オモテ男子とウラ彼女
第八話 『崇大』
翌朝、ヒカルは一人空を見上げていた。
「どうかしたの?」
不意に誰かに声をかけられ、ヒカルは後ろをふり向くと崇大が立っていた。周りには、授業に向かう学生たちが歩いている。ヒカルもまた、授業に向かうところだったのだ。
「昨日、よく眠れなかったでしょう?」
「は?」
「目の下にクマがついてるよ」
崇大に言われ、ヒカルは慌てて両目を目を擦った。
「バイトしてたんだ」
崇大が見通したように、そうきいてきた。その通りだと、ヒカルは頷いた。そうしたら、崇大はこう言ってきたのだ。
「楽しくないなら辞めればいいのに」
いきなり言われ、ヒカルは呆然とした。
「何も言ってないですけど……」
「だって、顔にそう書いてあるから」
崇大は笑いながら言うので、ヒカルは答えた。
「楽しくないっていうか、こんなことしてていいのかって思っちゃうんですよね。もっと、他にやらなきゃいけないことがあるような気がするんですけど」
「前に、もっと自信を持つべきだっていう話をしたと思うんだ。でも君は、それを実践できてない。君には、夢ってあるのかな」
「夢?」
少し、崇大が真面目な表情に見えた。いきなり「夢」をきかれ、ヒカルは自分の頭の中を探った。確かに、夢はあった。だが、夢どころか今は目標すらも遠ざかっている。このままでは、夢を叶えられないまま終わってしまう。それを感じとったのか、崇大は更に話し続ける。
「人にはそれぞれ、大事な夢がある。それをどうするのかは、その人次第だけどね。夢を捨てるか、諦めずに努力するか」
ヒカルは考えた。今叶えたいこと、それはとっくに決まっている。しかし、そのためにどうしたらよいのか、何をすべきなのか、それがわからなくなっていた。
「なんで、そんなことをきくんですか。先輩には関係ないと思いますけど」
「あ、ごめん。ちょっと気になってね。少し興味があったから、教えてくれるかい」
「……私の夢は、誰にも言えません」
「そう。それならいいんだ」
そう言われ、ヒカルは顔を上げて崇大見た。崇大は、依然として笑顔でヒカルのことを見つめ返してくる。ふと時計を目にすると、授業開始まであと五分しかない。
「それじゃ、一限目あるんで」
「俺でよかったら、いつでも相談に乗るよ」
ヒカルは背を向けて歩き出すと、後ろから崇大が声をかける。
(お前の連絡先なんか知らねーよ)
ヒカルはそう言いたかったが、言い返している余裕などない。ふり向かず、建物の中に入っていった。大学の中を歩いていれば、自然と出くわすと思うが、その時はあまり深く考えないようにした。ヒカルは教室に着く前に良と会い、一緒に教室へ向かった。その途中、良の口から意外な言葉が飛び出した。
「俺、あそこ辞めることにしたんだ」
「あそこ?」
「バイトのこと」
「なんでだよ。お前、すっごい楽しそうにしてたじゃん」
ヒカルは、驚きながら尋ねた。やはり、まだ昨日のことを気にしているのだろうか。
「でも、やってて思ったんだけど、カップルがあんなとこ来ないと思うんだ。それなら、普通の喫茶店行った方がいいじゃん。バイトしながら、リア充退治ができるとこの方が、俺には向いてる気がする」
「またその話か……」
良が言うのを聞いて、何故かヒカルは安心した。昨日、うまく良と会話できなかったことを、実はまだ心に引きずっていたのだ。しかし、良の様子から見て、どうやらそれはヒカルだけだったみたいだ。そして、良は話し続ける。
「だって、楽しいじゃん。段々と関係が崩れていく様を眺めるってさ」
「それ、そろそろやめた方がいいと思うぞ」
「なんで? 同志なんだから、止める必要ないだろ」
良は、ヒカルも自分と同じように、相手を作る気はないと思い込んでいる。それを、ヒカルはずっと打ち明けられずにいる。去年、同じサークル部員の女子に相手ができた途端、その子はサークルから追放され、仲間たちから嫌がらせを受けた。その主犯は言うまでもなく、良だった。その出来事があり、打ち明ける機会を失った。
ヒカルの夢は、元の世界に戻って彼女を作ることだ。いつかは、そのことを良にも話さなければならないと思っているが、今はまだ言えそうもない。
「俺も、あの店辞めようかな……」
「なんで?」
ヒカルが何気に呟くと、良がきいてくる。
