竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第十一章 穏やかな朝のひととき

 

 時折周囲を徘徊する魔物達のものと思わしき気配を感じたものの、それ以外は特に何事もなく一夜を明かす事が出来た千火は、木漏れ日の光が降り注ぎだした頃に起床する。

「ん、んん~」

 いつでも戦闘出来るように肩に立てかけておいた薙刀の切っ先を地面に刺して立ち上がると、一度大きく背伸びをする。
 固まっていた筋肉が伸び、ほぐされた事でパキパキと音を立てる。

「……さて、リヴァイア?起きてるか?」

 昨日気絶させてしまった水龍王が覚醒しているか否か確認しつつ、一緒に驚き床を共にした怪鳥の姿を探す。
 あれだけの巨体なのだ、どこか遠くへ飛び去るにしても轟音と共に暴風が吹き荒んで眠っているどころの騒ぎではない。……のだが、

「む?」

 どこを探してもあの巨体が見受けられない。足元を除けば、辺りは緑一面に覆い尽くされているのだ、頭と尾羽さえ上手く隠せてしまえば擬態出来そうな雰囲気はある。だとしても、あちらこちらから差し込む木漏れ日に当たれば一際美しい翡翠の輝きを放つだろうと思っていたのだが、いくら探しても見つけられる気がしない。……アクティビションのような身体能力を強化させる魔術があるのだ、反対のまったく音や風を殺せるような魔術があってもおかしくない。そう言った類の魔術を使って風や音を立てずに飛べるようになったかとも考えたが、自分の力加減も分からず足を埋めてしまったドジっ子が、一日でそんな事が出来るはずがないと考え直す。
 上を見上げれば、一際木々の葉や枝が折られた大穴が空いており、あの鳥が降りたか飛んだ際に出来た穴だろうことは、容易に想像がついた。

「リヴァイア、そろそろ起きてくれないか?」

 薙刀を背負いがてらコツン、と柄を軽く叩いてみる。今度は千火の意図通り軽い音であったが、しかしリヴァイアからの応答はない。まだ気絶しているらしい。

「…………仕方ない。ここで待つか」

 飛び去った可能性は皆無に等しいし、あの巨体だ。意図せずとも簡単に見つかりそうではある。しかし、リヴァイアが気絶している今、下手に動いて合流が遅れたり片方が迷子になれば面倒だし、そもそも合流する可能性を自ら下げる必要はない。
 昨日のあの態度から見て懐いているのは明確だ、千火を置いてどこかへ去るとは考えにくい。おそらくどこかで朝餉あさげでも探しているのだろう。
 とは言え、ただ待っている訳にはいかない。
 千火自身も呆れざるを得ない事に、昨日あれだけ食べたというのに、既に腹が空いているのだ。さすがに普段の空き具合と比べると落ちてはいるが、それでも三割程度だ。到底釣り合ったものではない。

「…………やれやれ、あの底なし胃袋はいったいなんだったのだ。あそこまで餓えを感じたのは初めてだぞ」

 とにかく腹を満たさなければ死んでしまう。そんな脅迫的概念すら抱くあの空腹感は、千火はいまだかつて体験したことはない。命に対する感謝の気持ちを常に抱くように心掛け、なおかつ料理が突然出てきた事に対しての驚きがあったからこそ手を合わせる余裕があったものの、あれらがなけばそれすらすっ飛ばして一心不乱にむしゃぶりついていただろう事が容易に想像出来た。
 とは言え、あの空腹感についてもリヴァイアは何か知っていそうな顔つきはしていたし、よくよく思い出せば『やはり』という単語を口にしていた。知っていそう、ではなく知っているのだ。
 起きたら昨日の事全て聞きがてら尋ねてみるか。そう思いながら、千火は近くの木々の上を見て回ろうと歩き出した。

「……帰ってきたようだな」

 それから三歩目のところで、千火は上空にあの怪鳥の気配を感じ取る。上空という事は、予見通りどこかで朝餉を探して飛び回っていたのだろう。

「にしても、どうやってここに降りるつもりだ?」

 そんな事を考えていると、大きく力強い羽ばたき音が千火の耳を打った。あの怪鳥らしい雄々しさを感じる羽ばたき音の位置から察するに、やはり千火が見つけたあの大穴に降りるらしい。その事を確認する為に上を見上げれば、巨大な緑色の体毛に包まれた山犬らしき生き物の死体をがっしりと掴んだ黄色い足が生えた水色の巨体と、上下に動く翡翠色の翼が微かに覗いている。既に風が襲いかかってきてもおかしくない距離だが、しかしまったく風圧が来る気配はない。

