ノーリミットアビリティ

ノベルバユーザー202613

序章その2 羨ましくて恨めしくて

 ジンと噂されていた少年は、その身体に渦巻くような気を纏っていた。
もちろん実際にそんなものがある訳ではない。

 しかし、少年の目にはそう見えていた。それ程までに圧倒されていたのだ。ジン達は少年やゴッソ達とは根本的に違っていた。
 穴だらけの煤けた衣服を着る少年に対し、見た瞬間に目を覆いそうになるほどピカピカの清潔な衣服。
 ぼろぼろの磨り減った靴とも呼べない物を履く少年に対し、汚い道を歩いているのにも関わらず汚れが一つもない綺麗な革靴。
 まともに石鹸もなくとても綺麗とはいえない水で水浴びをしているだけの少年に対し、少年の位置からでも分かるほど艶々な肌。
 一人で全てのことをしなければならなかった自分と、全てのことを他人がやってくれているのであろうジン。

 何もかもが自分とは違っていた。
 そして何より、ジンが状況を見守りながら浮かべる一点の曇りもない程柔らかくて静かな微笑。
 少年が最後に笑ったのはいつだっただろうか。
 ただ一つ言えることは、その時の少年の笑みはきっと、自分より幸福な者が堕ちる時に見たザマァみろという嘲るような笑いだったはずだ。
 そんな自分とジンの姿を比べてしまい、並べてしまった。
 そして少年はついこう呟く。

「羨ましいな……」

 その瞬間、全身の血が沸騰するような感覚に陥った。
 とてつもなく恥ずかしかったのだ。
 自分より何もかもが優れたジンと自分自身の境遇を比べて、こんなにボロボロでこんなに汚いことが。

 一度考えてしまうと止まらなくなってしまった。
 何故自分はこんなにも恵まれていないのか。
 ジンと自分は一体何が違うのか。

(憎い……。当たり前のように幸せなお前が……憎くてたまらない!)

 人生で初めて他人に嫉妬した。それは少年にとってとてつもない衝撃で、どうしようもなく止まらないものだった。

 俯き髪を毟るように頭を抱えていた少年は……目の前の地面にナイフが落ちているのを見つけてしまった。
 ゴッソファミリーの誰かが持っていたナイフだろう。しかし十歳にも満たない少年でも充分扱えるサイズだった。

「はぁはぁ……」

 息が荒い。少年はゆっくりとジン達の方を向く。
 幸いにしてゴッソファミリーが逃げている方向は少年とは真逆だ。付き人と思われる男はゴッソファミリーの残党を掃討中だ。
 ジンともう一人の髪の長い女性の付き人もそちらを見ている。
 即ち彼らは誰も少年の方角を見ていなかった。

(……)

 ゆっくり、ゆっくりとまるで街を徘徊する物乞いのように少年はナイフに近付いていく。血走った目でただ何かを考えるでもなくただナイフに惹かれて行った。
 とうとう少年は手を伸ばせばナイフに届く距離までやってきた。

「はぁはぁ……」

 未だ荒い息を吐きながらその手はゆっくりとナイフに近付いていく。
 そして、その手がナイフに触れた。ナイフの柄をしっかりと握り、前を向く。
 そこで見いたのは、少年を見て驚く侍女の姿だった。
 二人の視線が交差する。
 侍女が何を見て驚いたのかは少年には正確には分からない。しかし本能がいっていた。

(見つかった!)

 と。
 人生で初めて他者に自分の存在が露見した。そのことに驚きを隠せなかった少年はナイフを持ったまま固まってしまった。
 だが、驚き固まったのは少年だけであった。
 次の瞬間、侍女は息を吸うと、辺り一帯に響き渡る声で叫んだ。

「フラグマ! 戻りなさい!」
「っ!?」

 少年はその叫び声に慌てて一歩下がる。
 本能だけではなく理性でも理解した。
 見られた、と。
 その事実を数瞬の間に頭で理解した時、少年は走り出していた。

「殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ!」

 頭の中は真っ白になりながらもただそれだけを呟きながら。
 見られた以上消さなければならない。
 そんな何処かで聞いたことのある言葉が脳裏を掠め、ただ走っていた。右手にはギラリと鈍く光るナイフを握り締め。 
 ただ何かに後押しされるようにただただそれだけを呟いて焦るように走る。
 一メートル、二メートル、三メートルとあっという間に駆け抜け、ジン達まで後数メートルとなった時……右頬を軽い風が撫でる。
 その風に当てられたように右をちらりと見る。
 そこには、先ほどまで数百メートル先にいたはずのフラグマが怒りに顔をゆがめながら拳を振り上げていた。

「なっ?!」

 少年は驚きのあまり声をあげる。

「その方に触るな! 下郎!」

 あ、死んだ。
 少年はその拳が振り下ろされるのを見ながらそう感じた。
 普通、人を一発殴ったくらいでは死なない。しかし、その拳に籠められた力強さを見て瞬時にそう判断した。
 避けることも守ることも出来ない。

(ちくしょう……こんなところで……)

