オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第十話 『悪嬢』

 開店時間はとっくに過ぎたが、誰一人として働こうとする者はいなかった。ヒカルは、あの時の真理子の顔を思い出す。少し青ざめているように見えた。「大変なことになってしまった」、真理子はそれだけ言うと奥に入って行ってしまったのだ。何がどう大変なのか、それはわからない。しかし真理子の表情から察するに、余程重大なことではないかとヒカルは考えた。ここは皆を鼓舞し、営業できる環境に戻すのが鉄則だろうが、ヒカルもそのような気にはなれない。

 今朝、複数のメイドたちからの嫌がらせを受けたばかりだった。それも陰湿な、男子にはとても考えつかないことをしてきた。バイトを、本気で辞めようかとも思うほどだった。だから、この店がどうなろうと知ったことではない。潰れるなら潰れてしまえばいいと、その時のヒカルには思えた。

 ヒカルは一人、壁にもたれかかってそのようなことを考えていると、いきなり壁を叩く音が聞こえた。ヒカルはふと横を目にすると、隣の壁に長い腕があった。そしてもう一度前を向くと、一人のメイドがヒカルを見つめながら、自分の手を壁に押し当てている。その女は、バイト二年目のハナだ。ヒカルもそれを何事かと見ていると、ハナは言った。

「あなた辞めないの?」
「辞めるって、何をですか」
「この店、いてもつまらないでしょ」
「はい、つまらないです」

 ヒカルは正直に答えた。彼女は、ヒカルに早く辞めてほしいと思っているのだろう。すると、ハナが言った。

「ウッザ、そういうところが可愛くないって言ってるのがわからない?」
「はぁ……」

 それを聞いてヒカルは、嫌がらせをした主犯はハナであると確信した。

「どうせこの店、もうすぐ潰れちゃうんだから、早いうちに辞めてもらった方が助かるのよね。あんたみたいな奴と一緒に辞めるより、先に辞めてもらった方がすっきりするじゃない。だから辞めて」

 勝手な理屈である。そう思ったが、それより先に「もうすぐ潰れる」という言葉が、ヒカルは気になった。

「潰れるってどういうことですか」
「マジでそんなことも知らないんだ。もうすぐ来るの、チェックが!」

 ヒカルが聞くと、ハナは呆れたように言った。それを聞いて、ヒカルはだいたい想像できた。要するに、どこか上の方にいる人たちが客に変装して店に来るといったことだろう。そしてチェックを入れ、合格点に満たなかった店は、次々と潰されるということだろうとヒカルは解釈した。以前、ドラマなどでその手の話は聞いたことがあった。
 ハナに一から説明してもらうのは癪だから、今はそのように思うことにした。詳しい話は、後で理子から聞けばいい。一方、ハナはまだヒカルの横の壁に、自分の手を押し当てている。ヒカルにとっては、動こうにも動けない状態だ。そして、ハナはさらに顔をヒカルに近づける。

「一つだけ忠告してあげる。私たちの邪魔だけはしないでね。それから私、一番ムカつくのよ、あんたみたいな奴が」

 ハナはそう言うと、ようやく退き、その場を去った。

 ヒカルはその後、真理子にも詳しい話を聞きにいった。真理子は最初、あまり口を開きたがらなかったが、しつこくきくと教えてくれた。話によると、「喫茶連合」という名前のグループの指示で、組織の役員が一般客を装い、この店の環境を点検しに来るのだという。ここまでは粗方、ヒカルが予想したことと合っていた。しかし、問題は次にあったのだ。真理子が落ち込んでいた理由は、その組織から合格をもらった「メイドカフェ」はいまだ存在しないのだという。どんなに手入れが行き届き、接客もテーブルに出すまでの流れも完璧だったところでさえ、合格はもらえなかったというのだ。落とされた店は、喫茶連合の命令で店を閉めなくてはいけない。先程ハナが言っていたことは、このことだったのかとヒカルは納得した。真理子は言った。

「普通の喫茶店なら、多くの店が点検が終わったあとも問題なく営業してる。でもメイド喫茶だけ、次々に潰されていってるの。組織の連中が、メイド喫茶のことを気に食わないらしくて、どんどん排除していってる」
「どうやっても、残れないということですか?」
「そう、結果は来る前からわかりきってる。何度か来るっていう噂はあったけど、そろそろ来るかもって思ってたの。そしたら今日、朝来てみたらポストにハガキが入ってて、どうしようって……。店長は実質私だから、もう閉めようかとも考えたの」

