回る事で身体に負荷を掛ける事で、身一つで行動する時により素早い行動が取れるようにするという、修行としての役割も担っていた。
 だが、魔術という最強の飛び道具が存在するこの世界では、今までの世界の常識と格別な差がある。弓とーー千火は今まで見たことがないし、直接対峙した事がないため何とも言えないが、憶測から考えてみたとしてもーー火縄銃という武器に比べて、明らかに攻撃の気配を感じにくい。いや、リヴァイアのそれを基準にしてはならないのだろうが、だとしても魔術の威力は明らかに弓を上回っている。動き回る必要もなく、ただ隠れて相手が瞬時に逃げられない程の広範囲攻撃魔術を仕掛けてしまえば簡単に相手を潰せる。
 万が一接近戦になったとしても、アクティビションのような身体能力を強化させる魔術もあるのだ。勿論、今まで武術だけで生き残ってきた千火が遅れを取る筈など無いだろうが、だとしても不意打ちで広範囲攻撃魔術を仕掛けられればどうしようもない。だからこそ、リヴァイアの指示を受け次第迅速にアクティビションを発動させた上で逃げ切る為にも、出来る限り身に着ける武器は減らしておきたい。
 何より、これだけ壮麗で威厳のある薙刀ーーリヴァイアが言うには竜刃器と呼ばれているらしいが、なぜ魔刃器と統一しないのか気になるところではあるーーやルシファムルグの弓が異様に目立ってしまうのが最大の焦点だ。ルシファムルグはともかくとして、リヴァイアの薙刀は所有しているだけで自分が竜神姫であると旗に書いて宣伝しているような物である。嫌竜派が大多数を占めるこの世界でのそれは自殺行為であり、否が応でも敵を引き寄せてしまう。
 今でこそ大樹海という人があまり寄り付かない場所だから良いようなものの、人気のある場所に行く時には極力正体を隠さなければならない。その事も考えると、魔術と同じ要領で自らの意志で消したり取り出したり出来れば良いと思って尋ねてみたのだが。

『勿論、可能に御座います』

 リヴァイアの返事にやはり、と返そうとして、

『ですが、その前にルシファムルグとの契約を済ませて頂けませんか?魔素を全て受け止められたようですし、ルシファムルグも少しは元気になられましたから』

 そう言われて気が付く。確かに握った右腕から伝う魔力の痛みは消えている。ついで、先ほどまでぐったりしていたルシファムルグに視線を向けてみれば、いつのまにかその巨体を起こして千火に視線を向けていた。
 ただし、その空色の瞳から放たれる輝きはまるで死にかけの老人のように弱く、巨体を支える力強さすら感じられた足は僅かながら震えている。魔刃器を造り出した事ですり減らされた体力と魔素が、殆ど回復していない事実を突きつける。

「……元気とはとても言えたものではないだろう。こんな状態で魂契の儀式をやったら、本当に死にそうなんだが」

 既に三途の川を渡る一歩手前のような顔つきをしている巨鳥の体力と魔素が完全に回復してから、魂契の儀式をやるべきではないか。
 そう思ったのだが、千火の言葉を理解したのか、それは駄目だと言わんばかりにルシファムルグは鳴き声を上げ、弱々しい、しかし明確な意志を込めて首を横に振った。

「何故だ?」

 ルシファムルグに向けた言葉だったのだが、その問い掛けに答えたのは最初に契約を交わした水龍王だった。

『弱っているとは、つまり魂が限界まで肉体の外側にまで出て来ている事を意味します。それがどう言うことか、魂契の儀式の意味合いを理解している千火様なら、お分かりになられますよね?』
「……大体は察する事が出来たが、そうする事の意味を問おう。魂が表面に出て来ている、つまりは魂契の儀式を成すのに最適な状況下である事は分かった。だが、そうだとしてもこの弓で、正確に言えばこの弓に備え付けられた矢で、心臓を穿たなければならない事に変わりは無いのだろう?」

