オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第四十一話 『亀裂』

 路地を抜け、ヒカルは足早に歩いた。

「おい、待てよ!」

 その後を、良も追ってくる。手違いで、この世界にいられる期限は半年になっていた。黒岩や紅も、申し訳ないと言っていた。この世界に来てから、何が変わったのだろうかとヒカルは考えた。果たして、女心を理解出来るようになったのだろうか。そもそも、女心とは何だろう。ヒカルの足は、自然に止まっていた。立ち止まったまま、必死に考えた。

「おい」

 後ろから、また良が声をかける。

「まさか、真理子さんが第一被験者だったなんてな。それよりヒカル、本当に帰るのか? 元の世界に」
「わからない……。すぐには、答えが出せそうにないんだ」

 今夜、じっくり考えよう。そう思ってヒカルは、下宿のマンションに帰ることにした。その帰り、良と一緒にコンビニに寄った。そこで、酒やつまみを買い足した。景気づけに、一杯やろうということになったのだ。それから、良とも話し合うことにした。

 二人は部屋に着くと、早速ビールを飲んだ。と言っても、気持ちが楽になったわけではない。目的を達成出来ないまま、元の世界に戻されるのかという絶望感のせいで、ビールが非常に不味く感じられた。

「元気出せよ」

 横から、良が話しかけてくる。良は、本当に状況がわかっているのだろうかと、ヒカルは内心不安になる。この世界に来た時、何故か良まで女になっていた。裏の世界線にいた頃、良はもう自分は恋愛が出来ないと諦めていた。不細工というわけでもないが、モテる術を知らない。故に、黒岩から声をかけられたのだろう。しかし良は恐らく、自分がこの世界線に来た意味を知らない。ただ、実験台として来ているのだと思っているらしい。

 今までの行動から、そのように察することが出来た。一方、ヒカルは少しでも異性の心を解ろうと努力してきた。やりたくもないバイトをやって、女とはどのような言葉に反応するのか、異性をどのように見ているのかなど、ヒカルなりに知ろうとしてきた。それでも尚、成果が出せたとは言い難かった。

 このまま帰ると、間違いなく以前と同じ生活に逆戻りだ。そうならぬよう、この世界で頑張ってきたのに、時間切れとはなかなか度し難い。ヒカルがもたもたしていたのは事実だが、それでもこの仕打ちはあまりにも残酷だ。
 どうしたものかと考えていると、良がまた声をかける。

「どうしたんだ? さっきから黙って」

 この機会に、良に本当のことを打ち明けようか。ヒカルは良とは違い、女心を学ぶためにこの世界に来たということ。そして元の世界に帰り、異性とつき合うこと。それこそが、ヒカルの目的なのだと。

「良。お前はさ、なんでこの世界に来たんだ?」
「え? 何だよ、そのくらい知ってるのかと思ってた。向こうにいた時はさ、リア充狩る時に近づいただけで逃げられてたけど、この姿じゃ誰も逃げようとしないんだもん。俺、一生この世界にいてもいいな。女って便利だし。女ってだけで相手も油断するしさ」

 これが良の本音だ。何故、そこまでリア充を恨むのか、ヒカルにはわからない。それは、ただの逆恨みでしかない。それよりも、モテるよう努力するべきではないのかと、ずっと思っていたが言う勇気が出なかった。そして、良に話す決心をする。ヒカルは、大きく息を吸った。

「俺、実は違うんだ。彼女……、作りたいんだ。この世界で女として生きてみて、異性の気持ちが理解出来るようになったら、元の世界に戻って女とつき合いたいんだ。それを、お前にもわかってほしかったんだよ。人を妬み、恨んでるだけじゃ、前には進めないから。それは、お前だってわかってるんじゃないかな」
「えっ……? 冗談だろ?」

 その話を聞いた良は、そう言って苦笑している。ずっと親友だと思っていたヒカルとは、志のベクトルが違ったのだ。

「本当、なのか?」
「嘘言ってどうするんだよ。全部、本当のことだ」
「だってお前、ずっと同じサークルにいたじゃんか。もう恋愛は無理だから、これからは同志として頑張ろうなって言ったじゃんかよ!」
「……いつ言ったよ」
「え……」

