東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-
魔人襲来
あれぇ乗ってこないな?
魔人ウクイヌは首を傾げた。後ろから追う魔獣と逃げる人。大抵の人間種はコレに対してなんらかの反応を示すものだ。助けようとするか、とばっちりを避けて逃げようとするか。棒立ちになることもある。
だがこの人間は剣を抜き、魔人を見据えるのみ。その立ち姿に一切の油断というものが無い。
…気付かれたか?
今までに無い反応に愉快な気分になる。恐らくは長が言っていた低位魔人を討ち果たしたのがこの男。中肉中背で黒髪黒瞳。その顔をしっかりと観察しようと目を凝らして…
目を凝らして…
目を凝らして…
魔人はバカリと大口を開けた。
「…!?」
目を疑う光景。それなりの美男子の顔が異形へと変貌する。人の形で無くなるのならまだしも混乱は無かっただろう。異常なのは口の開き具合。顎が外れた、などと生易しいぐらいに開いている。下顎はもはや胸元まで届きさえしている。
その口から尖った氷が…射出された。
「おロロロ!」
奇怪な叫びとともに正しく矢継ぎ早に射出される氷の雨。その速度は剛弓もかくや。魔力の高まりは感じられる…つまり先祖返り、ひいては神の“権能”でないことは確かでもこれが魔術などとは寝言にも言えないだろう。もしそうだとしならば単純に趣味が悪すぎる。
今見たばかりの者が敵になる。自分に対して振るわれる暴力に対して人として目覚めつつある躊躇を武門の誉で叩き伏せる。そうだ、戦とは誉れであり強者の首は賞賛に値する。
音を置き去りにする勢いで行われる横飛びで、氷の槍を回避する。横目に見た氷は人の頭ほどの大きさであり、マトモに喰らえば死は免れない。
つまりはいつも通りだ。どちらが先に当てるかで勝敗は決せられるのであり、己の剣が通る相手であることを期待するばかり。
「来るか!見も知らぬ敵よ!貴様を我が剣の誉れに加えよう!」
自身を鼓舞する声とともにソウザブは戦士となる。もはや混乱など無い。
まず討つべきは敵手の配下。眼前の人物が容易ならざる存在なのは知っている。ならばこそ冷静に、相手の数を減らして数の上での対等を確保しなければ話にもならない。狙うは霧を噴出させる魔獣。角から溢れ出る霧は紫色であり、明らかに有害。
しかし自分もまた人の域を踏み越えたもの…そんなものを吸わされる前に鏖殺して見せよう。
冷静に考え、合理的に判断する。その戦闘者の思考の結果として敏捷神は仲間達を数に入れぬという残酷な優しさの下、戦闘を開始した。ここから先は人の立ち入る場では無い故に、今後ろから駆けつけて来た者達は足手まといなのだと――
村から駆けつけて来た敏捷神の配下達は困惑を隠せない。先程まで救出対象であった男と、自分達の主が戦闘を繰り広げている。
その状況だけを見ても理解不能。加えて半数を占める新人達はその光景にも思考が追いつかない。
周辺の賊を討伐した際の様子でソウザブが常を越えた戦士であることは知っていた。しかし、これは余りにも…自分達が立ち入れる領域では無さ過ぎた。
かつて彼らが目にした光景はあくまで人を相手にする時の本気であり、今のそれは敏捷神の掛け値なしの本気。目にも留まらぬとはこういうことだ、と満天下に示すかのごとくに残像を残して疾駆している。未だ発揮していない神としての速さを出さずにこの速度。
対する青年も普通ではない。吐き出される氷は荒れ地に点在する岩に突き刺さるほどに強力。大体にしてそんなものが口から放たれるなど悪夢にもほどがあった。口の開き方といい人型であることを冒涜しているかのような有様だ。獣の姿をしていたほうがまだ救いがある。
「とにかく、隠れましょう!わたくし達ではあそこに割って入ることはできませんわ!」
愛する人の力量を知るからこそ、手を煩わせまいと姫は言った。
「まぁそれしかねぇわな。俺っち達が出ても邪魔になるだけだわ」
自分の分を弁えているからこそ、傭兵は言う。
それはどこまでも当たり前の判断だ。敵手が何なのかは知らないが、荒れ地で繰り広げられているのは英雄の怪物退治に他ならない。そこに只の人間は介入する資格を持ち得ない。
