オモテ男子とウラ彼女
第三十三話 『努力』
外は、もうかなり暗い。ヒカルは、帰りを急いだ。帰って特に何をやるわけでもないが、早く帰ってゆっくりしたかった。繁華街には、いくつもの店が並んでいる。ふと、ヒカルは足を止めた。綺麗に澄んだガラスの向こう側には、冬物の衣服が並んでいる。そろそろ、秋物から冬物に替えなくてはいけない。まだ十月だが、夜になると充分寒かった。
しばらく見とれていると、ヒカルはガラスに映る自分の姿が気になった。流石に違和感は薄くなっているが、これは本当の自分ではない。その事実だけは、何をどうしようが変えられなかった。
世界線の向こうでは、この世界にいた自分が男として暮らしている。黒岩は、そのようなことを言っていた。この世界の自分を変えられるのは、自分だけなのだ。そう思うと、今日のことはかなりの進展と言っていい。デートは、どちらのヒカルにとっても初めてのことだったのだから。
そして、また崇大の顔が脳裏を過ぎる。あの時の笑顔が、まだ根強くヒカルの頭の中に残っていた。ヒカルは首を横に振って、また歩き出した。
路地まで来ると、人気は少ない。ここを抜けると、交差点に出る。ヒカルは足を速め、そこを目指した。すると、すぐ近くからこんな声が聞こえた。
「はぁ? 出来ねえってどういうことだよ」
ヒカルは、何気に耳を傾ける。若い男の声だった。
「こっちはすぐにいるんだよ」
「ごめん。すぐに、下ろしてくるから」
その声は、路地の脇の方から聞こえる。少し気になり、ヒカルは中を覗いた。そこには、若い男女が二人立っていた。見ると、男が女に対して金を要求しているようだった。顔は暗いため、よく見えない。
「ごめん……。だって、明日でいいって言ってたから」
「んなこと、誰が言ったんだよ! いいから、さっさと下ろして来いよ。ったく、ほんとに役立たずだな、お前」
男は吐き捨てるように言うと、向こうに歩いていってしまった。女性は、その場に立ち竦んでいた。それを見ていると、ヒカルはその女性が哀れに思えた。事情を聞こうかとも思ったが、何と話しかけてよいかわからない。
その時、街灯の灯りによって女性の顔がはっきりと見えた。ヒカルは、それを見て目を疑った。それはバイト先の上司、ハナだったのだ。何故、ハナがこのようなところにいるのか知らないが、それよりもあの男のことが気になった。もしかすると、デート中にハナと一緒に見かけた男がそうなのかもしれない。あの時、ヒカルはハナだけを確認し、男の方は顔をよく見ていなかったからだ。
そう言えば、ハナは彼氏から金を強請られていると言っていた。きっと、あれがその相手だろう。助けたいとも思ったが、何と言われるかわからない。第一に、他人が口を挟める問題でもない。それでも、黙って通りすぎることは出来なかった。意を決し、ヒカルはハナに事情を聞いてみることにした。
ヒカルは立っているハナに近づき、声をかけてみる。
「あ、あの……」
「きゃっ!」
突然声をかけられたためか、ハナは驚きの声を上げる。そしてヒカルの顔を確認すると、
「あれ、あんた何してんの?」
と、更に驚きの眼差しでヒカルを見つめる。
「あの、さっきの人が彼氏ですか?」
「見てたんだ……。いいの、気にしないで。私、これから銀行行く用事あるから」
そう言ってハナは立ち去ろうとすると、ヒカルは尋ねた。
「貸したお金、返してもらってるんですか?」
ヒカルの問いに、ハナは答えた。貸した金は、返してもらっていないのだという。使用用途をきくと、ギャンブルで使うためらしい。何故、そのような男とつき合っているのかと疑問に思ったが、それについてもハナは話してくれた。
あの男と知り合ったのは、大学の同級生と一緒に行った合コンだ。そこで、男の方から声をかけてきたのだという。二人は馬が合い、つき合い始めた。その当時、男はそこまでギャンブルに夢中ではなかった。しかし一年ほど経った頃、急に金を貸してほしいと言うことが多くなったらしい。理由をきいても、何も答えてくれなかったのだという。後に、ギャンブルが原因だということが発覚。そして、現在に至るということだった。