「楽しくないから。べつに、俺が入りたくて入ったわけじゃないし」
「勿体ないって!それにお前、すごく似合ってたじゃん。絶対続けるべきだと思う」
良は、そう興奮気味に言った。
「でも俺、やっぱり無理だ。接客業とかやったことないし、楽しくないのに続ける価値を見出せないんだよ」
「じゃあ、続けられる要素を見つければいいんじゃね? 俺も、協力するから」
良は、本気でヒカルに続けてほしいと思っているのだろうか。良は真理子から氷の入れ方などを教わっている時、とても楽しそうに見えた。その分、ヒカルは何故自分は今ここにいるのだろう、というような疑問すら感じた。それでも辞めようと言うのだから、贅沢極まりない。良は、本当に気まぐれな奴だと思った。
しかし、ヒカルはどうしても続ける自信がなかった。辞めるべきか、良に言われた通りひとまず続けてみるべきか、帰り道に本気で悩んだ。その時、崇大に言われた言葉を思い出す。「もっと自分に自信を持つべきだ」、そう言われ、ヒカルは自分を見つめ直した。それでも、状況は全く変わらなかった。自分を変えようと思ったところで、簡単には変えられるものではない。ただ、少し奇妙なことがあった。崇大は何故、ヒカルの顔を見ただけで考えていることがわかったのか。「顔に出ている」とは言っていたが、誰が見てもわかる表情をしていたとは思えなかった。そんなことを考えていると、また崇大に会った。
「今帰り? どこ住んでるんだっけ」
「教えないといけませんか」
「そんなことはないけど……」
すると、崇大はヒカルの顔色を見てきいた。
「何考えてたの?」
ヒカルは思い切って、こう尋ねてみた。
「あの。どうして、考えていることがわかるんですか」
「じゃあ、やっぱり合ってたんだ」
ヒカルは、崇大を見つめた。しかし、ヒカルには崇大が今、何を考えているのかわからなかった。そして、崇大は答える。
「俺、昔から人の表情読むのが得意なんだ。だから、その人の気持ちとか、今何を考えているのかとか、自然に当てられるのかもしれない」
ヒカルはそれを聞き、あることを思いついた。もし今の発言が真実ならば、自分の目標を当ててくれるかもしれない。そして、自分の心が男だということを。
「じゃあ、私が今思ってることを当ててください」
仮に見破られたとしても、自分からそうだと言わなければ、ルール違反にはならない。そして、ヒカルは心の中で本当のことを言った。崇大はじっとヒカルを見つめ、しばらく間をおいてから話した。
「……君は、何かを隠してるんじゃないかな」
「え?」
「よく知らないけど、何故かそんな気がして。知られたらまずいことでもあるみたいな、そんな顔してたから」
確かに、当たっている。言われてみれば、決して知られてはいけないことだ。崇大は、それに気づいているのだろうか。いや、そんなはずはない。ヒカルが本当のことを話したところで、信じる人などいるだろうか。ヒカルは、
「ありがとうございました」
と、形式上の礼を述べ、再び帰路に着いた。崇大もその様子を、後ろで見送っているのか、強い視線を感じる。それでも、ヒカルはふり返ることなく歩いて帰った。
ヒカルはマンションの近くまで来ると、足を止めた。そこには黒岩が立っている。
「お久しぶりです。真宮希望さん」
「何しに来たんだよ」
「これは御挨拶ですね。危うく大変なことになるところでしたよ」
「大変なこと?」
「おやおや、自覚がありませんでしたか。先程の会話、聞かせていただきましたよ。何とまぁ、もう少しで気づかれてしまうところでした」
「べつに俺が否定すれば済む話じゃねえか。誰も、男が女になってるなんて思わないし」
「ところが、そうでもないのですよ。もしもこの世界に百人の人間がいたら、そのうちの数人は信じてしまいます。そういうものなのですよ」
「……どういうことだ?」
「今、お話した通りです。それでは、私はこれで帰りますので。呉々も、迂闊な真似だけはなさらないように……」
黒岩はそう言い終えると、向こうへ歩いていってしまった。ヒカルはそれを、ただ見つめることしかできなかった。今まで、自分の考えていたことは、甘いものに過ぎなかったのかもしれない、ヒカルはそう感じた。そしてこの世界にいることが、少しずつだが実感できてきたような気がするのもまた、事実だった。
「どうかしたの?」
