ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

ラトキアの天皇

 騎士団がこの地へ降りた日、そこにはピンク色の花が咲き乱れていた。
  今はすっかり青葉も落ち、黒っぽく尖った枝が剥きだしになっている。

  その儚さを、シェノクはひそかに気に入っていた。

  母は花が好きだった。
  永遠に咲き続ける造花よりも、ちいさな芽や蕾の愛していた。いずれは朽ち散ると知りながらも。

 (……かあさんのことを思い出すのは、何年ぶりだろう)

  この地球にやってきて、もう三カ月。やけに母のことを思い出す。
  この町に花が多くあるせいだろうか。

  シェノクは庭園から目をそらした。

 「――こちらは、えびしんじょうのお吸い物でございます」
 「……どうも。いただきます」

  献立の案内をしてくれた女に礼をして――シェノクはその料理を口にした。白い球のような物体は、予想だにしない味であった。

(……不味くはない。美味しい味がする)

 率直にそう思う。だがそれ以上の賛美は出てこない。これは口に合わないのではなく、ただ単に食べなれぬせいだとシェノクは思った。外観からは得体がしれない、その警戒心が味覚の邪魔をしている。
  真の旨味を楽しむのには、まだまだ日本食になじむ必要があった。

 (……差別っていうのは、こういうものなのかもしれないな……)

 「――それで、ええと、シェノクさん」

  名を呼ばれ、ハイと応じる。
  唇が「イヌイ」の形に動いているのは気にしないようにして、シェノクはまっすぐ、赤い瞳で男を見据えた。

 「……ラトキアの、政治について改めて……書類でわかりにくいところを、もう少しお聞かせ願えますかな」

  男は、この日本における「偉い政治家」である。それ以上のことは、シェノクにはよくわからなかった。地球にはやけくそのように大人数の政治家がおり、この男がこの星で何番目に偉いのか、誰に問うても答えがもらえなかったのだ。
  とりあえず、今回の任務で窓口になってくれたこの男に、シェノクは鷹揚にうなずいた。

 「どうぞ。――ただ、以前お伝えした通り、俺は自動言語変換装置によって日本語を理解しています。翻訳は万能ではないので、なるべくストレートに、簡単な言葉を使ってもらえたら助かります」

 「ああ、なるほど。ではなるべく簡潔に。星帝……というのですか。その方はその、ラトキア星で何番目に偉い方、なのですか?」

  シェノクは思わず笑みを浮かべた。
  異文化交流で、お互い難しいところは同じらしい。
  シェノクもまたなるべく端的な言葉を探す。

 「一番目です。星帝とは、ラトキア星の帝王なのですから」
 「しかし文書によると、その領土、ラトキア王都は星のわずかな土地だと。ラトキア星には王都の外には人が住んでいないのですか」

 「ああ。星にはラトキア人以外の人種、民族もいっぱいいますよ。しかし国は、ラトキア国しかないんです。ほかは星帝のものでもなければ敵でもありません」

 「……は? ちょっとそこのところが――」

 「王都以外は、ただの『野生』なんです。未開の地といったほうがわかりやすいか。彼らは基本的に自給自足、きわめて原始的な生活をしていて、集落がどこにどれだけあるか、星帝もすべて把握はしていません。多少の交流はありますが、政治的外交をするようなものではないですね」

 「人口すら把握せずそのまま放置していると?」

 「その通りです」

 「そちらを侵略し、植民地にしようという発想はないのですかね」

  ぽろりと口にした後、男はハッとして黙り込んだ。少々言葉が過激であることを反省したらしい。
  シェノクは目を細めた。にっこり、穏やかに笑ってみせる。

 「ご心配なく。その質問は、どの星、どの国に行っても聞かれることです」

 「そうですか……あ、いや、決して我が国はそうしているということではないのですが」

 「それはわかってます。
  なぜラトキアがほかの民族を侵略しないか――簡潔にいれば、その余裕がないということです。ラトキアはまだ三百年の若い国、王都の政治、治安維持、教育にいまだ手探りで、発展途上。その状態で文化レベルの低い他民族を招き入れたら、都は混乱するでしょう」

