オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第三十九話 『運命』

「少し、お話がありましてね」

 そう言いながら、黒岩が近づいてくる。

「何の話だよ……」
「そんなに警戒なさらないでください。お話といっても、すぐに終わりますから」

 黒岩の話し方からしても、また嫌な予感がヒカルの頭を通過する。昨日、店に来た会長のことだろうか。

「紅会長が、貴方に会いたがっているのですよ。昨晩の貴方の姿を見て、興味を抱かれたみたいですね。なので、今晩にでもわたくしの部屋に来てはくださいませんか?」

 ヒカルの予想は、見事に的中したようだ。嫌なことに限って予想が当たるのは、何故なのだろう。黒岩の部屋というのは、何度か行った、あの部屋のことだろう。しかし、今更何を話そうというのか。まさか、被験者をクビにするということなのか。ヒカルはまた、嫌なことを連想した。

「心配しなくてもいいですよ。気楽な気持ちできてくださればいいので」

 ヒカルの心情を読んだのか、黒岩が言った。そして、こう付け加える。

「そうそう。出来れば、もう一人の方にもお伝えください。うちの会長が、会いたがっていると」
「もう一人って、良のことか?」
「そうです。あの方も貴方と同じ、我社の被験者ですからね。ご一緒に来てくだされば、こちらとしても嬉しいですので。それでは、今夜十二時にお待ちしております」

 そして、黒岩は帰っていった。良も呼べということは、やはり会社に関係のあることだろう。ヒカルは、大学に戻って良に話そうと思ったが、もう帰ってしまったかもしれない。そこで、一旦メールを送り、返事を待つことにする。

 今日も、ヒカルにはバイトが入っている。本来、そんなことを考えている暇などないのだ。行く行かないは、バイトが終わってゆっくり考えれば良い。ヒカルはその日もまた、店の扉を開ける。

「おはようございます」

 ヒカルは、そう中に声をかけた。いつもなら真理子が出てくるのだが、その日は何故か返事がない。まだ来ていないのかと思っていると、奥から足音が聞こえる。そして、出てきたのは真理子ではなく、ハナだった。

「おはよう」

 ハナが言うと、

「あの、真理子さんは?」

 と、ヒカルは尋ねた。すると、ハナが予想外のことを言った。

「え、あの人? 実は今朝電話がかかってきてね、辞めたいって」

 ヒカルは、言葉に詰まった。

「え……、それは、何故ですか?」
「知らないわよ。他の仕事でも見つかったんじゃない?」

 ハナは冷たくそう言うと、またどこかへ行ってしまった。ヒカルは今まで、ずっと真理子を頼りにしてきた。まさか、途中でいなくなるなど考えたこともないため、どうしたら良いかわからなくなってしまった。

 ふと、ヒカルは昨日の出来事を思い出す。黒岩と紅が来店してきて、二人が帰った後、真理子はヒカルに二人について尋ねてきたのだ。真理子も、彼らのことを何か知っているのだろうか。考えたが、よくわからない。黒岩は最初、他人に自分たちのことを口外してはいけないと言っていた。それは、プロジェクトの存在を知っているのがヒカルだけだったからだ。
 良も被験者ということになっているが、そのことについても黒岩は理解していた。他の被験者については、何も言っていなかった。良から返事が来ていないか、ヒカルは携帯を見たが、特に最近受信したメールはなかった。

 その日、従業員はヒカルとハナだけだった。主に、ハナが伝票を持ってきて、ヒカルは注文された品を作った。真理子が何故辞めたのか、黒岩の言っていた話とは何なのか気になることは山ほどあるが、今は目の前のことにだけ集中しよう、とヒカルは思った。

 幸い、この日は来客数が少なかったため、あまり忙しくはなかった。ヒカルは店を出て、駅に着くと携帯のメールフォルダを開く。すると、良から返信が来ていた。それによると、ヒカルのマンションの前にいるとのことだった。ヒカルは急いで、下宿に帰った。
 メールに書かれていた通り、良がマンションの前に立っている。向こうもヒカルの存在に気づき、手を振ってきた。

「お〜い、こっちこっち!」

 それを見ると、また拍子抜けしたような感覚になる。

「相変わらず元気そうだな」
「これでも普通だぞ? お前が元気ないだけじゃん」

 言われてみれば、その通りだ。最近は、何もかもが面倒に感じられる。それは、ヒカル自身も自覚している。

「……俺もそう思う」
「ハハッ、何だよそれ。自分でもわかってんだ」

 良が笑い出すので、ヒカルもつられて笑った。これでは、今まで被験者を見守っていた黒岩が腰を上げるのは、当然のことだろう。ヒカルも自分のことが情けなくなり、笑ってしまったのかもしれない。