 ずっと働いてきた店を閉めるのは、真理子にとっては辛いものなのかもしれない。最近入った、しかもバイトのヒカルより多くの知識と経験がある。それだけに、真理子の辛さは見て取れた。

「私も、最後まで頑張ります」

 ヒカルは、笑顔で真理子を励ました。頑張ったところで無駄だということはわかっていたが、それでも真理子が哀れでならなかった。真理子も、

「ありがとう」

 と言い、今日初めて笑顔を見せた。点検が来るのは来週で、それまでは出来る限りのことをしようと、ヒカルは心に決めた。しかし大学での授業もあるため、うまい具合にやらないと逆に真理子をがっかりさせてしまう。ヒカルはまず、自分に何が出来るのかを考えることにした。

 昼休みになっても、依然として店のシャッターは下りたままだった。もちろん、来客は一人もいない。ヒカルは、また廊下の壁にもたれて考えていた。その日の授業が終わったら、なるべく早く来ようと思った。それくらいしか思いつかない。ここでバイトをすることが、ヒカルの本来の目的と直結するかと言えばそうではないが、それでもヒカルは助けになりたかった。そこに、また横から声がする。

「え、まだいたの?」

 見ると、そこにはハナが立っている。

「もうとっくに辞めてるのかと思ってた~」

 ハナが言うと、その周りで他のメイドたちも笑っている。

「辞めようと思いましたけど、どうせ店がなくなるなら、最後まで続けてみようと思ったんです」
「何それ、生意気~」

 ヒカルが言うと、メイドの一人が笑いながら言った。すると、ハナが一人前に進み出てきた。まるで、令嬢が召使いを見るような眼差しで、ヒカルを見下ろしている。

「あんた、ちょっと最近調子乗ってない? 新入りで何も知らないくせに、この店を守りたいなんて思ってないよね」

 当たっている。「守りたい」まではいかないものの、少しでも皆の支えになればと思っていた。「調子に乗っている」と言われても仕方ない。ヒカル自身、少し思い上がっていたと自負した。しかしそれをなかなか言い出せず、黙ってハナを見つめていた。

「どうしたの、文句があるなら言ってみなさいよ」

 ハナが言った後、ヒカルは視線を変え、ハナをとり巻いているメイドたちを見た。皆、ニヤニヤしながらヒカルのことを見ている。ヒカルは、それを見ていると段々とバカバカしくなってきた。こんなことをしている暇があるのなら、次のバイト先でも探せばいいと思い、わざとハナを煽るようなことを言った。

「文句は、ないです」
「そう。ちょっと可愛いからって、あまり調子に乗らないことね」
「乗ってないです」
「ハァ? そういうところがムカつくって言ってんの!」

 ハナはヒカルを軽く押すと、ヒカルはその場に倒れこんだ。それを見ていたメイドたちは、「ダッサ」などと言い、ゲラゲラと笑った。そこへ、他のメイドが皆を呼びに来た。真理子が、従業員全員を集めるようにと指示を出したのだという。ハナたちは仕方なく、そこから離れていった。そして、ヒカルの苦手な雰囲気は、ここで終わった。

 真理子のいるカウンター近くに来ると、真理子は皆が集まるのを見計い、口を開いた。

「私は、ここに来て三年になります。来たころは慣れないことの方が多くて、嫌なこともたくさんありました。でも、諦めずに続けてこられたので、今こうして責任者として、みんなの前に立っているのです。みんなの中には、始めてから二年、一年、そして来てすぐの子もいます。でも、どの子もそれぞれここでの思い出はあると思います。だから、私はそれをなくしたくない。最初から無理だと決めつけていたら、前に進めないと思います。少しでも可能性があるのなら、私はそれを信じたい。私は、ここに来た人を笑顔にしたいの。また来たいと思ってもらえるような、そんなカフェにしたいの。だから、今やめるわけにはいかない。どうか最後まで、私についてきてください」

 真理子が言うと、皆の前で頭を下げた。それを見て、反論する者は一人もいない。きっと、ここにいる全員が真理子と同じ気持ちなのだろう。だから、自分も真理子を助けたい、ヒカルにもそう思えた。最初は、この店が無くなろうが無くなるまいが、どうでも良かった。しかし何故か、今は救いたい一心だった。困難のない人生などない、それはヒカルがずっと思い続けてきた言葉だ。そして今、それをさらに知らしめるようにして、困難が目の前に起きている。諦めたくない、そう思ったのはヒカルや真理子だけでなかったのは、言うまでもない。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品