竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第四章 忌々しき力の名は



 まず真っ先に目に付いたのは、上部を覆う藍色のゴツゴツとした甲殻と、下部を覆う明るい水色の鱗で構成された頭だ。今までの水竜がダツのそれだったのに対し、こちらはトカゲのそれに近く、一対の長い金色の髭が生えたその鼻先には、螺旋状に渦巻く黄金色の一本の長い角が生えている。鼻先の延長線上に生えている所から見て、あの角で氷を掘って動き回っていたのだろう。僅かに開いた口からは、一本一本が刀のように反り返った白銀色の牙が覗いており、ただでさえ獰猛そうな外見を更に際立たせている。しかしながら、あの両斧槍の中心にはめ込まれていた宝石によく似た蒼い瞳は綺麗で、外見を幾ばくか薄めている。……もっとも、あまりに巨大すぎるために焼け石に水でしかないのだが。
 ついで現れた長大な首は、今までの水竜と比べると、やはり最後に現れたとあって一回り大きい。頭同様藍色の甲殻と水色の鱗に覆われているのだが、上方と左右には鎌のように曲がった突起が生えている。今までの水龍が防御を捨てて水中での素早い攻撃に特化していたのに対し、こちらは攻撃と防御に特化した印象だ。それは、首より下に生えた胸ビレーーいや、腕にも如実に現れていた。
 まるで籠手を着けているかのように分厚い甲殻を纏う、千火の身長程の太さもある腕の形状は、完全にトカゲのそれだ。人間と同じ五本の指が生え、その先にに備え付けられた白銀色の鉤爪は、触れただけだというのに氷床に三日月状の深い溝を刻み込んでしまっている。
 だが、その鉤爪よりも遥かに危険な物が備え付けられていた。それは、甲殻に紛れて生えている翡翠色の膜のあるヒレだ。翼竜のそれと同様の生え方だが、ヒレの端の突き出た突起の一本一本が反り返り、白銀色の獰猛な輝きを放つ様はまさしく天然の大太刀だ。
 そんな、明らかに今までとは格が違う水竜は、鎌首をもたげて千火の事をジッと見据えている。見られるだけで背筋が凍ってしまいそうな輝きを放つ禍々しくも美しい宝石を、しかし千火は臆する事なく赤い瞳で見据え、相手の感情を読もうと試みる。だが、冷たさすら感じられる蒼い輝きが尾を引いてブレたーーと思った次の瞬間には体勢が大きく変化していた。
 それまでが這い出てきたばかりの体勢を取っていたのだが、いつの間にか腕諸共千火の視界に収まっている。周囲を見渡せば、鎌状に突き出た藍色の甲殻に包囲されているのが確認出来た。

(こんな巨体でどうやってあんな高速移動をっ!!)

 明きからに身体の大きさと速さが釣り合っていない。音すら聞こえなかった事もあり、何かしらの方法で包囲し終わるまで時間を止められたのではないか、とさえ思える。だが千火の眼は、確かに水竜の身体がブレる様を捉えた。それは、水竜が自らの身体能力だけで動いたという、何よりの証拠だった。

「……ははは、驚かされたな。今までの戦いは肩慣らしだった、という訳か?」

 乾いた笑いを上げて、千火は一瞬で自分を殺せる強者に尋ねる。先ほどの水竜達が千火の言葉に反応したのだ、この水竜とて例外ではないだろう。そう思って声を掛けたのだが、

「申し訳ございません。あまりにお見事な手並みでしたので、つい本気を出してしまいました」

 さざ波のような美しく高い謝罪の声が、洞窟内に響き渡った。

「………………は?」

 千火としても、間抜けな声を出さざるを得ない。
 幻聴か?驚く事が断続的に続くあまり、とうとう私の頭はおかしくなったのか?
 確認すべく周囲を見回すが、見えるのは相変わらず重圧な甲殻と研ぎ澄まされた刃のような輝きを放つ突起だけ。天井なども見るが、やはりというか人影は見受けられない。だとすれば、と。唯一この場にいる喋れる可能性がある水竜に視線を向け、

「まさかお前がーーいえ、失礼致しました、貴公が喋っておられるのですか?」

 言葉遣いを改めた上で、問い掛けてみる。見た目から言えば、もっと野太く低い威厳のありそうなの声を発しそうなのだが、

「左様に御座います。あなた様が彼の武器を使い手として相応しいか否か確かめる為とは言え、お目覚めになられてばかりにかような手荒い歓迎を致した事、重ねてお詫び申し上げます」