 これで否定しようものなら、昨日の魂契の儀式を何故その方法でやらなかったのかと散々問いただしてやろうと思っての言葉だったのだが、

『その必要は御座いません』

 ……まさか本当に否定するとは思わなかった。

「…………どういう事だ。説明しろっ」

 自然と、口調に怒気が滲み出る。
 昨日あれだけ良心をズタボロにしながら契約に応じたというのに、これはあんまりではないか。

『では一つお伺い致しますが、千火様はその矢に自分の魂を込めることが出来ますか?』

 あらかじめ察していたのだろう、特に謝りもせずにリヴァイアはそう問いかけてくる。

「分からぬが、それとてなんとかしなければならぬのだろう?ルシファムルグがこれだけ苦労したのだからーー」
『正直に申し上げますと、それは非常に危険に御座います』

 私も相応の苦労をしなければ割に合わないだろう、という言葉を遮ってリヴァイアは断じて否と言った。

『確かにわたくしの場合は心臓に槍を突き刺させましたが、それは近接武器だからこそです。魂契の儀式とは本来、わたくしと、わたくしの魔素を帯びた千火様の魂を直接ぶつけ合わせ、その際に生じた欠片を互いに埋め合わせる事で魂を安定させる事で契約を完全に成立させると言う意味が御座います。つまりは、ただルシファムルグの心臓を魔刃器で穿ったと致しましても、そこに魂が込められていなければ、ただ一方的に苦痛を与え殺すことにつながります。そして現状から申し上げますと、その一撃は完全にルシファムルグを死に至らしめるものとなってしまいます。かと言って、ルシファムルグの魔刃器に千火様の魂を込めるのもまた、容易な事では御座いませんし、何より手間が掛かります。死を体験なされて、より意味を深くしている千火様にこの説明は不要だとは思いますが、魂なくして生きることは絶対に出来ません。そんな魂を都合良く一部だけ込めるのは、この世界において千年に一人産まれるかどうか分からない申し子と呼ばれるお方か、魔素を一度全て何かの武器に流し込んで死にかけたお方だけです。そして、それだけの苦労をしたとしても、遠距離である以上直接魂を受け取れる訳では御座いません。つまり、ルシファムルグから魂の欠片を貰い受ける為に、同じく魂を込めた攻撃を受ける必要が御座います。それに手間取って三十秒経ってしまえば、もう千火様は二度目の死を迎えなければならなくなるのです。そんな危険な上に効率の悪い儀式を行うよりも、魂がこの上なく表面に出て、ただ皮膚に矢を突き立てるだけというこの上なく安全かつ、お互いにとっても負担が少なくなる現状での魂契の儀式を行う方が、よほど有意義だとわたくしは思います』
「…………分かった。そう言う事ならば、お前の言うとおりにしよう」

 魔刃器の種類一つでもこれだけ危険度や難易度が異なるのかと思いつつ、千火は水龍王の言葉に頷き、腰に差した矢筒から一本引き抜いた。
 雪に覆われた大地の上で翳しても尚、存在感に陰りを見せない白銀色の輝きが美しい一本の矢。それをしっかりと握り締め、なんとか二本の足で立っているルシファムルグの足元に歩み寄る。

「皮膚ならどこでも良いのだろう?」
『今の状態ですと、問題御座いません。足に刺されるおつもりで?』
「これが一番的確だろう?他の場所だと羽毛に阻まれて皮膚に刺さらない可能性があるからな。……儀式を始めるぞ。準備は良いか?」

 会話を終わらせると、弱り切ったルシファムルグに声を掛ける。
 準備もなにもあったものではないだろうが、それでもこうして声を掛けておけば身構えられるだろう。そう思っての言葉であったが、

「…………」

 効果はあった。声を出すのも辛いようで、無言ながらも頷くという形で呼びかけに応じてくれた。
 それを確認し、千火は改めて突き刺すと決めた右足に視線を向けーー

「……行くぞっ!!」

 ーーえいやっ、と思いっきり脹ら脛に突き刺した。
 直後、両者の間に呻き声が上がる。

(……魂が……砕けたな……!!)

