オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第十二話 『煽動』

「おや、気のせいでしょうか。今、ものすごく汚い言葉が聞こえたような気がしましたが」

 男は言ったが、ヒカルもまた、お構いなしに続ける。

「お前らが何を言おうと、俺らは辞めるつもりなんかねえからな」
「フフフ、だから言ったでしょう。メイドごときがどんなに足掻いても、上に立つ者の命令には絶対従わなければならない。それがルールというものだよ。まぁ、せいぜい残りの人生を有意義に過ごしたまえ」

 男はそう言うと、再び店のドアに向かって歩き出す。

「逃げんのかよ」
「逃げる?」

 ヒカルが言うと、男はふと足を止めた。ヒカルは男の背に向かい、こう話すのだった。

「俺も、今までだったらそう言われたら受け入れてたかもしれない。けど、今は違う。色んな奴らに出会えたから。誰かが言ってたんだよ、お客様の笑顔が見たいって。それ聞いたら俺、今までの自分をぶっ飛ばしたくなったっつーか……、考えが変わったんだよ。だから、俺もこの店を守りたい。なんで正当な理由もねえのに、潰されなきゃなんないんだよ。口には出さねえけど、これはみんな思ってることだ。だから俺らは逃げない。たとえ何されても、堂々とお前らに立ち向かってやるよ」

 今までのヒカルであれば、店が潰されると知っても、ここまでしようとは思わなかっただろう。しかし今は、真理子たちのために必死になっている。これまで諦めムードだったメイドたちも、ヒカルの言葉を聞いて、真剣な眼差しを男たちに向けている。すると男の一人が、高笑いをした。

「フハハハハ、何という愚かな」
「我々に盾つくということは、余程人生をメチャクチャにしてほしいのだな」

 続いて、その隣にいた男も笑いながら言った。それでも皆、諦める素振りを見せなかった。何か出来ることがあるはずだと、その一心だった。ヒカルも、この店を救うための秘策は、きっとどこかにあるはずだと、そう信じた。ヒカルは女になって、一つだけだが、わかったことがあった。それは、女は男よりも無力であるということ。それは、今も昔もあまり変わっていない。女というだけで、世間からは甘く見られる。男の時はあまり気にならなかったが、いざその立場になってみると、快いものではない。しかし真理子のように、来客を笑顔にするために毎日を真剣に考えられる人もいる。これは、誰も変えることの出来ない事実だったのだ。

 すると、一人の男がこのような提案をした。

「ならば、こうしましょう。三日間以内に、この店に二百人を入れてください。それを達成した場合にのみ、再検討いたしましょう」

 そして、また薄く笑った。現在、この店には一日あたり、三~四十人程度しか来ない。三日間で計算すると、いつもの二倍以上となる。男たちはそれを知って、言ってきているのだろう。ヒカルは、ふり返って真理子を見た。ここの責任者は真理子であるため、こればかりは真理子の判断に任せるしかない。真理子は、しばらく黙っていたが、ついに口を開いた。そして、こう言うのだった。

「はい、わかりました。三日以内に、三百人入れてみせます」

(おいおいおい、待て待て待て、喧嘩買ってどうするんだよ……!)

 ヒカルは再び真理子の方を見ると、笑顔ではなく真剣な顔で男たちを見据えている。どうやら本気らしい。しかし、それで計算すると、一日に百人を店に入れなければならないということになり、普段の約三倍になる。いけるのかと、ヒカルは大いに不安になった。

「そうですか。では、健闘を願っていますよ」

 男はそう言うと、他の者たちを引き連れて店を後にしていった。真理子は、それから皆の方をふり向いて言った。

「みんな、ごめんなさい。でも、どうしても我慢できなかったの。無謀な約束をしてしまい、本当にごめんなさい。でも、私はまだ諦めていませんから。できることから、やっていくことにしましょう」

