太陽王の剣〜命を懸けて、君と世界を守り抜く!〜
9 呪
グラディウム城は、ほぼ円形の首都グラディウムの、その円の中心部にある。グラディウムの西側にある高級住宅地に居を構えるディべスの屋敷からは、そう遠くない。レオニス達三人は、脇目も振らずまっすぐ城の西門を目指した。
屋敷を出発してすぐに、前方から見覚えのある若い男が歩いてきた。十代後半で、黒の長髪を後ろで一つに束ねている。ディべス邸使用人のホークだ。ホークは、レオニス一行に気づくと、親しげに駆け寄ってきた。
「皆さん、お揃いで。今からお出かけですか?」
「まあ、ちょっとね。それより君、もう帰ってきたのか? 早いな」
レオニスが答えると、ホークは驚いてレオニスの両手を掴んで握り締めた。
「レオニス様、私が出かけたことをご存知でしたか! でしたら、私がどこに何のようで使いに出されたのかも知っていたら教えて頂けないでしょうか!?」
「はい!?」
「屋敷を出て演劇場の近くまで来たは良いのですが、何故そこに私がいるのか、まったく思い出せなくなってしまって。勤務時間中に勝手に外出する訳には参りませんので、何か言付けを預かって出かけたはずだと思うのですが、その内容も失念してしまったようで。途方に暮れて帰って来たところなんです」
心底不思議そうに頭をかくホークを、レオニスは凝視した。
「また、忘れたのか!?」
「また? また、という訳ではないですよ。さすがにこんなど忘れはしたことがありません。でも、とにかく、このまま帰ったら、二度手間になって叱られること請け合いです。何かご存知ないですか?」
「ご存知ないですかって……。本当に覚えてないのか? 午前中、一緒にグラディウム中を駆け回ったのは何のためだったんだよ」
「何のためって、あれは私がお二人の観光案内を仰せつかったんじゃないですか。それくらい覚えていますよ」
ホークが苦笑いで答えると、デンテが憤慨した。
「違う! あれは行商の勉強をするために、宝飾品店に挨拶回りに行ったんだ。仕事だ、仕事! な、アルサスさん!」
デンテに同意を求められたアルサスは、頭をかいて唸った。
「まあ、遊びではなかったかもしれないな。社会見学、と言ったらいいのか」
三人の反応に、レオニスは驚く。
「何言ってるんだよ、皆。違うだろ!? 僕らはアルサスさんを助けるために、あの泥棒を探し歩いたんじゃないか! ホークさんはその監視役としてディべス氏につけられたんだよ。僕達三人に窃盗の濡れ衣を着せたあの泥棒。金髪碧眼で左目の下に涙ボクロのある女の子だよ!? 中央広場の噴水の泉で舞踏を踊ってたところを見つけた……本当に覚えてないのか!?」
「アルサスさんを助ける? 濡れ衣? 何の話だ?」
デンテがきょとんとした顔でレオニスを見つめた。アルサスもホークも、同様に不思議そうな顔でレオニスを見る。
(まただ……。また、皆の中からあいつの記憶がなくなってる。おまけに、あいつの記憶がなくなったことで生じた不都合は、各自で勝手に適当に辻褄をあわせて納得してるみたいだ)
レオニスは、寂しそうに俯いた少女の姿を思い出す。
『ステラは普通じゃないから……』
(あいつには、自分に関する記憶を消す能力があるのか? そんな魔法、聞いたこともない。くそ、団長を助けることで頭がいっぱいで、どういう仕組みなのか聞きそびれた)
頭をかきむしるレオニスが、ふと顔を上げると、その視線の先、人ごみの中に、問題の少女の姿が見えた気がした。華奢で小柄で、光のような蜜色の髪をした少女は、簡単に首都の人波に紛れてしまいそうだ。
「おい。どうしたんだよ、レオニス? って、うわ」
心配そうに覗き込んだデンテを押しのけて、レオニスは駆け出した。まっすぐ少女めがけて。そして、その細い腕を掴んだ。
「君……!」
