僕のブレスレットの中が最強だったのですが

なぁ~やん♡

ろくじゅうにかいめ 世界は誰かを

 暗い暗い闇の中を、彼女はさまよっている気がした。余裕そうにくすくすと笑っているのに、その瞳の奥はひどく悲しげだった。
 まだ足りない。何かが足りない。なのに、何が足りないのか分からない。
 そんな思いが見えてくる。だからこそ彼女はこんなやり方で自分を満たしているのだろうか、だが、それはきっと間違っている。

 戻って来たルネックスに迷いはない。リーシャの身はもうこの世になかった。彼女は最後に「ありがとう」と口にした。
 子供のよくある純粋な笑みを浮かべたアデルにとっての正義こそ自分が今やっていることなのだろう。悪くないとそう思っているのだろう。
 それですべてが許されるのならば、世界のシステムなんて必要ない。

 ひゅうひゅうと全てを切り裂くように、普段では決してありえない自然現象が髪のそばを吹き抜けていって彼の髪が舞いあがった。
 意識を失った者も目を開けようと必死に、意識が朦朧とした者は覚醒しようと必死にもがいている。ころころとアデルは笑う。
 気にしていないようにナタリヤーナは何も言わない。そして、シエルも。
 黒く染まった天空の城がゆっくりゆっくりと揺らめいて、陽炎が通り過ぎた。静かだ。明確な威圧感を押しつぶしていく二つの力の波動。
 怒るだけ無駄だ。この、圧倒的な者の前で取り乱す物ならばそれは隙となる。

「……お望み通り来たけど、何を企んでいるのかな? 世界の真実が欲しいのはそうだけど……君は、全てをただの道具としか見ていないんじゃないかな?」

「うる……さいぞっ、さっさと戦いやがれっ、仲間はほぼ地に這ってるじゃねえか……無様だなぁ、アッハッハッハ!」

「……ガレクル。そう言う君こそ地に這っているじゃないか。特大ブーメランを放つなんて君の趣味は自虐かなんかなの?」

 アデルは答えない。代わりにガレクルがわき腹を抑えて尻もちをついたまま苦しそうな顔で毒を吐く。しかし彼より一段上の毒を吐いたルネックスがそれに冷たい目を向けた。反論は不可能だ、地に這っていることに変わりはないのだから。
 ふん、と今まであまり話さなかったロゼスが鼻で笑って嘲笑する。そうだ、彼にとっての正義もルネックスを止めることでしかない。

 今目の前にいる誰もが、自分さえも、この空間にいる全ての者がもう手遅れなのだ。人間界も、全ての世界ももう修正不可能だ。
 ならば世界の巡回を―――アデルは、それをはっきりと否定した。

『世界の巡回なんて、長引いた充電でしかありませんわ。最初から、必要のないものですのよ。わたくしが作り出した無限の闇は、どこまでも広がりますわ。ひとつ、教えてあげましょう。この世界には貴方たち全員が知らない、本当のシステムがあるのですわ』

『……わざわざ全てを言いきらないところ、お嬢様はやはりお嬢様ですね』

 ―――ナタリヤーナよ、それは褒めているといえるのか……

 どこまでも広がる闇の声、シエルの声がまた響く。あれだけ英雄を圧倒したのに、アデルは全くと言っていいほど魔力を消費していない。
 ルネックスは此処に居る全ての英雄がルネックスを全力で殺しにかかっても簡単に勝てる……そんな自信は全くと言っていいほどない。

 例えカレンとシェリア、フレアルが加勢してくれたとしても無理だ。そんな英雄たちをほとんど魔力を消費せずに倒したアデルを倒せと。
 ついでに、聖神とロゼスにガレクル、フェスタもいるのだ。もう嫌だ、帰りたい。そんな弱音が次々と零れようとする。
 しかしルネックスはその弱音すらも受け入れて強さのひとつに取り込む。

「そうなんだね。でも僕はこの世界を幸せにするためだけにラグナロクなんか起こしてるんじゃない。僕は、この世界が許せないから戦を起こすんだ。英雄らしくないでしょ? 英雄が言うようなことだと思わないでしょ? 実はね、知ってたんだ。この世界が産み落とした本当の英雄は僕じゃなくて他にいて、今から五十年後に生まれるって」

 こんな時に戦争を起こすべきじゃないと。聖神が本当に暴走するのはもっとさきだと。ルネックスは犠牲するべきだった贄の一人だったこと。
 記憶のレコード、アカシックレコードを使ってルネックスは全てが分かっていた。何をレコードにかけたかというと、大賢者テーラの深層の記憶。
 彼女自身ですら扱いきれない遥か昔の記憶と遥か遠くの未来の記録。ゼウスのものとも、アデルの物とも照らし合わせた。

 彼女アデルは余裕だったからこそ、ルネックスが何らかの術を展開したと察しても大して脅威だとは思わなかった。
 しかし舐めないで欲しい。ルネックスは悲しそうな、それでも満悦だというような表情を浮かべた。英雄は、自分ではないと口にしながら。

 英雄になりたかった。きらきらと光る彼らに憧れたことがないわけではなかった。現に、立場的に自分はそこにいるのだ。
 だが違った。綺麗ごとを口にしながら、ヒーローの言葉を吐きながら、やはり彼の原動力は何処までも深い闇の復讐心だったのだ。

「もしかしたら、僕じゃ世界なんて支えられないかもしれない。そう思ってる。僕も僕の本当の思いを誰にも言ってこなかったんだ。……面白そうって顔をしているね。賭けをしようか。僕に勝ったら僕が言うよ。僕が勝ったら――わかるね?」