 それを聞いたメイドたちは、全員頷いた。これで人生が終わったわけではない、皆そう思って、出来るだけのことをしようと心に決めたのだ。

 しかし、急に明日から三倍の人数を呼ぶのは不可能である。となれば、従業員個人の人脈を頼るほかない。それでも、友達一人ひとりに声をかけるのには手間がかかる。しかも、いくら友達がやっているからと言って、メイドカフェに足を運ぶような人は、たとえいたとしても、きっと少数だろう。そんな時、ヒカルはふと良のことを思い出す。

 そういえば、あのサークルには変なルールがある。恋愛禁止で、かつそれを破った場合は手のひらを返したような陰湿は嫌がらせを受け、やがてはそこから追い出されてしまうのだ。ヒカルも、一回生の時にそれは一度目撃している。それは、ヒカルが自分の人生に絶望したきっかけにもなった事件であった。しかし良であれば、もしかしたら客を連れて来られるかもしれない。何故ならば、良がサークルのルールを発案した張本人で、しかも人脈が厚い。そのほとんどに彼女がいないため、よくその何人かでメイドカフェに行ったりしているらしい。

 おまけに、SNSで多くの人間と繋がっており、多数のコミュニティにも入っている。ヒカルもそれら話は、本人から何度も聞いていた。もしかしたら、いけるかもしれない。そう思ったヒカルは、閉店時間が過ぎた十時過ぎ、良に電話をかけた。

「もしもし、何? ヒカルじゃん」
「あ、あのさぁ……。明日、俺のバイト先来れるか?」
「え、う~ん。まぁ……、行けるかな」
「急で申し訳ないんだけどさ、頼みたいことがあんだよ」
「何だよ、それ」
「今、うちの店ピンチでさ、明日から三日以内に三百人呼ばないと潰されちゃうんだ」
「マジかよ、わかった。こっちの用事済んだらすぐ行くから」

 良は了承してくれた。それだけで、ヒカルにとっては有り難かった。初めから無理だと諦めていたら、最初からやる気は起こらない。しかし、いくら良に頼んだところで、限界はあるだろう。そこをどう埋めるか、そればかりがヒカルの頭を支配していった。

(今夜は眠れそうもないな……。思えば、誰かのために行動するなんてことはいつ以来だろう。ずっと、自分のためだけに動いてきた気がする。もしかしたら、これが初めてかもしれないな。あれから逃げてばかりだったもんな、俺……)

 ヒカルは帰り道、足を止め、星空を見上げた。星々が、あちらこちらに散りばめられている。こんなにきれいだっただろうか。都会に住んでいると、どうしても街の光に閉ざされてよく見えない。それでも、今夜の星はくっきりと見え、今にも降り出しそうである。

(バレちゃったかな、まあいいや)

 あの時、ヒカルは勢いのまま男の口調で喋ってしまった。そして、息をつく。自分から言い出さなければ、誰もわからないと思っていた。しかし、あんなに堂々と言ってしまったのだから、正体がわかっても仕方ないだろう。その時まであまり気にならなかったが、同じ制服を着た従業員は、あれ以来ヒカルを避けるようになっていた。ハナや、それを取り巻くメイドたちも、前の日までとは打って変わったように、ヒカルには近づいてこなくなった。しかし真理子だけが、いつもと同じようにヒカルに話しかけてくれた。

 明日から、新たな戦いが始まる。それだけは、もう避けようがない。元を辿れば、自分が蒔いた種なのだから、最後までやりきらなければ、他の従業員に顔向けが出来なくなる。だが、ヒカルがこの世界にいられるのもまた、時間の問題である。あの黒岩のことだから、正体を知られてしまった瞬間、否応なしに元の世界に強制送還させるだろう。それだけは、絶対に嫌だった。いつどこから、意表をつくようにして現れるかわからない。幸い帰り道は、黒岩はヒカルの目の前に姿を見せなかった。ヒカルは少し安心したが、いつ何が起きるか知れたものではない。その日は部屋に戻った後、夜を眠らずに過ごした。どうせ店のことが気になって眠れないのだから、寝ない方がいいと考えた。

 そして時の流れゆくまま、朝陽が顔を出した。決戦の朝だ。体力を温存させるためには寝るべきだったのだろうが、後悔はしていない。出勤する前に部屋の掃除でもしようと、ヒカルは立ち上がった。

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