オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第七十八話 『光』

 ヒカリを背負いながら、ヒカルは暗い夜道を走った。彼女からは、ヒカルの汗と同じくらい血液が外に流れ出していた。どうにかして、止血しなければならない。ヒカルはまた救急車を呼ぼうとしたが、待っている間にスミスたちに見つかってしまう危険もあった。ヒカルは思い悩んでいた。どうすれば彼女を助けられるのだろうか。考えているうちに、前も見えないほどに額から汗が噴き出してくる。
 ヒカルの耳元で、彼女の荒い息が聞こえる。とても苦しそうな声を、ヒカルは聞いた。そしてまた、ヒカルは己を責めた。どうして、自分はこんなにも駄目なのだろうか。何故、あの時、ヒカリを救うことが出来なかったのか。今、自分の頬を伝っているのが汗なのか涙なのか、それすらもヒカルにはわからなかった。いや、どうでも良いように思われた。

 しばらく進むと、広い大通りに出た。深夜とはいえ、車が何台も通り過ぎて行く。このような場所にいては、かえって目立ってしまうだろう。ヒカルは引き返し、病院を探した。携帯の地図を見ると、深夜もやっている病院がいくつかある。そこに駆け込めば、手当てしてくれるだろう。どう事情を説明しようか悩んだが、今はそれどころではない。一刻も早く治療しないと、彼女の命にかかわるのだ。

 ヒカルはヒカリを背負いながら、また暗い裏路地に回った。外から見ると、路地の中は真っ暗闇で一寸先も見えないほどだ。ヒカルは意を決して中に入ろうとした時、また声が聞こえた。はっきりとは聞き取れなかったが、ヒカルは確信した。自分たちを探している男たちの声だと。その直後、どこからか銃声が聞こえる。
 時間がない。ヒカルはそのまま中に駆け込むと同時に、足を止めた。……中に誰かいる。するとその人物が、ヒカルに近づいてきた。ヒカルは後退り、そのまま後ろに歩いて路地から出た。そして、中にいた人物も路地から出てきてその姿を現す。

「おやまあ、こんなところにいたのですね」

 スミスはまた薄笑いを浮かべながら、ヒカルに近づいてくる。ヒカルは咄嗟に走り出し、別の路地に駆け込んだ。背中で、ヒカリがまた苦しそうに息を荒げているのがわかった。早く行かなければ。きっと、スミスも追いかけてきているはずだ。そう思った時、誰かに手をつかまれた。ヒカルはその手を振り解くことが出来ず、どんどん奥へと誘われていく。やがて、人気のない商店街に出た。そこで、やっとその人物が誰なのかわかった。

「ふう、やっと見つけたぞ。苦労したぜ!」

 ふり返る良は、額に汗を流している。ふと後ろを見ると、スミスはついてきていないようだった。ヒカルは、ヒカリをその場に下ろした。

「良……」
「言っただろ? 絶対行くからなって。お前が言ったビルの周りに奴らが大勢蔓延ってたからな。もしかしたら、ここにはいないんじゃないかって思って」

 ヒカルは良に感謝した。その瞬間、ヒカルは一気に足に疲れが来たのか、その場に座り込んだ。良が来て安心したヒカルは、ヒカリのことを言った。

「大変なんだ! ヒカリが……」
「わかってる」

 良は、ヒカルの言葉を遮った。それと同時に、もう一人が駆けて来た。ヒカルは見上げると、吉田真理子こと品川零であった。零は医者のため、手に持っていたバッグから治療に使う道具を手際よく取り出し、無言でヒカリの手当てをし出した。ヒカルはそれを見て、良に尋ねた。

「……良、お前が呼んでくれたのか?」

 すると、良は得意な顔をした。

「まあな。こうなることを見越して、頼んでおいたんだよ。もっと褒めてもいいんだぞ?」

 その言葉を聞いて、ヒカルも笑った。ヒカリを見ると、彼女は気を失っているが、零は包帯を巻きながら大丈夫だと言った。ヒカルは、零にも礼を言った。良だけではなく、零にも助けられたのだ。