 肯定の後に謝罪の言葉を投げかけ、水竜は頭を下げてくる。
 物々しいその姿からは想像も出来ない対応に千火も面を食らったが、言葉遣いや瞳から見ても戦意がないのは明白。命の危険は無さそうだ。
 しかしこの水竜の大切な部下、あるいは親族を討ってしまったのは事実。これについてはきっちり謝罪しようと、

「い、いえ。私こそ、力を示す為とは言え、貴公の部下を手に掛けてしまいーー」 
 申し訳次第も御座いません、と続けようとしたのだが、水竜の言葉に途中で遮られてしまう。
「その件につきましては、謝罪の言葉は不要に御座います。また、出来れば言葉遣いも戦いの際のそれにお願い出来ますでしょうか?わたくしは何分、他のお方に気を遣われる事が苦手に御座いますので」
「…………」

 人は見かけによらずとはよく言うが、どうやら竜にもそれは通じるらしい。……そもそも、竜が人の言語を話せ、しかも今現在進行形で言葉を交わせている事自体が、千火にとって信じがたいのだが。

「ならば、この口調で失礼する。ーーそれと、幾つか質問しても良いだろうか?」
「だいだいの用向きの程は察して御座いますが、拝聴させて頂きます。……ですがその前に、あなた様の右腕と傷を、治癒させては頂けませんでしょうか?」

 そう言って、相変わらず禍々しい赤い瞳を凍り付いてしまった右腕に向ける。

「ほかの傷はともかく、この腕、治るのか?」

 今ではすっかり鬼灯ほおずき色に染まってしまった己が腕に視線を向け、千火は疑いの声を上げる。感覚を感じられない状況ゆえになんとも言えないが、白い冷気まで出ているあたり、表面上は凍って無いように見えても内面が完全に凍結している。こんな物を、どうやって治すと言うのだ。

「普通の方法では、到底完治する事は叶いません。ですが、わたくしには特別な治癒魔術が御座いますので、それをあなた様にお使いさせて頂きます」
「まじゅつ?なんだそれは」
「あなた様の生きていた世界において言えば、妖術、陰陽術、忍術と似た部類の物に御座います」
「そんなまやかし程度で、この腕が治るとは到底思えないのだが」
「この世界に来て間もないあなた様の疑われる気持ちはよく分かります。ですが、魔術はこの世界を生きていく上で必須とも呼べる代物であり、この世界の常識に御座います。今からその魔術をお見せ致しますので、よく右腕をご覧になって下さい」

 この世界の常識と言われても、実際妖術の類を一度も見たことのない千火としては納得出来たものではない。だが、実際にそれを見せるとなればそれを見てみようと、一度は外した視線を再度右腕に向けーーふと気づく。

「む?」
 つい先程まで刺さっていた氷槍が消えている事に。否、消えたのではない。傷口の真下にある赤い水溜まりが、氷槍が溶けたのだと千火に物語っていた。 
 いつの間に?そう口にするよりも早く、

「この世界を構成する三大元素の一つ。全ての命をはぐくみし母なる水よ。
 御身を司ることを許せし我、リヴァイアサンは願う。
 生けるものの一部として動かすことを禁じられしの者の右腕に、その赤く温かき命の水を通わせ、再び彼の者の腕となることを許し給えっ!アッフレントブラット!!」

 なにやら大きな独り言のようなものを言った後、名前のような単語を水竜は叫ぶ。
 いきなりどうした?と問い掛けようとも思ったが、叫び終えた所で千火の右腕に劇的な変化が発生する。

「なっ!?」

 水竜が叫んでから一秒もしないうちに、腕全体を、円の中心に上向きと下向きの三角形を二つ組み合わせた、小さな赤い模様がびっしりと覆い尽くしたのだ。
 ついで、赤い模様が美しく光り輝くと、今まで凍り付いて動きそうになかった腕が、まるで誰かに優しく抱き締められたかのような温かさに包まれる。それは、まるで母親の胸の中を思わせるような優しく慈愛に満ちた、安心感の抱かせるものだった。