「ほう、変なところで器用なものだな」

 バサッ、バサッ、と音を立てて降り立つ怪鳥を見ながら感心していると、殆ど音を立てる事なく怪鳥は大穴の底へと降り立った。

「おはよう。と、そう言えば名前をしっかり覚えていなかったな。まあ、それについてはリヴァイアが起きてから聞く事にして……またその蛇を捕まえてきたのか?随分小振りなようだが」

 身振りで挨拶しつつ、白銀の嘴に咥えられた紫色の大蛇と足に踏まれた山犬を指差す。すると、左足で山犬の亡骸を押さえつけながら右足で一歩踏み出し、ゆっくりと首を伸ばして千火に近付けると、目の前に取ってきた獲物を置いて、

「ピギャアッ」

 甲高い鳴き声を上げて、千火にグイグイと近付けてきた。
 ……これはひょっとして、いや、ひょっとしなくても、

「この大蛇、私の分か?」

 身振りもせずに呟いたその言葉を肯定するように、長い首を縦に振った。その空色の瞳は、早く褒めてと言わんばかりの人懐っこい輝きを放っている。

「すまないな。わざわざ取ってきてくれて、ありがとう」

 礼の言葉を紡ぎながら、千火は自身よりも大きい頭を軽く撫でてやる。やはり羽毛は柔らかく、少し重みのある手を押し返す感触がふんわりとしていて心地良い。

「ピキュー……」

 その行為に込められた意味を察したのか、それとも千火に撫でられるのが気持ちいいのか。快晴色の瞳を閉じて撫でられながら鳴き声を上げ、王冠の様な立派な羽根飾りを付けた頭を押し付けてくる。
 いや、まるで母親に甘えてくる子供のように押し付け安らいだ鳴き声を上げているのだ、後者に違いない。

「なんだ、甘え声まで出して。そんなに私に頭を撫でらるのが気に入ったのか?」

 表情をほころばせて言う千火の言葉を肯定するかのように、甘えん坊な性格には似合わない勇壮な頭をさらにグイグイと押し付けてくる。

「ふふふ、本当にお前という奴は……。分かった、後で存分に撫で回してやるから、今は朝餉あさげにしよう。な?」
「ピキュー……」

 そう言って頭から手を離すと、名残惜しそうな目でこちらを見てくる。しかし千火の意志はちゃんと伝わっているようで、少ししてから自らの分として取った獲物に視線を下ろした。

「……リヴァイアから話は聞いていたが、たった一日でこれだけ私の言葉ーーいや、言葉というよりは私の意志かーーを理解するようになるとはな。頭は本当に良いようだな……」

 見た目は雄々しいし、頭はかなり良い。千火が予想した暴風や音を押し殺す魔術も使えているようだし、かと言って可愛げのある人懐っこい性格をしている。成鳥になったばかりというのもあるだろうが、こうして脅威と見なされて誰かに殺されるよりも早く、仲良くなれたのは幸いだった。
 そんな事を考えながら、千火は大蛇の首と尻尾の先を薙刀で切り落とす。昨日のような事が起きないか心配ではあったが、普通の切れ味の良い武器として機能してくれた事にひとまず胸を撫で下ろす。
 死んで間もないのか、切り落とした瞬間に血が吹き出し、千火の傷だらけの手と真っ白い袖を朱に染め上げる。べったりと肌に吸い付く血の感触が嫌悪感を掻き立てるが、幾千の動物を捌き、木にひっかけて血抜きをしてきた千火にとっては、これぐらい慣れたものだ。
 それから白い衣を血で赤く染めるのも気にせず、大蛇の亡骸を持ち上げると、近場にある大木の枝を器用に伝って上る。いや、両手で肩に背負い、枝から枝へ僅かな物音しか立てずに、しかし大蛇の体を引っかからせる事なく飛び移るその姿は、モノノフの動きではなくさながら忍者だ。
 そうしてある程度の高さまで来ると、今度は布団を干すかのように枝に引っ掛ける。すると、まだ出きっていなかった血が、重力に引かれてボタボタと赤い雫となって真っ白い雪へと落ちる。