少女は振り返る。碧眼を驚愕に見開いて。左目の下にほくろ。長い睫毛も、薔薇色の唇も、レオニスが見間違えるはずはなかった。数十分前に会っていたばかりなのだ。
「やっぱり……! 君、確かステラだったっけ。泥棒の。君が、なんでこんなところにいるの!? 城に捕らえられてるはずじゃ?」
「……お城に連れて行かれる前に、隙を見て逃げたの」
少女は動揺を隠しきれない様子で、レオニスを見上げた。
「なんで? なんで君は、ステラのこと覚えてるの? 今度は白いドレスも、サファイアのブローチも、羽の首飾りもつけてないよ!? なんでステラを知ってるの? 皆忘れるのに!」
「何でって聞かれても……それは僕が聞きたいくらいだよ。普通、あれだけ派手にいろいろされたら、簡単に忘れたりしないだろう。なのに、なんで君は皆の記憶の中から消えるの? どうして僕だけ覚えてるの?」
レオニスが少女に問いかけると、少女は、瞳を閉じ、我慢するように数度震えた。その目尻から大粒の涙が溢れると、あとはもう堪えることは出来なかった。
「会いたかった……!」
少女は突然レオニスに抱きつくと、嗚咽をもらして子供のように泣き始めた。
「うええっ!? ちょっ、泣っ!?」
通り過ぎる人達の視線が、レオニスとレオニスの肩に額を押し当てて泣く少女に集まる。
後をついて来ていたアルサスとデンテとホークもそんな二人を凝視していた。
「ほう。レオニスも隅に置けないな? こうも熱烈な抱擁、ナンパとは思えないが?」
アルサスが、明らかに面白がって問いかけてきた。
「レオニス、お前、いつの間に!?」
デンテは何か衝撃を受けたようである。友人に先を越された感というものに打ちのめされたような顔をしている。
「マジかあ……」
「ええ!? 違う! 違いますそんなんじゃありません!」
レオニスは、二人の反応に驚き慌てた。一気に耳が熱くなる。
「こら、君もくっつかないで! 勘違いされるだろ!?」
レオニスが焦って少女を引き離そうとするが、少女はより強い力でレオニスを抱きしめて離さない。
「ふえっ。ステラ、ステラ、会いたかった。君に会いたかったよ~」
「えええっ!? 何言って!? ちょっと、皆何その顔!? 違うからっ! 違いますからね!?」
レオニスが慌てるほど意に反して赤面してしまい、それを見たアルサス、ホークの顔はにやにやとにやついてしまうのだった。
「ちょっと君! ふざけるのはやめて説明してよ! 君は一体何者なんだ!?」
レオニスは叫んだ。しかし、少女が落ち着いて話し始めるまでには、多少の時間を要した。
* * *
6年前。ステラはまだ8歳だった。孤児で、グラディウムの貧民街の倒壊しかけの空家に住み着き、同じように親を失った子供たちと肩を寄せ合いながら、なんとか生きていた。
幼すぎて職もなく、食事は、高級住宅地の屋敷を訪ね歩き、残飯や施しを受けてなんとか食いつなぐのが精一杯だった。
その日は、一日中歩き回り、運良くパンを一切れ手に入れることが出来た。皆の待つ空家に持って帰ったら、たちまち年長の子供に奪われてしまうだろう。そんなのは御免だ。ステラは、極限に達した空腹を抱えて、いつもは通らないような人気のない路地へと入った。
しかし、日の沈みかけた時分、暗がりの中に、息を潜めるように座り込んでいる男がいた。二十代半ば程の身なりの良い男だった。黒の短髪で、優しげな風貌を、しかし今は苦痛に歪めている。怪我をしているようだった。腹を押さえ、痛みをこらえているようだ。
ふと、男の視線がステラを捉えた。
「あ……。あげないよ」
ステラは、持っていたパンを背中に隠して言った。男は、その言葉に苦笑し、それが腹に響いたのか低く唸った。そして、口を開く。
「いらないよ。今は食べる気がしないんだ」
かすれたような低い声は、しかし穏やかな声音で、ステラの警戒心を緩めた。
「おじさん、怪我してるの? 痛い?」
数歩近寄り、伺うように尋ねると、男は苦笑いで答えた。