 「……なるほど。では交易は一切しない?」

 「輸入や商人の出入りはありますよ。珍しい食材や工芸品は、王都民にとても人気がありますから」

 「出稼ぎ労働はいないのですか」

 「……いますが、長期滞在は認められていません。あくまで王都の経済は、都民で回していくのがラトキアの方針です」

 「ははあ、国民に無職者を作らない制作ですな。外国人を儲けさせるくらいなら、公共事業に回すという。なるほどなるほど」

  やけに深々と頷く男。なにか思う所でもあるのだろうか。だがなんにせよ、ラトキア人の真意は伝わらない気がして、シェノクは続けた。

 「…………奴隷を働かせるということは、技術を与えるということです。戦争の仕方、知識と道具の使い方を覚えられ、身も心も強くなる――クーデターを起こすことができるようにと。そのことを、ラトキア人は学習済みなんですよ」

  男はやはり、よくわかっていないような顔をした。

  もとより、シェノクはこの男との会食を、長引かせたくはなかった。地球との親交を深めるのはまた別の機会にやること。あくまでテロリストたちを捕まえるために、シェノクは騎士として、戦士としてこの星にやってきたのである。
  さっさと済ませて基地へもどり、任務にあたりたい。

  地球着陸からはや三カ月。百人以上の亡命者をとらえたものの、そこから遅々として進まない。クーガ騎士団長は少年教育施設に潜入しているし、騎士団もみな聞き込みを続けているが、いかんせんたった六人だけ――どうにも人手が足りないのだ。

(こんなところで、じいさんと飯を食ってる場合じゃないんだよ)

 ちらりと手元の膳を見る。小鉢には、薄切りにした魚の生肉があった。刺身、と呼ぶらしいその謎の料理には、どうしても手を付けるきになれない。
  生魚をそのまま食べるなど、ラトキアでは考えられない食生活だ。横の海藻といい青菜といい、とにかく日本食にはナマモノが多い。
  高級店ほどその傾向があるあたり、食べてしまえばきっと美味しく、そして安全なのだろうが――

 (やはり、いろいろと違うんだな……)

「しかし、ラトキアの王のことで腑に落ちないのがもうひとつ」

  男が言った。顔をあげたシェノクに向かって言葉を選びつつ。

 「……ラトキア星、そして王都の代表は星帝――そう聞いておりましたが、詳しく調べてみたところ、ラトキア星にはもうひとり王がいると。……それは誤りでしょうかね?」

 「ああ、現人神――天皇のことですね」

  シェノクが言うと、男は頷いた。

 「ええ。実はこの日本にも、天皇と呼ばれるものがおります。王政というわけではなく、かといって政治活動に無関係とも言えない、説明が難しい所なのですが」

 「ざっくり勉強してきてますよ。……その上で申し上げますが、そちらの天皇とは全く違うものだと思います。かといってやはり、ラトキアの王などでもない。ラトキアの天皇、現人神は――ただの守銭奴ですよ」

  シェノクの言葉に、男はかなり驚いたようだった。たしかこちらから出した資料には、ラトキアに天皇がいるということすら書いていなかった。
  それはもちろん、書く必要が無かったからだが。

 「守銭奴? ええと、そちらの天皇は、ラトキア皇は、政治をしないのですか」

 「一切かかわっていません。三百年前までは、それこそ神子として民を導いていたそうですけどね。いまはもう神通力など誰も信じちゃいませんから」

  民を導く予言と大いなる恵み――星観ほしみの術。それはつまるところ、天体科学による天気予報だったという。
  天体望遠鏡も人工衛星もなかった時代、どのようにしてその観測が行われていたか、シェノクは知らない。それこそが天皇家、一子相伝の術であり、畏怖されたのだ。
  しかし異星人に侵略され、科学文明が持ち込まれた現代、天気予報はありがたくはあっても信仰の対象になどならない。
  農作と狩りで命をつないでいた時代ではないのだ。

