東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

タローラの湖

 タローラは湖が多い。そして湖の近くには大体人が住んでいた。魚が獲れ、輸送も迂回するよりは湖を突っ切っていった方が早いこともある。風光明媚でも知られるこの土地には多くの商人が店を構える。大きな湖…特に水質が良い湖に隣接して造られた街の活気は大変なものだ。噂では商人達は巡礼などではない観光という事業にまで手を出そうとしているのだという。

 ソウザブ達一行はそんな国でわざわざ大きいが濁った湖近くの小さな町に滞在していた。よほど整備された街でなければ水を清潔に保てない。澱んだ臭いが鼻につく。そのせいかこのタイザの町は寂れている。浄化の術を使うような術士を定期的に雇う余裕も無いだろう。
 ソウザブは元々水が多い国の生まれであり特に気分が悪くなったりはしない。不快でないわけでは無いが、感情と身体の働きが切り離されている。お姫様であったエルミーヌは意外に不満を洩らしたりはしない。彼女は未来の夫であるソウザブが不快感を示さない限り、大抵のことはねじ伏せてしまえるというある種の特技を持っていた。どこに嫁ぐか分からない生まれによる教育の成果だ。
 問題はホレスだった。ホレスは鼻をしきりに蠢かせ、明らかに鬱陶しげだ。だが今更宿を変えようとは言えずにいた…この町を選んだのは他ならぬホレス自身だったからだ。

 ソウザブ達とて最初はこの国の華、ラリーバで過ごそうとしていたのだ。だがタローラは商人が強権を振るう街だ。“竜殺し”の二つ名を持つホレスは商人達にとって是が非でも手に入れたい品物だった。勧誘、依頼、果ては脅迫まで。あまりの執拗さにホレスは辟易して人が少ない町に移動することを決めたのだった。
 ソウザブがゼワから逃げ出した先でホレスが逃げることになるとは奇妙な話である。

「あー気色わりぃ…酒の匂いで誤魔化すしかねぇぜこりゃあ」
「香水か匂い袋でも買いますかホレス殿」
「やめろ…想像させんな!花の匂いと湿っぽい臭いが混ざったりしたらお前…なんだ…アレだ。とにかく気持ち悪さが増すだけだろ!」

 湿気った町並みを歩く。木では腐ると見えて路面は流石に石材で綺麗に舗装されているがその分滑りやすい。鍛錬を積んだ男二人には問題にならないがエルミーヌは足を取られがちだった。そのためソウザブが手を引いて歩いている。エルミーヌが匂いを気にしないのは手を繋いでいるため上機嫌なためでもあった。
 今日のタイザの町は霧に覆われていた。町の目抜き通りにも活気はない…のは別に霧のせいではなく、単純に此処を訪れる客が少ないからだ。この町の商人は大都市で敗れた者やここにしか店を開けなかった者、あるいはその子孫達であり端的に言ってやる気が無かった。

「霧の都…そんなお話を聞いたことがありますわソウ様。一年を通して霧に覆われた町で互いの顔も見えない。そんな町で声だけで交流する男女が惹かれ合う…そんな物語です」
「エル殿は博識ですなぁ…文や詩で思いを伝えるのも良いかも知れませぬな」
「まぁ!でしたらわたくし毎日想いをしたためますね!それでソウ様の返歌が翌朝わたくしの枕元に…」
「…時々凄まじく鬱陶しいなお前ら」

 町の雰囲気にそぐわない鈴のような声と明るい空気。それに群がる虫のように路地裏から凶漢達が這い出てきた。寂れた町というものはこうした手合にとっては住みよい場所だ。女が上物であることを確認すると男達は久々の収穫に精を出そうと笑みを浮かべて静かに歩を進めた。

「…やり過ぎでは?ホレス殿」
「そうか?見たところ非合法の人買いか何かだろ。ちゃんと手加減しただけ俺は優しい」

 突如として現れたつもりだったらしい男達は最初からソウザブ達に察知されていた。霧が濃いのが幸いしてそこまで目立たなかったものの一帯は血溜まりと化していた。手加減したと言っても機嫌が悪かったホレスの剛力の目標となった男達は目も当てられない状態だ。一人は文字通りの壁のシミとなってしまっていて、一番軽い者で腕がコヨリのように捻れている。
 こうなると目撃者がいないのは幸いなのか不幸なのか分からなくなる。金の冒険者が率いる一行であっても、正当な報復であったことを訴えに行かなくてはならないだろう。こうした時はソウザブが前に出るべきだったのだ。

「官憲に行くか…“処理人”を探すか、どちらが早いと思いますか?そこの方」
「えっ…?まぁ!いつの間に!」

 霧の中から濃い緑色をした外套を着た男がのっそりと出てくる。緩慢な動きだが芯があるように軸がブレない体捌きで男が油断ならない手練だと感じさせる。だからこそソウザブはかえって安心した。害意を感じないのもあるが、この男が本当にソウザブ達を害そうというならばむしろ素人のように振る舞うだろう。自分が優れていることを大っぴらにすることでいわば誠意を見せているのだ。