 リヴァイアの時と同様の痛みが、両者の心臓を激しく貪り喰らう中、ゆっくりと矢を通してルシファムルグの魂の欠片が千火の体内に侵入してくる。

(……さぁ……来い……早く……来い……ッ)

 早くこの地獄のような時間を終わらせる為に、早く埋まれと千火は願う。だが、そんな千火を嘲笑うかのように、欠片の進む速度はゆっくりのままであり、わざとやっているのかと疑いたくなるくらいだ。
 まだか、まだか、と必死に痛みに堪えながら待っていると、ようやく心臓に欠片が到達する。
 瞬間、それまで散々苦しませてきた痛みがまるで幻覚だったかのように、余熱すらもたらす事なく完全に消滅した。
 やっと終わった。溜め息混じりに呟こうとした時、それは起こった。

「なっ……!?」

 千火は思わず眼を見開いた。
 ルシファムルグの巨体が、鳳凰の如き美しく猛々しいその身体が、光の粒子となって消え始めていたのだ。
 それは異常なまでに早く、千火が声を上げた時には既に空気に僅かな輪郭が残っているだけであり、殆ど四色ーーおそらくリヴァイアが言っていた火、風、雷、氷の四属性の魔素だろうーーの粒子となって千火の頭上に一つの円を描いていた。赤、青、黄、緑の四色によって構成された円は美しく、緑に覆われた青空をより一層輝かせていた。
 しかしそれも、輪郭すらも跡形もなく消え去った時点で別の形へと変える。それぞれの色の境目が一際美しく輝き出すと、そこから四色が入り混じっ閃光が走り、円の中に四角形を形成する。そうして幾つもの変化を繰り返しーー十秒にも満たない短時間で複雑な魔法陣が形成された。
 形成されると同時に魔法陣の術が発動したらしく、形を徐々に崩す一方で、雪程の四色入り混じった大粒の粒子へと姿を変え、契約主に優しく降り注いだ。それはあたかも、神から祝福を受けているかのような壮麗な光景であった。

『お見事に御座います。これで無事、契約は成立致しました』

 魔素がどういう動きをするのか眼で追っていた千火は、

「そうか……」

 水龍王の労いの声にほっと胸をなで下ろし、安堵の息を吐いた。
 正直、輪郭が薄くなって魔素が天に昇る光景を見たときは、失敗してルシファムルグを殺してしまったのではないかと思った。だが、円を描いて魔法陣を形成、陣形を崩しながら粒子が降り注ぎだしたところで、成否の判断が付かなくなったのだ。
 粒子が身体に触れ、まるで地面に染み込んで消える雪のように消える様を見ながらその事について指摘すると、

『それは、ルシファムルグが形成した武器が、千火様が得意とする得物であったからです』

 と答えた。

『千火様はわたくしの時と異なる状況の変化に不安になられたかもしれませんが、これが魂契の儀式が無事に終了した本来の合図です。契約主と契約相手のどちらかに何かしらの不満がある場合、わたくしの時のように契約相手が魔素となって消えないのです。このような場合を仮契約と呼ぶのですが、これには仮契約の関係でいられる期間が決められております。この期間中に互いの不満要素を消して完全な契約を成立させないのですが、期間が過ぎてしまうと強制的に契約が解除されてしまうのです』
「契約の強制解除?何故そんな物が発生するのだ?仮にであれ契約した以上、魂が取り込まれているのだから解除のしようがないだろう?」
『そう言う訳にもいかないのです。確かに魂を取り込まれている状況では御座いますが、その欠片は本来千火様の魂では御座いません。……そうですね、千火様が分かりやすいように武術で例えてさせていただきます』

