お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話
あやつの過去についてお話させて頂きます
高宮家が案内された宿泊部屋は、これといった飾り気などはないが木造のよさを感じさせる木の香りにシンプルな間取りで、それでいて広々としたまさに憩いの空間と言える部屋。
荷物を収納するクローゼットがあり、そこに一家の荷物を入れていく。
部屋の一面に大きなガラス窓があり、そこからはあのご神木とも言える木を見ることが出来るため、まさに絶景と言える。
その窓の脇にダブルサイズの木のベッドが、きっちりと布団がセッティングされた状態で置かれている。
今回は三人家族だが、翔羽は長身ながら細身で、涼羽と羽月は小柄で華奢なこともあって三人まとめて寝ても十分にゆとりがあるサイズとなっている。
部屋の中心となる位置に、これまた木造のテーブルとイスが設置されており、食事はリビングで摂るか宿泊部屋で摂るかを選ぶこともできる。
バスルームはそれなりの広さのものがこのログハウスにあるものの、ここから少し歩いたところに温泉があるため、健吾は基本的にそちらの方を勧めるようにしている。
また、ログハウスには無線、有線両方のネットワーク環境が構築されており、各部屋にも有線LANのローゼットが一つずつ用意されている。
無線の方も健吾にお願いすればSSIDとキーを教えてもらえるため、スマホをWi-Fi環境で使うことも可能となっている。
人工の建造物というものがこのログハウス以外にないため、周囲が非常に静かで何かに没頭したい時にはうってつけと言える場所となっている。
そんな憩いの場所に案内された翔羽、涼羽、羽月の三人。
その三人を部屋に案内してきた健吾。
その四人が部屋にあるテーブルを囲むようにイスに座る。
今回の話し手となる健吾が片方の面に一人、その向かいの面に翔羽、涼羽、羽月の三人という配置になっている。
「…この度は、あの愚息がとんでもないことをしでかしまして誠に申し訳ございません。ですのに、このような…言わば弁解の場まで頂いて…感謝の言葉もございません」
お互いを見据えるように四人が座ってから、健吾が静かに前置きとして改めての謝罪と、進吾の行為に対する弁解の場のような席まで持ってもらえたことに対する感謝を言葉にする。
翔羽、涼羽、羽月の三人は、それを黙って聞いている。
「…あの愚息がなぜ、涼羽様に対してあそこまでの暴言を吐いたのか…それは確かにあやつの過去に関係があります」
「!……」
「とはいえ、当然ですが涼羽様にとっては当事者どころか何の関係もない話…ですが、あやつはそれを認め、受け入れることができなかったようです…」
「………」
「…少々、前置きが長くなってしまいました。では、ここから今回の一件に起因する、あやつの過去についてお話させて頂きます」
やはり息子のことをかばいたいという父親の思いも強かったのか、健吾は前置きとして進吾がなぜ、涼羽をあそこまでなじるようなことをしたのかについて、進吾の過去が関係していると話す。
その言葉が出た瞬間、涼羽の表情がわずかながら揺れる。
そうして前置きが長くなってしまったことを謝罪しつつも、健吾は本題である進吾の過去について、ゆっくりと物語を読むように話し始める。
――――
「もお!進吾ったら!」
「へへへ、びっくりしたろ?」
今から五年ほど前。
世間が暑さを感じ始める、夏にさしかかる時期。
進吾は当時はまだこの山荘で働いておらず、涼羽達が住んでいる町から大きく離れた都会の方で暮らしていた。
この頃、進吾には住処を共にしており、もはや共にいるのが当たり前と言えるほどに仲を深めている相手がいた。
「わりいわりい!そんなに怒んなよ、麗香(れいか)!」
「ふんだ!もう知らない!」
「そんなこと言うなって!せっかくの綺麗な顔が台無しだぜ?」
「!も、もお…すぐそんなこと言ってごまかすんだから!」
「おいおい、俺はいつだって麗香のことは綺麗だって思ってるぜ?」
「!バ、バカ…」
190cmを超える長身である進吾と並ぶと頭一つ身長差があるものの、女性としては長身の部類に入る彼女。
