黒猫転生〜死神と少女の物語〜

霧ヶ峰

第13話:二振りの刃

夜が明けたばかりのラ・クシールに一人の男が入ってくる。門番の横を通り過ぎても見向きもされないどころか、気付かれてすらいないその様子を入ってくると表現していいのか分からないが、街という括りに侵入したということは確かだ。
 気配を消しているのは目に見えて明らかなのだが感情が駄々洩れなせいで、街を歩いているだけで野良猫や飼い犬に威嚇されたり吠えられたりしているのは仕方ないのだろう。

 黒染めの男不機嫌なナギはいつもより少し賑やかな通りを歩いて人気の多い冒険者ギルドに入っていくと、受付にチラッと視線を送って二階へと上がっていく。その時、ホールにいた何人かが首を傾げたり、ビクッと肩を震わせたりと、ナギの発した何かを感じ取った者たちがいた。その者たちはいずれもそれなりの級クラスを持った者たちだった。
 その様子をヴィオラに見つかって、後々強化訓練という名の地獄に送り込まれるのだが、それをナギが知ることはなかった。


 ナギはマクスウェルの事務室にくると、不機嫌さを隠そうともせずに荒っぽくノックする。腕に嵌めていた籠手が甲高い音を立てたが、部屋の中からは気にした様子のない普段通りのマクスウェルの声が掛けられた。

 扉を開けて中に入ったナギは、接客用の長椅子に腰かけている男に目を向けるも、興味を示さずにマクスウェルへ今回の任務の報告書を渡す。
 その様子に長椅子に腰かけていた男がこめかみに青筋を浮かび上がらせているが、ナギの興味は一切そちらへ向くことがなかった。


 マクスウェルの机の前で資料を読み終わるのを待っていたナギにマクスウェルが「この資料だけか?」と聞きながら、資料を長椅子に座っている親に回す。
 男が驚愕に顔を染めながら食い入るように資料を読んでいるのを傍目にナギは小さく首を振る。その様子に今度はマクスウェルが大きく溜息を吐いた。
 マクスウェルはナギがこうやって無口になるのが何故だか知っている。昔ナギが冒険者として名を馳せていた頃に数度、今回のようになることがあった。そのいずれも、表に上がらないような依頼を終えた後や依頼の定時連絡ときだったのをマクスウェルは覚えている。そしてその依頼対象すべてが弱者をいたぶるのを好むような胸糞悪い者たちであったのも。

 ナギは溜息を吐いたマクスウェルに向かってメモを書いて渡す。
 走り書きで若干読みずらいそれを受け取ったマクスウェルは「好きにやれ。じゃが痕跡は残すでないぞ?わしはもうお主について行けんのだから」と、普段の彼からは想像できないほどに冷たく、残酷な微笑を浮かべてそう言った。
 そして、それに「わかっている」とだけ答えたナギの声も、魂さえ凍り付かせてしまいそうな冷たいものであった。


 ガチャリと音を立ててナギが部屋を出ていく。長椅子に座っている男はそれだけで部屋の空気が幾度か暖かくなったように感じた。いつの間にか止めていた息を吐き出して男はマクスウェルに向き直る。

「ギルド長殿、先ほどの者は一体?それにこの資料は・・・」
 未だ止まらぬ冷や汗を拭いながらそう聞いてくる男にマクスウェルは「あ奴は儂の切り札だった者よ」と薄く笑って返す。

「だったとは?今もあの者は貴方に従っていーーー」
「お主は目はよかったはずじゃが、仕方ないかの。今しがた食い入るように見ておったその資料を読んだらそう思ってしまうか・・・」
 自身の言葉を遮ってまでそう言うマクスウェルに、男の疑問は増えていく。

「奴は誰にも動かせんよ。何処にも、何にも拘束されることなく思ったように生きる男。それがあ奴じゃった。今は宿り木と雛鳥を見つけて少し丸くなったが、あ奴は好きにさせておくのが一番なのじゃよ」
「一体・・・どういう・・・」
 男の声に応えることなく、マクスウェルはそれ以上ナギについて何も言わなかった。







 一方、マクスウェルの「好きにしていい」という言葉を「ナギに後始末諸々を任せる」と受け取ったナギは、気配を隠すことなく一階のホールに降りていき、他の面々の視線を浴びながらカウンターに赴くと、運よく開いていたとこで受付嬢にヴァイオレットを出すように告げた。
 ヴァイオレットという名前に受付嬢が首を傾げていると、「あたしならここにいるよ」と鍛錬場の方から声が響く。
 その声に受付嬢は「え!ヴィオラさん!?」と驚いていたが、その本人は「今時あたしの二つ名を知ってる珍しい奴はあんたかい?」とナギに向かって言う。