「……あとは匂いに釣られてやってくる魔物を追い払いながら血が完全に出きるのを待つか」

 ついでに朝餉を食べ終えてからの日程も考えるとするか、とひとりごちたところで、

『……ん…………わたくしは、いつの間に寝こんでしまったのでしょうか?それに、薙刀に姿を戻してしまうなんて、わたくしらしくもありませんし』

 昨日気絶させてしまった水龍王の声が、千火の頭の中に響き渡った。

「おはようリヴァイア。昨日はすまなかったな。顎は大丈夫か?」

 意識を覚醒させたばかりではあるが、即座に千火はリヴァイアに謝罪も兼ねて朝の挨拶をする。
 その言葉でどうして自分が寝ていて、薙刀の姿に戻っているのか思い出したのだろう。

『おはよう御座います、千火様。昨日の件と顎につきましては大丈夫ですよ。気絶した事実には驚きましたが、竜族の長たるわたくしの身体は頑丈ですので。そもそも、わたくしが千火様から意識を反らしてしまったのが原因に御座いますので、どうかお気になさらないで下さい。……ところで、今血抜きをなされているのですか?』

 と謝罪に対する返事と挨拶を返しつつ、リヴァイアは千火にそんな事を聞いてくる。

「そうか。それなら良かった。質問の答えだが、まさしくその通りだ。アイツが自分の朝餉あさげを取りに行きがてら、私の分まで取ってきてくれてな。おかげで朝餉あさげにこうしてありつける訳なんだが、この巨体だと少し血抜きに時間が掛かりそうだし、今日の日程をどうするか考えていたところなんだ。起きて早々申し訳ないのだが、昨日に挙げた質問に答えてくれないか?それから、遅くともの刻までに今日の方針を決めたいと思っていてな。食べながらになってしまうが、お前の知恵を借りたい」
『…………承知いたしました。それでは、この血抜きの時間を使って、千火様の質問にお答えすると致しましょう』

 少し間を空けてから、リヴァイアは承諾の返事をする。何かやってほしい事があったのかと問おうかとも思ったが、引っ込んでしまった以上はどうしようもない。
 血の出る量の減衰具合を確認すべく、一度引っ掛けた大樹から降り始める。その間にも、千火はリヴァイアの話に耳を傾ける。

『まず、既にお察しになられているとは思いますが、ここはわたくし達が目指すべき地 アメアクダイエ大樹海に御座います。もちろんルシファムルグに運んで頂いたのですが……その際少々厄介事が生じまして』
「厄介事?」

 問い掛けながら、千火は最後の枝を飛び降り、雪を巻き上げながら着地する。それから、いまだに赤い液体を滴らせる大蛇の亡骸の断面の側に歩み寄る。

『千火様は、わたくしが魔素を安定させようとしている間に、火属性魔術を使われましたね?』
「まぁ、腕がものの見事に嵌まってしまったからな。それと何か……って、あ、そう言う事か」

 今更になって、厄介事について思い至った千火は嘆息を漏らした。
 よくよく考えれば、火属性魔術を使って氷を溶かしたのだ。それによって、熱気に当てられた所為で千火が意図していないところの氷まで溶け、それが海水に染み込んで海に棲む魔物に怪鳥と千火の存在を知らしめてしまったのだ。
 リヴァイアの言う厄介事とは、つまりそれによって怪鳥と千火の存在を知った海棲魔物が襲い掛かった事だろう。
 そして、その考えを肯定するようにリヴァイアが声を上げた。

『千火様の察せられた通り、海棲かいせいの魔物がルシファムルグ諸共千火様を食べようと動いたのです』
「まあ、そうだろうな。……あれを食べるとなると、かなり大きい魔物だったのか?」

 グチャグチャと肉を千切って食事にいそしんでいる怪鳥に視線を向けながら、千火はリヴァイアに問い掛ける。血が時折飛び散り、肉や骨を噛み砕く咀嚼そしゃく音に顔色一つ変えることなく。

