東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

死を弄ぶ・後編

 老人は丹念に腑分けを続けている。ソウザブにせよ、ホレスにせよ人の血肉には慣れている。老人の行為をおぞましいとは感じるものの、吐き気を催したりはしない。目配せしあってからあえて会話を試みる。

「よぉ爺さん!精が出るな。そりゃまた一体何をしてんだい?肉屋には見えないがね」
「ん?ああ、良く聞いてくれたね。私は見ての通り歴史を学んでいてね」

 見ての通り?どこから見ればこの行いが歴史に繋がるというのか。
 老人が腕から取り出そうとしているのは筋肉に当たる部分のようで、皮を綺麗に剥ごうと苦心していた。

「そこの石棺に収められているのが私の祖先でね。話を聞いてみたいんだよ。“霜柱のルクレス”といえばこのあたりでは中々の英雄なんだが、知らないかね?」

 立てかけられた石棺の中には木乃伊が収まっている。どうやらこれが件のルクレス氏のようだった。この祠は彼、ないし彼女を祀ったものなのだろう。

「ご老人。それでなぜ兵士の死体を?」

 老人が使用・・しているのはこの町の守備隊と思しき死体ばかりだ。それはなぜなのかとソウザブが問うと老人が肩を竦めた。

「いやなに、単純な発想でね。戦士の亡骸に取り付けるのならば同じ戦士の方が良いのでは無いのかと思うのだよ。この連中の頑迷さが我が先祖に移らねば良いのだが。私が私の先祖に会いたいというだけで剣を振りかざしてきた愚か者共だからなぁ」

 驚いたことに…老人にはどこまでも死霊術師の自覚はなく、あくまで歴史学者のつもりらしい。過去の真実を知りたいと願うのは学者に限らない願いだろうが、それで死体を再生しようという発想が出る辺りに老人の異常さが表れている。霊魂として呼び出したほうがまだしも楽だろう。
 恐らくこの老人は筆の手入れを学ぶように当たり前の準備として死霊術に手を染めたのだ。それで町一つを滅ぼしたのだから、注力していたのならば世界を塗り替えていたかもしれない。
 既に老人の作業はかなり進行している。というよりは声をかけて来た時点でほとんど終わっている。

 危険だ。何が危険かと問われれば、今も止まぬ圧迫感。それが眼前の老人のもので無いということだ。もはや聞きたいことは無い。老人を止めるべくソウザブは剣の柄を握った。

「…?」

 老人の喉から刃が生えた。それは朽ちた剣先。握っているのはソウザブではない。この祠の主…“霜柱のルクレス”が町を蹂躙した悪辣に裁きを下したのだった。稀代の才を持った死霊術師は呆気なく最後を迎えたが確かに成功していたようだ。話を聞くところまでは行かなくとも復活させたのだから。

 木乃伊と化した肉体に新鮮な筋を埋め込まれた遺骸が起き上がる。石棺の縁に手をかけゆっくりと。副葬品と思われる剣を手にとうとう地を踏みしめてしまった。

「おいおい…あんな方法で成功するのか。随分といい加減なんだな死霊術ってのは」

 ホレスの軽口に様々な感情が綯い交ぜになっていることをソウザブは察知した。自分がそうなのだから当然だ。既に朽ちた肉体に無理矢理施された術。それでなお、この圧迫感。大陸有数の戦士である二人が既に忘れて久しい“格上”の存在感だった。
 死した英雄は眼窩に青の光を宿し、現在の英雄に向き直った。
 恐怖が足に脱力をもたらす。動揺が手を震わす。興奮が・・・頭を沸騰させる。戦士としての業に囚われたのは二人だけでなく、ルクレスもそうであるようだった。
 強者が見えたのだ、そこに理屈は要らぬと古代の戦士が告げていた。

 戦闘とは常にどちらかが不利なものである。例え二人がかりであろうと卑怯には当たらぬと、ソウザブ達もまた原始の理に囚われた。
 矢継ぎ早の猛攻がホレスに浴びせかけられた。竜の鱗で覆われた大斧は盾としても機能しており、古代の英雄の突きを防ぐことに成功し続けている。だが“竜殺し”の猛威を知る者が見れば驚きを禁じ得なかっただろう。あのホレスが守勢に回っているというだけで異常事態。技量を用いることを強いられているのだ。

 隠形と持ち前の速度を駆使したソウザブは既にルクレスの背後にいる。気配を遮断できる限界の膂力を込めた必殺の不意打ちはしかし、無造作に上げた剣に防がれた。
 間違いない。このルクレスも生前は先祖返りであったのだろう。死して尚この戦闘能力を保っていることが信じられない。いや…もしや生前は比較にならないほど優れていたのか?腹に力を込めなければ自信まで折れてしまいそうだった。
 異変は連続する。続いて払われる返礼の一撃を躱そうとしたソウザブは驚愕した。ルクレスを中心に発生した冷気によって足が地面に貼り付けられていた。
 咄嗟に靴を捨てて離脱できたのは幸運でしかない。これが“霜柱”という二つ名の由来。だがルクレスが術を行使した気配が無く、魔術の心得があるソウザブを強制的に困惑に陥れる。詠唱なり魔力の高まりといった前兆が無い。力量だけでなく全てが常識の外にあるというのか。

 先祖返りとしての力量だけ見てもルクレスは異常だ。速度はソウザブとほぼ等速。腕力はホレスと並ぶというデタラメさ。かつて戦ったゼワと異なり、高い次元で全てにおいて均整が取れている身体能力は冷気と合わせて当代最強の冒険者達を追い込んでいく。
 唯一の救いは互いに元が人間種であるが故に一撃を食らわせれば終わるという点だ。つまりどちらが先に当てるかの勝負だ。それが軽症であってもぎりぎりで保たれている天秤は一気に傾く。
 とはいえどちらの側も超絶の戦士だ。当たる時は首を跳ねる胴体を別れさせるといった致命の一撃である可能性は高い。