切れ長の涼しげな目、筋の通った鼻、ふっくらとして柔らかそうな唇。
一つ一つのパーツが整った配置で組まれており、その土台となる輪郭もシャープな印象で、あきらかに可愛いよりは綺麗という言葉が似合うタイプの美人。
スタイルも胸の方はそこまでの自己主張はないものの程よい大きさであり、スレンダーなイメージが先行する、モデルのような印象が強い。
髪はふんわりとウェーブがかかっており、それが肩の下ほどまでを覆うくらいの長さ。
その髪をやや暗い感じの茶色に染めている。
その彼女の名前は、小杉 麗香(こすぎ れいか)。
当時二十五歳となるOLで、勤めている会社でも非常に人気のある女性。
大の女好きではある進吾だが、それは特定の相手がいない場合の話。
確かに麗香と付き合う前までは手当たり次第と言った感じで多くの女性に手を出してきていた。
が、それも麗香と付き合い始めてからはぱったりとなくなり、すっかり麗香に夢中と言った感じになってしまっている。
どちらかというと可愛らしい感じが好みの進吾が、明らかに美人で綺麗系な麗香にここまで首っ丈になっているのも意外なところ。
「そ、それよりも進吾…」
「ん?なんだ?」
「今日は…何時に帰ってくるの?」
「あ?今日は定時上がりだから、六時には家に着いてると思うぜ?」
「そう…」
「なんだ?何かあるのか?」
「…ううん…私も今日は定時上がりだから…進吾と一緒にいられるなって思っただけ」
「!れ、麗香…」
ただ進吾と一緒にいられると思うと本当に嬉しいのか…
麗香の顔にふんわりとした、嬉しそうな笑顔が浮かんでくる。
それも、少し恥ずかしがっているかのように頬を染めながら。
容姿は明らかに美人タイプな麗香なのだが、性格は非常に乙女チックで可愛らしいところに溢れている。
自分の好きな人といられるだけで嬉しい。
自分の好きな人にご飯を作ってあげられるだけで嬉しい。
自分の好きな人が幸せなら、自分も幸せになれる。
そんな女性なのである。
最初は女好きな性格を抑えきれずに勢いで声をかけた進吾だったのだが…
麗香のその容姿と性格のギャップに次第にやられてしまい、今では完全に麗香に夢中な状態となってしまっているのだ。
そのため、今となってはこの麗香が進吾にとってはまさに理想が服来て歩いているような存在となっており、そんな存在と生活を共にすることができているため、他の女性が目に入らない状態となっている。
何しろ、麗香と共に暮らしていることで、自分自身がこの麗香に飽きられないように、悪く思われないようにと水面下で必死に努力していることもあり、他所に目を向けている余裕がないのだから。
そんな進吾と麗香の幸せな生活だが、ある出来事がきっかけとなり状況が一変してしまうこととなる。
――――
「あっ!!」
進吾も麗香もお互いに仕事のない休日ということで、買い物に出かけて仲睦まじく歩いていたその時。
二人の後方で響く、口調は女性っぽいがトーンは妙にハスキーな声。
その声に進吾も麗香も思わず反応して後ろに振り向く。
すると、声のした方には一人の女性が何かにつまづいたのか、前のめりに転んでしまっていた。
「いたた…」
結構な勢いで転んでしまったようで、立ち上がろうとはするものの起き上がれずに蹲ってしまっている。
膝を地面に強打したようで、右の膝を両手で押さえている。
女性は肩の上ほどのショートボブを暗い茶色に染めており、さらにふんわりとした軽めのパーマをかけている。
顔立ちは少し化粧が濃い印象はあるが造詣そのものは整っており、十分に美人と言える範疇のもの。
体型はまさにスレンダーと言った感じで華奢だが、少々肉付きが悪いのか女性の象徴の部分も物足りなさが否めない。
しかし、女性としては長身でスラリとしているため、モデルのようなスタイルではある。
その身体を、真っ白なタートルネックの薄手のセーターとその脚線美が一目で分かるスリムタイプのレディースジーンズに包み、足は少しヒールの高いパンプスを履いている。
「大丈夫か?」
足を動かせなくて地面に蹲っているところに、頭上から響く声。
その声の方に女性が目を向けると、精悍で男らしい、まさに自分好みの顔立ちの男性が自分を気遣って手を差し伸べてくれている。