 ナギはヴィオラを一瞥すると冷たい声のまま「話がある」といってヴィオラの横を通りすぎるようにして鍛錬場に入っていく。すれ違いざまに自身のギルドカードを渡して。


 ヴィオラは不審げに眉をひそめながらギルドカードに目を落とし、「え!?うそっ!」と声を上げて、すぐさま鍛錬場へ走って行くのだった。

 その様子を見ていた常連たちは、揃って顔を見合わせ、大きく首を傾げる。
 その後誰一人として、鍛錬場へ入っていこうとするものはいなかったそうだ。








 一方、鍛錬場の奥、様々な武具が置かれている倉庫区画でナギはヴィオラと向き合っていた。


「一つ聞かせてもらおうかい」

 ナギが口を開く前に、ヴィオラはそう言って先程渡されたギルドプレートをナギへ投げ渡す。
「そいつはお前さんの物かい?」というヴィオラの問いに、ナギは無言でプレートに魔力を流す事で応える。

 薄っすらと輝きながら表示される文字にヴィオラの顔は破綻した。





 数分間笑い続けたヴィオラは、指で涙を拭いつつ目に前で溜息を吐いている人物に話しかける。

「いやぁ、悪かったね。まさかあの捻くれ者が四十年間も音沙汰なしで死んじまったのかと思ってたのに、ふらっと帰ってきて、可愛らしい弟子までいるんだからさ」
「まぁ、そうだな・・・俺もまさか四十年も経ってるなんて思ってもみなかったし、シリルはなんていうか一回助けちまった分、放り出すのも忍ばなくてな。どうせならあいつの好きな通りに生きさせてやろうと思ってな」
「・・・ふぅ~ん。見ない間に一皮剥けたみたいじゃないか。いや、どっちかというと枯れたのかね?」
「うっさい。あんたの方が枯れてるだろ。特に見た目ーーーガッ!」

 見た目に似合わない鋭いボディーブローをナギに叩き込み、大きく溜息を吐くヴィオラだが、次の瞬間にはまるで別人にすり替わったかのように研ぎ澄まされた刃のような雰囲気に包まれ、先ほどまでの柔らかな空気を一瞬にして塗り替えていた。

「さて、今回は何をするんだい?・・・いや、何をすればいいんだい?」
「なんだ、そっちは全然枯れてないじゃないか。血濡れ姫ヴァイオレットさん。・・・まぁ、今回は調査の方を頼みたいんだ」
「あら、珍しい。てっきり四十年ぶりに無茶振りされるのかと思ったのだけのだれど。で?調査対象獲物はどこだい?」

 先ほどまでの威圧感が嘘みたいに薄れ、拍子抜けした表情でヴィオラはそう言うが、ナギが「これだ」と言って取り出したモノにすぐさま表情を引き締める。

「どうしたんだい?これは・・・」と言葉を詰まらせるヴィオラ。
 それもそのはず、ナギが取り出したのは明らかに貴族だと思われるモノとその守衛らしき騎士の死体。それも、一切の外傷なく命を落としているモノなのだから。

「ここ最近この近辺で略奪やらなんやらをしている盗賊団の黒幕ってとこだな。盗賊団が捕まえた人物で奴隷商売もしていた。男は労働奴隷で女はお察しの通りだな。気に入った奴は自分の物にしていたようだがな。・・・あ、盗賊団の頭領のもあるがいるか?」
「・・・ええ、置いてって貰える?出来ればコレも地下の部屋に運んどいてほしいのだけど」
「了解。俺はもう一度この馬鹿どものアジトに行ってくるが、どれくらいの時間が必要だ?」
「今日丸々ちょうだい。あんたがそこまでするってことは、あの子も狙われたんだろう?あたしが気に入った子を狙ったんだ。ちょっと無理してでも手伝ってやるわよ。でも、その代わり・・・わかってるね?」
「ああ・・・いわれるまでも無い」


 ヴィオラの怒気とナギの怒気が入り混じる。もし、この倉庫に・・・いや、鍛錬場内で最も離れた入り口にでさえ誰かがいたのなら、この二人の怒気が生み出す威圧感だけで意識を保つことすらできなかっただろう。下手すれば正気を保つことさえ出来なくなっていたかもしれない。

 そんな混沌の中心で、二体の獣が牙を剥いた。
 長年研がれ続けた刃と眠むりから覚めたばかりの刃は、愚か者の喉元に確実に迫っていた。

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