 一撃、二撃、三撃、四撃。
 西方の剣術なぞ棒切れを振り回しているに過ぎないと言った誰かにこの光景を見せてやりたい。ソウザブがそう考えたほど、ルクレスの攻撃は洗練されている。力押しに見えて次に繋げる。牽制かと思えば必殺の一撃。未だ凌げていることが自分で信じられない。なによりもコレが死体の技巧だと誰が信じるだろうか?
 端から見ていれば良い勝負だ。しかし押されているのは実際にはソウザブ達である。ホレスの膂力による力押しが敢行できないため決め手に欠けるのだ。二人がかりだというのに後一手を打てずにいた。

「くそっ!」

 対するルクレスには地を這う冷気がある。追い詰められれば仕切り直しに、そして最後には首を刎ねる布石として機能するだろう。なにせ展開されればソウザブ達は距離を取るか、跳躍する他無い。
 口を利く余裕すらない戦闘などいつ以来だろうか。しかし楽しんでいる余裕もとうに消え失せた。このままでは死が待つのみだ。
 ソウザブ、ホレス共に一端の戦士。誰にも明かしていない秘中の秘、即ち切り札は持っている。にも関わらずこれまでルクレス相手に使わなかったのは相性が悪すぎるために命中する可能性が無いためだ。少なくともソウザブはそうだ。事前の準備を念入りにしていたとしてもルクレス相手では通用しない。
 ホレスの豪腕で攻めきれぬ以上はソウザブがやる他はない。何か手は無いのか?今のソウザブには肩を並べる相棒と帰りを待つ者達がいた。潔く諦めたりはしない。

 …あった。幾度目になるか分からない冷気による仕切り直しの際、素足となった足の感触でそれを思い出した。それは“先祖返り”となる前の切り札。錆びついた記憶に残る手段。
 可能なのか。現在の力量とすり合わせる時間は無い。機会は一度きりで、失敗すればそれで終わりだ。人間らしくなるということは怯みを産むことに繋がっていた。

「…ソウ!」

 相棒の声に目が覚める。名を呼ぶという余計な行為のせいでホレスの肩に血が迸った。それでも声をかけて来たのはソウザブの迷いを察したからである。男らしい瞳が“やってみろ”と告げていた。英雄の激励を受けて迷いは晴れた。
 わざと先程までと同じ展開を演じる。決死の攻防の末にルクレスの枯れた肉体に刃が届きそうになる寸前で来る冷気による仕切り直し。
 …それを待っていた!
 ソウザブは先程と同じように跳躍して回避した。但し着地点が異なる。それは壁面。裸足の裏には符があり、壁面に触れると同時にそれを起動させた。――爆裂の符である。

 足元で爆発を起こし推進力へと変換させる無謀。僅かにでもタイミングがずれれば通常時よりも速度が落ちた上に足を損傷するという笑えない事態が待っている。
 足に伝わる衝撃を感じた瞬間に剣を振り抜いた。日頃の自分を上回る速度になれば目で合わせる猶予はない。勘を頼りに賭けを敢行した。
 ルクレスが剣を上げて防ごうとしたがホレスがそれを阻んだ。代償に足が冷気に取り込まれようとしていたが問題は無い。頼れる相棒が矢となって飛んでくるのだ。

 結果は生者に微笑んだ。ルクレスの頭部が切り離されて落ちていく。眼窩から青い光が消える前にその目が賞賛しているように感じたのは気のせいではあるまい。太古の戦士は現在に強者を見出し、満足して再び眠りに戻った。


「はぁっー、はっ。どうなりましたか…ホレス殿」

 ソウザブの息が荒い。凄まじい緊張と足の痛み故に床に転がったまま起き上がれない。飛んだ時は完璧な手応えだと感じたがやはり無理ではあったらしい。

「はっはっ。…首は飛んでるな。起き上がってこないだろうなこいつ」
「さぁ…っ。ですが起き上がって来ても攻撃はしてこないように思いまする。なぜでしょうか」
「ま。戦士だからだろう。というか何だよさっきの。欠陥技にも程があるだろ。足が爛れてんぞ」

 だからこそルクレスの意表を突けたのだが、確かに欠陥技であることに違いない。二人は息を荒げつつ笑った。

「そういうホレス殿こそ凍傷ですな。…帰りはこちらが守られる側になりそうで、エル殿とサフィラになんと言われるやら」
「とりあえず俺に肩は貸してくれそうもないな…」

 足音が聞こえてきた。単にこちらを心配して来てくれているだけならありがたい。敵を連れていたらろくな抵抗ができそうもなかった。その心配は杞憂だったのだが。


 肩を借りることにはなったが、驚いたことに狼王が手配した馬車が戻ってきていた。あらかじめの指示だそうでこのあたりの気配りは大したものである。
 冥神の使徒はしばらくこの地に留まって、死者を弔うという。死霊術師の死体には別のやり方がある、というのを聞いて一行の顔は少し引きつった。自業自得とは言え碌な葬られ方にならないことは使徒の気配から察せられる。

「世話になっちまったな冥神の」
「いいえ、どうせまたすぐ会えるでしょうし。礼はその時にでも受け取りましょう」

 二人の足の負傷に関しては専門の術士を狼王国に派遣してもらえるよう手配したそうで、礼を言ったのだが気になる一言を残して冥神の使徒は来たときと同じく鈴の音を響かせて町に戻っていった。

 馬車の中で女二人に看病されるソウザブにホレスが文句を言う。サフィラがからかう。エルミーヌが笑う。生きて戻れて本当に良かったとソウザブは思った。

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