不意に誰かに声をかけられ、ヒカルは後ろをふり向くと崇大が立っていた。周りには、授業に向かう学生たちが歩いている。ヒカルもまた、授業に向かうところだったのだ。
「昨日、よく眠れなかったでしょう?」
「は?」
「目の下にクマがついてるよ」
崇大に言われ、ヒカルは慌てて両目を目を擦った。
「バイトしてたんだ」
崇大が見通したように、そうきいてきた。その通りだと、ヒカルは頷いた。そうしたら、崇大はこう言ってきたのだ。
「楽しくないなら辞めればいいのに」
いきなり言われ、ヒカルは呆然とした。
「何も言ってないですけど……」
「だって、顔にそう書いてあるから」
崇大は笑いながら言うので、ヒカルは答えた。
「楽しくないっていうか、こんなことしてていいのかって思っちゃうんですよね。もっと、他にやらなきゃいけないことがあるような気がするんですけど」
「前に、もっと自信を持つべきだっていう話をしたと思うんだ。でも君は、それを実践できてない。君には、夢ってあるのかな」
「夢?」
少し、崇大が真面目な表情に見えた。いきなり「夢」をきかれ、ヒカルは自分の頭の中を探った。確かに、夢はあった。だが、夢どころか今は目標すらも遠ざかっている。このままでは、夢を叶えられないまま終わってしまう。それを感じとったのか、崇大は更に話し続ける。
「人にはそれぞれ、大事な夢がある。それをどうするのかは、その人次第だけどね。夢を捨てるか、諦めずに努力するか」
ヒカルは考えた。今叶えたいこと、それはとっくに決まっている。しかし、そのためにどうしたらよいのか、何をすべきなのか、それがわからなくなっていた。
「なんで、そんなことをきくんですか。先輩には関係ないと思いますけど」
「あ、ごめん。ちょっと気になってね。少し興味があったから、教えてくれるかい」
「……私の夢は、誰にも言えません」
「そう。それならいいんだ」
そう言われ、ヒカルは顔を上げて崇大見た。崇大は、依然として笑顔でヒカルのことを見つめ返してくる。ふと時計を目にすると、授業開始まであと五分しかない。
「それじゃ、一限目あるんで」
「俺でよかったら、いつでも相談に乗るよ」
ヒカルは背を向けて歩き出すと、後ろから崇大が声をかける。
(お前の連絡先なんか知らねーよ)
ヒカルはそう言いたかったが、言い返している余裕などない。ふり向かず、建物の中に入っていった。大学の中を歩いていれば、自然と出くわすと思うが、その時はあまり深く考えないようにした。ヒカルは教室に着く前に良と会い、一緒に教室へ向かった。その途中、良の口から意外な言葉が飛び出した。
「俺、あそこ辞めることにしたんだ」
「あそこ?」
「バイトのこと」
「なんでだよ。お前、すっごい楽しそうにしてたじゃん」
ヒカルは、驚きながら尋ねた。やはり、まだ昨日のことを気にしているのだろうか。
「でも、やってて思ったんだけど、カップルがあんなとこ来ないと思うんだ。それなら、普通の喫茶店行った方がいいじゃん。バイトしながら、リア充退治ができるとこの方が、俺には向いてる気がする」
「またその話か……」
良が言うのを聞いて、何故かヒカルは安心した。昨日、うまく良と会話できなかったことを、実はまだ心に引きずっていたのだ。しかし、良の様子から見て、どうやらそれはヒカルだけだったみたいだ。そして、良は話し続ける。
「だって、楽しいじゃん。段々と関係が崩れていく様を眺めるってさ」
「それ、そろそろやめた方がいいと思うぞ」
「なんで? 同志なんだから、止める必要ないだろ」
良は、ヒカルも自分と同じように、相手を作る気はないと思い込んでいる。それを、ヒカルはずっと打ち明けられずにいる。去年、同じサークル部員の女子に相手ができた途端、その子はサークルから追放され、仲間たちから嫌がらせを受けた。その主犯は言うまでもなく、良だった。その出来事があり、打ち明ける機会を失った。
ヒカルの夢は、元の世界に戻って彼女を作ることだ。いつかは、そのことを良にも話さなければならないと思っているが、今はまだ言えそうもない。
「俺も、あの店辞めようかな……」
「なんで?」
ヒカルが何気に呟くと、良がきいてくる。
「楽しくないから。べつに、俺が入りたくて入ったわけじゃないし」
「勿体ないって!それにお前、すごく似合ってたじゃん。絶対続けるべきだと思う」