よくある話だが、ヒカルはその男のことが許せなかった。借りた金も返さずに、一人でギャンブルにのめり込んでいる。これでは、金がいくらあっても足りないだろう。ハナに、別れ話はしたのかと尋ねると、何度もしたが全て拒まれたのだという。
これから、銀行から下ろした金を、男に渡しに行くそうだ。ヒカルは、ハナに行かないようにと勧めたが、行かなかったら何をされるかわからないとハナは言う。それは、少し怯えているようにも見えた。そんなハナに、ヒカルは同行を申し出た。何かあったら、あの男にガツンと言ってやりたい気分だった。ハナは最初、嫌がったが、ヒカルがどうしてもと言うので、仕方なく承諾してくれた。
男は、公園のベンチで煙草を吸いながら、ハナが来るのを待っていた。やがて、ハナが歩いてきた。少し離れた場所から、ヒカルもついていった。男は、ヒカルのことは気にも留めず、ハナに近づいてきた。
「ちゃんと、持ってきたんだろうな」
男は煙を吐きながら、ハナに尋ねる。すると、ハナは封筒を男に差し出した。
「これでいいでしょ?」
男は、その封筒を取り上げるように受け取ると、中身を確認する。中には、紙幣が数枚入っている。
「おう、確かに。ったく、時間ロスしちまったじゃねーか」
先程まで眉間に皺を寄せていた男は、機嫌良さそうに言った。そして背を向け、歩いていこうとした。しかし、それをハナは呼び止める。
「待って」
「何だよ?」
男はふり向いた。
「もう、こんなことやめて。昔みたいに、ちゃんと働いて」
ハナは、必死に男に訴えた。男に以前のように戻ってほしい、ハナは心からそう願っているのだ。それは、ヒカルにもわかった。しかし、男はハナのところに戻ってくると、
「うるせえな。二度とその話はすんなって、あれ程言っただろ!」
と、ハナを睨んだ。
「俺はなぁ、もう無駄なことはやめたんだ。真面目に働いても、いいことなんてねえんだよ! 給料はあれぽっちだし、そしたら何か働くのがバカバカしくなってよ」
「でも、楽しそうにしてたじゃん」
「楽しそう? 全然楽しくなんてねーよ。いくら頑張っても、誰にも褒めてもらえやしない。わざわざ楽しくないことやって、我慢して……、もう沢山なんだよ!」
男は、唾を散らしながら叫んだ。それには流石のハナも、何も言えなくなっていた。男は公園から出ていこうとすると、今度はヒカルがそれを呼び止める。
「待ってください」
「ん? 何だよ、お前」
「人からお金貸してもらって、自分のしたいことやって、それで幸せなんですか?」
「あん? お前には関係ねーだろ!」
ヒカルは、我慢出来なくなりそうだった。ヒカル自身、働き始める前までは、男と同じ考えだった。しかし今は、バイト仲間と会話したりして、働ける喜びを知った。それを、その男にもわからせてやりたかったのだ。
「そりゃ、仕事してたら辛いこともいっぱいあるよね……。まだバイトしか経験したことないけど、俺でもそのくらい知ってる。でも、それって逃げてるだけじゃん。楽しくない? そんなこと、ちゃんと稼いでから言えよ!」
ヒカルの言葉で、男は驚いたような仕草を見せる。そして反省したように、ハナの方にまた身体を向ける。
「わかったよ……」
男は、そう言ってハナに封筒を返した。それを受け取ると、
「……ありがとう」
と、ハナも嬉しそうに言った。
「悪かったな」
男はハナに謝り、公園から姿を消した。ヒカルの喝が、やはり効いたのだろう。ハナも、先程までとは違い、嬉しそうな表情になっている。そしてヒカルの前まで来ると、
「あんたのこと、少し見直したよ。ありがとう」
と言うと、帰っていった。冷たい風が、公園の中を吹き渡る。先程までの、殺伐とした空気がまるで嘘のようだ。ヒカルも深呼吸すると、マンションに向けて歩き出した。生きていれば、嫌なこともあるだろう。しかし、それを乗り切る喜びを知れば、人生がまた一段と楽しくなる。今回の出来事はヒカルにとっても、今後の勇気づけには丁度良かったのかもしれない。