『面白そうだからその勝負、受けますわ。ロゼス、聖神、その連れ。後ろで黙って見ていなさい。英雄の監視を任せましたわ。起きたら叩き伏せなさい。反論の余地はありませんわ。よろしいこと?』

 聖神は奥歯を噛み締めながらも、ロゼス達に下がることを命じた。今は劣勢なのだ、このままアデルがルネックス達を倒せばいい。
 いざとなれば加勢すればいいのだから、悪くはないと思っている。しかし自分の手でやりたかったものを強制的に奪われた後味は決していいものではない。

 アデルはにこっと笑った。それは、幼い幼児にふさわしい微笑みだった。

『わたくしの原動力は、何もありませんわ。ただ、行きたい方向に行くだけですの。それがわたくしの正義ですわ。人間誰も同じではありませんこと? 何故わたくしが間違っているというのでしょう? 闇だからですの? 光がないからですの? そんなもの関係ありませんわ―――』

「……そうだね。君の行いはきっと僕よりも正当だ。君の願いは僕よりもまっすぐに何かを求めようとしている。僕の原動力よりはずっと綺麗だ。恨みに成長は無いからね。あるのは緩やかな退化だ。それでも僕はやはり、今の世界に大切なものを持ってる」

「―――私はっ!」

 アデルの放ってきた軽い火球を弾き飛ばす。ちなみにこれは、常人が受ければ一瞬で骨すらものこらず焼き焦げるほどの熱量を持っている。
 太陽の中心温度からはかけ離れているが、太陽と人間の温度への耐性は比べてはならない。
 恨みの中でも正当なものを持っている、とルネックスは自分の誇りを掲げた。たとえ自分の中身が空っぽだとしても、積み上げてきたものは変わらない。

 それが終わって、突如響いた聞きなれた声にルネックスは振り返った。フレアルが今からでも泣きそうなほどの涙を目に溜めていた。

「私はねっ、ルネックスのことが好き。大好きなの。恨みを原動力だとしていること、実は知ってた。だって私、ずっと見てたもの。誰よりも見てたって自信が……あるの。恨みに成長がないって言ったよね、違う。私が思うには、貴方の心にある恨みの感情は薄れていて、あるのは神様のような輝く英雄の心―――そうでしょ?」

「やれやれ、先を越されましたね。私も同じ考えです。ガレクルに自虐趣味などと言っていましたけど、ルネックスさんも随分なブーメランでしたよ。自信を持ってください。私たちは最初から貴方と一緒に居ました、あるのは浅はかな感情などではないのです。自分を卑下しないでください。貴方は高貴な方です。私を救ってくれた―――私の大切な方です!」

「ん……わたしも……変わらない……愛を述べるみたいな器用なことは……できないけど……ルネックスが……そんな風に自分を下に見ているのを聞いていると……すごく悲しい……」

「―――あたしは大精霊フェンラリア! あたしの主はほかのだれでもないるねっくす! あたしの主がそんなうじうじしちゃだめだよ……だいじょうぶ、あたしがいる、あたしは誰よりもるねっくすの事がすきだって自信がある! こんなにすかれてることをじかくしてよ―――世界は貴方を求めてるんだ」

 フレアルの泣きそうな声。脳内の何かがもやもやしていた霧がゆっくりと晴れていく。心配するような心地いいシェリアの声。進むべき道がはっきりと見えて、心が浄化されていく気がした。少し不器用に気持ちを述べるカレンの声。自分は少なくとも一人じゃないと分かった。自信に満ちたフェンラリアの声。―――やはり、心が救われた。
 世界は自分を求めている。聞きたかった言葉だった。言えなかった言葉だった。求める勇気すらもなくてうじうじしていた。
 一人じゃない、その先は? その答えを求めていたんだ。心のどこかで。

 存在を認めてもらいたかった。恨みという看板を掲げて、必死の努力という行動で心を満たして。でもそんなのじゃ足りなかった。
 どこかでゆっくりと傷ついていた心は、やはりその言葉を求めていたのだ。
 頬を伝って流れていく泪。自分でも知らないうちに暖かい物が人差し指にぽたりと落ちて、自分が泣いていることに気付く。

 そしてそれを見ていたアデルは、心の中に何か違うものが満たされた気がした。ナタリヤーナは自分が何をしても否定の言葉はひとつとしてない。気持ちが良かった。
 シエルは自分を利用しようとしながらも確かな絆を深めていったのを知っている。少なくとも彼は今の自分の動きを認めてくれている。
 全部思い通りで気持ちが良かったはずなのに、心に引っかかるこの矛盾はなんだ。

 ―――遥か昔に羨望の心なんて失ったはずなのに、心のもやもやは一体何なんだ。

『……なかなか面白い会話をしますのね。いいですわ、そのちょっとした茶番に免じて、ひとつだけ真実を教えてやりましょうか。この世界は三千世界を回っていますわ。知らない間に、世界は一年回るごとに取り換えられていますのよ』

「……どういうことなの? 取り換えられている? 三千世界を回っている?」

『ええ。六兆年に一度、乱星国と呼ばれる星が出来上がる時がありますわ。それは、三千世界を回る歯車軸に沿っていませんのよ』

「乱星国? 歯車軸? 三千世界? 何も分からないよ……」

 もうアデルのアカシックレコードは見れない。彼女にもう慢心は存在しないからだ。ルネックスが混乱する声を聞きながら、アデルはくすくすと笑った。
 溢れる失った物をこれ以上求めないために、そしてきっとどこかで認めたくないと叫び声を上げる心を抑えつけるために。
 アデルは彼らの会話を遮った。自分の秘密の一部を曝け出すことによって相手が混乱することを楽しむことにする。

 ―――だって、失った物を取り戻そうとするなんて無駄だって、知ってるから。

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