『おっしゃられた通りに御座います。クラーケンと言う名の魔物に御座いますが、この魔物は気性が荒い上に、もとより保有している魔素の量が多く、さらにルシファムルグの三倍はある巨体を誇ります。実力はそれなりに経験を積んだ下級の竜族と同等かそれより少し下回るかぐらいなのですが、若年のルシファムルグには荷が重いと思いましたので、わたくし自身の魔素を使って緊急召還した次第です』
「緊急召還?私はてっきりお前が薙刀に化けているのかと思ったのだが。それに、緊急と言える状況下か?最悪アイツに逃げるよう指示を出せば、それで済んだだろうに」
『そう言うわけには御座いません。クラーケンは海棲かいせいの魔物では御座いますが、陸上での活動も可能な上に魔術も使います。最悪撃ち落とされて食べられる恐れもありますし、何より魔物の中でも生態系を崩壊させかねない破壊力を持ちます。ですので、あまり数が増えない内に討伐しておかなこければならないのです』
「…………なるほどな。生態系を守るためにも討つ必要があった、とういう訳か。それで?どうやってあの場に姿を現せたのだ?」
『薙刀に残してあるわたくしの魔素を使って召喚の魔法陣を展開させ、薙刀そのものをわたくしの依代とする事で召喚致しました』
「なに?お前を召喚するには、依代が必要なのか?」
『いえ、千火様のご意志で召喚される場合はその限りでは御座いません。他の魔術同様、わたくしを召喚するのに必要な魔素を練り込んだ上で、召喚魔術を発動なされれば問題御座いません。千火様の意志とは無関係に、わたくし自身が召喚を望んだ場合にのみ、必要になるのです』

 自分で自分を召喚するなんておかしな話なんですけどね、と付け加える。

「……そうか。それは助かった。いやなに、依代が必要であれば、召喚の度に薙刀を失うか何かしら別の依代を手に入れる必要があるのであれば、召喚するのも考え物だなっと思ってな。……っと、血が完全に出きったようだな」

 真っ白い雪に零れ落ちる赤い雨が完全に止んだのを確認すると、わざと長めに垂らしていた尻尾の方を思いっきり引っ張った。
 引っ張られた大蛇の亡骸は、重力に引かれるがままに枝の合間をすり抜けて落ちてくる。

「そう言えば、私の魔術発動の魔素の練り具合を見てもらえていなかったな」

 そんな事を言いながら、落ちてきた最後の首を右手で掴み取ると、そのまま流れるように薙刀を取り出しながら地面に押さえつけ、内臓取りも兼ねて皮剥に掛かる。

『左様に御座いますが……魔術で火を起こすおつもりですか?』
「そのつもりだが……何か問題でもあるか?」
『いえ、問題は御座いませんが、どのような魔術を発動させるかによって、練り方が適切か否かの判断の基準が異なりますので』
「あぁ、そう言う事か。それなら、コイツを助け出した時に使った魔術を使おうと思う」
『…………申し訳御座いませんが、わたくしが発動方法もお教え致しますので、そちらの魔術にしていただけないでしょうか?』
「何故だ?」

 薙刀で綺麗に切り裂き、そこから手際良く皮を剥ぎながら問い掛ける。

『決して千火様の発動させようとしている魔術に文句があるわけでは御座いませんが、千火様はまだ魔法陣を用いて魔術を発動しておりませんよね?』
「…………つまり、召喚魔術の練習も兼ねて魔素の練り込み具合を確かめる、と言うわけか?」

 さすがは千火様に御座います、とリヴァイアは相変わらず察しの良い竜神姫に賞賛の声を上げた。その声を聞き流して、千火は何度も頷いた。
 肉体そのものや武器を媒介として魔術を発動出来るのを知っておきながら、リヴァイアは魔法陣という単語を口にした。それはつまり、召喚魔術は他の魔術とは異なり、肉体や武器を媒介としたそれでの発動が困難だという事なのだろう。
 確かにリヴァイアのあの巨体が自分の腕から出て来たりするなど、あまりに非現実的過ぎる。

(とは言え、慣れたら他の魔術同様に魔法陣無しで出来るように練習してみるか。他の魔術も出来ている訳では無いが、武器と体術の合間に召喚を行えれば戦術的な幅は大きく広がる。あれだけの負担はいられるが、慣れてしまえば相当戦闘が有利になるし、即座にリヴァイアと共闘できればそう易々と敗れはしまい。……っと)

 そんな事を考えながら、紫色の皮を剥がれた肉塊の傷口を手で裂き、臓器を取り出しにかかる。

「……なぁ、リヴァイア」

 真っ先に心臓を掴んで豪快に引きちぎって取り出す一方で、薙刀を器用に背中に差しながらリヴァイアに声をかける。

『何用に御座いましょうか?』
「昨日私が食べた料理、あれは全部お前の魔術で作ったのか?というか、そもそも魔術で自分の思い浮かべた料理を具現化させて、実際に食べる事は出来るのか?」