しばらく見とれていると、ヒカルはガラスに映る自分の姿が気になった。流石に違和感は薄くなっているが、これは本当の自分ではない。その事実だけは、何をどうしようが変えられなかった。
世界線の向こうでは、この世界にいた自分が男として暮らしている。黒岩は、そのようなことを言っていた。この世界の自分を変えられるのは、自分だけなのだ。そう思うと、今日のことはかなりの進展と言っていい。デートは、どちらのヒカルにとっても初めてのことだったのだから。
そして、また崇大の顔が脳裏を過ぎる。あの時の笑顔が、まだ根強くヒカルの頭の中に残っていた。ヒカルは首を横に振って、また歩き出した。
路地まで来ると、人気は少ない。ここを抜けると、交差点に出る。ヒカルは足を速め、そこを目指した。すると、すぐ近くからこんな声が聞こえた。
「はぁ? 出来ねえってどういうことだよ」
ヒカルは、何気に耳を傾ける。若い男の声だった。
「こっちはすぐにいるんだよ」
「ごめん。すぐに、下ろしてくるから」
その声は、路地の脇の方から聞こえる。少し気になり、ヒカルは中を覗いた。そこには、若い男女が二人立っていた。見ると、男が女に対して金を要求しているようだった。顔は暗いため、よく見えない。
「ごめん……。だって、明日でいいって言ってたから」
「んなこと、誰が言ったんだよ! いいから、さっさと下ろして来いよ。ったく、ほんとに役立たずだな、お前」
男は吐き捨てるように言うと、向こうに歩いていってしまった。女性は、その場に立ち竦んでいた。それを見ていると、ヒカルはその女性が哀れに思えた。事情を聞こうかとも思ったが、何と話しかけてよいかわからない。
その時、街灯の灯りによって女性の顔がはっきりと見えた。ヒカルは、それを見て目を疑った。それはバイト先の上司、ハナだったのだ。何故、ハナがこのようなところにいるのか知らないが、それよりもあの男のことが気になった。もしかすると、デート中にハナと一緒に見かけた男がそうなのかもしれない。あの時、ヒカルはハナだけを確認し、男の方は顔をよく見ていなかったからだ。
そう言えば、ハナは彼氏から金を強請られていると言っていた。きっと、あれがその相手だろう。助けたいとも思ったが、何と言われるかわからない。第一に、他人が口を挟める問題でもない。それでも、黙って通りすぎることは出来なかった。意を決し、ヒカルはハナに事情を聞いてみることにした。
ヒカルは立っているハナに近づき、声をかけてみる。
「あ、あの……」
「きゃっ!」
突然声をかけられたためか、ハナは驚きの声を上げる。そしてヒカルの顔を確認すると、
「あれ、あんた何してんの?」
と、更に驚きの眼差しでヒカルを見つめる。
「あの、さっきの人が彼氏ですか?」
「見てたんだ……。いいの、気にしないで。私、これから銀行行く用事あるから」
そう言ってハナは立ち去ろうとすると、ヒカルは尋ねた。
「貸したお金、返してもらってるんですか?」
ヒカルの問いに、ハナは答えた。貸した金は、返してもらっていないのだという。使用用途をきくと、ギャンブルで使うためらしい。何故、そのような男とつき合っているのかと疑問に思ったが、それについてもハナは話してくれた。
あの男と知り合ったのは、大学の同級生と一緒に行った合コンだ。そこで、男の方から声をかけてきたのだという。二人は馬が合い、つき合い始めた。その当時、男はそこまでギャンブルに夢中ではなかった。しかし一年ほど経った頃、急に金を貸してほしいと言うことが多くなったらしい。理由をきいても、何も答えてくれなかったのだという。後に、ギャンブルが原因だということが発覚。そして、現在に至るということだった。
よくある話だが、ヒカルはその男のことが許せなかった。借りた金も返さずに、一人でギャンブルにのめり込んでいる。これでは、金がいくらあっても足りないだろう。ハナに、別れ話はしたのかと尋ねると、何度もしたが全て拒まれたのだという。
