ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

最初の夜①

 テオの言動に、最初に違和感を覚えたのは、地球から帰還して一週間目のことだった。

 「これなんてどうかしら?」

  細い爪で紙面を指さす。贈答品を扱うパンフレットには、小さなガラス細工が鈴なりにぶら下がった卓上ランプが載っていた。

  出向中にため込んだ休日で、バンドラゴラはさっそく新婚旅行に出かけていた。いまのうちにと、アレイニはテオと祝いを選んでいたのである。
  本当は地球出立前に注文してしまいたかったが、こういうことは、やはり雌体化時期のほうが楽しい。

  ふと気がついて、アレイニは今更髪を束ねた。長く伸びた髪が、ティオドールに触れそうになったからだ。剥き出しになった顔で、テオのほうへ向きなおる。

 「この小さな飾りが、生まれてくる子供達を表してるんです。縁起がいいでしょう?」

  テオはぴくりと眉を持ち上げた。ああ、と低い声でうなずいてから、時間をおいて、首を振る。

 「そんなにたくさん生まれやしないだろ」

 「そりゃもちろん、ただ、たくさんの子宝に恵まれるといいですねってことで、結婚祝いにはとてもスタンダードなデザインですから」

 「……産めよ増やせよは、もう俺らの親世代で落ち着いただろ。別にいいじゃねえか。子供なんかいなくったって」

  アレイニは首を傾げる。
  たしかに、兄弟四人以上が当たり前だったころと違い、この頃は一人っ子も珍しくない。女性の社会進出政策がこのまますすめば、さらに少子化していくだろう。
  珍しくはないが、それは決して許容していい社会現象ではなかった。

 「……でも一組の夫婦が三人以上の子を生まれなければ、ラトキア人は絶滅してしまいます。それを気にせず、夫婦でのんびりしたいというのはワガママだわ。子供だって一人じゃ可哀想。私は二人兄妹だったけど、もっと遊び相手がほしかったもの。どうしてもできないというなら仕方ないけど、助成金はあるし、バンドラゴラは――」

 「そうだな。じゃあ祝いは食い物かなにかにしようぜ。調理済みのもの贈っとけば、夫婦とも喜ぶだろ」

  そう言って、パンフレットをベラベラめくり、食べ物のページにひじを突いた。

 (……なんなのよ)

  と、腑に落ちないながらも、アレイニは彼に従った。


  数日後、薫製肉のセットをバンドラゴラに手渡したとき、その違和感は一度は晴れた。

 「色気のないものでごめんなさいね、私は、縁起物がイイかなと思ったのだけど……」

  と、顛末を話すと、緑の髪の青年は眉を垂れさせる。

 「……ああ。それは……ティオドールが気を使ってくれたんだな。ま、別に大丈夫だったけどね。他からもうそういうのいっぱい来てるし」

 「? どういうことですか?」

 「子供、生めないんだよ。うちの奥さん。昔ちょっと――病気をしてね」

  アッと声を上げるアレイニ。バンドラゴラは穏やかにほほ笑んでいたが、それはあくまで、彼が夫の立場だからだ。
  アレイニの考え方は、このラトキアでやはり、一般的である。夫婦は子供を作って当然、できて当然。その概念のまま、何の悪気もなく周囲は彼らを傷つけるだろう。
  とくに原因である妻は、己の体を嘆くことになる。

  同じことを想像したか、バンドラゴラは声を潜めた。

 「うちの親にも話したけど、あの世代はだめだな。女の居場所はキッチンとベッドとお産所だって価値観なんだもの。ましてトロワは『赤い髪』だからさあ。十何年ぶりに顔見せたってのに、ハズレの嫁だ離縁しろ、どうしても結婚するなら『はらみ屋』を呼べってうるせえったらもう。あんまり面倒くさいからまた絶縁したよ。もうおれ、この騎士団に骨を埋める。末永くよろしくねアレイニ」

  飄々と言う男。いつもの穏やかな笑み、明るい口調だが、ジワリと浮かべた牽制にアレイニはちゃんと気がついた。謝るのもやぶ蛇な気がして、ただヨロシクとこわばった声で返す。