  しかし、

 「――かと言って、没落したわけではありませんよ。我々ラトキア人は、人生で四度、天皇にお金を払っているんです。生まれたとき、十五で元服を受けるとき、結婚するとき、死亡したとき。まあ一応、神様につながる神子ということになってるので、神への奉納の受付ということでしょうかね」

 「ははあ、なるほど、これは日本での神社仏閣ですなあ。となると祝詞のりとや経をあげてくれるわけで」

 「いえ、こちらが一方的に上納するだけです。役所にそういう受付がありますから。税金の一種としか思ってませんね」

  そっけなく言って、シェノクは緑色のお茶を吸った。
  芽吹いたばかりの葉っぱをかじったようなにおい。口に合わず、湯呑みをテーブルへ戻す。そして話を続けた。

 「献上金自体は大した額ではないですが、国民全員ぶんが一家に集まるわけですから、相当な資産になるとは思います。……しかし、俺たちは現人神自身もちろん、その家である『光の塔』を見たこともありません。行きたくもないし」

  心のままに吐き捨てる。これはラトキア人の総意だとシェノクは確信していた。
  貴族であっても働かざる者食うべからず、の理念が定着しているラトキアで、顔も出さずに金だけ受け取る天皇家は忌み嫌われている。とくに高級貴族ほど、あいつらはズルいとねたんでいることだろう。

  むしろ、シェノクのような下町やスラムの民ほど好意的だった。
  彼らは王都の連中よりも尊いのに、我らを侮蔑したりしない人徳者だと――
 当たり前だ。
  現人神は常に『光の塔』にこもりきり、王都の民と会う機会もないのだから。

 「なるほど、それはうらやましいですなあ」

  日本の政治家はそういった。

 「我らも税金泥棒だなんて言われますけど、とんでもない、これで結構忙しく働いてるんですよ。しかしラトキアの天皇さんは、外交どころか家から出る必要すらないと。いい身分ですなあ。そんな生活、してみたいもんですわ」

 「――そうですか? 俺は御免ですね」

  シェノクは苦笑した。
  シェノクもまた、現人神を信仰などしていない。金を取られるのだから当然大嫌いだ。だが妬ましいとは思えない。

  キョトンとする男に向かって。

 「『光の塔』は、直系親族で継承されています。長男に生まれれば、運命から逃れることが出来ない。生まれた瞬間から朽ちて死ぬまで、星のうつる窓しかない一室で、一生涯。
  運ばれてきた物を着て、食べて、排せつするだけの暮らし。
  ……まるで罪人牢か、家畜のようだと思いませんか」

 「それは――たしかにそれは、哀れですな……」

 「……あるいは外を知らないぶん、婿や嫁よりは幸せかもしれません。もしも女児しかいなければ婿が天皇になりますが――俺は絶対に嫌だね。己が家畜になるのも、それを妻にするのも吐き気がするぜ」

  そう言う自分の顔は、自覚する以上に醜く歪んでいたらしい。男の口元が引きつっているのに気がついて、シェノクは慌てて口を噤んだ。

  あっけにとられている、地球の男。

  政治家稼業も大変だと彼は言った。
  きっと言葉以上に大変なのだろう。シェノクは素直にそう思っている。

  人の上に立つ、なんて、割に合わない重労働だ。天皇だけではない、頂点に立つものはみな、不自由で窮屈な暮らしをしている。
  星帝夫妻は帝都から出られないし、騎士団長も――

(誰も、幸せそうには見えない。星の王なんて……望んでなるやつは相当な馬鹿くらいのもんだろうさ……)





  じゅうじゅうと、鉄板が音を立てている。
  牛肉の焼けるいいにおい。

 「なんか最近、金玉重いんだけど」

  どすっ――バンドラゴラは、ボイルしたニンジンにフォークを突き刺した。二秒間の停止。その間に、向かいに座った少年はもう一度口を開く。

 「ん、聞こえたかバンドラゴラ。俺、なんか最近金玉が重いんだけど」

  バンドラゴラは無言のまま、ニンジンを口の中に入れた。ほんのりバターの香りに塩気と甘み。ニンジン自体の味はあまりない。
  横のハンバーグの肉汁を吸っており、非常にジューシーで美味である。