女性がおずおずとその差し出された手に触れると、男――――進吾――――はその手をがっしりと力強く握り締め、しかし紳士的に優しくゆっくりと彼女を引き上げ、起こしていく。
その力強さと紳士的な優しさという、ある意味では二律相反する要素が共存している手の感触に、女性の心が静かに、しかしそれでいてはっきりと分かるように脈打つ。
「ほれ、もう少しだ」
なんやかんやで女性に対して紳士的なのは変わらない進吾。
むしろ、今は麗香と言う何者にも代え難い恋人がいるため、よりその紳士的な態度に磨きがかかっているようだ。
言葉遣いや振る舞いなどを見ていると粗野な面が多いのだが…
女性を扱う時に限って言えば、そんな粗野な部分も影を潜めてしまう。
麗香も、進吾のそんなところが好きでたまらない。
膝を石造りの地面に強打しているため、右膝が震えてしまっているものの、どうにか立ち上がることはできた彼女。
やはり女性としては長身で、目測でも170cmは超えている。
だが、そんな長身美人の彼女も、190cmを超える長身の進吾と並ぶと頭一つは低くなってしまう。
「足は、大丈夫か?」
「え?…え、ええ…」
「それにしてもあんた綺麗だな。背も高いしモデルでもやってんのか?」
「!い、いえ別に…」
「そうなのか?あんたならいいモデルになれそうなんだけどな」
何もないところで転んで失笑まで買っていた自分を優しく引き起こしてくれた進吾との、他愛もない会話。
その会話の中で、本当に表も裏も、ましてや下心もないことが分かる自然な口調と表情で自分のことを手放しに褒めてくれる進吾の姿。
彼女は、そんな進吾を見ていると顔が熱くなってくるのを感じてしまい、声も反応もどこか不自然な感じが出てしまっている。
ただ、やはり細かいことは気にしない大雑把な進吾であるため、目の前の女性のそんな仕草も状態もまるで気にしていない。
「(どうしよう…こんなにも手放しに私のこと褒めてくれる男の人なんて、初めて…すっごく嬉しい…それに男らしくて格好よくて…本当に私の好み…)」
自身の好みにピッタリと言える進吾が、手放しで自分を褒めてくれることに彼女は心底嬉しくなってくる。
心が非常に慌しく鼓動するのだが、それがむしろ心地よくてもっとその感覚に浸っていたくなる。
目の前の自分よりも頭一つは高い男を上目使いでちらと見つめるだけで、ますますその感覚が強くなってくる。
それが心地よくて顔が本当に緩んでしまいそうになるのを見られたくなくて、ついつい俯きがちになってしまっている。
「ま、とにかく無事ならよかった」
「あ、ありがとうございます…」
「礼なんかいらねえよ。あんたみてえな綺麗な女性を助けるのは当然だからな」
「!…ありがとう…ございます…」
助けてくれたお礼の言葉に対して返って来た、進吾の非常にフェミニストな言葉。
進吾にとっては何気ない一言だったのだが、彼女にとっては一生忘れることなどできない、と言えるものとなってしまう。
目の前の女性が無事だということを確認できたこともあり、進吾はその場を少し離れて一部始終を見ていた麗香の元へと足を進めていく。
「さ、帰ろうか。麗香」
「そうね、進吾」
「?どうした?」
「ううん、なんでもない」
「?なんだ?変な奴だな」
進吾が非常に自然に女性に対して優しくできている様子を見て、麗香は本当に嬉しくてまた進吾のことが好きになっていたのだが、麗香はあえてそれを伝えることはしなかった。
その代わり、本当に我が子を抱くかのように進吾の逞しい腕にべったりと抱きついて寄り添う。
そんな麗香にあれ?と思いながらも、べったりと寄り添ってくることに心地よさを感じているため、特に気にすることもなく、そのまま二人で改めて自宅に歩を進めていった。
「……………」
そんな二人の後ろ姿を見て、彼女の心にツキンとした痛みのような感覚が芽生えてくる。
同時に、進吾のことが傷口に薬を塗りこむかのように脳裏に焼きついていく。
それがどんどん大きくなって、もうどうしようもないほどの嵐が心の中で暴れている感覚まで出てきてしまう。