  ふと、バンドラゴラは首を傾げた。

 「しかしアイツが、そんなことに気がつくなんて意外だな。あいつこそ、子沢山は楽しくていいぞーって言いそうなのにな」

  言われて、アレイニも共感する。バンドラゴラの妻と知り合いで不妊まで知っていたとしても、珍しく気の利くことである。

  部屋に戻ると、テオは床に寝転がりマンガを読んでいた。日本での滞在中にどっさり仕入れてきたらしく、帰還してからずっとこんな調子だ。

 「バンドラゴラ、喜んでましたよ」

  そう伝えても生返事。アレイニは嘆息した。

 「ちょっとテオ、いくら休みだからって、そんなゴロゴロしてばかりじゃだめでしょ。体がなまってしまいますよ」

 「朝夕の鍛錬には出てる」

  振り向きもせず、愛想のない声。アレイニは声量をあげた。

 「それだけじゃなくってっ。あなたはヒト月近くも入院してたのよ。もう後遺症は何もないんですか?」

 「……ねえよ」

 「だったら、なおさらもっと外に出ましょうよ。宇宙航海は筋力が衰えるっていうし。ね?」

  ティオドールはもう返事すらしなかった。
  アレイニに背を向けたまま、マンガを読みふけっている。だがそのページがいつまでもめくられないことに気がついた。

  床に膝をつき、テオの顔をのぞき込んでみる。

  十七歳――十歳年下の、歴戦の戦士。
  贅肉のない筋張った体の彼は、顔つきまでも鋭い。無表情でいるとそれがよくわかる。いつも笑っているようなバンドラゴラとは反対に、生来、彼はいつも怒っているような造形をしていた。

  それでも明るい印象しかないのは、彼が真実、快活だからである。
  こうして不機嫌そうにしていると、すこし、怖い。
  ティオドールにはいつだって、明るく笑っていてほしかった。

  自分の顔を、じっと見下ろすアレイニに、テオは気がつかないフリをしていた。気がついていないわけがない、だが、何見てんだよと発言するのがシャクである――そんな少年の、拗ねた顔。

  アレイニはささやいた。

 「王都に、雌体ひとりじゃ入りにくい店があるの。一緒に、行ってくれませんか……?」

  それは、自分でも感心するくらい、珍しくうまく、言葉を使えたものだったが。

 「……バンドラゴラに頼めよ。俺の髪じゃ、一人で行くよりヘンなのに絡まれるぜ」

  そう言って、やはり背中を向けられただけだった。



 (なによ。なんなの。なんだっていうのよ……!)

  アレイニは頬を膨らませ、踵をならして早歩きしていた。

  アレイニやテオ、地球へ行っていたメンツ以外は通常の勤務日である。日中のこの寮に、ひとの姿はほとんどない。まれにすれ違う清掃職員が数人、ぎょっとしたり笑ったりするのは全部無視。ひたすらまっすぐ、適当に、足をどんどん前に出していく。

  あのように言われて、誰かを誘って出かける気など起こりようもない。かといって部屋にいるのは心地が悪く、しかし仕事があるわけでもない。アレイニは何の意味もなく、騎士団寮の廊下を歩き回っていた。

 (せっかく誘ってやったのに! 私がああして誘うなんてホントに初めてのことだったんだからね!?)

  それはちょっと、己の人生を反省するような内容であったが気にしない。

 (むかつく。むかつく。なんなのあの態度。あんな風にされて、それでも粘ってやるほど私は優しくなんかないんだから。甘えてんじゃないわよ)

 (私が無視してたときに、チョロチョロしつこく懐いてきたくせに、こっちがデレたら背中向けるってどういうこと!? 駆け引きのつもり? バカなの? 引っかかる訳ないでしょバカじゃないのバーカバーカ)

 (よりによって他の男を誘えだなんて、なんてこと言うのよ。あなた、私のこと好きなんでしょ、素直にしっぽ振ってついてきなさいよバカガキテオ! もう知らないわ。嫌ってやる。きらい、きらい、きらい――)

  と―― どんっ、と、鼻先に衝撃。
  ヒトにぶつかったのだと気がついて、あわてて頭を下げる。そこにいた騎士は、仕事で絡む機会のない男だった。名前も知らないが、しかしどこかで見覚えがある。

 「……お前、まだ騎士団にいるのか、女」

  低い声でなぶられて、アレイニはその男を思いだした。


  かつて同じようにぶつかって、同じように睨まれたことがある――青い髪をした騎士だった。

 一年前と同じ握力で、かつてと同じように、腕を強く握られる。

  以前は雄体であった、今は雌体で細く柔らかくなった肉に、男の指が突き刺さる。あの時以上の痛みに眉をしかめるが、痛い、と悲鳴は上げなかった。
  キッと強い視線で、長身の男をにらみあげる。