「私はこういう怪我の治療、慣れてるから。とは言っても、本物の銃で撃たれた人はこの子が初めてだけど」

 零はそう言いながら、照れ笑いを浮かべる。

 手当てが終了すると、零はヒカリをゆっくりと寝かせた。確かに、彼女には息があった。

「……で、これからどうするつもりなんだよ」

 良がヒカルに尋ねた。しかしヒカルは、その問いに適切な答えは思い浮かばなかった。黙っているヒカルを見かねたのか、良が座っているヒカルの襟をつかんだ。

「おい、どうするつもりなんだよ!」

 厳しい口調で詰問する良。その目を、ヒカルは見ることが出来なかった。こうなってしまったのは、すべて自分の責任なのだという自覚がヒカルにはあったからだ。良も、それを察したように静かにヒカルから手を離した。

「まあ……、俺もべつに責める気はないけど。でも俺は、お前が今、考えてることを知りたいだけなんだ」

 良はヒカルに背を向けると腕を組み、向こうの通りを走る車を見つめながらそう話した。その言葉を聞き、ヒカルは俯いて考え直してみた。あの時、ヒカリは自分を守ろうとしてくれたのだ。それは、誰が見ても事実であろう。まさか彼女に守られることになるなど、あの時のヒカルは考えもしなかった。だが、結果的にそうなってしまったのだ。これ以上、逃げているわけにはいかない。どんなことをしても、彼女を救わなければならない。彼女が生きてくれるなら、自分は――。
 その時、ヒカルは一つの答えを導き出した。あの時、黒岩が言っていた。ヒカルか彼女のどちらかがこの世界からいなくなれば、どちらかが助かると――。これしか、ヒカリを助ける方法はない。
 ヒカルは顔を上げ、良に声をかける。

「なあ、良」
「おう、何だ?」

 良はヒカルが何か言うのを待っていたのか、笑顔でふり向いた。その笑顔は、ヒカルが発言した後には良から消えているだろう。だが、これだけは伝えなければならない。彼女を助ける、唯一の方法を――。

「俺が……、この世界から消える」
「は? お前、今何つった?」

 良がヒカルのところへ来て、両手でヒカルの肩をつかんだ。更に、ヒカルは続けた。

「俺がいなくなれば、ヒカリは助かる。どうせ、逃げ切れるはずなかったんだよ。奴らは、どこまでもしつこく追ってくる。それがたとえ海外だとしてもな。だから、最初から無理だったんだよ。それはわかってたんだ。だから……俺が消える」
「おい、お前、今自分が何言ってるかわかってんのか!? お前がいなくなったら、彼女は誰を頼りに生きていけばいいんだよ!」

 ヒカルはただ下を向き、良の言葉を聞いていた。これ以上、何も言う気になれなかったのだ。しかし良は、納得いっていない様子だった。

「お前、誓ったんだろ? あの子を必ず幸せにするって、俺が守るって! だったら……、そんなこと言うなよ。もっといい方法があるはずだ!」
「でも……俺は……」

 ヒカルには、もうこれ以上ヒカリを傷つけたくはなかった。これですべてが丸く収まるなら――ヒカルはそう考えたのだ。

「もう、いいんだ。これ以上、ヒカリをあんな目に遭わせることは出来ない。だったら俺が、死んでやるまでだ」
「何だよ……彼女のために死のうってか? そりゃあ、漫画とかだったらカッコいい死に方だけどよ……。けど、お前はそれでいいのかよ! もっとリア充生活を満喫したかったんじゃないのかよ!」
「リア充か……。そういや、そんな言葉もあったな……。俺も、努力さえすればリア充になれるって思ってた。けど……現実はそんなに甘くはなかったんだ。努力しても、無駄なもんは無駄なんだよ!」

 突然、ヒカルが立ち上がった。その衝撃で、良はバランスを崩して倒れ込む。ヒカルは良を睨むようにして見つめると、訴えるように言葉を繋げた。

「お前も知ってるだろ? 人の運命は、生まれた時から定まってるんだ! 俺みたいに何の取り柄もないやつに、恋愛なんか無理だったんだよ! まあ、お前は最初からリア充に恨みつらみばかりぶっかけて、努力なんてしてこなかったからそんな気持ちなんてわからないだろうけど……俺は違う。ちゃんと相手に、自分の気持ちを伝えようとした! けど、叶わなかったんだ。俺に、そんな勇気なんてなかった。どんだけ努力しても……どんなに頑張って自分を変えようとしても……報われないもんは報われないんだよ! わかったか!!」