「つぅっ!!」

 それからまた数秒経つと、忘れていた痛みとーーあの千火が痛みを覚えたのだ、相当な痛みに違いないーー冷たさが襲いかかってくる。その頃合いを見計らったかのように、

「彼の者を蝕みしその痛みを除き、その傷を癒せ!リカバー!!」

 水竜はまたなにやら不可思議な単語を口から放ち、再度叫ぶ。
 すると、叫び終わるか否かの所で傷口を中心に、円の中に星形が刻まれた模様が浮かび上がる。それはすぐさま草木生い茂る山の中のような深い緑色の輝きを放ったかと思うと、その光は徐々に血のような赤い色に染まっていく。のだが、赤色に染まるのに合わせて、千火の右腕にぽっかりと空いた傷口に新たな肉が埋め込まれていきーー模様が真っ赤な光子となって消失する頃には、完全に塞がり元通りになっていた。…………どうやら今の魔術は体に刻まれた傷も癒したらしく、腕のみならず全身から光の粒子が飛び交っていたのだが、右腕に気を取られていた千火がそれに気が付いたのはしばらく後のことになる。

「…………」
「お加減の程はいかがでしょうか?」
「…………」
「あの、千火様?わたくしの声、聞こえていらっしゃいますか?」
「…………」

 目の前で起きた非現実的な光景に度肝を抜かれてしまって、完全に固まってしまったらしい。二分程呼び掛け続けてみるが、少しも反応する素振りを見せない。

「…………お許し下さい」

 聞こえていないのは明確。それでも水竜は小さく謝ると、身を屈めてその獰猛そうな顔を小さな人間に近付け、

「千火様」

 声を掛けながら、千火の身長とさほど変わらぬ野太い角で軽くつついた。

「むっ!?」

 それでようやく、不可思議な力による治癒の束縛から解放された千火は、驚いた拍子に即座に後方へ大きく飛んで体勢を立て直そうとする。

「くっ!!」

 だが、短時間であったとは言え、感覚が無くなるまでが凍り付いていたのだ。いかに治癒したと言えども、すぐに今まで通り力が入る筈がない。飛んだ勢いそのままに、両斧槍が明後日の方向に飛んでいってしまう。カランカラン、と金属と氷床が織り成す旋律が洞窟内に響き渡る。

「驚かせてしまい、誠に申し訳御座いません。あまりに千火様が右腕に見入られておりましたので、こうする他に方法が御座いませんでした」
「……いや、こちらこそすまない。魔術と言う物の存在を初めてこの目で見た驚きのあまり、ついお前の言葉を無視してしまった。ーーいや待て。今私の事をなんと呼んだ?」

 聞き間違いでなければ、この水竜は自分の事を名前で呼んだ筈だ。

「千火様に御座います」
「何故私の名をーー」

 言って、千火は気付く。

「……そう言うことか。あの水竜達と戦う前に私は名乗っていたが、お前にも聞こえていたのか」
「その点につきましても、後ほど説明させて頂きます。それよりも、右腕の方はやはり万全には御座いませんか」

 最初に手を掛けた水竜たちの事も合わせて尋ねることにして、

「……そうだな。上手く力が伝わらない上に、腕の動きがぎこちない。まだ凍り付いていた影響が残っているらしい」

 開いたり閉じたりして手の感触を、軽く曲げたり振ったりして腕の調子を確かめ、一時的なものではないと確信した上で質問に答える。

「少々お待ち頂けますか?」
「なんだ?また魔術をかけるのか?」
「左様に御座いますが…………いかがなされましたか?何かわたくしの魔術に問題がありましたか?」
「いや、そう言う訳ではない。力が入りにくい事を除けば、全くもって支障はない」
「でしたら何故、難しい表情を浮かべていらっしゃるのですか?」
「…………」

 そんなに分かりやすく表情に出ているのだろうか。
 自分では上手く隠せたつもりだったが、あっさりバレてしまった。もう少し表情を隠す努力をしなければな、と内心溜め息を吐きつつ答える。

「私が以前住んでいた世界についての知識があるお前なら分かるかもしれぬが、私達の世界では傷や病を治すのに薬と言うものを使っていた。だがそれは、度が過ぎれば毒にもなる危険な品でもあってな。魔術がそれと同じ代物であるならば、そんなに多用しても良いものなのかと疑問に思った次第だ」
「なるほど、左様に御座いましたか。その点につきましてはご心配には及びません。後ほど詳しく説明致しますが、わたくしの魔術にはそのような事は一切御座いません。どうかご安心下さいませ」

