ラトキア騎士団悲恋譚
扉の向こうに
『光の塔』は、三つの建物から成る施設である。
  天皇と、その親族の住処である塔。その横に並ぶ、同じ高さの煙突。その二本の筒をぐるりと囲む壁のように、巨大な館が建てられていた。
  住人は千人ほど。それは社員寮のようなものだった。冠婚葬祭に関わる奉納金はそこで受け付け、捌き、館と塔を運営していた。
  ――という、それだけしか前情報のない頭を、真横に傾げて。
 「……ふむ。どうするかな」
  ティオドールは首をかしげた。
  アレイニの居場所、塔を訪ねるには、まず館に入り、中を突き抜けなくてはならないらしい。
  ティオドールはとりあえず館の正面に立つ。三階建ての、巨大な建物にふさわしい、実に立派な門扉である。
  ドアベルを鳴らすと、インターフォンが応じてくれた。
  テオはあくまで紳士的に、温和に、誉ある貴族の男らしく体裁よく。
 「――ラトキア騎士団所属ティオドールと申します。アレイニ様に、お目通りさせていただきたく――」
  ぶつん。インターフォンが途切れた。
  がちゃがちゃがちゃん。内側で、非常用の鍵までおろされた音。
  じゃきん。門扉の上に、トゲつきの柵が生えてきた。
 「――あっそ。そうくる」
  テオは苦笑して、頬をかいた。
  重ね着していた防寒着を脱ぎ、旅の荷物を投げ置く。身軽になった姿で、ニヤリと笑った。
 「じゃあこっちも容赦しねえぞ。スラムのクソガキをなめんなよ」
  その足元に、銀色の乗り物があった。
 「テオ!」
  アレイニは叫んだ。とたん、伯母と夫に組み伏せられる。構わず床を這い、再び窓辺にかじりつく。
 「テオ!!」
 「姫様、ご乱心を。幻です」
  伯母はきっぱりと言い切った。
 「くだんの男には、記憶消去の薬物投与をするよう騎士団に命じております。ぼんやりとアレイニ様の記憶があったとて、この地を知るすべはありません。それに、距離で個人の見分けもつくはずが」
 「ちがうわ! あれはテオよ!」
  伯母以上の強さで、アレイニは断言する。
  上空三十五メートル、距離は百メートルほど。こちらからは騒動が見下ろせても、あちらがアレイニを見つけることは無理だろう。
  遠く、小さな赤い粒を、瞬きをした瞬間に見失った。
  それでもアレイニは、そこにティオドールがいたことを確信していた。
  目を見開き、人だかりを追いかけたが見て取れない。人間たちがもみくちゃになっている。
  もしかしたら地面に倒されたのかもしれない。
 「テオ!」
  アレイニの声が聞こえるわけはない。
 
  赤い髪が、人に埋もれる。だが彼はすぐに浮上した。
  文字通り、人間を振り落としながらヨタヨタと浮上する――銀色の乗り物には、アレイニも見覚えがあった。バンドラゴラが所有していたエア・バイクだ。なるほどあれなら、王都から四百キロの旅も一昼夜で済む。門扉も上から侵入できるだろう。
  門を越え、館の前庭での大乱闘。少年はじわじわと、だが確実に前進している。
  アレイニは身を翻した。
  下腹部にひきつるような痛みが走ったが、気にせず踏み出す。
  扉の前に、中年男が立ちふさがった。
 「どこへ行くのですが姫様、あなたの夫はこのわたく」
  『し』という言葉を許さず、アレイニはヒューボを蹴り飛ばした。腰を落とし、上半身を引いて、腰を大きく回転させての回し蹴り。空いた空間を抜け扉を開く。
  後ろから風切音。とっさに躱した横を抜け、塔の壁に、ティーカップソーサーが当たって砕けた。まあ、とアレイニは声を漏らす。
 「あっぶな。ケガをさせるつもり? コレ気に入ってたのに」
 「許しません!」
  伯母が叫ぶ。アレイニは笑った。近接挌闘の構えを取って、叔母に向き直って見せた。
 「私は子を生む家畜でも、教科書知識を詰め込んだだけの辞典でもない。騎士団長直伝の護身術を受けた、ラトキアの騎士よ。……いや才能ゼロって言われたけど、それでも、痩せたババアになんて負けないわ」
 「ヒ、ヒューボ殿っ!」
  伯母は悲鳴じみた声を上げたが、中年男はグゥとも言わなかった。どうやらイイトコロに当たったらしい。
  アレイニは一瞥もせず廊下に飛び出した。
 「――テオが来た。私に会いに。私を迎えに!」
  裸足で寝間着姿、髪も結わず、化粧も香水もつけていない。産後で肌は荒れ、体もまだ締まっていない。ここしばらくで、五つは老けたようなきがする。
  ずいぶん醜くなってしまった。
  それでも、彼は愛してくれるだろうか。
  綺麗だと、またそう言ってくれるだろうか。
  ただそれだけを憂いながら、アレイニは廊下を突き進む。
  ティオドールは叫んだ。
 「どけ!」