 「離しなさい。セクハラで騎士を追放なんて、不名誉をたまわりたいの?」

  ふうん、と男は口の端をゆがめる。

 「おお、怖い怖い。なんて『女らしい』脅し文句だ。男同士なら、やってやろうじゃねえかと拳を握るところだがね」

 「挑発ですか。私は戦闘員じゃないんだから、脳筋馬鹿と張り合うなんて頭の悪いことはしません」

  言い捨てて、アレイニは男の手をふりほどいた。鼻白む男を置き去りに、また歩き出す。
  毅然とした態度に反して、アレイニの心臓は痛いほど跳ねていた。視界が白み、足下はグミキャンディでも踏んでいるかのように、おぞましい感触に変わっている。
  かつてより強くなったはずなのに、かつてより恐ろしいのはなぜだろう。

  早く、部屋に戻りたい。だがずいぶん歩いてきてしまった。部屋は後方であり、もうこの先は寮を出て勤務棟につながってしまう。来た道を戻ろうと、アレイニは踵を返した。

  そこに、青い髪の男がいた。

 「っき――」

  悲鳴は口を塞がれ止められた。巨大な手のひらが、アレイニの口をアゴごと掴んで封印する。奥歯のあたりを締められて、耳の後ろに激痛が走る。

  男の目は笑ってなどいなかった。ただドス黒い憎悪と欲望で、アレイニの全身を視姦する。

  アレイニは男の手首を掴み、全力でそれを引きはがそうとした。地球行きのさい、団長からたたき込まれたはずの護身術は頭に浮かんですらもこなかった。ただ愚直に腕力であらがう。

  右手ひとつで、アレイニの全力を封じ、騎士はグイと前のめりになる。アレイニの股間を膝で持ち上げ、空いた手で乳房を掴んだ。

 「う――!」

  恐怖と猛烈な嫌悪感。
  アレイニの全身が総毛立つ。

  だがそれは一瞬で終わった。アレイニの正面、男の後ろにいきなり現れたティオドールが、無言のまま男を引きはがす。後頭部を鷲掴みにし、そのまま後方へ投げ捨てた。
  唐突な横入りに、騎士が面食らって倒れ込む。その腹を踏みつけ、テオがぐいと体重をかけた。

 「ぐっ! ――こ……の、お前、新人っ……!」
 「テオ!」

  テオは両者のどちらにも取り合わず、騎士のアゴを蹴り、目を回しているうちに、その後ろ襟を捕まえた。そして早足で歩き出す。あっという間に廊下を渡って、勤務棟まで着いたのを、アレイニは慌てて追いかけた。

  階段のふちでさらに焦る。

 「ちょ、あ、テオ、どこへ行くの。だ、だめよ!」

  ティオドールは、先輩騎士を階下へ放り投げなどしなかった。逆に引きずって上階へ進んでいく。元の二階から、三階、最上階である四階。本当にどこへ行くのかと問いただす前に、テオは足を止めた。

  ――団長執務室。迷うことなく、テオはドアノブを引いた。

 「んう?」

  クーガが振り返る。ここは騎士団長室なのだから彼が居て当然だ。だが少々タイミングが悪かった。仮眠から起きたところだったらしい、下着まがいの寝間着姿で、ハブラシをくわえていた。
  おまけに雌体化していた。長身の女の、白い腿があらわになっている。アレイニは反射的に頭を下げた。