「少しね。ありがとう。優しいお嬢さん。だいぶ回復して来たところだよ」
男はそう言うと、手にしていた金色の剣を支えに立ち上がった。そして、ステラをじっと見下ろして、何事かを呟いた。
「え? おじさん、何か言った?」
ステラは、きょとんと首を傾げて男を見上げた。
男は、それには答えない。地面に突き立てた剣からおもむろに左手を離すと、手のひらを上にして胸の前に構えた。そして、口を開く。
「我が前に姿を示せ。禁書アポカリプス!」
その刹那、男の左手が光輝き、辺りに風が吹き荒れた。ステラは驚いて一度は目を閉じてしまったが、吹き付ける風に目を眇めた。再びゆっくりと瞳を開けた時、男の左手の上には分厚い本が開かれていた。
本のページが発光している。
「何!? 何なの!?」
一般の孤児と同じく、生まれてこのかた魔法など目にしたことのないステラは混乱し、逃げそびれた。足が動かなかったステラの隙を男は見逃さず、新たな呪文を口にする。
すると、ステラの身体は燐光をおび宙に浮かぶ。手にしていたパンが地面に転がった。
「やだ! やめて! おろしてぇっ!」
しかし、身体は言うことを聞かない。動転し、泣き叫ぶステラには、もはや男の言葉の意味を聞き取る余裕は奪われていた。
男は、そんなステラの様子には構わず、魔法の本のページに右手をかざす。本は自らが発した風の力でパラパラとめくれ、あるページでその動きを止めた。
そして、男は呪文を読み上げる。
強烈な光がステラを包み、身体の中に莫大なエネルギーがうねるのを感じ、ステラは恐怖に慄いた。
「いやー! やめてー! 怖い! 助けてー!」
必死で助けを求めるステラの悲鳴は暮れなずむ空に虚しく溶けて消えた。
魔法の書が再びページを移動すると、男は叫んだ。
「御光よ、汝に関わる者の記憶を隠し、継承者にのみその力を与えん! 予言する(プレディコ)!」
「いや――――!」
ステラの意識は自身の中を駆け巡るエネルギーの奔流に飲まれて、やがて途切れた。
屋敷を出発してすぐに、前方から見覚えのある若い男が歩いてきた。十代後半で、黒の長髪を後ろで一つに束ねている。ディべス邸使用人のホークだ。ホークは、レオニス一行に気づくと、親しげに駆け寄ってきた。
「皆さん、お揃いで。今からお出かけですか?」
「まあ、ちょっとね。それより君、もう帰ってきたのか? 早いな」
レオニスが答えると、ホークは驚いてレオニスの両手を掴んで握り締めた。
「レオニス様、私が出かけたことをご存知でしたか! でしたら、私がどこに何のようで使いに出されたのかも知っていたら教えて頂けないでしょうか!?」
「はい!?」
「屋敷を出て演劇場の近くまで来たは良いのですが、何故そこに私がいるのか、まったく思い出せなくなってしまって。勤務時間中に勝手に外出する訳には参りませんので、何か言付けを預かって出かけたはずだと思うのですが、その内容も失念してしまったようで。途方に暮れて帰って来たところなんです」
心底不思議そうに頭をかくホークを、レオニスは凝視した。
「また、忘れたのか!?」
「また? また、という訳ではないですよ。さすがにこんなど忘れはしたことがありません。でも、とにかく、このまま帰ったら、二度手間になって叱られること請け合いです。何かご存知ないですか?」
「ご存知ないですかって……。本当に覚えてないのか? 午前中、一緒にグラディウム中を駆け回ったのは何のためだったんだよ」
「何のためって、あれは私がお二人の観光案内を仰せつかったんじゃないですか。それくらい覚えていますよ」
ホークが苦笑いで答えると、デンテが憤慨した。
「違う! あれは行商の勉強をするために、宝飾品店に挨拶回りに行ったんだ。仕事だ、仕事! な、アルサスさん!」
デンテに同意を求められたアルサスは、頭をかいて唸った。