  エア・バイクにぶら下がる、青い髪の男を踏みつける。それでも次々に飛びついてくるから敵わない。
 一人乗りのエア・バイクは上昇できなくなってしまった。
 「ちくしょうっ」
  テオはちらりと腰元を見た。そこには私物の短剣がある。騎士団装備の麻酔刀ではない。あれは機密兵器管理庫にあり、軍の許可なくしては持ち出せないのだ。
  テオは舌打ちし、エアバイクから飛び降りた。
  すかさず飛びつく連中、立ちふさがる人の壁を、引きはがし、蹴り飛ばし、タックルをかけて散らす。
 「どけ――っ!」
  館の扉を開き、廊下を突っ切る。正ルートの地図などない。ただ方角だけまっすぐに、テオは走った。
  絨毯を土足で踏みつけて、走り抜けた正面に、巨大な扉があった。金レリーフに彩られた純白の扉だ。
  テオは手を伸ばした。
 「テオ……!」
  螺旋階段を駆け下りる。光の塔は、もともとほんの数人、核家族が暮らすほどの部屋しかない。天に届けとばかり細長いだけ、実態はただの筒だ。ひたすらに階段を下りていく。
  一階の踊り場。薄暗い広間を抜けると、巨大な扉がある。金レリーフに彩られた純白の扉だった。
  アレイニは扉を開いた。目の前が明るく開ける。
  塔と館をつなぐ、中庭である。
  飛び出したアレイニを、たくましい、男の胸が抱き留める。
 「テオ!」
  アレイニは歓び、彼を抱きしめた。堅い腕が腰に巻きつく。そして男は、アレイニを持ち上げ、拘束した。
  その乱暴な所作に、アレイニはやっと気が付いた。
  ティオドールではない。
  光の塔、要人の護衛役である、巨体の下男だった。
 「……は、はなしてッ……!」
  暴れてもびくともしない。
  それでも、アレイニは叫び続けた。
  ――塔と、中庭と、館。それぞれをつなぐ、二枚の扉。
  塔から庭への扉を開いた先で、アレイニは叫ぶ。
 「テオ! テオはどこ?」
  ――パスコードを入力してください。
  そう書かれた鉄壁の錠を、テオは拳で叩いた。
  館から庭への扉に阻まれて、テオは叫んだ。
 「アレイニ! アレイニはここにいるのに!」
  銃弾は、彼の後ろからやってきた。
  火薬の炸裂音、そして弾丸が少年を貫通し、白い扉に刺さる音。
  アレイニは悲鳴を上げた。
  テオは声もなく倒れた。
  すぐ近くで、アレイニの声が聞こえた気がした。
  天皇と、その親族の住処である塔。その横に並ぶ、同じ高さの煙突。その二本の筒をぐるりと囲む壁のように、巨大な館が建てられていた。
  住人は千人ほど。それは社員寮のようなものだった。冠婚葬祭に関わる奉納金はそこで受け付け、捌き、館と塔を運営していた。
  ――という、それだけしか前情報のない頭を、真横に傾げて。
 「……ふむ。どうするかな」
  ティオドールは首をかしげた。
  アレイニの居場所、塔を訪ねるには、まず館に入り、中を突き抜けなくてはならないらしい。
  ティオドールはとりあえず館の正面に立つ。三階建ての、巨大な建物にふさわしい、実に立派な門扉である。
  ドアベルを鳴らすと、インターフォンが応じてくれた。
  テオはあくまで紳士的に、温和に、誉ある貴族の男らしく体裁よく。
 「――ラトキア騎士団所属ティオドールと申します。アレイニ様に、お目通りさせていただきたく――」
  ぶつん。インターフォンが途切れた。
  がちゃがちゃがちゃん。内側で、非常用の鍵までおろされた音。
  じゃきん。門扉の上に、トゲつきの柵が生えてきた。
 「――あっそ。そうくる」
  テオは苦笑して、頬をかいた。
  重ね着していた防寒着を脱ぎ、旅の荷物を投げ置く。身軽になった姿で、ニヤリと笑った。
 「じゃあこっちも容赦しねえぞ。スラムのクソガキをなめんなよ」
  その足元に、銀色の乗り物があった。
 「テオ!」
  アレイニは叫んだ。とたん、伯母と夫に組み伏せられる。構わず床を這い、再び窓辺にかじりつく。
 「テオ!!」
 「姫様、ご乱心を。幻です」
  伯母はきっぱりと言い切った。
 「くだんの男には、記憶消去の薬物投与をするよう騎士団に命じております。ぼんやりとアレイニ様の記憶があったとて、この地を知るすべはありません。それに、距離で個人の見分けもつくはずが」
 「ちがうわ! あれはテオよ!」
  伯母以上の強さで、アレイニは断言する。
  上空三十五メートル、距離は百メートルほど。こちらからは騒動が見下ろせても、あちらがアレイニを見つけることは無理だろう。
  遠く、小さな赤い粒を、瞬きをした瞬間に見失った。
  それでもアレイニは、そこにティオドールがいたことを確信していた。
  目を見開き、人だかりを追いかけたが見て取れない。人間たちがもみくちゃになっている。