 「す、すみませんっ!」

  だがテオは挨拶すらしなかった。失神寸前で目を回している先輩騎士を、地面にポイと投げる。

 「俺、こいつ嫌いです。なんとかしてください」

  さすがのクーガも、急展開に理解が追いつかないらしかった。パチパチ瞬きをしつつ、シャコシャコとハミガキを進めていく。

  奥歯まで磨き終え、彼は頬を膨らませたまま、手のひらで「ちょっと待ってろ」とジェスチャー。
  洗面台へ向かい、「ぶくぶくべぇ」まで終えてから戻ってきた。

 「……何の話だ。ちゃんと報告をしろ」

 「はい。婦女暴行の現行犯です」

 「未遂ですっ!」
 「からかっただけだぁっ!」

  アレイニと騎士の叫びが重なる。テオは取り合わず、

 「ケガするほどは殴ってません。正式に逮捕かせめてクビにしてください」

 「……顛末は理解した。お前の希望通りになるとはいえないが、なにか対処はしよう」

 「次にやったらティオドールが殺すぞって脅しといてください。じゃあよろしく」

  言い捨てて、きびすを返すテオ呆然と見送る三人。最初に覚醒したのはアレイニだった。慌てて追いかけると、予想よりはるかに遠くに背中が見える。

 「テオ!」

  走り寄り、並んでからも早足でなくては置いて行かれそうだった。息を乱しながら、彼の顎を見上げて離す。

 「テオ、あの、ありがとう。助かりました」

  彼の横顔が遠い。アレイニが雌体化すると、テオは見上げるほど身長差がある。早足でどんどん進む。その歩みはまるでアレイニから逃げるようだった。

 「ねえ、テオ。怒ってるの? 私が弱いから。あの……ちゃんと私、鍛えてるんですよ。護身術は続けて習っていますから。さっきはとっさで、びっくりして、それでっ――」

  テオの足がピタリと止まった。つんのめったアレイニに、ぼそりと一言、吐き捨てる。

 「団長、まだ雌体化してるんだな」

 「……えっ? ……ええ、そういえば、ちょっと長いですね。通常、二、三日で終わるような周期のひとだった気がしますが」

 「綺麗になった。もともと美形だったけど、男だか女だかわかんねーモノから、今日はちゃんと女に見えた」

 「……そうですね。あの、それがなにか――」

 「ノックするべきだったな。失敗した」

  会話になっていない、独白をして、テオはまた歩みを再開した。
  アレイニは首を傾げながらも、とりあえず後を追っていった。


  テオの様子は、そこからずっとおかしなままだった。
  部屋に戻ってからも仏頂面で、話しかけるアレイニを無視まではせずとも生返事。
  トイレに行って戻ってくるともういない。夕方の鍛錬に出かけたらしいが、アレイニに挨拶してから出かける余裕は十分あったはずだ。

  避けるようなマネをしている。

  気分が悪い。

  夕食――騎士団寮の食堂で、テオはアレイニとバンドラゴラのグループからはるか遠く離れた席で、別の騎士たちと談笑していた。
  もともとなつっこい少年は、いつのまにか、先輩にかわいがられているらしい。結構盛り上がっている笑い声に、アレイニは無意識に耳をそばだてていた。

  楽しそうである。

  気分が悪い。

 「……なんなのよ!」

  プレートの上、ポークステーキにフォークを突き立てて、アレイニは悪態をついた。



  夜が更けて。
  風呂から戻ってきたとき、テオはもうベッドに入り、通路に背を向けて寝転がっていた。
  寝息は聞こえない。

 「あの……起きてるよね」

  アレイニは彼のそばへ寄り、なんとなく声を潜めて言った。テオからの返事はなかったが、気にせず続ける。

 「さっきね、団長と会って。……部屋を移動する用意をしておけって。個室が空いたから」

  テオは答えない。

 「ほら、相部屋なのは騎士団入りして一年間だけのことでしょう? 私もすっかり忘れてたんだけどね。私たちは、ちょうど地球で一周年を迎えたからずれこんだけども、ほんとならもう、この部屋にいる必要はないんですよ」

 「……ああ」

  低い声で、相槌が来た。どうやらわかっていたらしい。アレイニは眉を垂らした。

 「それで……私はね。上級軍人の寄宿舎に、入れてもらえることになったの。前に、キリコ博士も入っていたところ。この騎士団寮からは離れるけど……私がよく出入りする、科学研究所のほうにも近いし。シャワーもトイレも部屋についてるし、鍵もかかるし……」

 「……よかったじゃねえか」

  愛想の悪い祝福。確かにその通りだ。もしもこの一年前に、この条件を出してくれたならアレイニは大喜びで寄宿舎へ入っていっただろう。
  男だらけの建物、小さなクロゼットを三人で共有するような狭い部屋とは雲泥の差だ。
  食堂で淹れてきた紅茶を持って、床に寝転がるティオドールをまたごうとして派手にこぼし、深夜の大ゲンカになることはもうない。

  もちろんテオだって同じだ。一人部屋が与えられれば、潔癖なくせに整頓が苦手なアレイニの荷物に躓かなくていいし、使えるスペースは二倍以上になる。裸みたいな恰好でくつろいでも叱られることはない。
  どちらにとっても、よいことのはずだった。

  だがテオも喜んでいないように見える。アレイニと同じように。

 「……だけど、あなたと離れるのはすこし、寂しいです」

  アレイニは言った。
  少し前の自分なら、決して口にすることは出来ない、素直な気持ちだった。

  ――後悔しないように。
  ――それが最期の言葉になるかもしれないのだから。

  この一年、騎士団に身を置いたアレイニが学んだことだった。

  テオのベッドに身をかがめる。寝転がる彼のすぐそばで、アレイニはきちんと、気持ちを伝えようとした。

 「ねえ、テオ。新しい部屋にも、きっと遊びに来――」

  言葉は途中で塞がれた。
  テオは不意にシーツを跳ね飛ばし、アレイニの体を捕まえた。肩を、背中を、力強い腕が束縛する。

  長い髪ごと抱きすくめられ、アレイニはベッドに引き込まれた。

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