「まあ、遊びではなかったかもしれないな。社会見学、と言ったらいいのか」
三人の反応に、レオニスは驚く。
「何言ってるんだよ、皆。違うだろ!? 僕らはアルサスさんを助けるために、あの泥棒を探し歩いたんじゃないか! ホークさんはその監視役としてディべス氏につけられたんだよ。僕達三人に窃盗の濡れ衣を着せたあの泥棒。金髪碧眼で左目の下に涙ボクロのある女の子だよ!? 中央広場の噴水の泉で舞踏を踊ってたところを見つけた……本当に覚えてないのか!?」
「アルサスさんを助ける? 濡れ衣? 何の話だ?」
デンテがきょとんとした顔でレオニスを見つめた。アルサスもホークも、同様に不思議そうな顔でレオニスを見る。
(まただ……。また、皆の中からあいつの記憶がなくなってる。おまけに、あいつの記憶がなくなったことで生じた不都合は、各自で勝手に適当に辻褄をあわせて納得してるみたいだ)
レオニスは、寂しそうに俯いた少女の姿を思い出す。
『ステラは普通じゃないから……』
(あいつには、自分に関する記憶を消す能力があるのか? そんな魔法、聞いたこともない。くそ、団長を助けることで頭がいっぱいで、どういう仕組みなのか聞きそびれた)
頭をかきむしるレオニスが、ふと顔を上げると、その視線の先、人ごみの中に、問題の少女の姿が見えた気がした。華奢で小柄で、光のような蜜色の髪をした少女は、簡単に首都の人波に紛れてしまいそうだ。
「おい。どうしたんだよ、レオニス? って、うわ」
心配そうに覗き込んだデンテを押しのけて、レオニスは駆け出した。まっすぐ少女めがけて。そして、その細い腕を掴んだ。
「君……!」
少女は振り返る。碧眼を驚愕に見開いて。左目の下にほくろ。長い睫毛も、薔薇色の唇も、レオニスが見間違えるはずはなかった。数十分前に会っていたばかりなのだ。
「やっぱり……! 君、確かステラだったっけ。泥棒の。君が、なんでこんなところにいるの!? 城に捕らえられてるはずじゃ?」
「……お城に連れて行かれる前に、隙を見て逃げたの」
少女は動揺を隠しきれない様子で、レオニスを見上げた。
「なんで? なんで君は、ステラのこと覚えてるの? 今度は白いドレスも、サファイアのブローチも、羽の首飾りもつけてないよ!? なんでステラを知ってるの? 皆忘れるのに!」
「何でって聞かれても……それは僕が聞きたいくらいだよ。普通、あれだけ派手にいろいろされたら、簡単に忘れたりしないだろう。なのに、なんで君は皆の記憶の中から消えるの? どうして僕だけ覚えてるの?」
レオニスが少女に問いかけると、少女は、瞳を閉じ、我慢するように数度震えた。その目尻から大粒の涙が溢れると、あとはもう堪えることは出来なかった。
「会いたかった……!」
少女は突然レオニスに抱きつくと、嗚咽をもらして子供のように泣き始めた。
「うええっ!? ちょっ、泣っ!?」
通り過ぎる人達の視線が、レオニスとレオニスの肩に額を押し当てて泣く少女に集まる。
後をついて来ていたアルサスとデンテとホークもそんな二人を凝視していた。
「ほう。レオニスも隅に置けないな? こうも熱烈な抱擁、ナンパとは思えないが?」
アルサスが、明らかに面白がって問いかけてきた。
「レオニス、お前、いつの間に!?」
デンテは何か衝撃を受けたようである。友人に先を越された感というものに打ちのめされたような顔をしている。
「マジかあ……」
「ええ!? 違う! 違いますそんなんじゃありません!」
レオニスは、二人の反応に驚き慌てた。一気に耳が熱くなる。
「こら、君もくっつかないで! 勘違いされるだろ!?」
レオニスが焦って少女を引き離そうとするが、少女はより強い力でレオニスを抱きしめて離さない。
「ふえっ。ステラ、ステラ、会いたかった。君に会いたかったよ~」
「えええっ!? 何言って!? ちょっと、皆何その顔!? 違うからっ! 違いますからね!?」