 ただただゆっくりと振り下ろされるそれを見て、少年は自分の過去を恨んだ。
 昨日までの少年であればそんなことはなかっただろう。
 しかし自分よりも圧倒的な幸福を手にするジンを見て、自分がいかに他人より劣っていた生活をしていたかを知ってしまった。
 羨望と憧れ、そして憎悪を抱きながら死ぬ。
 そう確信した時――。

「止めろ! フラグマ!」

 前方からそんな声が鋭い声が間に入る。

「!?」

 ……。
 少年は振り下ろされる途中で止まった拳を凝視している。
 フラグマも拳を振り下ろす途中で固まっている。

「はぁ、はぁ」

 とりあえず九死に一生を得たと理解した少年は荒い息を吐く。
 その瞼にはうっすらと涙が溜まっている。
 そんな二人の下に近付いていく二つの影。ジンと侍女だ。
 そして、ジンは少年のすぐ傍まで行くと片膝をついて少年の顔を覗き込み心配そうに声を掛けてくる。

「驚かせちゃってごめんね。大丈夫だったかい?」

 ジンの顔を真正面から初めて見た。
 完璧。
 それが少年が最初に感じた感想だった。
 金髪に砂色の瞳を持つ美しいとさえいえるほどの顔立ちをしていた。
 先ほどまではその顔に微笑を携えていたが、今は少年のことを心配してか真剣な表情をしていた。
 それがまた羨ましくて格好よくて、逃げるように少年は俯く。
 ジンは少年のその行動が怯えているように見え、その原因であるフラグマを叱責する。

「フラグマ、貴方が彼を脅すからこんなに怯えてしまったではありませんか」
「も、申し訳ございません。ですが、彼はジン様を殺そうとしました。ジン様を守るものとして見逃すわけには……」
「止めるのは構いません。しかし、殺そうとするのはあまりにもやりすぎだといっているのです!」

 言い訳をするフラグマにジンはピシャリと言い放つ。
 その様は少年と年が僅かしか違わないはずなのに不思議と威厳に満ちていた。

「も、申し訳ございませんでした」
「謝罪は僕ではなく彼に」

 決して大きくはないその身体に威厳のようなものを纏いながらジンが言うと、フラグマは慌てたように少年の前に行き、謝罪する。

「すまなかったな、少年。怪我はないか?」
「……」

 少年は俯いたまま何も言わない。

「何処か怪我をしているのであれば治すが……」
「……」

 それでも少年は何も言わない。

「うーむ参りましたな……」
「はぁ、まったくフラグマったら!」

 そう言って一歩前に出たのはジンの横にいて状況を見守っていた侍女だった。

「大丈夫だった? 怖いおじさんに突然襲い掛かられて怖かったわね。もう大丈夫よ、お姉さんが守ってあげるから、ね」
 ウインクをしながらその女性は優しく語り掛ける。
「私の名前はコスモス。貴方のお名前を教えて?」
「……」

 少年は沈黙を保つ。

「……」

 それでもコスモスは何も言わずに待っている。
 このままでは埒が明かないと思った少年は、呟くように口を開く。

「……ない」
「ない……ちゃん? 珍しい名前ね」
「いえ、ないは名前ではなく名前がないってことだと思いますよ」

 コスモスの天然に、すかさずジンが突っ込む。

「とはいえお手柄です、コスモス。名前がないことを聞けただけでも充分です」
「ありがとうございます」

 頭を下げるとコスモスは一歩下がり定位置に戻る。
それを確認したジンは改めて少年の前に行くと、

「申し遅れたね。僕の名前はジン・トト・ヴァリエール。気軽にジンって呼んでね」
「……」

少年は沈黙で返すが、ジンの名前に疑問を思っていた。
名前がこの国の人間のものではないのだ。
身なりから裕福、しかもかなりの家柄の人間であるということはわかっていた。しかし、外国の人間だとは思わなかった。
その事に少しだけ驚きを感じつつ、少年は沈黙を守る。
そんな少年にもジンは気分を害した様子はなく、少しだけその顔に微笑を浮かべながら続ける。

「それと突然話は変わって申し訳ないのだけれど、この街の噂を知っているかな?」
「……噂?」

気になる単語が出てきた為、少年は聞き返す。

「うん。まるで霞のように実態は掴めないのに確かに存在する正体不明の盗賊の噂」
「……」

確かにその噂は存在する。もちろん少年も知っている噂だ。

「人には決して危害を加えず、ただ毎日の食料だけを人知れず盗んでいく。曰く、盗まれる食料の数から子どもである。曰く、単独犯である。曰く、この街で飢え死にをした子どもの幽霊である。そんな噂だね」
「……そんな噂を知ってどうすんだよ。探して捕まえんのか?」

少年は内心で冷や汗をかきながら聞く。何しろ他でもない、その噂の子どもだからだ。ただし、もちろん幽霊でなく血の通った人間ではあるが。

「半分正解で半分は間違っているよ。確かに僕はその噂の人物を捜しに来た。だけどそれは捕まえるためじゃない」

そこで一泊置くと、ジンは砂色の瞳を煌めかせながら、

「僕の弟にするために、ね」

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