東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

狼王

「ホレス殿…そろそろ東へ進路を変える頃合いでは無いですかな?」

 夜の酒場兼宿屋でソウザブが切り出した。騒がしい酒場の壁には暦表が張り出してある。それが今が楓の月に入ったことを示していた。ソウザブ達がエルミーヌの祖国であるアークラを訪れた時から既に4ヶ月余りが経過したことになる。

「え?なにどういうこと?師匠?」
「ソウ様?」

 酒が入って禿頭まで赤くなったホレスはんー?と唸りながら、酒場の壁に目を向ける。すると顔から酔がみるみるうちに消えていった。

「やべぇ!あと半年しかねぇのかよ!帰らないとサクに殺される!」
「お二人はご存知ありませんでしたな。ホレス殿は一年に一度は家に帰って妻であるサク殿に会わないと殺されてしまうのですよ。サク殿に」

 エルミーヌとサフィラは顔を見合わせた。信じられないことを聞いた、という顔をしているサフィラが疑問を口にした。

「おっさん結婚してたのかよ!どんな物好きだよ!?」
「シメるぞサフィラぁ…。お前俺を何だと思ってたんだ!」

 うわっ酒臭っ!と叫びながらホレスから逃げ回るサフィラを眺めながらエルミーヌとともに微笑む。エルミーヌが微笑んでいるのはいつものことだが。

「わたくしが気になっていたのは…ホレス様ほどの冒険者が殺されてしまうというほどの奥様のことだったのですが…」
「女傑と称される程の功績を上げた方ですが、怖いのはホレス殿に対してだけですので安心してよいかと。特にそれがしは同じ東方の血筋とあって良くして頂きもうした。それがしにとってはこのアデルウにおける母上のようなものでして」

 地酒で口を湿らしながらソウザブが話す。愛する夫…エルミーヌの中でとうとう婚約者から上昇している…が語った言葉にエルミーヌはまぁと漏らした。

「それではわたくしにとっても義母様!ぜひ向かわなければソウ様!」
「ははは、そうですなぁ」

 ソウザブは時折笑うようになっていた。まだ表情の変化に慣れていないのか時折無表情のまま声だけ笑っていてサフィラなどは不気味がっている。


 酒が入った状態で走ったせいかホレスの顔は青になったり赤になったりしている。流石に堪えたらしい。これが人類第一の英雄である。
 とうとうホレスに捕まらなかったサフィラも大したものだ、とソウザブはサフィラの評価を一段階上げた。本気でないこと、酒が入っていること、体格上サフィラに有利なことを加味してもそうできることではない。あるいは本気で生命の危機に反応していたのか。

「おっさんの嫁さんのことは置いておいて、オレ相談したいことがあったんだよ師匠」
「…ほう?」

 ソウザブが相談されることは珍しい。そもそもにして未だに世間に溶け込んでいるとは言い難い男である。とはいえ冒険者としては先輩であることに違いない、ソウザブは首肯して続きを促した。

「おっさんと師匠みたいな先祖返りにオレも成れるかな?なにかコツとかあったりする?」
「あ、それはわたくしも聞きたいですソウ様」

 共に旅をしていれば当然の疑問である。圧倒的な力に速度。それが自分にもあれば、と考えることはごく自然のことだ。輝く目の二人が投げかけた疑問に息を整えたホレスとソウザブは…腕を組んで黙ってしまった。ややあってから話し出す。

「可能性の話ならばそもそも全ての生き物に可能性があるはずなのですが…」
「条件ってやつが分かってないんだよなぁ…まぁ死にかけたりとか鍛錬しまくってってのは良く聞くが、そんなことしてる奴は捨てるぐらい居るだろうにな」

 男二人の返答に女二人は少し気落ちする。不確かな可能性にかけて努力するのは辛いものだ。死にかける、というのも余りやりたいことではあるまい。

「あー、結局頑張るだけかぁ。まぁ良いけどさぁ」
「研究してる国は多いのですが、ほとんど成果を上げられていないそうですな」

 研究の過程で実験体となった存在がどのような目にあっているかは想像したくないところではある。とある国がそうであるように魔術や薬物による強化でお茶を濁しているのが各国の人造“先祖返り”開発の実情だろう。

「全ての生き物…ということは動物なども先祖返りするのですか?」
「するな。魔獣だとか魔物だとか呼ばれてるやつの正体は大抵そうだ。正真正銘、魔によって造られた生き物なんてそうそう見ねぇよ」
「マジかよ…そんなやつら出てきたら一巻の終わりじゃん」
「だから我々のような腕っ節が自慢の冒険者や戦士ギルドが潤うわけですな」

 といっても寿命が伸びるとも限らないので勝手に死んでしまったりもする。先祖返りの発現の方向は各々バラバラだ。寿命の短い生物が知力向上型の先祖返りを迎えても知識を得る前に生を終えてしまったりと、世に出ない存在も多いとされていた。ゼワのような生命力が溢れる性質はかなり珍しいといえる。

「今の話で考えたのですが、ホレス殿。折角ですのでお二人のために狼王国に向かうのはどうでしょうか。東に向かうのは決定済みなのですから…どのみちガザル帝国には入れませぬ故」
「狼王国とはあの…?お話だけは聞いたことがありますが…」

