オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第六十一話 『称号』

 ヒカルは、ドアを開けて部屋を出た。外はすでに暗かった。冷たい風が、マンションの一室に舞い込んでくる。急いでドアを閉め、施錠するとヒカルは駅に向かった。あまりに寒いので、行く前に自販機で缶コーヒーでも買っていくことにした。

 駅に続く歩道は、クリスマスのイルミネーションに彩られていた。それを見て、ヒカルは今日がクリスマスだということを思い出す。
 すれ違う人々の中には、恋人と手を繋ぎ、互いに寄り添い合っている者もいた。一年前のヒカルであれば、それを見ても無視するか、機嫌が悪い時なら舌打ちしていたかもしれない。だが、今は違った。ヒカリという女がいるのだ。早くヒカリを迎えに行って、近くで外食でもして帰ろうとヒカルは足を早め、寄り道せずに真っ直ぐ駅に向かうことにした。今日という日が、何故か特別な日のように感じられたのだ。

 駅のホームに着くと、ちょうど電車が停車したところだった。降車する人々をどうにか避け、ヒカルはその電車に乗った。電車が発車すると、ヒカルは「電車に乗った」という旨を書いたメールを、ヒカリ宛に送信する。すると、数分経たずに返信が来た。そこには、「待ってるよ」とだけ書かれていたが、それを見るとヒカルは嬉しくなった。

 その後、ヒカル電車の窓から、立って外の景色を見つめていたが、やはり今日はどこもイルミネーションが目立っている。クリスマスは、街にリア充カップルが横行する日。それは、毎年の風物詩となっている。ヒカルは去年、良のリア充退治につき添わされたのを思い出していた。
 ちょうど今ぐらいの時間、街に出て良は片端からリア充に罵声を浴びせていた。勿論、ヒカルはその様子を少し離れたところからただ傍観しているだけだった。ヒカルにとって、リア充たちは単純に「雲上の存在」であった。ただ、羨ましかったのだ。それでもその頃はまだ、良たちはヒカルも同じようにリア充を嫌っていると思い込んでいた。ヒカルも、良たちに本心を言えずにいた。もし言ってしまえば、大学生活が終わるということが半ば確約されていたからだ。
 電車の中を見ると、高校生や大学生のカップルがテーマパークにでも行ってきたのか、クリスマスグッズを手に笑いながら話している。ヒカルもその様子を見ながら、その恋を応援したいと思った。誰かに嫉妬して、誰かを恨んだところで、良い方向には進んでいくわけがないのだ。それがわかっているからこそ、ヒカルもそう感じたのだろう。

 やがて、綾のアパートの最寄り駅が近づいてくる。電車が完全に停車すると、ヒカルはホームへ降りた。駅を出たが、二人はまだ来ていなかった。ヒカルが綾のアパートの近くに行ったのは合コンの時だけで、あまり覚えていなかった。しかしどうしても落ち着かず、覚えている範囲で行ってみようと思った。カバンから携帯を出し、地図アプリで道を確認。
 記憶が正しければこの道で合っているはずだ、とヒカルは携帯を片手に歩き出す。

 しばらく歩くと、段々と記憶が蘇ってきた。
 もう少し行くと、だいぶ鮮明に思い出せてきてヒカルは歩くスピードを速めた。するとやはり、それらしきアパートが見えてくる。近くまで来ると、綾に電話をかけてみた。

