夢の恋

後編

  それから数か月、鳳珠は奥宮で竜金雀として働いていた。竜家は朱鳥帝の五代前の皇帝の時に滅ぼされた一族の姓だった。彼女は『その滅ぼされた一族の娘で、ある時に皇家の手の者によって発見され、宮に連行され、監視下の元働かされている』という設定だった。髪色も変え、化粧の仕方も大きく変えたため、ほとんど姿を見たことのない奥宮の侍女たちはおろか、時々奥宮を尋ねてくる高官に至っても、竜金雀が瑛鳳珠と同一人物であると見抜く者はいなかった。
 奥宮での生活は、鳳珠の心を満たすものもなかったが、反対に、彼女の心をかき乱させる事象もなかった。

 彼女が奥宮へ入ってから数か月たった時に、ある変化が起きた。
 偶々、鳳珠が他の侍女たちと共に香呂殿の花を活けていると、誰かが来たらしく、外にいた侍女たちが騒がしくなった。
「きゃあ、文上相様よ」
「相変わらず見目麗しいわね」
「ええ、そうね。でも、つい最近の文上相さまと言えば、ずいぶん前から噂にありました内生国の皇女様をとうとうお迎えする準備を整えられ始めたとか」
「ええ聞きましたわ。しかし、双方ともに苦痛なんでしょうね」
「それはどうしてかしら」
「文上相さまはどなたかほかに想っていらっしゃる方が見えるそうですけれど、さすがに楡孝様の意見を無視される、という訳にはまいりませんからね。ですから、結婚はされてもあの皇女様との間にはすでに、子を成さないという、約束を取り付けたとか」
「あの皇女様も、わざわざ海を渡っておいでなさったのに、お気の毒にね」
「ええ、全くよ。皇女様もその気になられて、4か月前から遥々海を渡られてこちらにいらしていたというのにね」
「しかし、どんな方が、あの方の想い人でいらっしゃるのでしょう」
「分かりませんわね。ただ、私たちではない、というのが、正しく言えることかしら」
「伶の言うとおりね」
 彼女たちの声お前さんになる会話文だけで示してみると、こんな感じだった。彼女は、最初の方の会話だけで、頭が真っ白になっており、後半の内容は耳に入ってきていなかった。
 鳳珠は、文上相が誰を指すのかが一瞬分からなかった。しかし、『楡孝様』という部分で、それが安葵であることがいやがおうにもわかってしまい、持っていた鉢磨き用の研磨剤が就いた布を落としてしまった。彼女の中で、もうこれ以上心をかき乱されまい、と思っていた案件だったがために、心底驚いた。時折、夜半に尋ねてくる朱鳥帝からも何も聞いていなかったので、驚きは一層強かった。
「どうされたの、金雀さん」
 年齢は若いが、鳳珠よりは侍女経験のある女性が落としてしまったことに気づいたが、何故落としたのかには気づいていなかった。
「いえ、なんでもありません」
 彼女は、ほとんど手が汚れていないいのにもかかわらず、冷たい水で手を洗うふりをして水の中に浸すことによって、気持ちを落ち着けた。

(いけない、これ以上あの人に対して何も想ってはいけない)
 鳳珠はこの数か月間、ずっと封印してきたことを再度封印使用したが、これ以上封印するのは難しかった。
「すみません、朝からの頭痛が激しくなってきたので、部屋に下がらせていただきます」
 先輩侍女に申し訳なく思いつつも、この場を離れたく、仮病を使って部屋に戻ろうとした。

「何故、避ける」
 部屋に戻ろうとして、与えてもらった部屋に近づいてきたときに、その人物はやってきた。
「い、いえ、避けて、な、など」
 そう答えつつも、鳳珠の眼は泳いでいた。彼女は、見た目からして違っていたため、彼は気づかないと思って、脇に退き、会釈のみで通り抜けようと思ってしまったのだ。
目の前の人物――鵬安葵は彼女の肩に触れようとして、すんでのところで止めた。
「お前の考えがあの時は読めなかった。だが、今なら少しわかる。もちろん、いまだにわからないことだってある。例えば、何が領地で起こったのかは俺にはわからない。しかし、朝廷ここに戻ってきたときのお前の様子からしてみて、もし、同じ状況が俺の身にも起こっていたのだったのならば、俺もお前と同じ行動をとるだろう」
 しかし、安葵は彼女の眼を見つめ、そう言った。
「もちろん、今直ぐでなくてもいい。お前がいつか、また微笑んでくれるような状況になったら、共に話してほしい」
 彼は、少し彼女の顎を持ち上げて、額を寄せた。そして、今までは普通の声で言っていたが、その直後だけ小声であること・・・・を彼女にささやいた。
 その言葉に、彼女は大きく目を見開いた。安葵はそんな彼女を見て、少しほっとしたような表情をし、
「これ以上、お前を泣いている顔を見るわけにはいかないから、努力するよ」
 と言い、彼女に、手紙を渡し、『いつでもいいから見てくれ』と言い、外宮の方へ向かって去って行った。
 残された鳳珠は一瞬狐につまれたような気持ちになったが、一呼吸ののち慌てて自室へ戻り、封を切って、中身を読み始めた。読み始めた直後、偶々机の上に載っていた鏡を見てしまい、自分が涙を流していたことに気づき、誰にも会わなくてよかった、と思った。