 すると突然、良が立ち上がって拳でヒカルの頬を殴る。ヒカルが倒れ込むと、

「お前の気持ちがわからないわけじゃない。でも、そんなこと今は関係ないだろ。今大切なのは、彼女を守ることだろ!!」

 と良は言った。良はまたヒカルの襟をつかむと、続けてこう言った。

「確かに、俺みたいに顔も心も汚れてるやつは恋愛なんて出来ない。容姿や性格は生まれた時から決まってるからな。けど、人は頑張り次第でどうにでもなるんだよ。今までお前が報われてこなかったのは、お前自身に問題があったからだ! 努力してるようで、実は逃げ続けてただけなんだよ!」

 ヒカルは高校の時、夏希に何度も告白しようと試みたが出来なかった。そしてようやく、想いを伝えようとしたら雪也に先を越されていたのだ。それは、ヒカルが逃げ続けた結果だったのかもしれない。生まれた時から、人格や容姿は決まっているのだ。確かにヒカルは、容姿だけは恵まれていたのかもしれない。しかし、性格に問題があったようだ。何の取り柄もなく、勇気もない。そんなヒカルに、誰かとつき合うなど出来るはずがなかった。
 ただ、ヒカルはこれだけは自信を持って言えた。――ヒカリには、ちゃんと自分の意思を伝えられたのだ。言いたいこと、思っていることを自分の口から伝えられた。それは、ヒカリが世界線の違う自分だったからかもしれない。しかし、ヒカルにとっては人生初のことだった。ヒカリも、最初はなかなか心を開いてくれなかったものの、今ではヒカルのことを大切に思ってくれている。それだけで、ヒカルは幸せな気持ちになれたのだ。彼女に、感謝しなければならない。
 すると、ヒカリの声が聞こえたような気がした。

「ヒカ君……大丈夫だよ……。私は……ずっとヒカ君の側にいるから……」

 横になったまま、目を開けてヒカルの方を見ている。ヒカルはヒカリの側に駆け寄ると、彼女を抱きかかえた。

「ヒカ君が、私に教えてくれたの。運命は変えられるんだって」

 ヒカリが言った。しかしヒカルは、そんなことを口に出したことは今までで一度もない。

「もういいよ……。俺がいなくなったら、お前は幸せに長く生きられるんだ」
「そんなことないよ……ヒカ君がいなくなったら私……、生きていけなくなる……」

 彼女の半分開いた目からは、光が見える。……月が出ていたのだ。月の光が、ヒカリの目に映っているのだ。その輝きは、ヒカリの心そのもののようだった。
 その時、後ろから声が聞こえた。

「ヒカル。お前は彼女と一緒に、黒岩さんのところに行け」

 ふり返ると、閉まっている商店街に並ぶ店の戸を背に、良が立っている。良は、二人を見ながら笑っている。

「ここは俺に任せろ!」
「良……お前まさか……」

 ヒカルに、嫌な予感が過ぎる。しかし、良は親指を立てながらこう言うのだ。

「俺があいつらを食い止めてる間に、お前らはあの人のところに行け。そうすれば、何か知恵を貸してくれるかもしれない。だから、ここは俺に任せてくれないか」

 笑っているが、どうやら本気のようだ。良は、自分が死ぬことを予期しているのだろうか。そう思うと、やはりヒカルは頷けない。

「何言ってるんだ、奴らは拳銃持ってんだぞ」
「だからこそ、言ってるんじゃないか。ゲームの世界にいるみたいだしな。だからお前は彼女を連れて――生きろ」

 良はそう言うと同時に、向こうの通りへ走り去ってしまった。それを見ていた零も、

「彼なら大丈夫よ。何故だかわからないけど、とてもあなたたちを大事に思っているからこそ、行動したんだと思う」

 と、優しく声をかけてくれる。

「じゃあ、私も行くから」

 零はバッグを持って立ち上がると、良とは反対の方向に歩いていってしまった。

 二人を見送ると、ヒカルはまたヒカリを見た。ヒカルの胸に耳を当てて、優しく笑っている。そんなヒカリを見て、ヒカルも嬉しくなった。

「なんか……煩いやつらがいなくなって急に静かになったな……」
「うん、そうだね……」

 ヒカルは空を見上げると、低い位置に月が見える。その輝きが、今のヒカルには愛しく見えた。そして彼女の手を握り、これまでの出来事を思い出していた。

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