この出会いが、この後起こる悲劇につながるということを、当時の進吾、そして麗香はもちろん、この女性も分かるはずもなかった。
荷物を収納するクローゼットがあり、そこに一家の荷物を入れていく。
部屋の一面に大きなガラス窓があり、そこからはあのご神木とも言える木を見ることが出来るため、まさに絶景と言える。
その窓の脇にダブルサイズの木のベッドが、きっちりと布団がセッティングされた状態で置かれている。
今回は三人家族だが、翔羽は長身ながら細身で、涼羽と羽月は小柄で華奢なこともあって三人まとめて寝ても十分にゆとりがあるサイズとなっている。
部屋の中心となる位置に、これまた木造のテーブルとイスが設置されており、食事はリビングで摂るか宿泊部屋で摂るかを選ぶこともできる。
バスルームはそれなりの広さのものがこのログハウスにあるものの、ここから少し歩いたところに温泉があるため、健吾は基本的にそちらの方を勧めるようにしている。
また、ログハウスには無線、有線両方のネットワーク環境が構築されており、各部屋にも有線LANのローゼットが一つずつ用意されている。
無線の方も健吾にお願いすればSSIDとキーを教えてもらえるため、スマホをWi-Fi環境で使うことも可能となっている。
人工の建造物というものがこのログハウス以外にないため、周囲が非常に静かで何かに没頭したい時にはうってつけと言える場所となっている。
そんな憩いの場所に案内された翔羽、涼羽、羽月の三人。
その三人を部屋に案内してきた健吾。
その四人が部屋にあるテーブルを囲むようにイスに座る。
今回の話し手となる健吾が片方の面に一人、その向かいの面に翔羽、涼羽、羽月の三人という配置になっている。
「…この度は、あの愚息がとんでもないことをしでかしまして誠に申し訳ございません。ですのに、このような…言わば弁解の場まで頂いて…感謝の言葉もございません」
お互いを見据えるように四人が座ってから、健吾が静かに前置きとして改めての謝罪と、進吾の行為に対する弁解の場のような席まで持ってもらえたことに対する感謝を言葉にする。
翔羽、涼羽、羽月の三人は、それを黙って聞いている。
「…あの愚息がなぜ、涼羽様に対してあそこまでの暴言を吐いたのか…それは確かにあやつの過去に関係があります」
「!……」
「とはいえ、当然ですが涼羽様にとっては当事者どころか何の関係もない話…ですが、あやつはそれを認め、受け入れることができなかったようです…」
「………」
「…少々、前置きが長くなってしまいました。では、ここから今回の一件に起因する、あやつの過去についてお話させて頂きます」
やはり息子のことをかばいたいという父親の思いも強かったのか、健吾は前置きとして進吾がなぜ、涼羽をあそこまでなじるようなことをしたのかについて、進吾の過去が関係していると話す。
その言葉が出た瞬間、涼羽の表情がわずかながら揺れる。
そうして前置きが長くなってしまったことを謝罪しつつも、健吾は本題である進吾の過去について、ゆっくりと物語を読むように話し始める。
――――
「もお!進吾ったら!」
「へへへ、びっくりしたろ?」
今から五年ほど前。
世間が暑さを感じ始める、夏にさしかかる時期。
進吾は当時はまだこの山荘で働いておらず、涼羽達が住んでいる町から大きく離れた都会の方で暮らしていた。
この頃、進吾には住処を共にしており、もはや共にいるのが当たり前と言えるほどに仲を深めている相手がいた。
「わりいわりい!そんなに怒んなよ、麗香(れいか)!」
「ふんだ!もう知らない!」
「そんなこと言うなって!せっかくの綺麗な顔が台無しだぜ?」
「!も、もお…すぐそんなこと言ってごまかすんだから!」
「おいおい、俺はいつだって麗香のことは綺麗だって思ってるぜ?」
「!バ、バカ…」
190cmを超える長身である進吾と並ぶと頭一つ身長差があるものの、女性としては長身の部類に入る彼女。
切れ長の涼しげな目、筋の通った鼻、ふっくらとして柔らかそうな唇。
一つ一つのパーツが整った配置で組まれており、その土台となる輪郭もシャープな印象で、あきらかに可愛いよりは綺麗という言葉が似合うタイプの美人。