 心底納得したように手をポンと叩いて相槌を打つと、丁寧に答えてくる。のだが、千火は別のことに気を取られて必死に笑いを押し殺していた。
 考えても見てほしい。いかにも獰猛そうで、凶悪な鉤爪と太刀状のヒレを備えた恐ろしい姿をした竜が、「ああなるほど」と手を叩いて相槌を打ってくるその様を。あまりの見た目と行動の釣り合わなさに、思わず吹き出しそうになるのを必死耐えながら、

「……そ、そうか。……なら、ま、魔術を掛けてくれ」

 となんとか言い切って見せる。
 何かおかしな事を言っただろうかとギャップだらけの水竜は首を傾げたものの、今は右腕の治癒が先決と蒼い瞳を閉じた。

「……?」

 先程までとは異なり、今度は言葉を発していない。そればかりか、右腕に前まで浮かび上がっていた模様の姿も見受けられない。その事に疑問を抱いた千火は、笑う事を忘れてその姿をまじまじと観察しようとして、

「む?」

 その視線を右腕に戻した。
 血液の循環がやたらと早くなったようで、なんとなくいつもより身体熱い。右腕が特に顕著けんちょで、血行が良くなった影響か熱さを通り越してかゆみさえ感じられる。
 度合や性質は、怪我で床に伏した事で鈍った腕を取り戻そうと、必死に武器を振るった時のそれとよく似ている。
 そこまで激しい痒みではないので冷静に観察していると、今度は筋肉がメキメキときしんだ音を立てる。いかにも危険そうな音に反して、それは筋肉の緊張を解すそれに近い心地良い痛みを訴えるだけだ。
 何をしていると問い掛ける間もなく、水竜が赤い瞳を開いた頃には、それらは全て嘘のように掻き消されていた。

「もう一度、右腕の様子を確認して頂けますか?」

 どうやら治癒が終わったらしい。最初の魔術に比べると拍子抜けする程何の変化が無かった為、本当に治ったかどうか怪しいところだ。とはいえ終わったと言うのであればそうなのだろうと、千火は催促された通り右腕に力を込める。
 すると、強張って入れづらかった力が難なく、それこそ時間を巻き戻したかのように簡単に入る。ついで右腕を曲げたりしてみるが、やはりこちらも筋肉が角張ったような違和感はない。

「…………凄いな。私の目には、ただ目を瞑っていただけにしか見えなかったのだが。どういう理屈だ?」
「先程の治癒も合わせて、魔術がいかなる物かご説明させて頂きます」
「あぁ……その前に、名前を聞いても良いか?あればで良いのだが」

 すぐにでも聞きたいところだが、いくら普段の口調で良いとの許しを貰っていると言っても相手は竜だ。神の使い、場合によっては神そのものにまで成りうる絶対的な存在を、いつまでも貴公呼ばわりするのは千火としても心中穏やかなものではない。ましてや、実力から考えてもこの竜は後者、それも名のあるそれの可能性が非常に高い。否、そうとしか考えられない。
 ゆえに名があると踏んでこの言葉を投げかけてみたのだが、果たして。

「申し訳御座いません。顔を出した時に名乗るつもりだったのですが、あなた様の見事な腕前に感服するあまり忘れておりました。……改めまして。わたくしはリヴァイアサンと申す者に御座います」
「りば、なんと?すまない、もう一度名乗っては頂けないか?」

 なんとも聞き慣れない名前だ。いや、今までの世界と違うのだから当然なのだが、それでも妙に聞きにくい。

「リヴァイアサンに御座います」
「りばいあさん……つまり名はりばいあ、で良いのか?」

 自分の名をさん付けするとはまたおかしな癖の持ち主だな、と思いながら千火は確認を取る。言葉の意味が理解出来ず、一瞬キョトンとしたリヴァイアサンだが、意味をよく咀嚼した上で飲み込むと苦笑を浮かべた。……並の人間ならば、その場に失禁して座り込んでしまいそうな、恐怖の笑顔なのだが。
 名前を間違えてしまっただろうか。謝罪しようと千火は口を開こうとするが、