 もし魔術でそんな事が出来るのであれば、少なくとも魔術を使える人間はいかなる場所でも自分の好きな料理を食べられる事になる。そうなれば、あの怪鳥にわざわざ獲物を取ってきて貰う事も、怪鳥が狩りをする必要も無くなる。つまり、無駄に命を取らずに済むのだ。
 わざわざ獲物を探す必要も無ければ調理する手間も省け、しかも献立を想像して魔素を消費するだけでいつでも自分の好きな料理を食べられるのは、まさに夢のような話だ。それをもし実現させているのであれば、是非とも体得したいと思って尋ねた。……もっとも、その質問の答えは既に予想出来ていたが。

『魔素と言えども、さすがにそこまで万能な代物では御座いません。ただ料理の全体像を幻影として具現化させるならまだ可能には御座いますが、実際に食べたとしても食感や味までは再現出来ません。それに、そんな事が可能に御座いましたら、そもそもこうして魔物を狩る必要も御座いません』
「……あいつの様子を見ていてなんとなく察しはついていたが、やはりそうか。なら、あの料理は誰が調理したのだ?」

 苦笑が混じった水龍王の言葉にさほど落胆する事なく、次なる質問を投げかけた。
 盛りつけ方などを思い出してみても、宮廷料理として出されてもおかしくない上品な盛り方をしていた上に、味もまた見た目に違わぬ一級品だった。
 火もしっかり通り、器となっていたあの赤い甲殻は柔らかくなるまで煮込まれ、調味料もしっかり使われていたのだ。
 山犬に似た獲物にそのまま貪り喰らい、骨のひとかけらすらも残さず完食している怪鳥が、そんな真似するとは到底思えない。
 この場にいる中で言えばリヴァイアが調理した可能性が一番高いが、そのリヴァイアとて野生に生きる者だ。調理なんて面倒な真似をするとは考えにくい。
 となると、この場にはいない超一流の流浪料理人たる第三者に調理するよう頼み、それを片っ端から召喚魔術で引き寄せたと考えるのが、自然と言えるだろう。

『…………こう申し上げれば意外に思われるかもしれませんが、あれらの料理はルシファムルグと共に狩って得た魔物を、わたくしが調理した物に御座います』

 だが、自然に生きる水龍王は、自分があの料理全てを調理したと言ってのけた。

「………………お前が?あれだけの美味くて量のある料理全て、お前一人で作ったのか?……なんだ?今少し話をしているのだが」

 その巨体に見合った腸を引き抜きながらリヴァイアに問いかけていると、水龍王と共に食料調達をしていた怪鳥が頭を擦り寄せてくる。押し付けられる柔らかい赤色の羽毛の感触が心地良いが、いかんせん頭だけでも千火の身長程もあるのだ。腸を引き抜くのに肉塊に沿って歩いていた千火にとっては、少し邪魔くさく感じてしまう。
 そんな千火の心境などまったく考える事なく、興味をこちらに向けることに成功した怪鳥は、切り落とした頭と尻尾の先、それらと共に並べられた大蛇の臓器に首を指す。それから、カチンカチン、と少し赤みかがった白銀色の嘴を鳴らした。

「あぁ、あれを食べたいのか?」

 怪鳥の言わんとしている事をすぐに察した千火は、臓器を抜き取る手を休める事なく思考する。
 あの肉塊は撒き餌や釣りの餌、もしくは薪の代わりとして使おうと思っていた。
 だが、、下手にこの臓器を餌にして釣りをして、リヴァイアに助太刀を求めなければならないような厄介者が釣られて面倒な事になる可能性がある。それに、なんでかんで罠や釣りに拘る必要もなさそうだ。
 今では胃袋に納められてしまったが、大型の山犬型魔物もいるのだ。自分を餌として肉食の魔物をおびき寄せ、自力で負けそうであればリヴァイアに魔素の操作を任せると同時に、魔物の習性や行動型についての知恵を借りて戦えば勝てるだろう。
 火起こしにしても魔術で行えば良いのだし、雪で湿っていたとしても魔術の火力があればどうとでもなるだろう。