「もしもし? 今、どこにいるんだ?」

 すると、綾の声が返ってきた。

『すみません、ヒカリちゃんの支度に時間がかかってしまって……。でも、そろそろ出られそうなので、そこで待っていてくださいね』

 そう言って電話が切れると、ヒカルはしばらくその場で待機することにした。

 数分後、アパートの中から二人が出てきた。綾はヒカルを見ると驚いて、

「あ、そこにいたんですか?」

 と言いながら、駆け寄ってきた。ヒカリも、黙って綾の後ろからついてくる。

「あぁ、駅にいなかったからさ。最初行き方わからなくて迷ったけど、歩いているうちに何となく思い出せたよ」

 ヒカルは笑ってみせると、綾も笑い返してくる。

「じゃあ……、私はもういいですね。一応、駅まで送っていきましょうか?」
「あ……。いや、いい。というより……」

 ヒカルは、綾のすぐ後ろにいるヒカリに声をかけた。

「ヒカリ。駅までの道、わかるか?」
「……うん、もう覚えたから」

 ヒカリは頷きながら答えた。そこでヒカルは安心し、続けて言った。

「じゃあ、先に行っててくれるか? 俺も、あとですぐ行くから」
「わかった」

 ヒカリがそう答えると、駅に向けて歩いていった。それを見送っていた綾が、訝しげにヒカルを見つめる。

「いいんですか?」
「あぁ、ちょっとお前に話があってな」
「え? 彼女の前では言えない秘密のことかしら?」
「いや、そうじゃなくて……」

 綾が笑いながら言うので、ヒカルは言い難くなってしまった。それでもこれだけは伝えたいと思い、思い切って口を開いた。

「今日は、ありがとうな。一日中、あいつの面倒見てくれて」
「いいんですよ。私も、楽しかったですから」
「それで、今日はどこ行ってたんだ?」
「はい。街を案内したあと、普通にショッピングして、映画見て帰りました」

 意外にも、普通な休日を過ごしていたのだと、ヒカルは安堵した。しかし、気になったことが一つだけあった。

(あいつ、俺より先に他のやつと映画見たのか……?)

 それでもヒカリが楽しい一日を過ごせたのだと考えると、ヒカルは嬉しくなるのだった。綾は、そんなヒカルの心情を察したのか、優しく微笑んでくれた。

「ところで、二人はつき合ってるんですか?」

 それは、あまりにも突然だった。ヒカルは一瞬、頭が回らなくなり、自分でもよくわからない反論をしてしまった。

「い、いや、あれは俺の妹で……、だから好きとかそういう気持ちはないでもなく……」

 それを聞くと、綾はクスッと笑った。

「わかりますよー。彼女とのやり取りを見てたら、きっとそうなんだろうなって。だから、隠すことないと思います。あれ、明らかに妹に対する気遣いというよりは、好きな人への対応ですよね? 私、誰かとつき合ったことないんで、よくわからないですけど、たぶんそうだと思うんです。その……、女の直感ってやつです」

 ヒカルは、もはや何も言えなかった。ただ綾を見つめ、金縛りに遭ったように硬直したまま動けなかった。すると、綾がヒカルを見上げながら更に追い打ちをかける。

「彼女、きっと真宮さんが大好きなんだろうと思います。他人の私が言うのも変なんですけど、でもこれだけは言わせてください。彼女を、幸せにしてあげてください。どうか、お願いします」

 真剣な顔でそう話す綾を見た時、ようやくヒカルの金縛りは解けた。そして、また彼女に礼を言った。

「ありがとう。まさか、お前にそんなこと言われるなんて思ってもみなかったから……。俺も、ちょっと自信ついたよ。絶対に、あいつを一人にしない。だから、安心してくれ」
「……良かった。じゃあ、私はこれで帰りますね。あ、風邪とか気をつけてくださいね!」

 綾は笑顔で告げると、アパートの中に消えていった。ヒカルも、ヒカリのいる駅に向けて歩き出した。

 その途中、ヒカリとこれからどのように接していこうかと考えていた。今まで以上に、こちらから距離を縮めていこうか。ヒカリは、これから先の自分の運命をどのように感じているのだろうか。
 などと考えているうち、ヒカルは駅前に戻ってきていた。

 ヒカリもヒカルを見つけ、駆け寄ってくる。彼女は、笑顔でヒカルの右手を握ってきた。その顔を見るだけで、ヒカルは幸せな気分になった。
 その時、ヒカルは来る途中に頭の中で考えていたこと思い出した。