 「……これってなんか病気なのかな。別に痛くはないんだが。見た目もこう……下の方に下がってきたって言うか、ブラッとする感じで邪魔だし、なんとかできるもんならしたいな」

  続けて、同じ鉄板上にあったインゲン。鮮やかな緑色が美しい。それもやはり苦みがない。野菜嫌いの彼には嬉しい味だ。もぐもぐと食感を堪能する。

 「なあ聞いてる? 俺、金玉重いんだけど」

  どうやら日本という国は、食材に臭いがあることをよしとしないらしかった。ラトキアのものとそっくり同じに見える食材も、食べてみればどれも甘くて柔らかい。子供でも食べやすい反面、栄養が糖質に偏るような気がした。
  まあ、どうでもいい。どうせラトキア騎士団は、この星に半年も居ないのだ。栄養よりも美味さ、食べやすさがありがたい。

 「なあバンドラゴラ。俺、金玉重いんだけどーっ!」
 「うるせえええええっ!」

  とうとうバンドラゴラは怒鳴りあげた。ドンと拳を打ち付けたテーブルがたわみ、ガシャガチャンと食器が合奏する。
  突然キレた騎士に、キレさせたティオドールはびくりと身を震わせた。まったく見に覚えがないといいたげに、怒鳴り声にキョトンとする。

 「な、なんだおまえ、急にでっかい声だして」

 「急なのも声がでかいのもおまえの方だろうがっ! メシの真っ最中に突然なんつー話を始めるんだこのやろう! 謝れ、食材として命を落としたかわいそうな野菜さんやお肉さんに頭をつけて謝れっ!」

 「ごめんなさい。……まあそれはそうとして金玉」

 「まだ言うかあああああっ!」

  叫ぶバンドラゴラ。と、そのそばに、エプロン姿の女性がそそそと歩み寄ってきた。にっこり笑顔のままで、

 「お客様。当店は『さわやか』なファミリーレストラン、現在『さわやか』なランチタイムでございます。お子さま連れの方も多くいらっしゃいますので、お食事中の会話は、『さわやか』な話題と声量でお願いしまぁす」

  明るくさわやかに叱られて、

 「ごめんなさい」
 「ごめんなさい」

  ハンバーグセットに額をつける勢いで、バンドラゴラとティオドールは、ともに深々と謝罪した。

 とりあえず、咳払い。居住まいを正して着席し、バンドラゴラはピアスをはずした。日本語への言語変換装置の端末である。テオにも倣わせてから、ラトキアの言葉でささやく。

 「……あのな。お前……なんつうか。そういうの、父親から教わらなかったのか」
 「親父はずっと前に死んでる。何の話?」
 「だったら、もうちょっと年の近い友達」
 「こないだシェノクに聞いたら髪の毛逆立ててめちゃくちゃ怒られた」
 「……あー」
 「一応、任務中の不調は報告しなきゃと思ったんだけどな。なんか俺、そんな悪いことしたか? あとはもう相談できるのバンドラゴラしかいないしよぉ」

  バンドラゴラはため息をついた。

 「おれはお前のお兄ちゃんか。……あのな。それはお前が、大人の男に近づいたってこと」
 「……? なんだそれ」

  バンドラゴラは答えずに、食事を再開した。牛肉百パーセントのハンバーグはまだ十分以上に温かく、肉汁が鉄板で音を立てている。フォークだけで楽に切れる。開くと、中は鮮やかなピンク色だった。

 (……日本食の特徴、その二。なんかやたらと生で食べたがる……)

  そしてそのための、品種改良、衛生処理、調理方法研究の熱意が異常だ。
  正直これは、バンドラゴラには理解しがたかった。危険を冒してまで挑むほど旨いとは思わない。それでも、安全性の信頼はできるものだし、異文化交流はおもしろいものだ。

 (腹をこわせば、命がけの前線からうまいこと離脱できるし)