スタイルも胸の方はそこまでの自己主張はないものの程よい大きさであり、スレンダーなイメージが先行する、モデルのような印象が強い。
髪はふんわりとウェーブがかかっており、それが肩の下ほどまでを覆うくらいの長さ。
その髪をやや暗い感じの茶色に染めている。
その彼女の名前は、小杉 麗香(こすぎ れいか)。
当時二十五歳となるOLで、勤めている会社でも非常に人気のある女性。
大の女好きではある進吾だが、それは特定の相手がいない場合の話。
確かに麗香と付き合う前までは手当たり次第と言った感じで多くの女性に手を出してきていた。
が、それも麗香と付き合い始めてからはぱったりとなくなり、すっかり麗香に夢中と言った感じになってしまっている。
どちらかというと可愛らしい感じが好みの進吾が、明らかに美人で綺麗系な麗香にここまで首っ丈になっているのも意外なところ。
「そ、それよりも進吾…」
「ん?なんだ?」
「今日は…何時に帰ってくるの?」
「あ?今日は定時上がりだから、六時には家に着いてると思うぜ?」
「そう…」
「なんだ?何かあるのか?」
「…ううん…私も今日は定時上がりだから…進吾と一緒にいられるなって思っただけ」
「!れ、麗香…」
ただ進吾と一緒にいられると思うと本当に嬉しいのか…
麗香の顔にふんわりとした、嬉しそうな笑顔が浮かんでくる。
それも、少し恥ずかしがっているかのように頬を染めながら。
容姿は明らかに美人タイプな麗香なのだが、性格は非常に乙女チックで可愛らしいところに溢れている。
自分の好きな人といられるだけで嬉しい。
自分の好きな人にご飯を作ってあげられるだけで嬉しい。
自分の好きな人が幸せなら、自分も幸せになれる。
そんな女性なのである。
最初は女好きな性格を抑えきれずに勢いで声をかけた進吾だったのだが…
麗香のその容姿と性格のギャップに次第にやられてしまい、今では完全に麗香に夢中な状態となってしまっているのだ。
そのため、今となってはこの麗香が進吾にとってはまさに理想が服来て歩いているような存在となっており、そんな存在と生活を共にすることができているため、他の女性が目に入らない状態となっている。
何しろ、麗香と共に暮らしていることで、自分自身がこの麗香に飽きられないように、悪く思われないようにと水面下で必死に努力していることもあり、他所に目を向けている余裕がないのだから。
そんな進吾と麗香の幸せな生活だが、ある出来事がきっかけとなり状況が一変してしまうこととなる。
――――
「あっ!!」
進吾も麗香もお互いに仕事のない休日ということで、買い物に出かけて仲睦まじく歩いていたその時。
二人の後方で響く、口調は女性っぽいがトーンは妙にハスキーな声。
その声に進吾も麗香も思わず反応して後ろに振り向く。
すると、声のした方には一人の女性が何かにつまづいたのか、前のめりに転んでしまっていた。
「いたた…」
結構な勢いで転んでしまったようで、立ち上がろうとはするものの起き上がれずに蹲ってしまっている。
膝を地面に強打したようで、右の膝を両手で押さえている。
女性は肩の上ほどのショートボブを暗い茶色に染めており、さらにふんわりとした軽めのパーマをかけている。
顔立ちは少し化粧が濃い印象はあるが造詣そのものは整っており、十分に美人と言える範疇のもの。
体型はまさにスレンダーと言った感じで華奢だが、少々肉付きが悪いのか女性の象徴の部分も物足りなさが否めない。
しかし、女性としては長身でスラリとしているため、モデルのようなスタイルではある。
その身体を、真っ白なタートルネックの薄手のセーターとその脚線美が一目で分かるスリムタイプのレディースジーンズに包み、足は少しヒールの高いパンプスを履いている。
「大丈夫か?」
足を動かせなくて地面に蹲っているところに、頭上から響く声。
その声の方に女性が目を向けると、精悍で男らしい、まさに自分好みの顔立ちの男性が自分を気遣って手を差し伸べてくれている。
女性がおずおずとその差し出された手に触れると、男――――進吾――――はその手をがっしりと力強く握り締め、しかし紳士的に優しくゆっくりと彼女を引き上げ、起こしていく。