  もしかしたら地面に倒されたのかもしれない。
 「テオ!」
  アレイニの声が聞こえるわけはない。
 
  赤い髪が、人に埋もれる。だが彼はすぐに浮上した。
  文字通り、人間を振り落としながらヨタヨタと浮上する――銀色の乗り物には、アレイニも見覚えがあった。バンドラゴラが所有していたエア・バイクだ。なるほどあれなら、王都から四百キロの旅も一昼夜で済む。門扉も上から侵入できるだろう。
  門を越え、館の前庭での大乱闘。少年はじわじわと、だが確実に前進している。
  アレイニは身を翻した。
  下腹部にひきつるような痛みが走ったが、気にせず踏み出す。
  扉の前に、中年男が立ちふさがった。
 「どこへ行くのですが姫様、あなたの夫はこのわたく」
  『し』という言葉を許さず、アレイニはヒューボを蹴り飛ばした。腰を落とし、上半身を引いて、腰を大きく回転させての回し蹴り。空いた空間を抜け扉を開く。
  後ろから風切音。とっさに躱した横を抜け、塔の壁に、ティーカップソーサーが当たって砕けた。まあ、とアレイニは声を漏らす。
 「あっぶな。ケガをさせるつもり? コレ気に入ってたのに」
 「許しません!」
  伯母が叫ぶ。アレイニは笑った。近接挌闘の構えを取って、叔母に向き直って見せた。
 「私は子を生む家畜でも、教科書知識を詰め込んだだけの辞典でもない。騎士団長直伝の護身術を受けた、ラトキアの騎士よ。……いや才能ゼロって言われたけど、それでも、痩せたババアになんて負けないわ」
 「ヒ、ヒューボ殿っ!」
  伯母は悲鳴じみた声を上げたが、中年男はグゥとも言わなかった。どうやらイイトコロに当たったらしい。
  アレイニは一瞥もせず廊下に飛び出した。
 「――テオが来た。私に会いに。私を迎えに!」
  裸足で寝間着姿、髪も結わず、化粧も香水もつけていない。産後で肌は荒れ、体もまだ締まっていない。ここしばらくで、五つは老けたようなきがする。
  ずいぶん醜くなってしまった。
  それでも、彼は愛してくれるだろうか。
  綺麗だと、またそう言ってくれるだろうか。
  ただそれだけを憂いながら、アレイニは廊下を突き進む。
  ティオドールは叫んだ。
 「どけ!」
  エア・バイクにぶら下がる、青い髪の男を踏みつける。それでも次々に飛びついてくるから敵わない。
 一人乗りのエア・バイクは上昇できなくなってしまった。
 「ちくしょうっ」
  テオはちらりと腰元を見た。そこには私物の短剣がある。騎士団装備の麻酔刀ではない。あれは機密兵器管理庫にあり、軍の許可なくしては持ち出せないのだ。
  テオは舌打ちし、エアバイクから飛び降りた。
  すかさず飛びつく連中、立ちふさがる人の壁を、引きはがし、蹴り飛ばし、タックルをかけて散らす。
 「どけ――っ!」
  館の扉を開き、廊下を突っ切る。正ルートの地図などない。ただ方角だけまっすぐに、テオは走った。
  絨毯を土足で踏みつけて、走り抜けた正面に、巨大な扉があった。金レリーフに彩られた純白の扉だ。
  テオは手を伸ばした。
 「テオ……!」
  螺旋階段を駆け下りる。光の塔は、もともとほんの数人、核家族が暮らすほどの部屋しかない。天に届けとばかり細長いだけ、実態はただの筒だ。ひたすらに階段を下りていく。
  一階の踊り場。薄暗い広間を抜けると、巨大な扉がある。金レリーフに彩られた純白の扉だった。
  アレイニは扉を開いた。目の前が明るく開ける。
  塔と館をつなぐ、中庭である。
  飛び出したアレイニを、たくましい、男の胸が抱き留める。
 「テオ!」
  アレイニは歓び、彼を抱きしめた。堅い腕が腰に巻きつく。そして男は、アレイニを持ち上げ、拘束した。
  その乱暴な所作に、アレイニはやっと気が付いた。
  ティオドールではない。
  光の塔、要人の護衛役である、巨体の下男だった。
 「……は、はなしてッ……!」
  暴れてもびくともしない。
  それでも、アレイニは叫び続けた。
  ――塔と、中庭と、館。それぞれをつなぐ、二枚の扉。
  塔から庭への扉を開いた先で、アレイニは叫ぶ。
 「テオ! テオはどこ?」
  ――パスコードを入力してください。
  そう書かれた鉄壁の錠を、テオは拳で叩いた。
  館から庭への扉に阻まれて、テオは叫んだ。
 「アレイニ! アレイニはここにいるのに!」
  銃弾は、彼の後ろからやってきた。
  火薬の炸裂音、そして弾丸が少年を貫通し、白い扉に刺さる音。
  アレイニは悲鳴を上げた。
  テオは声もなく倒れた。
  すぐ近くで、アレイニの声が聞こえた気がした。
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