 流石にエルミーヌは王族だけあって知っているらしい。ソウザブの提案に反応してみせた。サフィラは知らぬようでえ、なになに?と言っている。

「あーそうだなぁ。狼王の顔も最近見てないし行くかぁ。あんまり長居はできないが…まぁあの国は冒険者にはいい刺激だわな」

 リーダーであるホレスの決定により、一行の行き先は決まった。
 ホレスが内心でソウザブが行き先を示しだしたことを喜んでいたからこその決定だった。


 その街並みに変わったところはない。ごく普通の石造りの家が立ち並ぶ城下町である。違うのは人通り、街を行き交う人々は一国の首都ということもあり流石に多い。そして人だけではない。

「すっげぇ!狼が普通に街中にいるよ…!あ、だから狼王国?」

 青い髪が物珍しげに揺れる。サフィラが言うとおりにこの街の光景は初めて訪れる者にとっては異様だろう。
 大通りを狼が闊歩している。それも一匹や二匹ではなく、人間達に迫る程の数がいた。連れ立って歩いている人間達は手振りを混じえながら狼に話しかけている。ここでは狩るものと狩られるものでも、増してや飼うものと飼われるものではない。人と狼は対等の存在なのだ。
 客を引き寄せんと大きく書かれた店の看板の中には狼専用の文字すらある。店の扉を見てみれば人間ならば屈まなければ入れないような扉になっていて笑みを誘う。

「半分正解で、半分外れです。では行きましょうか」
「あれ?師匠ー。酒場通り過ぎちゃったけど良いのかよ?」

 いいのです、と手を振りながらソウザブ達は街の中心に向かって足を進める。
 雑貨屋らしき店の前で揃いの前掛けを身につけた女性と狼が客引きをしている。女性が声を張り上げると狼もまた遠吠えをあげる。こうすることで人と狼両方に訴えかけることができる、この街ならではの光景だ。
 見るもの全てにサフィラとエルミーヌが目を丸くしている。この調子なら向かう先でも驚いてくれそうだ、とソウザブはほくそ笑む。表情は変わっていない。


「ってここお城じゃん!」
「ソウ様?あら?呼び止められませんでしたわね…」

 ソウザブとホレスは迷いなく城に足を進める。入り口に立っていた…というよりは座っていた鎧を着込んだ狼も人の衛兵も、誰何すらしない。それどころか礼を返してくる。
 高位の冒険者にはこうした待遇があるものなのか、とエルミーヌとサフィラも付いて歩く。とうとう城の中枢らしき区画に近づきつつあった。

「えぇー、オレ礼儀とか知らないよ…。大丈夫かな」
「頭さえ下げておけば何とかなるものですよサフィラさん。堂々と、ですわ」

 ついに一際大きい扉を潜ってしまった。


「速かったなホレス。それに疾風の。迷いなく我が家に向かってくれたようで嬉しく思うぞ」

 玉座から声がかかる。驚いたことにソウザブもホレスも膝は折らなかった。流石にソウザブは立ったまま礼を示していたが、ホレスはそれすらせずに毛のない頭を掻いている。

「街に入った時から人の気配を窺うな。乙女かお前は。地べたじゃなくて仰々しい椅子に座ってるとそうなるのか?」
「お前は相変わらず頭蓋の中にまで筋肉が詰まっているらしいな。それと気配を察していたのは街からではなく、国に入ったときからだ…。息災か?疾風の。今年の祭りには出てもらえるのか?」
「いえ、陛下。残念ながら。ホレス殿の里帰りの最中なのです」
「相も変わらず恐妻家か。…まぁサク相手では仕方ないな。うむ。むしろよくやっているなホレスは…」
「慰めんな!腹立つんだよ!」

 エルミーヌとサフィラは虚を突かれたという顔でその光景を眺めている。一国の王に対して気さくな二人にではない。

「狼が…王冠被ってるぅ!?」
「まぁ…噂は真実だったのですね…!」

 玉座に“おすわり”していたのは他の倍ほどもある黒い毛並みの大狼。その頭には王冠が輝いていた。


「初めて見る顔がいるな。嗅ぎ慣れぬ匂いはその二人のものか。何者か?」
「あーソウの嫁だよ。二人共」
「オレは違うって!?」

 サフィラが顔を真っ赤にして吠えた。が、他の者達は聞いてはいない。エルミーヌが完璧な礼をもって頭をさげた。

「ソウ様の妻。エルミーヌと申します。以後お見知り置きを…」
「その名。その風貌。聞いたことがあるな。そなたの国のことは残念であった。友好が結べていたら、と考えることもある」
「そのお言葉だけで、母も父も嬉しく思ったことでしょう」

 狼王は後ろ足で首を掻いた。厳しい喋り方と狼そのままの動作の組み合わせで人間からも人気のある王だった。

「しかし疾風のが結婚したと知っていれば祝の品など送ったのだがな…」

 狼王が呟いた時、玉座の間の裾から一人の女性が歩み出てきた。素朴な顔と質素なドレスを身につけている。

「あなた。歓待の間の準備を整えましたので、続きはそちらでなさってくださいな。ホレス様達も旅の後。立ったままではお疲れになりましょう」
「あなたぁ!?」

 サフィラは完全に驚き役になっていた。知らなくては無理もないことだったが。
 狼王がたっしと玉座から降り立ち、先導するように歩みだした。そのすぐ後ろに狼王の妻とホレスが続く。ソウザブも未だ事態についていけていないサフィラを引っ張って行くことにした。

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