ドラグーンイストリアー白銀に照らされし灰の心ー

じんむ

雪解けの季節

 そろそろ春も近づいてきた。
 木漏れ日に照らされたフキノトウが薄い雪の中小さな花を咲かせている。
 とは言えまだ寒い。森の中だと相対的に影が増えて暖かな日光が届かないのだ。
 しかも。寒々しい鉄塊に取り囲まれているんだから尚更寒い。依然として手も冷たいし。ラミアも腹すかせてるだろうから早く帰りたいんだけどな。
 欝々とした気分に苛まれていると、フキノトウが踏みつぶされた。

「殺せ!」

 話し合いも無しか。
 一番偉そうな鎧兵が剣をこちらに向けると、周りの鉄塊が一斉に動き出し剣を振るう。

「はぁ、武器召喚アスライステドア

 すぐさま虚空より不滅剣デュランダルを抜刀。目の前の敵を斬り伏せる。
 続いて後方に気配。即座に身を傾けると、敵の刃が空を切る。俺はがら空きの懐へ潜り、縦に一閃。鎧が倒れると、続いて三方からの別の斬撃。

氷撃の尖柱アイセンス・エピア

 詠唱と共にデュランダルを大地に突き刺すと、周囲から氷槍が、顕現。鋭利な刃となった氷は鎧兵を貫き、全ての斬撃を凌いだ。
 見渡してみれば、未だに鎧兵が群れて俺を取り囲んでいる。だが動く気配が無い。いや、恐らくものの数秒で五人の仲間がやられ動けないでいるのだろう。竜に比べれば人間なんて脆いもんだ。唯一勝る点があるのならその夥しい数だけだな。

「ひ、ひるむな! 所詮人一人など取るに足らん! ウィンクルム軍は無敗だ!」

 士気が下がってる事に気付いたのか、慌ててこの集団の兵長であろう鎧兵が号令をかける。
 そのかいあってか、平鎧兵も我に返ったらしく、武器を構え直し突進してきた。
 その忠実さには感服させられる。

千氷刃キリグラフィエ

 唱えると、虚空に顕現した無数の氷刃が四方に、飛散。
 魔力により超硬度化された結晶は嵐となり、走る兵を鎧ごと引き裂いていく。
 嵐が止むと、兵長がただ茫然といった具合に立ちすくんでいた。
 近づいていくと、こちらに気付いたのか、兵長は後ずさるが木の根っこに引っかかり尻餅をつく。
 反動で兜が取れると、中年男が姿を見せた。

「と、投降する! だから助けてくれ!」

 男は両手を上げながら顔を青くする。

「なんで?」
「こ、こう見えても私はウィンクルム軍の幹部だったのだ。きっとお主の国に有益な情報を与えることができるはずだ!」
「なるほど、情報か」

 すぐそばで立ち止まると、男の顔から緊張の色が薄くなる。助かるとでも確信したか。
 まぁ確かに俺が国の正規軍にいれば捕虜もありだったかもしれない。情報は嬉しい。ただ、個人である以上国の情報なんかあっても仕方ないし、捕虜しておっさんなんか所有しても何のメリットも無い。

「いらない」

 告げて、デュランダルの切っ先を向けると、中年男の額に大粒の汗が浮かび上がる。

「な、何故だ!」
「別に俺はお国のために働く犬ではないんでね。降りかかった火の粉を払うだけさ」
「ぐっ……」

 男の顔色はこうしているうちにどんどんと悪くなっていく。
これだったんだよな……俺がかつて欲した表情は。この表情を見るためだけに生きてきたようなものだった。なのに、奴は。

「こ、この化け物め!」

 かつての記憶がふつふつと蘇り不快感に包まれていると、恐らく最後の反抗の意思なのだろう、男の口からそんな言葉が放たれた。

「化け物……化け物か。ははっ、そりゃ傑作だ」

 俺は殺す事だけを考えて生きていた。目的に立ちはだかるのなら同じ性質であろう人であろうと誰でも殺そうと思っていた。
 ただ、たまたま人が竜と敵対し、目的に利する存在だったから殺さなかっただけで、そんな倫理もクソも無い人間はもはや人間ではなく化け物なのだろう。