「私の鎧に隠れつつ、岩陰へ!」
甲冑を身にまとう女騎士も言った。ここは少しでも頑丈な物の後ろに隠れるべき時。自身の身を盾にしてでも主である夫婦と仲間を守るというその姿は確かに高潔だった。
息を切らして、岩の影に潜む。あの氷の矢は一体どこまで飛ぶというのか。その威力も硬い岩に身を潜めてさえ安心とは言えない。全員が持ち得る、できるかぎりの得物を手にして体を守る。氷柱が岩を貫通して止まらないときのための備えであり、無いよりはマシということだ。
エツィオがほんの少しだけ身を乗り出して覗き見る。
既に一行の最高戦力は魔獣を倒し終わっている。自分達がこの場所に転がり込むまでの僅かの時間で、人を超える魔獣達を無力化させていたのだ。その事実に思わず口笛を吹くと、すぐ横を氷弾が通り過ぎて肝を冷やす。
「ま、師匠なら心配いらないでしょ。サクッと倒して、かえってくるよ」
弟子にして彼に愛される者として、サフィラは確信を込めて言う。薫陶を受けるものとしてソウザブの力量を誰よりも知っているのは彼女だ。だから、勝利を疑わない。敏捷神を倒せる者など、それこそ相棒である竜殺しくらいのものだと知っているから。
しかし、そんな一行に思わぬ言葉が耳に入った。
「…え?それでいいの?」
何も知らない者だからこそ言える言葉があった。その声の主はポリカである。
ポリカは武を知らぬ。ソウザブを知らぬ。
生まれは卑しく。育ちは平凡。武器を握ったのもついこの間のこと。
しかし…いや、だからこそ思うのだ。本当にこれでいいのか?これが我々の冒険のあるべき姿なのかと、問うていた。
「いや、何言ってんだよポリカ!見りゃ分かるだろ!俺っち達ができることなんて精々、足を引っ張るぐらいだろ!?」
「仕方ないって云うのは分かるけどさぁ…僕達、雇われてるんでしょ?」
人にはそれぞれ分があり、役割がある。できるものができることをすることは当然のこと。そして、できないことはできないのも世の中の当然だ。
そして自分達はソウザブと違って“先祖返り”ではない。力量は遠く及ばず、彼が相手にしている敵も強大。ならば…首を引っ込めて嵐が過ぎ去るのを待つことは実に自然の流れだ。
「じゃあさ…僕達にできて、ソウザブ様にできないことってなにかあるの?」
「それは…」
共に過ごしたのが僅かな時間でも分かる。
一行の首領は全方向に優れていた。それこそ、戦闘から雑事までだ。戦場において最悪の事態、全てを一人で賄うことに対する備えという東方の思想の在り方から来ることだとは聞いた。その反面、かけられる時間が目減りすることから一芸を特化できず仕舞いだったということも。
だが――
仲間に武を授けるのもソウザブ。毎日必要となる水を浄化して作るのもソウザブ。そして戦闘もソウザブに任せる。…それで、金を貰う?技術を教えられる?何なのだそれは?
確かに薪を拾ったりはしている。水を汲んだりもする。食料を確保してくることもある。
しかし、それはソウザブの手間を省いているだけで…その全てを彼に放り投げても特に問題なくやれてしまうだろう。なぜなら彼は速いのだから。
一行が見返りとして彼に渡しているものといえば、精神的にも肉体的にも骨休め程度。時間さえ奪っている。
「わたくし達は、自分の身すら…自分では守れていない」
エルミーヌの言葉はかつてサフィラに語った、ソウザブやホレスと共にあるための最低目標だ。
考えてみれば、なんと低い視点か。高みを行く英雄たちの邪魔にならないよう、隅をうろつくだけ。それでいて、自分は愛されるのみ。自分が精神的には夫の助けとなれていたという自負はあるが…、後ろめたくないかと言われれば、それは…
「でも、師匠たちはそれが楽しいって…」
呆然とした反論をするサフィラは、自分の考えに恐れをなす。
それもまた事実ではあるのだ。ソウザブとホレスは同行者達を優しく遇していた。共にあることを喜んでくれていた。
劣る存在を教え導き、庇護する。それはとても甘美で…癖になる。
旅をともにする英雄はそんな暗い喜びに耽る人物ではない。ではないのだが…自分に甘える気が無かったと断言できるか?