「少しニュアンス……いえ、名前の呼び方に差違が御座いますが、それで結構に御座います」
「差違があるのなら言って貰えないか?生まれついた時に得た大切な名前を、私はしっかり覚えたいのだ」
「いえ、構いません。リヴァイア、と言うのはわたくしの愛称のような物ですし、フルネームですとどこかお堅くなってしまいますので」
「……ふるねーむと言う単語の意味はよく分からないが、そう言う事ならりばいあと呼ばさせて貰おう。発音はこれで良いか?」
「そこまでお気になさらなくても」
「いや、ふるねーむで呼べぬのであれば、せめて愛称だけでもしっかりと呼びたい。差違があるのなら遠慮なく指摘して欲しい」
「…………」

 これにはリヴァイアサンーーもとい、リヴァイアとしても閉口せざるを得ない。刃を合わせた当初から礼儀正しい性格は見抜いていたものの、まさか名前一つでここまでとやかく言われるとは思わなかった。
 だが同時に、命のみならず名前にまで強い執着を持ち合わせているこのお方は、間違いなく本物の竜神姫だと確信を強めた。
 話すべき事柄が数多くある上に、飛竜族の事を考えるとあまり悠長にしている時間はない。短縮する方法も無くはないが、条件が満たされていないのが現状。ならば、何時間と掛けてもこの新たなる竜神姫が納得するまで付き合おうと、愛称の発音練習を始める。が、千火がしっかりと発音を覚えるのにさほど時間はかからなかった。

「リヴァイア、で良いか?」
「さすがに御座います、千火様」
「いや、大事な愛称だ。これぐらいはしっかり覚えなければならないからな。……我が儘に付き合わせてすまない」
「とんでも御座いません。愛称とは言え、わたくしの名を発音まで必死に覚えて頂き、感謝に堪えません」

 千火としては、呼び捨ては愚か愛称を呼ぶ事すら畏れ多いのだが、それでも相手が喜んでいるのなら努力した甲斐があったというものだ。

(…………ははは、なるほど。無意識に気を遣っていたから気付かなかったが、村人たちが私に対して抱いていた感情はこれか。確かにこれでは、名で呼べと言っても読んでもらえないわけだな)

 そこでようやく、千火は村人たちが自分に抱いていた感情を理解し、思わず苦笑してしまう。

「では、本題に入らせて頂きます。宜しいで……千火様?いかがなされましたか?」
「ああ、いや何でもない。魔術についての教授、よろしく頼む」

 突然にやけだした千火に驚きつつも、話を戻すことにする。

「はい、よろしくお願い致します。まず魔術というものには大まかに三つ種類に分けられます」
「三種類?大まかとは言え随分少ないのだな」
「魔術の大まかな効能の種類、と言う言い方の方が適当に御座いますね。一つ目は、先程千火様に施しました魔術、支援魔術と呼ばれる物です。治癒のみならず、身体機能の上昇や、相手と干渉して能力を低下させるなど、文字通り支援を主体とした魔術です。二つ目は」

 リヴァイアが一度言葉途切るのと、千火の周囲を分厚い氷の壁がお椀型ーー言うなればドーム状に覆い尽くすのは、ほぼ同時だった。血が混じっている影響で赤いものの、半透明のそれは美しい輝きを放っている。

「こちらの結界魔術に御座います」
「……いきなり魔術を発動、で良いのか?とにかくそれはやめてくれ。心臓に悪いことこの上ない」

 千火が非難の声を上げるのも無理もない。
 なにせ前兆が皆無の上に、魔術を行使するような動きをリヴァイアが一切見せないのだ。いかに気配や動きに敏感な千火としても、息をするように魔術を発動させられれば感知のしようがない。ましてや、今の千火の手にはあの両斧槍はない。それが千火の心に出来た恐怖に更に拍車を掛けていた。……もっとも、恐怖の原因がそれとは、本人も自覚していないのだが。