その力強さと紳士的な優しさという、ある意味では二律相反する要素が共存している手の感触に、女性の心が静かに、しかしそれでいてはっきりと分かるように脈打つ。
「ほれ、もう少しだ」
なんやかんやで女性に対して紳士的なのは変わらない進吾。
むしろ、今は麗香と言う何者にも代え難い恋人がいるため、よりその紳士的な態度に磨きがかかっているようだ。
言葉遣いや振る舞いなどを見ていると粗野な面が多いのだが…
女性を扱う時に限って言えば、そんな粗野な部分も影を潜めてしまう。
麗香も、進吾のそんなところが好きでたまらない。
膝を石造りの地面に強打しているため、右膝が震えてしまっているものの、どうにか立ち上がることはできた彼女。
やはり女性としては長身で、目測でも170cmは超えている。
だが、そんな長身美人の彼女も、190cmを超える長身の進吾と並ぶと頭一つは低くなってしまう。
「足は、大丈夫か?」
「え?…え、ええ…」
「それにしてもあんた綺麗だな。背も高いしモデルでもやってんのか?」
「!い、いえ別に…」
「そうなのか?あんたならいいモデルになれそうなんだけどな」
何もないところで転んで失笑まで買っていた自分を優しく引き起こしてくれた進吾との、他愛もない会話。
その会話の中で、本当に表も裏も、ましてや下心もないことが分かる自然な口調と表情で自分のことを手放しに褒めてくれる進吾の姿。
彼女は、そんな進吾を見ていると顔が熱くなってくるのを感じてしまい、声も反応もどこか不自然な感じが出てしまっている。
ただ、やはり細かいことは気にしない大雑把な進吾であるため、目の前の女性のそんな仕草も状態もまるで気にしていない。
「(どうしよう…こんなにも手放しに私のこと褒めてくれる男の人なんて、初めて…すっごく嬉しい…それに男らしくて格好よくて…本当に私の好み…)」
自身の好みにピッタリと言える進吾が、手放しで自分を褒めてくれることに彼女は心底嬉しくなってくる。
心が非常に慌しく鼓動するのだが、それがむしろ心地よくてもっとその感覚に浸っていたくなる。
目の前の自分よりも頭一つは高い男を上目使いでちらと見つめるだけで、ますますその感覚が強くなってくる。
それが心地よくて顔が本当に緩んでしまいそうになるのを見られたくなくて、ついつい俯きがちになってしまっている。
「ま、とにかく無事ならよかった」
「あ、ありがとうございます…」
「礼なんかいらねえよ。あんたみてえな綺麗な女性を助けるのは当然だからな」
「!…ありがとう…ございます…」
助けてくれたお礼の言葉に対して返って来た、進吾の非常にフェミニストな言葉。
進吾にとっては何気ない一言だったのだが、彼女にとっては一生忘れることなどできない、と言えるものとなってしまう。
目の前の女性が無事だということを確認できたこともあり、進吾はその場を少し離れて一部始終を見ていた麗香の元へと足を進めていく。
「さ、帰ろうか。麗香」
「そうね、進吾」
「?どうした?」
「ううん、なんでもない」
「?なんだ?変な奴だな」
進吾が非常に自然に女性に対して優しくできている様子を見て、麗香は本当に嬉しくてまた進吾のことが好きになっていたのだが、麗香はあえてそれを伝えることはしなかった。
その代わり、本当に我が子を抱くかのように進吾の逞しい腕にべったりと抱きついて寄り添う。
そんな麗香にあれ?と思いながらも、べったりと寄り添ってくることに心地よさを感じているため、特に気にすることもなく、そのまま二人で改めて自宅に歩を進めていった。
「……………」
そんな二人の後ろ姿を見て、彼女の心にツキンとした痛みのような感覚が芽生えてくる。
同時に、進吾のことが傷口に薬を塗りこむかのように脳裏に焼きついていく。
それがどんどん大きくなって、もうどうしようもないほどの嵐が心の中で暴れている感覚まで出てきてしまう。
この出会いが、この後起こる悲劇につながるということを、当時の進吾、そして麗香はもちろん、この女性も分かるはずもなかった。
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