レオニスが慌てるほど意に反して赤面してしまい、それを見たアルサス、ホークの顔はにやにやとにやついてしまうのだった。
「ちょっと君! ふざけるのはやめて説明してよ! 君は一体何者なんだ!?」
レオニスは叫んだ。しかし、少女が落ち着いて話し始めるまでには、多少の時間を要した。
* * *
6年前。ステラはまだ8歳だった。孤児で、グラディウムの貧民街の倒壊しかけの空家に住み着き、同じように親を失った子供たちと肩を寄せ合いながら、なんとか生きていた。
幼すぎて職もなく、食事は、高級住宅地の屋敷を訪ね歩き、残飯や施しを受けてなんとか食いつなぐのが精一杯だった。
その日は、一日中歩き回り、運良くパンを一切れ手に入れることが出来た。皆の待つ空家に持って帰ったら、たちまち年長の子供に奪われてしまうだろう。そんなのは御免だ。ステラは、極限に達した空腹を抱えて、いつもは通らないような人気のない路地へと入った。
しかし、日の沈みかけた時分、暗がりの中に、息を潜めるように座り込んでいる男がいた。二十代半ば程の身なりの良い男だった。黒の短髪で、優しげな風貌を、しかし今は苦痛に歪めている。怪我をしているようだった。腹を押さえ、痛みをこらえているようだ。
ふと、男の視線がステラを捉えた。
「あ……。あげないよ」
ステラは、持っていたパンを背中に隠して言った。男は、その言葉に苦笑し、それが腹に響いたのか低く唸った。そして、口を開く。
「いらないよ。今は食べる気がしないんだ」
かすれたような低い声は、しかし穏やかな声音で、ステラの警戒心を緩めた。
「おじさん、怪我してるの? 痛い?」
数歩近寄り、伺うように尋ねると、男は苦笑いで答えた。
「少しね。ありがとう。優しいお嬢さん。だいぶ回復して来たところだよ」
男はそう言うと、手にしていた金色の剣を支えに立ち上がった。そして、ステラをじっと見下ろして、何事かを呟いた。
「え? おじさん、何か言った?」
ステラは、きょとんと首を傾げて男を見上げた。
男は、それには答えない。地面に突き立てた剣からおもむろに左手を離すと、手のひらを上にして胸の前に構えた。そして、口を開く。
「我が前に姿を示せ。禁書アポカリプス!」
その刹那、男の左手が光輝き、辺りに風が吹き荒れた。ステラは驚いて一度は目を閉じてしまったが、吹き付ける風に目を眇めた。再びゆっくりと瞳を開けた時、男の左手の上には分厚い本が開かれていた。
本のページが発光している。
「何!? 何なの!?」
一般の孤児と同じく、生まれてこのかた魔法など目にしたことのないステラは混乱し、逃げそびれた。足が動かなかったステラの隙を男は見逃さず、新たな呪文を口にする。
すると、ステラの身体は燐光をおび宙に浮かぶ。手にしていたパンが地面に転がった。
「やだ! やめて! おろしてぇっ!」
しかし、身体は言うことを聞かない。動転し、泣き叫ぶステラには、もはや男の言葉の意味を聞き取る余裕は奪われていた。
男は、そんなステラの様子には構わず、魔法の本のページに右手をかざす。本は自らが発した風の力でパラパラとめくれ、あるページでその動きを止めた。
そして、男は呪文を読み上げる。
強烈な光がステラを包み、身体の中に莫大なエネルギーがうねるのを感じ、ステラは恐怖に慄いた。
「いやー! やめてー! 怖い! 助けてー!」
必死で助けを求めるステラの悲鳴は暮れなずむ空に虚しく溶けて消えた。
魔法の書が再びページを移動すると、男は叫んだ。
「御光よ、汝に関わる者の記憶を隠し、継承者にのみその力を与えん! 予言する(プレディコ)!」
「いや――――!」
ステラの意識は自身の中を駆け巡るエネルギーの奔流に飲まれて、やがて途切れた。
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