「申し訳御座いません。千火様なら魔術の気配を察知出来るのではと思った次第でして」
「…………リヴァイア、過大評価も良いところだぞ。私が以前ーーというより、一回目の人生と言えば良いか?その時に磨いてきた物とはまるで別の感覚を、数回体感しただけで覚えられる程私は器用ではない」
「千火様がそう仰せになるのであれば、そのように評価を改めましょう」
「それより早く説明してくれ。別に急いでいる訳ではないが、何度も茶々を入れられては私の頭に入っていかん」
「申し訳御座いません。では、説明を続けさせて頂きます。……この結界魔術と言う物は、今千火様のご覧になっている通り、結界を作り上げて身を守る魔術に御座います。性能から防御魔術とも呼称される事も多いですが、攻撃への転用等が可能な為、正式な名前は前者に御座います。具体的にはーー」
「それは後回しにしてくれ。それで、三つ目は?ここまでくると大体察しはつくが」

 分かりやすいように発動させたり正式名の由来について説明しているのだろうが、千火としてはかえって気が散ったり話が脱線して分かりづらい。「……わたくしの説明の仕方では、駄目なのでしょうか……」と千火に聞こえないような小さな声で独りごちるリヴァイアの声は、どこか怒られた子供のようにしょんぼりしている。

「千火様のお察しの通り、攻撃魔術に御座います」
「そうだろうな。これまでの話の流れから察するに、種類ごとに発動の条件、或いは方法が異なるのか?」

 話を振っておいてなんだが、千火は既に辟易へきえきしていた。本来なら後回しだのなんだのと無礼な言葉を口にしたくはない。だが、この中身と見た目がチグハグな竜は、どうにも説明が過ぎるところがある。多少なりとも無礼を承知で急かさなければ、全部聞き終える頃には日が暮れている可能性だってありうる。

「左様に御座います。魔術とはそもそも、この世界を構成する全ての物質から放たれる魔素を体内に取り込む、もしくは既に持ち合わせている魔素を練り込み、詠唱や魔法陣を通して意識の中で想像したものを具現化させる事を指します」
「……とにかく魔素とやらを練り込み、それを最初の治療の際にリヴァイアが言っていた言葉と、私の右腕に浮かび上がった模様を通して発動するまでは分かった。だが、それがどう想像の具現化に繋がるのだ?」
「少々難しい上に長い説明になりますが、ご了承ください。……そもそも魔素という物は、川の水などによって岩や土が削られたり、木が燃えたり、熱で水が湯気になった時など、様々な場面で発生致します。もちろん、これにはわたくし達生き物にも当てはまります。千火様の分かり易い所で言いますと、何かを食べたり、筋肉痛になるまで激しい運動をした時ですね。そして、これらの発生した条件によって、魔素の性質は大きく異なります。何かが燃えた事によって発生した魔素は、炎を具現化するのに特出した魔素に、水が熱せられる事で発生した魔素は、水を具現化するのに特出した魔素に、と言った具合に御座います。このように、何かしらに特出した魔素を属性魔素と呼びます。それに対して、食べたりした際に発生した魔素は、何物にも特出して御座いません。その性質状から、無属性魔素と呼びます。先ほど説明致しました、外から取り込む魔素というのは前者を、既に持ち合わせている魔素は後者の事を指します。……ここまでよろしいでしょうか?」
「…………なかなかに難しいが、理解出来なくはない。続けてくれ」

 千火の言葉を聞いてリヴァイアは内心うなった。リヴァイアとしては、今までの説明でもかなり噛み砕いた表現だったのだが、それでも千火にとっては難しいらしい。やはり感覚共有魔術 コメンドブレインを使いたいところだが、先の支援魔術の手応えからしてそれは無理だ。
 ならば、口で説明するしかない。心配と不安をない交ぜにした感情を抱きながら、リヴァイアは慎重に言葉を紡ぐ。

「承知致しました。そしてこの魔素と言う物質には、属性の有無に限らず特異な性質を持ち合わせています。それが、全身から神経伝達物質として脳内を移動し、それによって得た想像がある程度固まる事によって放出される、或いは皮膚に直接触れてい物に纏わりつく性質です」
「…………すまない。その神経なんちゃらとはなんだ?そもそも、脳とは一体なんなのだ?」