これから、銀行から下ろした金を、男に渡しに行くそうだ。ヒカルは、ハナに行かないようにと勧めたが、行かなかったら何をされるかわからないとハナは言う。それは、少し怯えているようにも見えた。そんなハナに、ヒカルは同行を申し出た。何かあったら、あの男にガツンと言ってやりたい気分だった。ハナは最初、嫌がったが、ヒカルがどうしてもと言うので、仕方なく承諾してくれた。
男は、公園のベンチで煙草を吸いながら、ハナが来るのを待っていた。やがて、ハナが歩いてきた。少し離れた場所から、ヒカルもついていった。男は、ヒカルのことは気にも留めず、ハナに近づいてきた。
「ちゃんと、持ってきたんだろうな」
男は煙を吐きながら、ハナに尋ねる。すると、ハナは封筒を男に差し出した。
「これでいいでしょ?」
男は、その封筒を取り上げるように受け取ると、中身を確認する。中には、紙幣が数枚入っている。
「おう、確かに。ったく、時間ロスしちまったじゃねーか」
先程まで眉間に皺を寄せていた男は、機嫌良さそうに言った。そして背を向け、歩いていこうとした。しかし、それをハナは呼び止める。
「待って」
「何だよ?」
男はふり向いた。
「もう、こんなことやめて。昔みたいに、ちゃんと働いて」
ハナは、必死に男に訴えた。男に以前のように戻ってほしい、ハナは心からそう願っているのだ。それは、ヒカルにもわかった。しかし、男はハナのところに戻ってくると、
「うるせえな。二度とその話はすんなって、あれ程言っただろ!」
と、ハナを睨んだ。
「俺はなぁ、もう無駄なことはやめたんだ。真面目に働いても、いいことなんてねえんだよ! 給料はあれぽっちだし、そしたら何か働くのがバカバカしくなってよ」
「でも、楽しそうにしてたじゃん」
「楽しそう? 全然楽しくなんてねーよ。いくら頑張っても、誰にも褒めてもらえやしない。わざわざ楽しくないことやって、我慢して……、もう沢山なんだよ!」
男は、唾を散らしながら叫んだ。それには流石のハナも、何も言えなくなっていた。男は公園から出ていこうとすると、今度はヒカルがそれを呼び止める。
「待ってください」
「ん? 何だよ、お前」
「人からお金貸してもらって、自分のしたいことやって、それで幸せなんですか?」
「あん? お前には関係ねーだろ!」
ヒカルは、我慢出来なくなりそうだった。ヒカル自身、働き始める前までは、男と同じ考えだった。しかし今は、バイト仲間と会話したりして、働ける喜びを知った。それを、その男にもわからせてやりたかったのだ。
「そりゃ、仕事してたら辛いこともいっぱいあるよね……。まだバイトしか経験したことないけど、俺でもそのくらい知ってる。でも、それって逃げてるだけじゃん。楽しくない? そんなこと、ちゃんと稼いでから言えよ!」
ヒカルの言葉で、男は驚いたような仕草を見せる。そして反省したように、ハナの方にまた身体を向ける。
「わかったよ……」
男は、そう言ってハナに封筒を返した。それを受け取ると、
「……ありがとう」
と、ハナも嬉しそうに言った。
「悪かったな」
男はハナに謝り、公園から姿を消した。ヒカルの喝が、やはり効いたのだろう。ハナも、先程までとは違い、嬉しそうな表情になっている。そしてヒカルの前まで来ると、
「あんたのこと、少し見直したよ。ありがとう」
と言うと、帰っていった。冷たい風が、公園の中を吹き渡る。先程までの、殺伐とした空気がまるで嘘のようだ。ヒカルも深呼吸すると、マンションに向けて歩き出した。生きていれば、嫌なこともあるだろう。しかし、それを乗り切る喜びを知れば、人生がまた一段と楽しくなる。今回の出来事はヒカルにとっても、今後の勇気づけには丁度良かったのかもしれない。
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