「……良いぞ。どのみち私には食べられないからな」

 数秒で結論づけ、千火は怪鳥に食べる許可を出した。

「ピキューッ!」

 相変わらず大柄な見た目に似合わない甲高い声で喜びの叫びを上げながら頭を一度下げると、早速巨大な嘴で摘まんで食べ始めた。

「ふふふ、本当に、随分と食い意地が張っているなぁ~、お前は。まあ、食べ残しはあまりしたくはない私としては、助かる限りだがな。しっかり食べろよ」

 その様子に頬を緩めて千火はすっかり懐いた怪鳥に声を掛けると、臓器取りとリヴァイアとの会話を再開する。

「それで、誰にあれらの料理の調理方法を習ったんだ?」
『………………』
「ん?どうした、リヴァイア」
『………………わたくしとお話する時と、ルシファムルグに話し掛ける時とで、随分温度差が御座いますね……』

 相変わらず口調は丁寧だが、その声音はどことなく拗ねた子供のような色を帯びていた。
 変なところで人間臭いな、と思わず笑いたくなる衝動を抑えて、

「…………嫉妬してるのか?」

 単刀直入に問うてみる。

『けっ、決してそう言う訳では御座いません。わたくしはこの世界の水を支配する事を任じられた身。いかに竜神姫となられた千火様がルシファムルグとお戯れになられようとも、わたくしがそのような負の感情を抱くような事があっては御座いません。今の言葉はお忘れ下さい』
「立場云々関係なく、正直に言ってみろ。リヴァイア、お前はるーーあぁ~、すまないリヴァイア。あの怪鳥の名前を覚える時間を貰えないか?」

 名前を言おうとして、しかし名前を覚えていない現実にぶち当たった千火は、頭を軽く掻きながら膨れっ面をしていそうな水龍王に待ったを掛けた。

『…………構いませんよ。ルシファムルグ、に御座います』

 そうしてまた時間をかけて怪鳥ルシファムルグの名前を覚えて、ようやく話を元に戻した。……この間に全ての臓器を取り出す事に成功し、今は取り出した臓器をルシファムルグに与えながら、程よい大きさに肉塊を切り分ける作業へと移っていた。

「すまない、待たせたな。話を戻すが、お前はルシファムルグに対して羨ましいと思っただろ?」
『…………………………少しは、思いました』

 かなり躊躇った、というよりはそう思ってしまった事実を認めたくないような声音で、リヴァイアは答えた。

「ふふ、やはりか。まあ、別にそれについてとやかく言うつもりはないが、一つだけ言っておくぞ」

 水龍王の態度についつい笑みをこぼしてしまったが、それでも前置きを入れて言う。

「私がルシファムルグとの会話で笑ったりするのは、若い成鳥という割には子供のような所を見せてくれるからだ。別にお前が嫌いとか、そう言う意味で温度差を付けた訳ではない。この世界について詳しく、魔術の扱いにも長けている上に、この世界の全ての水を司るお前には本当に頼りにしている。まあ、平たく言えば、今の言葉の温度差は、子供の行動を見て笑うのと、真面目な話をするの似たようなものだ」

 と、何度も何度も子供呼ばわりされたからだろうか。

「ピキュ~……!!」

 いつもより低い声で、ルシファムルグが千火を睨みつけていた。心なしか、少し顔が大きくなっているようにも見える。

「どうした?」

 と問いかけつつその空色の瞳に込められていた幼さ特有の怒りの感情を理解した途端、千火は声を出して笑ってしまう。
 余計に怒らせてしまうのは分かっているのだが、どうしても子供呼ばわりされて怒るその様子がどうしても可愛くて笑いが出てしまった。

「ピキャァーッ!!」

 笑うなと言わんばかりに怒りを露わにして低い声で叫ぶ若きルシファムルグに、千火は腹を抱えて笑いながら、

「そ、そういうふ、ははは、風に怒るから、余計、に、ふふ、子供っぽく見られるんだ、ぞ?はははは!!」

 そう助言してやる。
 そのやりとりを見て、ああこういう事かと納得した途端、胸の中に巣くっていた不快感は消え失せていた。

『なるほど、こういう事に御座いましたか』
「こ、これでわかっ、ふふふ、分かっただろう?あはははは……り、リヴァイア頼む、わ、私の、くふふ、笑いの発作を、と、止めてくれぇへへへへ……!!このまま……だと、わ、笑い死にしそうだははは!!」

 不快感が消え失せた事で気持ちが楽になったリヴァイアは、早速子供っぽさによって笑いの坩堝るつぼに嵌まって地面を転がる千火をどうにかすべく、思考を巡らせるのだった。

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