  と、どうしようもなく狡こすい算段も含めつつ口に入れた。

 「うん、うまい。……ちょっと濃いめかつシンプルな味付け、なにを使ってどうやって作ってるかわかる料理は食べやすいなあ」

  バンドラゴラは賞賛したが、少年はもうそれどころじゃないらしい。フォークで手前の肉をつつきながら、唇をとがらせ、うめく。

 「……結婚すれば、そうなるってのは知ってる。結婚するまではならないもんなんだと思ってたんだ。ずっと」
 「ふむ?」
 「……夫婦が子供を作るのに必要なことだからって。母ちゃんはそう言ってたし、教科書にも書いてあった。そういうもんなんだなと思ってたよ」

  怒っているような、笑っているような、泣き出しそうな仏頂面。複雑な少年の顔に、バンドラゴラは笑い出しそうになった。

 「そりゃお前、ほんとに教科書知識だわ。真実は順序が逆だ。生殖行為、つまりはソイツとエロいことがしたいから結婚する。まあ別に結婚しなくても行為自体はできるけど、いっときの快楽じゃなく本気でこの人と生殖したいって思えば、未婚でも妊娠はするしさせられるようになるさ」

  あえて淡々と言って、ハンバーグを口に入れる。

 「――別にそれは、悪いことでもなく普通のことだって」
 「……でも……アレイニは付き合ってないし、友達ですらない。むしろ嫌われてるかと」
 「向こうからの気持ちは関係ないよ。いや、嫌われてるとかでもないと俺は思うけど」

 「こっちだってぜんぜん好きじゃえよっ」

  気色ばむ少年。

 「あいつほんと性格悪いし、ワガママだし態度悪いしどんくさいし。俺のことコドモ扱いして育ちが悪いだの単細胞だのバカにするくせに、自分だってたいがい要領悪いし!」
 「でも美人だしあのおっぱいは魅力的で、あわよくば一発やりたいと」
 「その通りだっ!」

  テオは速やかに同意した。素直すぎる叫びに、バンドラゴラは腹を抱えて笑う。

 「うはは。まあそれはな、うん。ラトキア国民、男子全員がそう思う。あれと一日中ふたりきり、同室で寝起きしろなんて酷だと思うわ。よく押し倒さずに我慢してるって」
 「……バ、バンドラゴラも、アレイニを……?」

  恐る恐る、といったテオの質問。『も』と来たか、とひそかに笑いを噛み殺して、

 「いやいや、おれはトロワがいるから。もう他に目移りはしませんよ。貴族の女は好みじゃないしな。ただそういう、人間的な好き嫌いとか実際に狙ってるとかとは別として、セックスアピールにグッときちゃうのはただの本能だから」

 「本能ねえ」

 「――テオ、これは、女にだってあることだぞ。雌雄同体でまんなかフラフラしてる性ならなおさらだ。優れた雄に抱かれたい、本能が理性を上回れば雌になる。それを忘れるなよ」

 「……は?」

  せっかくのバンドラゴラの金言は、十七の少年には沁みないようだった。まあ脳裏のどこかにへばりつけばいいかと思い、バンドラゴラは食事を終えた。
  水を含み、フウと嘆息。
  首を傾げながら、食欲の進まないランチと格闘しているティオドール。細い目でそれを眺めながら、

 (……たぶん、もう押し倒してしまってもイケるとおもうけどな)

  そう、彼は思っていた。アレイニが聞いたら激怒するだろうが。
  遊び慣れた男として、女を見る目はあるつもりだ。

  アレイニのことを軽い女とは思わない。男を自ら誘うことはないだろう。だが男の方から全力で押し、土下座で懇願すれば許してしまう女である。
  アレは、救世主症候群メサイアコンプレックスだ。一見高飛車に見えて、実はひどく自信がない。他人に求められることで自我を保ち、同時に全身全霊の奉仕をもらえなければ満たされない、心の弱い人間だ。優しい人にすぐに惚れ、冷たくされれば相手を批判する。アレイニと会話をする中で、いまコレを言えば落ちるだろう口説き文句はいくらでも思いついた。

 (……まあ、ああいう手合いは、別れ際がめんどくさいんでオススメはしないけど)