断言できるのは敏捷神にとって自分達が添え物程度の実力しか備えていない事実だけ。いつの日か追いつければいいや、と先送りにしていた至極真っ当な考え。
「ああ、くそっ!ポリカが変なこと言うからこんなことになっちまったじゃねぇか!」
激戦の音を聞きながら、それが耳に入らぬほど暗い雰囲気。
吹き飛ばすようにエツィオが言った。
楽をして生きる、というのは一種の理想だ。少なくとも世の大多数の生命がそれを望んでいるだろう。それは当たり前のことであり、何も恥ずべきことではない。
だが、そんな理屈だけで呵責無く幸せになれるほどに精神は単純にできていない。
「つまり…我々は英雄様の愛玩物だと言いたいわけだなポリカは」
「いや…そこまでは…その…」
「いいさ、事実としてそうなのだから。しかし、今後もそうである必要は無いな」
サライネは笑った。彼女は騎士となったのだったと今更ながらに思い出していた。ソウザブにもまた弓を捧げたのだ。主君が自分より強いからと影に隠れるのはダメだ。サライネが生きるために選んだのは現実の騎士ではなく、絵物語の騎士なのだ。
死を覚悟しながら身を乗り出し、弓に矢を番える。
「ああ、もう畜生!出来高払い、出来高払い…!」
エツィオも槍を握りしめた。慌ててその弟子であるポリカもそれに倣う。
「うはぁ…オレに何かできればいいけど…、というか死ななきゃいいけど」
「でも…時にはこういう無茶も旅というわけですわね」
夫に助けがいるとも思えないし、自分達の技が通じる相手とも思えない。
だが…こういうのも悪くは無いと姫と青の少女は時を待つ。顔は蒼白で今にも逃げ出したい。
勢いに任せて突撃はできない。そして敏捷神は速度に優れすぎている。
ゆえに援護するならば事態が何か変化した一瞬に限られている。
決心したのに何も起こらずに終わる可能性もあるが、それでも無駄にはならない。
大事なのは自分達にしかできないことを探し始めたこと…ではなく、自分達にもできることをやろうとしていることだった。どれだけ劣っていようが敏捷神と違う存在である以上、その機会はいずれ訪れるのだ。
戦いとなればなおのこと。
魔人ウクイヌは首を傾げた。後ろから追う魔獣と逃げる人。大抵の人間種はコレに対してなんらかの反応を示すものだ。助けようとするか、とばっちりを避けて逃げようとするか。棒立ちになることもある。
だがこの人間は剣を抜き、魔人を見据えるのみ。その立ち姿に一切の油断というものが無い。
…気付かれたか?
今までに無い反応に愉快な気分になる。恐らくは長が言っていた低位魔人を討ち果たしたのがこの男。中肉中背で黒髪黒瞳。その顔をしっかりと観察しようと目を凝らして…
目を凝らして…
目を凝らして…
魔人はバカリと大口を開けた。
「…!?」
目を疑う光景。それなりの美男子の顔が異形へと変貌する。人の形で無くなるのならまだしも混乱は無かっただろう。異常なのは口の開き具合。顎が外れた、などと生易しいぐらいに開いている。下顎はもはや胸元まで届きさえしている。
その口から尖った氷が…射出された。
「おロロロ!」
奇怪な叫びとともに正しく矢継ぎ早に射出される氷の雨。その速度は剛弓もかくや。魔力の高まりは感じられる…つまり先祖返り、ひいては神の“権能”でないことは確かでもこれが魔術などとは寝言にも言えないだろう。もしそうだとしならば単純に趣味が悪すぎる。
今見たばかりの者が敵になる。自分に対して振るわれる暴力に対して人として目覚めつつある躊躇を武門の誉で叩き伏せる。そうだ、戦とは誉れであり強者の首は賞賛に値する。
音を置き去りにする勢いで行われる横飛びで、氷の槍を回避する。横目に見た氷は人の頭ほどの大きさであり、マトモに喰らえば死は免れない。
つまりはいつも通りだ。どちらが先に当てるかで勝敗は決せられるのであり、己の剣が通る相手であることを期待するばかり。
「来るか!見も知らぬ敵よ!貴様を我が剣の誉れに加えよう!」
自身を鼓舞する声とともにソウザブは戦士となる。もはや混乱など無い。
まず討つべきは敵手の配下。眼前の人物が容易ならざる存在なのは知っている。ならばこそ冷静に、相手の数を減らして数の上での対等を確保しなければ話にもならない。狙うは霧を噴出させる魔獣。角から溢れ出る霧は紫色であり、明らかに有害。
しかし自分もまた人の域を踏み越えたもの…そんなものを吸わされる前に鏖殺して見せよう。