「おみそれしました。これでも気配を殺すことには自信があったんですがね」

 中肉中背。顔にも特徴らしい特徴は無い。それが逆に恐ろしい。外見であれ気配であれ雰囲気であれ、技能が高まると自然と外にそれが発露するものだ。だが男がわざとそう見せなければ彼は誰から見ても一般人にしか見えないだろう。

「ああ!?なんだアンタがコイツラをけしかけたのか?俺と喧嘩したいのならちゃんと言ってくれなきゃ困るぜ」

 ホレスが腕を鳴らす。そのあたりのゴロツキではなく、明らかに戦闘を生業としていることが見て取れるホレスが行うと威容という表現が似つかわしくなるから不思議である。ホレスの威嚇に大げさな身振りで男は応えた

「待って下さい。待って下さい。アタシはただの勧誘役ですよ。それにけしかけるのならもっとマトモな連中を使います。たまたま貴方方の手並みが目についたんでね声をかけてみたんですよ。…良ければその間抜け共の処理を当商家が請負ましょう」
「…もちろん無料ではない?」
「ああ…頭が付いている方との会話というのは素晴らしいものですね?そう。代金代わりに商家の主に会って話を聞いて欲しいんですよ」

 奇妙な人物だった。印象が一定しない。誠意があるのかないのか。馬鹿にしているのかいないのか。身振りを混じえた大仰な話しぶりは外見の凡庸さと相まって下手な劇を見ているようである。気配を殺せることから見てもソウザブや先に出会ったセリグと同様に影に生きてきた者なのだろうが、役割が違いすぎるようでソウザブにも上手く感情が読み取れなかった。

「頼みを聞いて欲しい、ではなく話を聞いて欲しいなんですの?」
「ええ…そうです。美しいお嬢さん。貴方の場合嘘を言う必要が無くて大変ありがたい!まぁ我々といたしてもそこに転がってる二束三文連中の後始末ぐらいで依頼を受けて欲しいとまでは言えませんよ。
…腕のあたりの音からすれば貴方方は冒険者でしょう?それもお二人のは金属製だ!」

 三人は霧のため全身を覆う外套を纏っている。腕輪の色は見えない。
 手の内を少しづつ開示していく男にホレスがやる気を削がれだした。ホレスは頭が回る方ではあるのだがそれと好き嫌いは別だった。

「あー。正式な依頼なら悪事じゃなくなるけど良いのか?あんたどう見ても鼠が溝にハマってもがいてるのを楽しみそうな感じだが」
「それは勿論、困っているのは本当でして。依頼内容も単純なものですし、後ろ暗いことを頼もうとしているわけでもありません。それに貴方方以外にもお願いする筈です」

 勿論、というのは鼠の話も含まれているのだろうか?ソウザブはボンヤリと考えた。

「なんか面倒になってきた。おいソウ。どうする?」
「まぁ話だけ聞きに行かれては?嫌な依頼なら断る。騙されたのなら拳でやり返す。いつものことでしょう。エル殿は?」
「わたくしはソウ様に従います」

 次の者を探してくると言って胡散臭い男は商家の前で去っていった。冒険者の扱いとして珍しくはないが失礼であることは確かなので何か引っかかりを覚える。
 案内された商家の内装は落ち着いた作りだった。成金趣味のようなところは無いらしくどの家具も使い込まれている実用的な品だ。ただエルミーヌによれば使われている木材の材質はかなりのものらしい。
 エルミーヌは流石にお姫様育ちというだけあって感覚的な目利きはかなりのものだ。世間知らずでもあるため細かい値段の知識などは持っていないが偽物か本物かなどはピタリと言い当てることができるようだった。
 しばらくすると年老いたメイドにこじんまりとした応接室に通される。そこで待っていた商家の主はソウザブ達を立ちあがり出迎えた。

「私の名はダグラル。当家の招待を受けていただいて感謝します冒険者の方々」

 商売人ともあれば何から何まで好感を抱かせるための作り…ということも否定できないがダグラルは中年の朴訥そうな男に見える。一家の主は主でも家族のために汗水垂らして立ち働いているのが似合いそうだ。後ろに流した髪は白髪混じりで彼が積んできた労苦を思わせる。
 出された茶はほのかにベリーの香りがした。

「まず…お名前を窺っても?」

 本気で言っているなら意外な質問であった。あらかじめホレスを狙っての勧誘かと思っていた一行は顔を見合わせた。演技だとしたらわざとらしすぎる。

「…ホレス。腕輪は金だ」
「ソウザブです。腕輪は銀」
「お二人の指導を受けているエルミーヌと申します。まだ駆け出しの木ですわ」

 一行の名と位階を聞いてダグラルはあ然としていた。エルミーヌ、という名前自体はよくあるものなので彼女の身元が発覚することは無い。

「金…!?それに銀…。腕が立つ方を探すよう伝えてありましたがこれほどとは…。いや、まさかとは思いますがホレスとはあの…?」

 ホレスがくすぐったそうな顔をしているのでソウザブが代わりに頷いてみせると、ダグラルは天を仰いでしまった。あまりの幸運に神々に感謝でも捧げているような仕草だ。

「…失礼しました。取り乱してしまったようで。そ、それで依頼したいというのは湖賊の討伐なのです。時に通行料をせしめ、時に襲いかかりとこの町の頭痛の種で」
「湖賊ぅ?…いやなんで湖賊なんかがのさばってんだよ、この町にも兵はいる。あんたら商売人がその気になれば傭兵だって…ああ」