良は、そう興奮気味に言った。
「でも俺、やっぱり無理だ。接客業とかやったことないし、楽しくないのに続ける価値を見出せないんだよ」
「じゃあ、続けられる要素を見つければいいんじゃね? 俺も、協力するから」
良は、本気でヒカルに続けてほしいと思っているのだろうか。良は真理子から氷の入れ方などを教わっている時、とても楽しそうに見えた。その分、ヒカルは何故自分は今ここにいるのだろう、というような疑問すら感じた。それでも辞めようと言うのだから、贅沢極まりない。良は、本当に気まぐれな奴だと思った。
しかし、ヒカルはどうしても続ける自信がなかった。辞めるべきか、良に言われた通りひとまず続けてみるべきか、帰り道に本気で悩んだ。その時、崇大に言われた言葉を思い出す。「もっと自分に自信を持つべきだ」、そう言われ、ヒカルは自分を見つめ直した。それでも、状況は全く変わらなかった。自分を変えようと思ったところで、簡単には変えられるものではない。ただ、少し奇妙なことがあった。崇大は何故、ヒカルの顔を見ただけで考えていることがわかったのか。「顔に出ている」とは言っていたが、誰が見てもわかる表情をしていたとは思えなかった。そんなことを考えていると、また崇大に会った。
「今帰り? どこ住んでるんだっけ」
「教えないといけませんか」
「そんなことはないけど……」
すると、崇大はヒカルの顔色を見てきいた。
「何考えてたの?」
ヒカルは思い切って、こう尋ねてみた。
「あの。どうして、考えていることがわかるんですか」
「じゃあ、やっぱり合ってたんだ」
ヒカルは、崇大を見つめた。しかし、ヒカルには崇大が今、何を考えているのかわからなかった。そして、崇大は答える。
「俺、昔から人の表情読むのが得意なんだ。だから、その人の気持ちとか、今何を考えているのかとか、自然に当てられるのかもしれない」
ヒカルはそれを聞き、あることを思いついた。もし今の発言が真実ならば、自分の目標を当ててくれるかもしれない。そして、自分の心が男だということを。
「じゃあ、私が今思ってることを当ててください」
仮に見破られたとしても、自分からそうだと言わなければ、ルール違反にはならない。そして、ヒカルは心の中で本当のことを言った。崇大はじっとヒカルを見つめ、しばらく間をおいてから話した。
「……君は、何かを隠してるんじゃないかな」
「え?」
「よく知らないけど、何故かそんな気がして。知られたらまずいことでもあるみたいな、そんな顔してたから」
確かに、当たっている。言われてみれば、決して知られてはいけないことだ。崇大は、それに気づいているのだろうか。いや、そんなはずはない。ヒカルが本当のことを話したところで、信じる人などいるだろうか。ヒカルは、
「ありがとうございました」
と、形式上の礼を述べ、再び帰路に着いた。崇大もその様子を、後ろで見送っているのか、強い視線を感じる。それでも、ヒカルはふり返ることなく歩いて帰った。
ヒカルはマンションの近くまで来ると、足を止めた。そこには黒岩が立っている。
「お久しぶりです。真宮希望さん」
「何しに来たんだよ」
「これは御挨拶ですね。危うく大変なことになるところでしたよ」
「大変なこと?」
「おやおや、自覚がありませんでしたか。先程の会話、聞かせていただきましたよ。何とまぁ、もう少しで気づかれてしまうところでした」
「べつに俺が否定すれば済む話じゃねえか。誰も、男が女になってるなんて思わないし」
「ところが、そうでもないのですよ。もしもこの世界に百人の人間がいたら、そのうちの数人は信じてしまいます。そういうものなのですよ」
「……どういうことだ?」
「今、お話した通りです。それでは、私はこれで帰りますので。呉々も、迂闊な真似だけはなさらないように……」
黒岩はそう言い終えると、向こうへ歩いていってしまった。ヒカルはそれを、ただ見つめることしかできなかった。今まで、自分の考えていたことは、甘いものに過ぎなかったのかもしれない、ヒカルはそう感じた。そしてこの世界にいることが、少しずつだが実感できてきたような気がするのもまた、事実だった。
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