冷静に考え、合理的に判断する。その戦闘者の思考の結果として敏捷神は仲間達を数に入れぬという残酷な優しさの下、戦闘を開始した。ここから先は人の立ち入る場では無い故に、今後ろから駆けつけて来た者達は足手まといなのだと――
村から駆けつけて来た敏捷神の配下達は困惑を隠せない。先程まで救出対象であった男と、自分達の主が戦闘を繰り広げている。
その状況だけを見ても理解不能。加えて半数を占める新人達はその光景にも思考が追いつかない。
周辺の賊を討伐した際の様子でソウザブが常を越えた戦士であることは知っていた。しかし、これは余りにも…自分達が立ち入れる領域では無さ過ぎた。
かつて彼らが目にした光景はあくまで人を相手にする時の本気であり、今のそれは敏捷神の掛け値なしの本気。目にも留まらぬとはこういうことだ、と満天下に示すかのごとくに残像を残して疾駆している。未だ発揮していない神としての速さを出さずにこの速度。
対する青年も普通ではない。吐き出される氷は荒れ地に点在する岩に突き刺さるほどに強力。大体にしてそんなものが口から放たれるなど悪夢にもほどがあった。口の開き方といい人型であることを冒涜しているかのような有様だ。獣の姿をしていたほうがまだ救いがある。
「とにかく、隠れましょう!わたくし達ではあそこに割って入ることはできませんわ!」
愛する人の力量を知るからこそ、手を煩わせまいと姫は言った。
「まぁそれしかねぇわな。俺っち達が出ても邪魔になるだけだわ」
自分の分を弁えているからこそ、傭兵は言う。
それはどこまでも当たり前の判断だ。敵手が何なのかは知らないが、荒れ地で繰り広げられているのは英雄の怪物退治に他ならない。そこに只の人間は介入する資格を持ち得ない。
「私の鎧に隠れつつ、岩陰へ!」
甲冑を身にまとう女騎士も言った。ここは少しでも頑丈な物の後ろに隠れるべき時。自身の身を盾にしてでも主である夫婦と仲間を守るというその姿は確かに高潔だった。
息を切らして、岩の影に潜む。あの氷の矢は一体どこまで飛ぶというのか。その威力も硬い岩に身を潜めてさえ安心とは言えない。全員が持ち得る、できるかぎりの得物を手にして体を守る。氷柱が岩を貫通して止まらないときのための備えであり、無いよりはマシということだ。
エツィオがほんの少しだけ身を乗り出して覗き見る。
既に一行の最高戦力は魔獣を倒し終わっている。自分達がこの場所に転がり込むまでの僅かの時間で、人を超える魔獣達を無力化させていたのだ。その事実に思わず口笛を吹くと、すぐ横を氷弾が通り過ぎて肝を冷やす。
「ま、師匠なら心配いらないでしょ。サクッと倒して、かえってくるよ」
弟子にして彼に愛される者として、サフィラは確信を込めて言う。薫陶を受けるものとしてソウザブの力量を誰よりも知っているのは彼女だ。だから、勝利を疑わない。敏捷神を倒せる者など、それこそ相棒である竜殺しくらいのものだと知っているから。
しかし、そんな一行に思わぬ言葉が耳に入った。
「…え?それでいいの?」
何も知らない者だからこそ言える言葉があった。その声の主はポリカである。
ポリカは武を知らぬ。ソウザブを知らぬ。
生まれは卑しく。育ちは平凡。武器を握ったのもついこの間のこと。
しかし…いや、だからこそ思うのだ。本当にこれでいいのか?これが我々の冒険のあるべき姿なのかと、問うていた。
「いや、何言ってんだよポリカ!見りゃ分かるだろ!俺っち達ができることなんて精々、足を引っ張るぐらいだろ!?」
「仕方ないって云うのは分かるけどさぁ…僕達、雇われてるんでしょ?」
人にはそれぞれ分があり、役割がある。できるものができることをすることは当然のこと。そして、できないことはできないのも世の中の当然だ。
そして自分達はソウザブと違って“先祖返り”ではない。力量は遠く及ばず、彼が相手にしている敵も強大。ならば…首を引っ込めて嵐が過ぎ去るのを待つことは実に自然の流れだ。
「じゃあさ…僕達にできて、ソウザブ様にできないことってなにかあるの?」
「それは…」
共に過ごしたのが僅かな時間でも分かる。
一行の首領は全方向に優れていた。それこそ、戦闘から雑事までだ。戦場において最悪の事態、全てを一人で賄うことに対する備えという東方の思想の在り方から来ることだとは聞いた。その反面、かけられる時間が目減りすることから一芸を特化できず仕舞いだったということも。
だが――
仲間に武を授けるのもソウザブ。毎日必要となる水を浄化して作るのもソウザブ。そして戦闘もソウザブに任せる。…それで、金を貰う?技術を教えられる?何なのだそれは?