  うつむいてしまったティオドール――さすがにこの少年に、そこまで見る目はないだろう。
  攻略の難しい高嶺の花、そんな少年の幻想をわざわざ壊す気はない。そこで、バンドラゴラはふと思い立った。少年の前でフォークを振りながら、

 「絶対大丈夫な女の子、紹介しようか?」

 「……へっ?」

 「あとくされなく遊んでくれる子。無類の騎士好きとかけっこういるぜ。さすがにアレイニほどの美人じゃないけど……なんなら、この地球でも。ほらそこのテーブル」

  ヒョイと、フォークを斜め前へ向ける。二つ先のテーブルで、二十歳前後だろう、女性二人客と目があった。二人ともちょうどこちらを見ていたらしい。バンドラゴラが手を振ると、くすくす笑いながら食事へ戻る。ピアスを外しているのでわからないが、自分たちが会話のタネにされているのは見て取れた。

  さっきから感じていた、甘い視線の主達だった。

 「……あ、あんなの、俺たちの髪や服装が目立ってるだけだろ」
 「それもキッカケじゃん? じゃあちょっと捜査任務も兼ねて引っかけてくるか」
 「えっ、ちょ――おい、おっさん!」

  テオが止める間もなく、バンドラゴラはピアスを刺しながら立ち上がった。つかつかと彼女らの席に寄り、

 「こんにちは。ちょっといいかな。目が合った縁で頼みがあるんだけど」

  キャッキャと笑い出す少女たち。バンドラゴラは捜査の形式を先に取った。

 「このへんで最近、派手な髪色の集団をみなかった? 金髪、茶髪じゃなく、俺たちみたいな緑とか青とか、あっちのあいつみたいに真っ赤とか、どうやって染めたらそうなるんだってくらい鮮やかな色付きの。心あたりがあったら教えてほしいんだ」
 「えー……どうかなぁ、赤っぽい茶髪くらいならけっこういるけどォ」
 「あ、あれは? 駅前の歩道橋んとこ、ビラ配りのバイト。男で短い髪なんだけど妙にきれいなピンク色の髪で」
 「おっ、それは有力情報。詳しく場所お願い」
 「なになに、人探し? バンドグループ? 思想家? おにーさん達日本人じゃなくない。なんかアヤシイのー」
 「そうそう、アヤシイ集団。そいつらみんな捕まえなきゃいけないから是非ご協力を。隣に座ってもいいかい」
 「おにーさんがアヤシイんじゃん!」

  キャハハと笑い声があがる。

  ちらりと元の席へ目をやると、テオがもくもくとハンバーグを食べ進めていた。こちらへくるよう合図しても通らない。仕方なく、とりあえずこちらの二人に集中する。談笑を交えてやりとりすること十五分、バンドラゴラは帰還した。

 「ただいまー。このあと現場に案内してくれるって」
 「……ああ、おう……」
 「――で、手前の席、髪が短いほうはお前と同じ年、三日前フリーになったばかりで、レンタルしたホラー映画を一緒にみてくれるひと募集中だって。今日このまま行ってくるか? 夜のミーティングまでならシェノクを丸め込んでおくよ」
 「え。――はっ!?」

  軽い口調でいうバンドラゴラに、テオは悲鳴じみた声を上げた。反射的に目を剥くのを、指先で誘導。少年の視点の席に、ボブショートヘアの少女が手をふって笑っている。

  なかなかの美少女だった。色気のある垂れ目にふっくらした唇の艶が、ボーイッシュなパンツスタイルゆえになおさら魅惑的である。
  テオは赤面した。

 「や、な……いや、いいよ。……ホラー苦手だし」
 「アホか、まじで観に行ってどうするんだよ。あっちだってどうせ元彼と一回観て返し忘れてただけだろ」
 「…………いや…………ほんとにいいや……そういうの。俺……」