「そうだ。ヒカリ、これからどっか食事しに行かないか? 今月あんまり金ないんだけど、今日考えてみればクリスマスだからさ」

 しかし、ヒカリは首を振る。

「ううん、今度一緒に行くからいい。それに、今はヒカ君と一緒にいられるだけで、十分だから」

 それを聞くと、ヒカルはまた顔の周りが熱くなるのを覚えた。照れくさいというよりは、予想外の言葉に動揺している感じだった。

「じゃ……じゃあ、とりあえず帰りますか」
「……うん!」

 ヒカリは、元気よく頷いた。まるで、世界線が収束してしまった直後の彼女が嘘のように思えるほどだった。
 ヒカルは、ヒカリと手を繋いで歩き始めた。彼女もまた、ヒカルの方に寄り添ってくる。そうだ、これが俺の求めていたものだ、と思いながら、ヒカルは彼女と一緒にマンションまで帰宅した。

 帰ると、ヒカルはヒカリにシャワーを勧めた。外は極寒だったため、すぐに少しでも体を温めた方が良いと思ったのだ。ヒカリも頷き、シャワールームへ入っていった。ヒカルは待っている間、夕食の用意をしようと冷蔵庫のドアに手をかけた。その時、偶然冷蔵庫に貼ってあるカレンダーに目を留めた。今日、母に予定を見られてしまった。友達と行くんだと言って誤魔化したが、本当にあれで良かったのかという気持ちになった。そして、ヒカリや母に対する罪悪感もあった。

 十分ほどして、ヒカリがリビングに戻ってきた。

「ヒカ君も、お風呂入ったら? 風邪引くよ」

 ヒカリが言うので、ヒカルも食べる前に一度シャワーを浴びることにした。脱衣所に行き、服を脱ごうとすると上着のポケットに入っていた携帯が突然鳴り出した。慌てて取り出し、ヒカルは電話に出た。

『あ、もしもし、ヒカルか?』

 その声は良だった。

「何か用か?」
『おう、ちょっと気になったもんでな。今日はどうだった? うまく言ったか?』

 ヒカルは以前、今日は母がマンションに来るのでヒカリを綾のところに連れていくという話を、良にもしていたのだ。

「まあ、大丈夫だったよ。あいつも、今日は楽しかったって言ってくれてたし」
『それは良かったな、じゃあ俺はこれで失礼するぜ!』
「何のために連絡してきたんだよ……」
『うん、まあ、ちょっとな。そういうことだから、頑張れよ! 応援してるぜ!』
「おい、待てよ。お前、今日も街に出て何かしたんじゃないだろうな?」
『ご心配なく。俺はもう去年までとは違うんだからよ、じゃあな』

 良がそう言ってすぐ、通話は切れた。話を聞いて、良も色々と考え直しているのだろうとヒカルは思った。

 シャワーを浴びて出てくると、ヒカルはヒカリと一緒に夕食をとった。食べ終わり、ヒカルが使った食器を台所に持っていって洗っていると、ヒカリも隣に来て手伝ってくれた。最近になり、何かにつけ彼女と行動をともにすることが多くなったと、ヒカルはそんな気がしていた。
 そんな時、急にヒカリが声をかけてきた。

「ねえ、ヒカ君」
「何だよ」
「私たちって、リア充なのかな?」

 ヒカルは手を止めた。彼女から、その言葉を聞くとは予想していなかったのだ。それも、突然のことで驚いてしまった。

「何言い出すんだよ、突然」
「ごめん。でも、よく考えてみれば、そうなんじゃないかって。リア充って、『人に羨ましがられる存在』ってことだよね。今の私たちって、他の人からどう見えてるんだろう……?」

 しばらく、二人を静寂が支配する。水の流れる音だけが、リビングに響いていた。そう、ヒカルがずっと呼ばれたかった称号。それが即ち、「リア充」であったのだ。

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