確かに薪を拾ったりはしている。水を汲んだりもする。食料を確保してくることもある。
しかし、それはソウザブの手間を省いているだけで…その全てを彼に放り投げても特に問題なくやれてしまうだろう。なぜなら彼は速いのだから。
一行が見返りとして彼に渡しているものといえば、精神的にも肉体的にも骨休め程度。時間さえ奪っている。
「わたくし達は、自分の身すら…自分では守れていない」
エルミーヌの言葉はかつてサフィラに語った、ソウザブやホレスと共にあるための最低目標だ。
考えてみれば、なんと低い視点か。高みを行く英雄たちの邪魔にならないよう、隅をうろつくだけ。それでいて、自分は愛されるのみ。自分が精神的には夫の助けとなれていたという自負はあるが…、後ろめたくないかと言われれば、それは…
「でも、師匠たちはそれが楽しいって…」
呆然とした反論をするサフィラは、自分の考えに恐れをなす。
それもまた事実ではあるのだ。ソウザブとホレスは同行者達を優しく遇していた。共にあることを喜んでくれていた。
劣る存在を教え導き、庇護する。それはとても甘美で…癖になる。
旅をともにする英雄はそんな暗い喜びに耽る人物ではない。ではないのだが…自分に甘える気が無かったと断言できるか?
断言できるのは敏捷神にとって自分達が添え物程度の実力しか備えていない事実だけ。いつの日か追いつければいいや、と先送りにしていた至極真っ当な考え。
「ああ、くそっ!ポリカが変なこと言うからこんなことになっちまったじゃねぇか!」
激戦の音を聞きながら、それが耳に入らぬほど暗い雰囲気。
吹き飛ばすようにエツィオが言った。
楽をして生きる、というのは一種の理想だ。少なくとも世の大多数の生命がそれを望んでいるだろう。それは当たり前のことであり、何も恥ずべきことではない。
だが、そんな理屈だけで呵責無く幸せになれるほどに精神は単純にできていない。
「つまり…我々は英雄様の愛玩物だと言いたいわけだなポリカは」
「いや…そこまでは…その…」
「いいさ、事実としてそうなのだから。しかし、今後もそうである必要は無いな」
サライネは笑った。彼女は騎士となったのだったと今更ながらに思い出していた。ソウザブにもまた弓を捧げたのだ。主君が自分より強いからと影に隠れるのはダメだ。サライネが生きるために選んだのは現実の騎士ではなく、絵物語の騎士なのだ。
死を覚悟しながら身を乗り出し、弓に矢を番える。
「ああ、もう畜生!出来高払い、出来高払い…!」
エツィオも槍を握りしめた。慌ててその弟子であるポリカもそれに倣う。
「うはぁ…オレに何かできればいいけど…、というか死ななきゃいいけど」
「でも…時にはこういう無茶も旅というわけですわね」
夫に助けがいるとも思えないし、自分達の技が通じる相手とも思えない。
だが…こういうのも悪くは無いと姫と青の少女は時を待つ。顔は蒼白で今にも逃げ出したい。
勢いに任せて突撃はできない。そして敏捷神は速度に優れすぎている。
ゆえに援護するならば事態が何か変化した一瞬に限られている。
決心したのに何も起こらずに終わる可能性もあるが、それでも無駄にはならない。
大事なのは自分達にしかできないことを探し始めたこと…ではなく、自分達にもできることをやろうとしていることだった。どれだけ劣っていようが敏捷神と違う存在である以上、その機会はいずれ訪れるのだ。
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