「確かに俺は化け物だ。その絶望に満ちた表情を欲してたんだからな」

 言うと、男はますます大粒の汗を垂れ流す。こりゃそろそろ哀れになって来たな。楽にしてやるか。

「でも、あんたのじゃ……」

 言おうとして、やめる。

「気失ったのか……」

 ゆっくりと崩れ落ちる男の姿を見届けると、背後に目をやる。
鉄でできていても鎧というのは案外脆いらしい。
 自分が招いた惨状とは言え、これにはため息をつかざるを得なかった。


 ♢ ♢ ♢


 扉を開き、力が抜け地面に膝をついてしまうと、ラミアが慌てて飛んできた。

「ど、どうしたのアルフ⁉」
「わ、悪い、ちょっとな……」

 流石にやりすぎた。治癒魔術はただでさえ消費が激しいのに半死の人間を大量に治癒しようとすれば流石に魔力が枯渇する。世の中には治癒魔術を専攻する医者が存在するらしいけどよくもまぁこんな魔力の消費する職業に就けるな。

「も、もしかして魔物に襲われたの?」
「いや……」

 否定しようとするが、すぐに思いとどまる。

「ああ。正直俺でも逃げてくるのがやっとな程強い相手だった」
「そ、そんなに?」
「ああ」
「ど、どうしよ……ここまで魔物が来たら」

 肯定すると、ラミアが泣きそうになりながら手を強く握ってくる。流石に脅し過ぎたか。

「でも安心しろ、家の周りには結界を張ってるからこの家にいさえすれば安全だ」
「そう、なの?」
「ああ。でも絶対外には出るな。出ても庭までだ。どこで魔物と出会うか分からない」
「う、うん。分かった」

 などと言っても魔物なんか山の奥の奥まで行かなきゃ今時出会うなんて事は無いだろう。まぁ結界はほんとに張っておいたけど。魔物じゃなくて人のために。

「そ、それよりアルフは大丈夫?」
「少し横になればすぐによくなる。魔力の使い過ぎだからな」
「ほんとに?」
「ほんとだ」

 いつまでも膝をついていると心配させかねないので立ち上がると、ラミアが抱き着いてくるので思わず後ずさりしかける。

「良かったぁ……」

 腹の辺りに顔をうずくめる所作はまさに子供のそれだ。人の子と大差ない。大差ないはずなのに。今では慣れつつあるが、ヘスキアが訪れた夜の日以来、ふとしたはずみでこうやってこの感情は唐突に訪れる。
俺は、ラミアの何を恐れているのだろう。


♢ ♢ ♢


 未だ冷える手をこすり合わせ暖炉に薪を放り込んでいると、ラミアがふと呟いた。

「ねぇアルフ、暇」
「そう言ったって魔物がいるかもしれないだろ」
「うう、そうだけど……」

 ラミアにとって魔物はよほど恐ろしい存在なのか、魔物の一言さえ言えばだいたいの事は聞くようになっていた。

「久しぶりに森の中歩きたいなぁ……」

 ラミアが憧憬が混ざったような眼差しを窓の外へ向ける。

 でも確かにこの状況はあまりよろしくない。
 食料に余裕はまだある。ただいつまでもここに籠ってるわけにも行かないし、そもそも食料があっても籠っていられるか分からない。生かしてしまった以上確実にあいつらは母国に帰っているだろうからそのうち報復にも来るだろう。結界を張ってるとは言え魔術師が揃えば簡単に破られる。

 襲撃からおよそ一週間。そろそろ手を打った方がいいかもしれない。とりあえず助けたっていう恩は売っておいたから後は中立の立場である事を示して干渉しない事を約束させる。最悪の場合あっち側につくのもありかもしれない。どうにもここら辺は既にウィンクルム方に制圧されてるみたいだし。

「でもそうだな、もしかしたらいなくなってるかもしれないからちょっと見てくるか」

 行こうとすると、不意に服の裾が強く引っ張られた。

「だ、だめ!」

 見れば、すがるようなラミアの銀の瞳と視線がぶつかった。

「大丈夫だって。ちゃんと戻るから」
「や、やだ!」
「どうしてだよ。ちょっと見に行くだけだぞ?」

 心配してくれるのは嬉しいが、遅かれ早かれ出なきゃならないなら今出ておいた方がいい。むしろ交渉するならそろそろ出なきゃまずい気もする。ここはどうにかして説得したいところだけど……。
 どう納得させようか思案していると、おもむろにラミアの口が開かれる。