 千火の様子からあまり理解されていないと見たリヴァイアは、瞬時に分かりやすい例を見つけ、説明を再開する。

『少しお伺い致しますが、千火様は扱える武器の中で何が一番得意ですか?』
「むぅ~、少し難しい質問だな。私は体術、薙刀術、槍術、弓術、剣術、大太刀術、居合い術を体得しているが、全て皆免伝を貰っているし、どれも私にとって扱い慣れた物だからな。強いて言うならば、上げた全ての武術、だな」
『……流石に御座いますね。では千火様、薙刀術と槍術では共通して構えられる構えや戦い方はあっても、やはり使い勝手は違いますか?』
「当たり前だ。薙刀は刺突に限らず斬撃も使えるし、槍は斬撃こそあまり得意ではないものの、刺突の威力で言えば薙刀を遥かに上回る。その上薙刀はーー」
『お気持ちは分かりますが、そこで一旦止めていただけますか?』
「…………それで、これと契約の強制解除とどう関わってくるのだ?」

 熱が入ってきたところだったのだろう。問い掛ける声音は、まだ説明したりないぞとハッキリ述べていた。
 その声音を無視して、リヴァイアは説明を再開する。

『薙刀術を千火様の魂と例えますと、槍術はルシファムルグの魂と思ってお聞き下さい。簡単に言ってしまえば、槍と薙刀双方ともに使える技や構えが、魂契の儀式が完全に成立している状態です。ですが、所詮は別物で御座いますので、薙刀術しか扱えない者にとっては薙刀術の一環として、槍術しか扱えない者にとっては槍術の一環として、それらの技を覚えている訳で御座います。つまり、どちらか片方の武器の使い方の一部としか認識出来ていないのです』
「……なるほどな。共通の扱い方があったとしても、両者が技を見せ付け合う事がなければまずその点には気付かないな。……となると、リヴァイアの例えをそのまま使わさせて貰うと、魂契の儀式は両者の技の見せ合い、その点に気付く場となるのか」
『左様に御座います。そして、それを互いに『その技は確かに共通のものである』と認め合った状態が、魂契の儀式が完全に成功した場合てす。しかしながら、少しでも我が強いお方同士ですと、『いや、断じてこの技は槍もしくは薙刀だけのものだ』と言い張るかもしれませんよね?そうして互いが意見を言い合うのが仮契約の状態なのですが、互いの言い分ゆ否定し続ければ、当然反発の度合いが強くなります。そして、ついには武力行使で決着を着けようと技を繰り出し、片方を殺してしまった状態、これこそが強制解除の状態なのです』
「………………なるほど。魂同士で反発しあうあまり強制解除されてしまう、という訳なのか」

 リヴァイアの言葉が腹の奥底までに落ちたような納得感を覚えながら、千火は何度も頷いた。……本当にザックリ言ってしまうと、魂どうしの拒絶反応の一言で済ませられたのだが。
 回りくどい説明を求められたリヴァイアは一息吐いた。それは、説明を無事に終えられたという達成感と、説明する文章を考えた事で得た疲労感の、二つの感情が込められていた。

「……さて、魂契の儀式についての理解を深められた事だしーー」

 これからの日程について話そうか。そう続けようとした千火の言葉を、突如鳴り響いた爆音が遮った。

「リヴァイア、今の音は?」

 そう問いかける千火の身体を、少し熱を帯びた風が撫でた。熱による影響か、地面を覆い尽くしていた雪が軽く溶け始めている。

『今の爆発音、魔素の濃度変化、風に帯びた魔族から察するに、火属性上級攻撃魔術 バーニングストームでーー』

 と、考察するリヴァイアの言葉を遮るように、先ほどより少し小さめの爆音が断続的に十回轟いた。やはり小規模とあってか、先ほどのような熱を帯びた風がこちらに向かって吹くことはなかった。

『……この感触、どうやらかなり高度な魔術合戦が行われているようですね。様々な可能性が考慮出来る以上、捨て置くのは得策では御座いません。千火様、急ぎ爆心地へ向かいましょう』

「そうだな。分かった、今すぐ向かおう」

 リヴァイアの言うとおり、様々な可能性ーー人が魔物、もしくは魔族に襲われている事が考えられる以上、無視して別の場所に行くのはマズい。襲われているのが魔物だとしても、その相手が魔族であれば早急に討つ必要がある。
 鬼が出るか、蛇が出るか。
 会話している最中にも尚鳴り響く魔術合戦の調べを耳にしながら、竜神姫はアクティビションを発動させて急行する。

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