 良は固まった。

「いつ、俺がそんなこと言ったんだよ!」

 ヒカルは立ち上がり、座っている良に対して吐き捨てるように言った。良は、何も答えない。当然だ、ヒカルは一度もそのようなことは言っていない。

「全部、お前の妄想だろ? 俺は、最初からそのつもりだったんだ。相手がいるやつが、すげー羨ましかった。だから俺もいつか、彼女作って、恋したいなって思ってたんだ」

 すると良もまた、立ち上がって言った。

「でも、じゃあなんで俺らのサークルに入ったんだよ」
「そこなんだよ。お前が無理やり誘ってこなかったら、今頃うまくいってたかもしれないんだよ。俺は、大学に入る時、二十歳までに何とかして彼女作ろうって思ってた。でも、お前に邪魔されたんだよ! 高校の時にさ、俺バカだったから、友達に裏切られたんだよ! 同じやつ好きになった友達に。応援してくれるとか言って安心させて、そんで俺よりも先に告りやがったんだよ。俺、それがすげー悔しくてさ、大学では絶対に同じ間違いしたくなかったんだよ! だから、二十歳の誕生日が来る前に何とかしようって思ってたのによ、何だよリア充駆逐隊って。意味わかんねえよ。そんなにリア充が嫌いかよ、モテる努力もろくにしてこなかった連中がよ。ほんとふざけんなって思ったわ。俺は、お前らとは違うんだよ。わかったか、このキモオタ!!」

 そう言ってしまったヒカルは、ふと我に返った。前を見ると、良は目に涙を浮かべている。

(あ、ヤバい、言い過ぎた……)

「あ、その……。なんつーか、ごめん……」
「ひどい……。ひどいよ、ヒカル……。ずっと、ずっと同志だと思ってたのに!」
「だから、勝手に決めつけんなよ。俺は、一度もそんなこと言ってないぞ?」
「じゃあ、なんですぐ抜けなかったんだよ」

 ヒカルにとって、一番突かれたくないところを突かれてしまった。確かに、抜ける手段はいくらでもあったはずだ。しかし、ヒカルは一年以上経っても辞めなかった。

「それは……。言うタイミングがなくて……」

 正確に言うと、ヒカルには迷いがあったのだ。サークルを抜けると、友達まで失くしてしまうのではないのかと。あの経験から、そう思えたのかもしれない。良は、充血させた目でヒカルを睨んでくる。

「俺は……、お前を信じてたんだよ。ずっと、仲間だと思ってた。でも、今日でわかった。お前とは、もうつき合えない。顔も見たくないな」
「そうかよ。じゃあ、帰れよ」

 ヒカルも、良からそう言われる予感はしていた。だから、覚悟を決めて話したのだ。

「……帰るよ。その前に、一つ言っておく。お前は、女からはモテない」
「は? なんで、そんなことが言い切れるんだよ」
「女心を理解したくらいで何だよ! モテない人間は、どう頑張ったってモテないんだよ! 恋愛の術を知らないやつは、潔く諦めるしかないんだよ!」

 それを聞いて、ヒカルは今までの自分を否定されたような気がした。

「頑張ってもないやつが、よく言うわ!」
「うるせえ! お前なんか、一生幸せになんかなるな! 永遠に地の下這いつくばってろよ!」

 吐き捨てるように良は言うと、走って部屋から出て言ってしまった。初めから、こうなることは目に見えていた。しかし、ヒカルは少し後悔していた。これで正解だったのか、自分でもよくわからない。再び座り込むと、頭を抱えた。

「何やってんだよ、俺……」

 自然に、涙が流れた。確かに、良はリア充を見かけるごとに、ちょっかいを出していた。それを見る度、ヒカルは他人を装っていた。しかし、それ以外は普通だった。試験前などは、よく勉強をみてくれていた。そして、この世界に来てからも、ヒカルがバイトを辞めたいと言った時、続けるべきだと背中を押してくれた。良は、本当は良いやつなのかもしれないと、ヒカルは思った。

 その友達を、大切な友達を、今度は自分が裏切ってしまったのだ。もう時間は巻き戻せない。これから訪れるのは、少なくとも幸福ではないだろう。平凡か地獄か。地獄が来るくらいなら、平凡の方がまだ良いだろう。

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