「お父さん……」

 お父さん。小さくも大きくはっきりと聞こえたそれはかつての記憶を鮮明に蘇らせる。

「お父さんも大丈夫って言っていなくなったもん!」

 ラミアの悲痛な叫びが部屋中に響き渡る。
 その声に何故か心臓を貫かれたような、えぐり取られたような、何とも奇怪な感覚が大波のごとく襲い掛かる。

 ラミアの父親は七天竜の智将と呼ばれた存在、銀龍プロメテミア。奴はかつてサンフィエンティルの街を一夜にして壊滅させた存在。
 俺は恨んだ、憎んだ。己の全てを奴を殺す事だけに捧げた。

 何せサンフィエンティルは俺の故郷だったから。

 あの時奴は俺だけを生かした。何故俺だけが生きているのかとひたすら嫌悪感に苛まれた事もあった。それでも息をし続ける事が出来たのはただ一点の黒、奴を殺すという目的があったからだ。

 そして遂にその時は来た。死という最高の絶望を与えられる、俺は竜を殺すためだけに叩き上げた力を存分に出し切り奴を追い詰めた。はずだった。

 奴の鱗は剥がれ、牙は折れ、肉体は血に染まり、身は既に壊滅的。だが、奴は最後に俺に対し謝罪の言葉を口にし、静かにほほ笑み、言ってのけたのだ。有り難うと。

 自分が馬鹿に思えた。死にそうなはずだというのに悠然とそこにいる竜の姿に己はどれだけ小さな存在なんだろうと敗北感に苛まれた。
 あれ以来、あの時の表情、言葉は俺の全身にこびりつき何度洗えど取れる事は無く、しぶとく在り続ける。今日という今日まで、そしてこれからも在り続けるに違いない。

「俺が……」

 気付けば勝手に口が言葉を紡いでいた。

「俺が殺したんだよ。お前の父さんを」
「え……」

 ラミアの儚い吐息が聞こえた。
 銀の瞳に黒点が見えた気がし、思わず身体ごと顔を背ける。
 まただ。またこの感覚だ。
 ラミアが恐ろしい。心臓を引き裂かれ存在ごと潰されるるような、そんな恐怖。
 背後にくすぶる恐れから逃れるように外へと向かう。これ以上竜と一緒にいるのに耐えることはできない。

「違うよ!」

 取っ手に手をかけると、竜の声が背後から飛び、服の裾を強く引っ張られる。

「何が違う」
「アルフは殺してない!」

 何を言うかと思えばこの竜は。

「俺が殺したんだよ。俺がお前の父親、銀龍プロメテミアを」
「殺してない!」
「なんで言い切れるんだよ!」

 思わず振り返り手を払うと、ラミアの顔がはっきりと見て取れる。
 銀の瞳は揺れているが、それでも強くこちらを見上げ、芯が通っていた。そこに黒い何かは存在しないように見える。

「お父さんがね、お父さんはいつかある人に殺される、でもそれはその人の本当の姿じゃない偽物だって言ってた。その人は本当は心優しい人なんだって! もし殺されたのならそれはお父さん自身のせいだからその人のせいじゃない、その人は何も悪くないって!」

 それに、とラミアは続けると、暖かな手で俺の手を握りしめてくる。

「お父さんよく言ってた。手が冷たい生き物は竜も人も、それは心が誰よりもずっと暖かいからそうなんだって! アルフの手はずっと冷たいもん! それってすごく優しいって事だもん! だからっ、だからっ……!」
「ラミア……」
「だからずっと一緒にいてアルフ! どこにも行かないで! もう大事な人と離れたくない!」

 揺れる銀色が崩れ雫となる。握られた手に熱がこもっていく。小さな小さな手だが確かな温もりがそこにはあって、それは氷を溶かしてくれる暖かな火のようで。
先ほどまで覆っていた恐怖がだんだんと融解していく。この恐怖の正体がなんだったのか、ようやく理解できた気がする。

 たぶん俺はラミアに嫌われるのを恐れていたんだ。いつの日か父親を殺した仇と知られ、憎まれる事を恐れていた。皮肉にも、俺は何よりも憎んだ相手の子供を何よりも大事な存在として認識するようになっていたらしい。

「ありがとう、ラミア」

 今まで何もなかった灰色の心に新しい色が加わった瞬間だった。




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