 湖賊や海賊、あるいは山賊というものはこそこそと活動するのが常だ。生半可な数では農民、あるいは漁民に撃退されるのが落ちである。大手を振って歩いているのはそれこそ余程の大規模な集団か…もしくは

「後ろ盾のある集団…それも手引きしたのは大都市の商人。そんなところですか」
「…話が早くて助かります。やつらを定着させたのはラリーバの商人でした。この町の発展を阻害しようとしてるのか、都落ちした我々を嘲笑ってのことか。まぁ後者でしょうね、元々この町に発展の余地はあまり無いですから」
「…でした?」

 可愛らしく小首を傾げたエルミーヌが聞き咎めた。このお姫様にはソウザブ以外には割りと容赦の無いところがある。

「ええ…まぁ。どうも支援が滞りがちになっているようですな。多分飽きられたんでしょう。その分を埋め合わせようと襲撃が頻繁になりました。最近は連中と契約している商家の船まで襲っているようで」

 何ともまぁ町も賊も末期的な状況であった。立地からすればもう少し発展しても良さそうなものだが…。そこまで考えてソウザブは少し状況が飲み込めてきた。この町の人間は大都市からの吹き溜まりのようなもの。それは光と影であり表裏一体のものだ。ならば後は受けるか受けないかだ。

「今度…我が家が投じた財で新しい廻船が就航します。少し無理をしましたが湖の船としては大きい方です。少しは町も賑わうでしょう。…新しい賊が来るまでの間だとしても」

 ホレスと出会ったことで流れていた汗は引いたようだがダグラルの顔は蒼白だ。それは決死の覚悟で絞り出した勇気。戦士のような荒々しい覚悟とも、騎士のように静かな決意とも違うその不純物にまみれた感情をソウザブは美しいと思った。

「ダグラル殿は…このタイザの町に何か思い入れでも?」
「さぁ…あるような…ないような。私はここで生まれ育ちましたから少しは良くならないかと、それだけです。ああでもあんな汚い湖ですが霧の中の夕焼けは美しいですよ。こういうのも郷土愛というんでしょうかね?」

 郷土愛…その言葉を聞いてソウザブは彼の依頼を受けても良いと思った。


「珍しいなソウが方針決めるなんざ。…気付いたのはあのいけすかねぇ野郎に関してか?」

 討伐の前夜に港の桟橋で道具の手入れをしているソウザブにホレスが声をかけてきた。ホレスの言う通り、ソウザブは今まで依頼の諾否を決したことがなくホレス任せにしていた。
 それを変えたのはダグラルの郷土愛。ソウザブは故郷の兄達を愛していても国自体をどうこうと考えたことがそもそも無かった。ただ生まれただけで、そうでなくてはこうも旅を続けられなかっただろう。故郷という言葉が思い入れのある場所を指すならホレスの妻のいる村のほうがまだ相応しい。だから受けた。何であれ自分の持っていないものは眩しい。

「半分正解です。理由はそれと…この船ですね」
「ちいせぇ船だな。…あ゛?まさかこれが?」

 ソウザブは頷いた。ダグラルが「少し無理をして」作った船だった。海で見た船とは比べるのも馬鹿らしい程大きさに差がある。水深だとか役割だとか外海と湖の違いなどが関係しているのだろうが、そんな理屈はどうでも良くその船はソウザブにはダグラルそのものに見えた。
 幅も他の廻船と比べて少しばかり…小舟の幅程度大きいだけだ。これを作るのにした無理とはダグラルにとってどの程度のものなのだろうか?

「コレが浮いているところをみたいではありませぬか」
「じゃあ仕方ねぇな」

 ホレスがソウザブの横に座り込む。ソウザブが得物を買ってきているのも珍しいのだろう、手元を覗き込んでくる。珍しいからと言って酒の肴にされても困るのだが。

「すいませぬな。安い依頼料で受けてしまって。…他の冒険者の方々はどうでしたか?」
「今度謝ったらはっ倒すぞてめぇ。…他の連中は食い詰めの“鉄”ばかりだ。成功させるにゃ俺達が気張るしかあるまいよ。俺は船の上じゃそんなに役に立たんから先鋒はお前任せだ。嬢ちゃんのことは任せときな」
「相わかり申した。ホレス殿が地面と出会う前に終わらせておきましょう」

 こいつめ、とホレスに羽交い締めにされる。濁った水の臭いもすでに気にならない二人だった。

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