 それから安葵はことあるごとに奥宮まで鳳珠を訪ねてきた。
 ある時は、午後の休憩の時に甘味を持ってきて、こっそりと彼女の部屋で食べながらだったり、またある時は、夜半に誰もいない庭園に高級酒を持ってきて、月を見ながらだったり、と。
 それを繰り返すうちに、いつしか2人の間には他人が割って入れないような関係になっていた。もちろん、元通りとまではいかなかったものの。
「なあ、桜花」
 安葵はある晩、外宮にほど近い庭園で鳳珠と共に酒を酌み交わしていた。
「何でしょうか」
 鳳珠は蘇を食す手を止めた。
「全然お前の気持ちに気づけなかった俺が言うのも烏滸がましいが、今回は正面切って言える」
安葵は鳳珠の手を取った。鳳珠はいきなりの仕草に手を引っ込めようとしたが、安葵が離さなかった。
「共に歩んでほしい。お前を想っている。だから内生国の皇女の件も断った」

 言われた言葉に一瞬、驚いたが、彼女はすぐに落ち着いて、心の底で眠ることを言った。
「安葵さんが内生国の皇女との縁談をお断りしたことは以前にも伺いましたが、楡孝様をはじめとする鵬家は安葵さんをお許しにならないと思いますし、私についても揃いも揃っていい顔はされませんでしょう」
 そんなことを言った彼女に対し、安葵はそっと手のひらを重ねた。
「確かに、桜花にも嫌な思いをさせる。だけれど、俺にとっても、お前を失うことは耐えられそうにない。たとえ、当主の座を失っても、な」
 そう言って、彼は二人を隔てるように置いてあった酒器などをどけ、彼女の肩を抱き寄せた。鳳珠は驚きはしたものの、抵抗はしなかった。
「それでも、共にいてくれないか」
 安葵はそう微笑みながら、もう一度鳳珠に尋ねた。


 翌日の昼間の公務が入っていない時を見計らって、朱鳥帝に今度こそ一緒に歩む、という事を伝えに行くことを決め、二人は別れた。
 しかし、そううまくいくはずがないのが世の中の実情。
 翌朝早く、朱鳥帝から呼び出しを受けた鳳珠は、朱鳥帝の寝所を訪れた。
「罷り越しました」
「入れ」
 朱鳥帝付きではあるが、こんな朝早くに呼び出されたことはなかった鳳珠は何があったのだろう、と彼の様子を見て驚いた。
「朱鳥帝――いえ、流氷様、それは、な、何があったのですか」
 彼女が見た光景、それは朱鳥帝が寝台の上で病人のように・・・・・・大粒の汗をかいていること、ではなかった。彼女は、布団の上に置かれた左腕を見て驚いていたのだった。
 腕に驚いていることを確認した朱鳥帝は、その様子に満足げであった。
「この呪いを知っているか」
 自身のその腕を示しながら、彼は問いかけた。
「いいえ、恐れながら」
 鳳珠は目を伏せて答えた。
「知らなくても構わぬ。これは、碧家に伝わる『呪い』だ」
「はあ」
 鳳珠の答えに対する返答に、気の抜けた声しか出なかった。

「正確に言えば、碧家の真の長子・・・・に伝わる呪いだ」
 着替え終わった朱鳥帝は、煙管の煙を吐きながら言った。
「代々、この碧家の長子に伝わる呪いで、二つある。一つはこの痣だ。これは大体、本人が死ぬ五年前に現れ始める」
 その言葉に、鳳珠はギョッとした。しかし、朱鳥帝はすでに達観した様子だった。
「絡繰りはわからぬが、どの碧家の真の後継も、死ぬ五年前には必ず出てくる。一部例外がおるようだが、そ奴らも、分かりにくくも出ておる。もう一つ、碧家の後継は必ずと言って短命だ」
その言葉に、鳳珠は驚いた。今、確か朱鳥帝は四十を超えたか超えていないか。しかし、いまだ妻を迎えていない。
 そんな彼女が考えを巡らしていると、朱鳥帝が彼女に言った。
「して、お前さんを呼んだのには、お前さんに伝えておかねばならないことがあるからだ」
「何でしょう」
 彼女から朱鳥帝に伝えなければならないことはあるが、朱鳥帝から聞く話について、彼女は心当たりがなかった。

「お前さんにはこの羅国の皇位を継いでもらわねばならない」

その言葉に、一気に彼女の周りの時が止まったように感じられた。
「それはなぜ、ですか」
 彼女にはこの羅国皇位を継がねばならない道理などはなかった。しかし、次に言われた言葉により、そんなことは言っていられなくなることを彼女はまだ、知らなかった。

「それは、お前の母君・・・・・私の妹・・・だからだ。彼女の名前は碧蘭恵。西方の皇女を母に持ち、私の異母妹に当たる。すなわち、君は直系の碧家の血を引いており、私の姪に当たるのだ」

 その言葉に、一瞬、唖然となったが、よくよく考えてみると、自分の母親って確かに『どこか大貴族の娘で異国の血が混ざっている』という事がわかっているだけで、『どこの家の娘』かはわかっていなかったな、と鳳珠は思い直した。

「で、碧家の血筋は引いているのはいいのですが、私がこの国の皇位を継ぐ資格はあるのですか」
 しかし、彼女はすぐさまそこに思い当たった。それに対して、朱鳥帝は、
「それについては、心配するな。貴族どもは黙らせる」
 と言い、
「あと、安葵についても心配するな。たとえお前さんたちが今の間は共にいようとも、今後、きちんとした婿を取れば問題はない」
 とも付け足した。しかし、当然鳳珠は目の前が真っ暗になった。

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