 やはり難しいですか、と再度言葉を脳内で組み立て、反芻はんすうし、発する。

「千火様は頭の中に何があるかは御存知ですか?」
「あのやたらとシワのある、気味の悪い肉塊の事を言っているのか?頭天から両断してやった時に何度か見た事があるが」
「その肉塊こそが、脳に御座います。そしてその脳こそが今千火様の思考するのに必須の品であり、あなた様の意志を生み出したものに御座います。そして、あなた様の肉体を動かす為に脳から出るものが、神経伝達物質に御座います。お分かり頂けましたでしょうか?」
「…………つまり、私の意志を作り出し、こうして考えれる機能を持つのが脳で、私の意志をこの肉体に伝える物が神経なんちゃら、と考えておけば良いのか?確かにそれなら、想像という私の意志を全身に行き渡らせ、放出出来るのも頷けるな。だがそうなると、何故あの模様と言葉が必要になるのだ?通すもなにもないのだろう?現にリヴァイアは、言葉も模様も無しにこの氷の結界を作り上げたではないか」

 魔法陣や詠唱がどういう物かはある程度察していても、千火にはそこが理解出来なかった。
 あんな言葉を発したり、身体に浮かび上がったりすれば、軽々と対処されるのは明白。どころか、言葉を発しきるよりも早く殺される可能性だってありえる。それは、たとえ魔術の発動方法が分かったばかりの千火でも可能だ。
 だが、リヴァイアのように何の兆候も無しに魔術を発動させられれば、対処のしようがない。戦略的に考えても後者の方が圧倒的に有利なのは言うまでもないが、しかしなぜ魔術の発動の為にそんな分かり易い隙を、敵前で晒さなければならないのか。
 リヴァイアは言う。

「詠唱とは、魔素を練り上げると同時に、想像をより鮮明にする為の最も簡単かつ確実な方法なのです。これは全種の魔術に共通する事ですが、発動させる魔術の種類によって練り込む魔素の量が異なります。練り込む魔素量が少なすぎれば当然発動致しませんし、魔素量が多すぎたり練り具合が荒ければ、荒れ狂う魔素そのものが術者の身体を蹂躙し、死に至らしめる事も御座います」
「最悪死ぬ?待て、それではーー」
「はい。本来であれば、詠唱も無しに魔術を発動させるのは自殺行為に等しい行動に御座います」

 ですが、と息を呑んだ千火にリヴァイアは言葉を紡ぐ。

「それはあくまで中級者までの話で御座います。魔術を幾たびも扱い、魔術の想像そのものが一瞬かつ即座に発動可能量に達する魔素を練り込める上級者の方のみ、詠唱を使わずに魔術を発動出来るのです」
「…………矢をつがえるまでの過程によく似ているな」

 なんとか理解した感想を述べたその言葉に、リヴァイアはその手があったかと落ち込んだ。 
 簡単に言ってしまえば、そうなのだ。弦を引く力が弱ければ弓が引けぬように。逆に強すぎれば弓が折れてしまうように。達人が矢をつがえるまでの過程が、初心者と比べると恐ろしく早いように。

「左様に御座います。そして、魔法陣は言わば弓やそれを射抜く為の的のような物で御座います」

 思いつかなかった自分が情けなさが半分、ようやく簡単な説明が出来ると言う喜びが半分の心境で、リヴァイアは説明を再開する。

「いかに矢を持っていても弓が無ければ放てないように、魔法陣がなければ魔術を発動させる事が出来ません。攻撃型であれば軌道上に敵がいるように調整する為に自分の周囲に、結界魔術であれば足元に、支援魔術であれば強い効果をもたらす為に患部、あるいは魔術の対象者に、といった具合に御座います。わたくしの場合、体外の魔素に練り込んだ魔素を伝わせる事で魔法陣を代用する事が出来ます」
「つまり、体外の魔素を弓代わりにする事が出来る、というわけか。なるほど、発動するまでの過程に大きな変化はないのだな」

 今までの説明に比べてなんと分かり易いことか。ある種の感動を覚えつつ、千火は相槌を打った。

「左様に御座います」

 千火の反応にようやく手応えを掴んだリヴァイアは、やっと伝わったと内心安堵の息を吐く。

「……だが、そうなると困ったな。戦術的に非常に有効な上にこの世界の常識とあれば、是非とも体得したいものだが、いかんせん私は魔素を感じ取る事が出来ない。リヴァイア、この件は後回しにするが、私の質問が終わった後に魔術の鍛錬に付き合っては貰えないか?」

 この世界で生き抜く為には、魔術は必要不可欠という言葉の意味を理解した千火は、すぐに申し出る。
 その件につきましては心配には及びませんよ、と言った。

「千火様は既に、魔術を体得していらっしゃいますから」

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