  もそもそと口の中で拒否して、彼はやがて赤面を納めていく。金色の目に真剣みが宿り、彼は眉を寄せて、低い声でこう行った。

 「……女の子の体は、大事なもんだと思うから」

  しばしの間。
  ――ぶはっ。
  きっかり三秒後、吹き出したバンドラゴラの顔面にむけテオは唾を飛ばして怒鳴る。

 「笑うなあっ! なんだよっ! 別に間違ったこと言ってねえだろうがっ!!」
 「いやいやいやいやいや、うはは、いやいやうん、あははははは。あーっははは、いやうん」
 「別にお前に理解しろとかそうであるべきとか言わねえよ俺がそう思ってるだけだ勝手にさせろばーかばーか何だよもう笑うなっつってんだろクッソが!」
 「うはははは。わかったわかったうん悪かったよ、で、なに、ゲフン。じゃあなんでアレイニはいいんだよ、別にあれだろあいつと結婚するつもりじゃないんだろ」
 「あっ、アレイニは――だから」

  立ち上がって気色ばんでいたのを納め、テオはまた赤面した。着席して、視線を逸らす。

 「……だから……もったいない、じゃないか。……あいつはもう男になるっていうから。……もったいないって」

  フムと大きくうなずく。それには、バンドラゴラも同意である。どうせ捨ててしまうものなら、少年にちょいと楽しませてやってからでもいいじゃないかと――
 そう相槌を打とうとした耳に、テオのつぶやきが届いた。

 「……仕事とか、そんな理由でなくしてしまうのはもったいねえよ。あんなに綺麗なのに。笑えば可愛いのに。俺はきっと、この先あんないい女を抱ける機会なんかない、から」

 「……そうかな? お前はもう貴族になったんだぜ。上流階級のサロンにだって出入りできるんだから――」

  テオは首を振った。

 「アレイニより美人が、ラトキアにいるかよ」

 「……。――ふぅぅーん」

 「……なんだよ」

  唇をとがらせるティオドール。バンドラゴラはにやにや笑いを隠しもせずに、上機嫌で、軍服の懐から木箱を取り出した。
  蔓草模様の彫られた、手のひら大のシガレットケースである。彼はそこから一本、手巻き煙草を取り出した。それをくわえると、残りを箱ごとテオに渡す。

 「ん、なんだ?」
 「やるよ。イマドキはこういうのやらないかい? 成人のお祝い。上物だぜ。香りを喫のむだけで常用性はないから」

  テオはとりあえず受け取り、首を傾げて匂いをかいだ。動物じみた愛嬌に苦笑しつつ、オイルライターを取り出す――と、テオが指先を突きつけてきた。視線を、レストランの壁へと誘導する。

 「あれ、日本語で『キンエン』。煙草を吸うなって意味な」
 「……あっそ」
 「それと日本じゃ十八歳っていう年齢制限もある、酒も二十歳になってからだ」
 「しまらねえなあ」

  バンドラゴラは煙草を置いて、手を挙げて店員を呼びつけた。

 「すいませーん、飲み物ください。ジュースをジョッキでふたつ」

  ハアイと気持ちのいい返事を聞き、もう一度テオに向き直る。いつも笑顔みたいな造形に、妙に迫力のある真実の笑みを張り付けて。

 「――じゃ、ノンアルコールで乾杯にするか。日本じゃグラスをぶつけるんだっけ? 力加減がわからんから掲げるだけでいいか」

 「……なんだかわからんが、飲み物ぶんはバンドラゴラのおごりだな」

 「それでいいよ」

  バンドラゴラは鷹揚にうなずいた。
  少年の門出である。二十近く年上の先輩としては盛大に祝ってやらねばなるまい。

 (本気の恋をするってのは、少年が男になるのに絶対必要なことだぜ)

  ふたりのテーブルに飲み物が届いた。
  バンドラゴラとテオ、両者はグラスを持ち上げて、ただ静かに目を伏せた。
  ラトキアの乾杯だった。
  この場の美味い酒に、友人の幸福に感謝をする、優しく静粛なその儀式に――

「かんぱーい!!」
 「かんぱああああああああい!!!!」

 「な、なにっ!?」

  なぜか絶叫した店員に店内全員の大合唱。二人のラトキア人はビクリと跳ね上がり、あふれたジュースで顔面を激しく濡らしたのだった。




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