オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第四十話 『真理子』

「何故、ここに……」

 そこに立っていたのは他でもない、あの真理子だった。バイトを辞めた真理子が、何故ここにいるのだろう。真理子は、ポカンとしている二人のところに歩み寄ってきた。

「今まで隠しててごめんね」

 その言葉で、ヒカルは大体のことを察した。恐らく、真理子も関係者か何かなのだろう。それにしても、意外すぎて何も言葉が出てこない。すると紅が、

「では、君の方から話したまえ」

 と、真理子の肩に手を置く。真理子は、未だに状況を掴めずにいるヒカルと良を見つめ、話し始めた。

「単刀直入に言うね。私も、君たちと同じ被験者なの」

 これは、ヒカルの予想を遥かに上回った。ということは、ヒカルや良が初めての被験者ではなかったのだ。これで黒岩の言った、「またしても失敗した」という発言とも、辻褄が合う。

「そうです。彼女は……、というより、彼はと言った方が良いでしょうか。彼は、我社の第一被験者なのです」

 黒岩が補足する。それで辞める直前、真理子はヒカルに対し、二人のことについてきいてきたのだろう。

「彼の本名は、品川零。品川様もまた、自分の生き方に困っておられました。ですので、我社の被験者としてお声かけしたというわけです。彼は男性でありながら、男性としての生き方が難しい状態でした」
「……ん? どういうことだ?」

 ヒカルはきくと、黒岩が答えた。

「品川様は男性の姿でしたが、心は女性だったのです」

 その話を聞いて、ヒカルはまさかと思ったが、念のため質問してみた。

「それってもしかして……、性同一障害?」
「はい」

 性同一障害とは、体と心で生まれつき性別が異なる障害のことだ。真理子も、そのことでずっと苦しんでいたのだろう。周りにも言えず、ただ異性として演じていたことが推測出来る。それを思うと、ヒカルは真理子を哀れに思った。

「そして、我々はこう考えたのです。彼を、別の世界線に連れてきたら、その問題を解消出来るのではないかと。この世界に来れば、誰の視線を気にすることなく、女性としての生活を送れます」

 更に、黒岩は続けた。しかし、次に黒岩の口から出た言葉は……。

「ただ……、我々は致命的な誤算をしていたのです」
「誤算?」
「はい。実験は成功した……、そう思われました。しかし、後程判明したのです。性同一障害なのは、裏の世界線の品川様だけだったのです」

 ヒカルの頭は、また混乱した。

「あ……、その。それって、どういうことだ?」
「はい。例えば、表の世界の品川様は、体は女で、心は男だとしましょう。ですが、裏の世界線にいる品川様は、体が男で心は女だとは限らないということです」
「ややこしいわ!」
「……すみません。ですが、大体のことはお察しいただけたでしょう」
「あぁ……、まぁ……」

 しばらく、部屋の中は静まり返る。聞こえるのは、怪しげな電子音だけだ。ふと真理子の方を見ると、真理子は下を向いてしまっている。その時の真理子の顔は、まるで親を亡くした子のようだった。良に至っては、先程から一言も口を開いていない。そして更に、黒岩が話を再開する。

「……ということで、こちらの世界にいた品川様は、今頃あちらの世界で過去のこの方と同じ苦しみを味わっているのです」

 黒岩が、真理子を示しながら言う。

「でも……、本当にそんなことってあるのか?」
「はい。遺伝子の異常により、性同一障害の子が生まれてくるのです。それは、どちらの世界線でも言えることでしょう。ですが、考えてみてください。そもそも、その個体自体の性別が違ったのだとしたら、心まで逆になると思いますか?」

 黒岩の問いに、ヒカルは答えられなかった。医療的な知識に関しては、ほぼ皆無なので仕方がない。黒岩は、微笑して続ける。

「まぁ、論理的にどうであれ、結論から言いますと二つの世界線で体の性別は異なりますが、心まで逆とは限らないということになります」

 本当に、そのようなことが有り得るのだろうか。この考え方でいくと、向こうの世界線にいるヒカルも、心が女だとは限らないということになる。それは勿論、良にも当てはまるだろう。

