ヤミ属性な回復担当

月菜

過去

僕は、雪の降る二月に捨てられた。

まあ、俗に言う捨て子というやつだ。生まれてから少し日が経ってから捨てられたので、誕生日ははっきりしていない。だいたいこれくらい、と決められた誕生日だが、祝ってもらったこともあまりない。
名前は、法に則って市長が決めた。二宮は当時の市長の姓で、怜もその人が決めた。何故なのかは……知らない。
僕は児童養護施設で、5歳まで過ごした。そこには僕と同じような捨て子や、家の経済的に育てることが難しく預けられた子、虐待された子などがいた。虐待された子が一番多かったかな?捨て子って、意外と少ないんだよ。
で。5歳の夏に、里親に引き取られた。当時の僕はまだ、家族や暖かい家に憧れていたから、施設から普通の家に移ったときは、そりゃあもう嬉しかった。でも、それは地獄の始まりだった。

所謂、虐待というものをされたのだ。

あの人__僕を引き取った人は、なんというか、表面はいいが中身は本当にどうしようもなかった。だが、表向きには普通の人だったから、養子縁組もできたのだと思う。酒癖が悪くて、家では常に不機嫌で、いつもいつも僕を殴っていた。
10歳になって、小学校の養護教諭に痣だらけの体を見られて、それがきっかけで虐待が世間に晒されることになった。あの人は警察に捕まった、と思う。というのも、虐待が公になってすぐに僕は児童相談所行きになったので、よく分からないのだ。当時、僕は全く笑わない、泣きもしない、まるで人形のような子供だったから、まあ仕方なかっただろう。

児童相談所には、僕と同じような子ばかりがいた。虐待、育児放棄……例を上げれば限がないが、そういう施設だった。部屋は二人で一つだったけど、僕は最初ろくに寝れもしなかった。家ではあの人に寝ている時に殺されかけたりとかもして、それがトラウマで僕は近くに人がいると眠れない。これは今でもそうだ。また、食事も最初は喉を通らなかったし、誰かに話しかけられたり肩をぽんと触られるだけでも過剰に反応していた。触るや話すは僕にとって“=殴る”ということだった。
最初は大変だったけど、児童相談所で生活しながら学校に通って、僕はめでたく医大に進学。大学に入ると同時に施設を出た。18歳になったから__というのは建前で、実際のところは人というのが嫌で嫌で仕方なかったから。バイトとか大変だけど、一応施設から学費とちょっとのお金だけは貰ったから、なんとか遣り繰りしていた。医大に入ったのは、単純に僕が理系だったから。ただそれだけ。
勉強の方は問題なかったけど、僕の精神面はそりゃあもう大変なことになっていた。両腕と左太ももは傷だらけ。いわゆるリスカ、アムカ、レグカをしていたのだ。何故したのか、という問いに返す言葉はない。何故なんて、そんなに簡単に理由が分かれば誰も苦労しないだろう。自殺願望もかなり強くて、重度のうつ病だった。施設にいた頃は隠していたけど、一人暮らしを始めてからヤバイかな、と思って精神科に行ってみれば、見事に当たり。うつ病はもちろん、境界性人格障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、不眠症、自傷していたからリストカットシンドローム……合計五つの精神病を患っていたことが判明。なんで生きていたんだろう。さっさと死ねばよかったのに。
大学を無事卒業し僕は医者になった。僕は内科医だったけど、一応外科でもいける。そのまま医者として金を稼ぎながら、心は常に空っぽで、それでも何故かずるずると生きてきた。ま、もう終わったけど。医者の不養生とはよく言ったものだ。人の病や怪我は治せても、僕はずっと、自分のそれをほったらかしていたんだから。

「ヤミ属性な回復担当」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く