「で、なんで呼ばれたんだ?」
「多分、あれだと思う。俺たちがこの世界に来た目的って、女心を理解するためだからさ。流石に、いつまでも進展しない俺たちを見て、あっちもピリピリしてんだろ」
「え? そんなこと、いつ言われたんだ?」

 良は、黒岩から何も聞かなかったのだろうか。だから、この世界に来て異性になってもあのようなことを続けていたのだろう。

「取り敢えず、行ってみようか」
「そうだな」

 二人はこうして、黒岩の部屋に行くことにした。

 黒岩の部屋は、郊外の路地にある。人通りがほとんどないため、根城を構えるには最適の場所なのだろう。ヒカルがこの世界に来てまだ間もない頃、そこで黒岩から色々な話を聞かされた。
 ヒカルは、部屋の扉を開けた。中を除くと、様々な種類の機械が置かれてある。黒岩が、

「お待ちしておりました。さぁ、どうぞ」

 と、二人を中に案内する。室内は薄暗く、不気味で入ることさえ躊躇われる。ヒカルは慣れているため、すぐに足を踏み入れた。しかし、後ろの良は何故だか怯えている。そういえば、良はここに来るのは初めてだったのだ。

「そんなに警戒しなくても、大丈夫ですよ」

 黒岩は、良の手を引いて中に入れた。先程まで明るかった良は、別人のように不安気な表情を浮かべている。それ程までに、黒岩の部屋は薄気味悪い。いるだけで、寒気がしてくるようだ。

「では、紅会長に来ていただきましょう」

 黒岩がそう述べると、奥の戸が開いて紅が中に入ってきた。

「真宮希望さんと高塚良さんですね。お会い出来て、とても光栄です」

 紅は、丁寧な口調で言う。その中に、途轍もないオーラが感じられる。ますます、体の震えが止まらない。

「もう少しリラックスしてください。貴方たちは、我社の被験者。言わば、大切なお客様なのです。もっと早くに話しておくべきでしたが、なかなか忙しくてね。今更になって、申し訳ない」

 紅は笑顔で二人を見てくるが、その笑顔が怖い。その時、

「あの……」

 と、良が口を開く。

「前から思ってたんですけど、契約書とかないの? 普通被験者だったら、そういうのあると思うんですけど……」

 言われてみれば、尤もだ。ヒカルは一度も、そのようなものを見たことがない。すると黒岩が、

「ご安心ください。あなた方がこの世界に来た時点で、すでに契約は成立しております。契約書は形だけのものなので、こちらで保管させていただいています」

 と説明し、二人を納得させる。しかしその後、黒岩の表情が少しだけ曇った。

「どうしたんだ?」
「これは……、誠に言い難いことなのですが……」

 そう言って、黒岩が話し始める。二人をここへ呼んだ本当の理由は、ここにあったのだ。

「実は我々の不注意で、お二人は半年の契約になっておりました。なので、期限はとっくに過ぎてしまっているのです。わたくしも、気付くのが今頃になってしまいました」

 何を言い出すのかと思えば、それはヒカルにとって、余命宣告を受けたも同じだった。しかもその余命は、今日だ。

(何だよ……、それ……)

 まあ、たとえ期限が長くとも、結果は同じだったのかもしれないが。紅も前に進み出てきて、

「責任者として、私が謝ろう。本当に、申し訳ない」

 と、二人に頭を下げる。

「じゃあ、すぐに帰らなきゃならないの?」

 良は二人に尋ねると、黒岩が答えた。

「いえ。今すぐどうこうではありませんので、ご安心ください。ですが、早いうちに送還したいと思っております。その判断は、あなた方にお任せします。今夜、じっくりと相談してください。またしても失敗してしまいました、申し訳ございません」

 黒岩も、そう言って頭を下げた。ヒカルは、これで考え直せると思った。自分の選んだ道が、本当に正しかったのかどうかを。しかしその時、ふと疑問に思ったことがあった。

「なぁ。あんた今、またしてもって言わなかったか?」
「はい、申しましたが」

 ヒカルは、黒岩の言った「またしても失敗した」という言葉が気になったのだ。これは、過去にも被験者がいたということだろうか。そのことを思いきって黒岩に尋ねてみると、被験者がもう一人この世界にいることが判明した。
 初耳だったため、ヒカルも良も驚きを隠せなかった。黒岩が話すには、

「あなた方には関係ないと思って、今まで告げておりませんでした」

 だそうだ。そのことについては、どちらも教えたがらない様子。と思ったが、紅がこう言った。

「実は今日、もう一人お客を呼んでいるのですよ」
「もう一人……?」
「入ってきたまえ」

 紅が、ドアの方に向かって言った。するとドアが開き、誰かが入ってきた。ヒカルは、それを見ると目を疑った。入ってきたのは、どこからどう見ても真理子だったのだ。何故、真理子がここにいるのか、予想も出来なかった。

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