「それで、品川様にお伝えしたんですよ。そうしたら、帰りたいと仰いまして……」

 ヒカルと良は、再び真理子を見る。すると、真理子の目から涙が溢れ出ている。今まで、堪え続けていたのが我慢のラインを超えたのだろう。ヒカルが、真理子と知り合ったのは半年前になるが、それでもこのように泣いた真理子を見るのは、初めてのことだった。

 そして、ついに真理子が話し始めた。

「私、ずっとコンプレックスだったの。なんで、みんなと違うんだろうって……。私も、みんなと同じように過ごしたい、それだけが願いだった。でも、それは叶わなかった。人とは違うんだって、仕方ないんだって、そう諦めかけてた」

 涙ながらに真理子は語る。どのくらい辛かったのか、声や話し方からもわかる。ヒカルが抱えていた悩みなど、塵に思えてくる程だった。

「だから……、黒岩さんに声をかけられた時は、嬉しかったの。最初はちょっとビックリして戸惑いとかもあったけど、それでもこれでみんなと同じ人生が歩めるって……。でも、元々この世界にいた私が今苦しんでるって聞いて、どうしていいのかわからなくなってしまったの」

 だから、帰ることにしたのだと真理子は語った。ヒカルも、心は男だが今は女になっている。しかし、真理子とは目的から何もかもが違う。ヒカルは女心を理解するため、この世界に来たのだ。一方、真理子は一生をここで過ごす覚悟で来たに違いない。
 すると黒岩が出てきて、

「彼女もまた、辛いのでしょう。同じ自分自身とはいえ、異世界の自分が、以前の自分と同じ苦しみを味わっているのですから」

 と、言うのだ。

 ヒカルもまた、裏の世界線で生きている自分が今頃、どうなっているのだろうと考えることはあった。それでも辛いだろう、不安でいっぱいだろうなどと思うことは少なかった。それは言うまでもなく、ヒカル自身も現在、同じ気持ちに他ならないからだ。しかし、真理子は違う。今、本人は幸せだとしても、裏の世界線いるもう一人の自分が不幸せなのだから。

「因みに品川様は、表の世界に来てから三年になります。この三年間、わたくしはお二方と同様、品川様の監視も行っておりましたが、当人はもう限界のようです。ご本人が帰りたいと仰ってるのなら、我社としては顧客の気持ちを尊重したいと思います。それこそが、ビジネス精神というものかと」

 黒岩は、そう話した。そして真理子を見ると、

「それで、どうします? 一度帰ってしまうと、二度とこの世界には戻って来れませんが」

 と、念を押した。しかし真理子には、考えを変えるつもりはないようだ。

「……いえ、後悔はありません」

 それを聞いた黒岩は頷き、真理子をあの機械へと案内する。あの機械とは以前、規則を破ってしまったヒカルが、強制送還されそうになった際に座らされた、マッサージ椅子のような形をした機械だった。真理子は、その機械に腰かける。すると、黒岩がスイッチを入れた。その時、ヒカルは反射的に声を上げた。

「待てよ!」

 ヒカルは、真理子に駆け寄った。

「本当に、帰るんですか?」
「うん。今まで、ありがとうね」

 真理子はそう言うと、ヒカルに優しく笑いかけた。それは今まで見たことのない、真理子の眩しい笑顔だった。そして、その部屋は明るい光に包まれる。数秒後、光が治まった。そこには、目を閉じて横たわっている真理子の姿があった。それを見て、黒岩は言った。

「……成功しました。そこにいるのは、もうあなたの知っている吉田真理子さんではありませんよ」
「……わかってるよ」

 ヒカルもそう返事をすると、立ち上がった。

「で、どうします? あなた方は」

 黒岩が、ヒカルと良にも、元の世界に帰るのか尋ねてきた。ヒカルは、すぐには答えを出せそうになかった。

「ちょっと、考えさせてくれないか」
「わかりました。ですが、出来るだけ早いうちにお願いしますね」

 ヒカルは、黙って部屋の戸を開け、外に出る。良も、その後を追った。

「おい、本当にいいのか?」
「何がだよ」
「一度帰ったら、もう二度と戻って来れないんだろ? だったら、ずっとこの世界にいてもいいんじゃないかな」

 良は、相変わらずだ。何も考えていない。ヒカルは、無言で路地を抜ける。良もそれを追うように、ヒカルの後に続く。ヒカルはこの先、何をどう処理すれば良いのか、誰かに教えてほしいくらいだった。神は、どんな時でも無言のままだ。

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