ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

倒れたティオドール

 ……今になって、思えば。

  ティオドールの言動は、やっぱり彼らしくなかったと、アレイニは思う。
  動物的カンで、リタ少年に疑いを持った。そこまではいい。だがそれを否定する先輩騎士たちの弁は筋が通っていた。まして、最終的に将軍が是ぜと言ったのだ。

  テオは若いが軍人だ。上官の判断は信用する。なによりいつまでもゴネていても全体の士気を下げるだけだと知っているはずだった。

  それなのに、彼はいつまでも納得せず、不機嫌面を晒していた。その様子に気が付いたクーガやオストワルドが話を聞こうとしても、別にと嘯うそぶきフラリといなくなる。


 「……もう知りませんよ。何を一人でスネてるんだか」

  サロンに戻り、スープをすする。スパイスの効いたコンソメスープが、秋の夜に冷えた体を温める。我ながら美味しく出来たことに満足しながらも、アレイニは声高に文句を垂れ流していた。

 「騎士団に入って、もう一年以上。最近やっと騎士らしくなってきたと思ったのに、急にまた子供みたいになっちゃって!」
 「ティオドールは、己の意見が通らぬからと腐るような男ではない。なにか考えるところがあるのだろう」

  同じくカップを傾けて、ヴァルクスが擁護した。
  二メートル近い背丈に、アレイニの倍はあろうかという分厚い肩。騎士団随一の巨漢はその外見とはうらはらに、人心の機微を解する男だった。

 「きっと奴なりに、騎士団のことを思っているのだ」
 「それにしても、態度が悪いと思うんです。ミーティングまでサボったりして!」

  それにはヴァルクスも同意らしい。黙り込んだのを見て取り、アレイニはさらに語気を荒げた。

 「もう明日なんですよ? みんなが団結するべきじゃないですか。一枚岩でなきゃ、キリコに付け入られます。テオのせいで作戦が失敗するかもしれないのに!」

 「……む……」

 「明日の作戦、テオを外したほうがいいんじゃないでしょうか。もしくは一人で突撃。それで罠を調べてこればいいんですよ。もしサクッと返り討ちにあったって、それはそれで相手の油断を誘えたりして――」

  調子よく喋っていたのが、ふと、ヴァルクスの表情に気づき口を閉ざす。アレイニは慌てて手を振った。

 「やだ、違います、冗談ですよ」

 「……冗談?」

 「そうですそうです。さすがの私も、テオが死んでもいいなんて思ってませんからね」

  弁解しても、ヴァルクスの表情は晴れなかった。むしろ目つきを鋭くし、そして、低い声で言った。

 「本心でないならば、なおさら口にするな。それがお前の遺言になるかもしれないし、死者が最期に聞く言葉になるかもしれないのだ」

 「……え……と……そんな、大げさなことじゃなくて」

 「そう、大げさではない。我ら軍人は常にそれを頭に置いて発言しなくてはならない。明日死んでも後悔のないようにな―」

  誉あるラトキア騎士である以前に、傭兵として戦場を生き抜いてきた男の言葉だ。アレイニは黙るしかなかった。
  それでも、実感として、理解するには至らない。それが顔に出ていたのだろう。アレイニにはまだわからぬだろうがと、ヴァルクスは語気をゆるめる。

 「……それこそ、ティオドールはよくわかっているはずなのだがな。ケンカをした翌日に友を失くしたことも何度もあるだろうに。……やはり、子供か」

 「……いつものテオは……子供らしい、すごく素直なひとです。……今日のテオは……テオらしくないです」

 「なんでも口にしてしまうのも幼稚だが、言うべきことが言えないのも未熟な証だ」

  アレイニは目を伏せた。
  その言葉はひどく深いところまで、アレイニを納得させるものだった。実感ができる。

  なるほど、自分は誰よりも幼稚で、未熟だった。


  スープを入れた携帯用の保温ポット――それと、外套を羽織って、アレイニは宇宙船の外に出た。
  すぐそこにテオがいる。船体にもたれかかり、座りこんで夜の森を見張っていた。

  彼の眼前に、アレイニはポットを差し出した。フイと横を向く彼の頬へ、殴るように押し付ける。
  仏頂面で睨んでくるのを、アレイニは眉を上げて封じた。

 「美味しく出来ました。飲みなさい」
 「……なんだよ……」

  しぶしぶ、といった様子で受け取るテオ。さらに強く睨まれて、彼は仕方なく、ポットの口を開き中身を吸った。
  金色の目元に、ふと穏やかな朱がさす。

 「うまい」

  と、声にして、すぐにまた横を向いた。
  なんでも口にしてしまうのも幼稚の証、とヴァルクスの言葉を思い出し、アレイニは吹き出した。笑われてさらに不機嫌になる、赤く染まった耳が可愛かった。

  ティオドールの横に腰を下ろす。
  身体のどこも触れていないはずだが、彼の体温がかすかに伝わる。アレイニとテオ、並んで座る二人の隙間は、ぼんやりと温かかった。

  何も言わず、星を見上げるアレイニ。
  テオも何も言わずに、時々スープを含んでいた。


 (……いよいよ、明日は決戦……)

  目を伏せて、アレイニは胸中で呟く。
  昼寝をしておいたテオと違い、アレイニはちゃんと睡眠をとらなくてはいけない。

  最も脅威である、元騎士という白鷺ディフティグは、クーガ騎士団長が対決する予定だ。しかしその分、アジト内部の探索、キリコの逮捕はアレイニ含め全員の仕事になる。
  もちろん、キリコとディフティグ以外にも潜んでいるテロリストはいるだろう。防弾・防刃機能のある軍服やヘルメットを装備するにせよ、危険な潜入には違いない。

  アレイニは自身の手を見下ろした。
  大きくはない、力強くもない。だが、男の手だ。
  戦士としては頼りないかもしれないが、剣を持ち、人を殴ることのできる拳だった。

 (ミルドの仇を討つ)
 (キリコ博士との因縁を絶ち、そして自立する……)

  そうすれば、きっと自分は、男になることができる。
  明日はアレイニにとって、ただのイチ任務の遂行日などではない。人生の岐路だ。正念場である。

 (そして騎士になって、働いて、給料をもらって生きていく)

  そうなれば――二度と、『光の塔』へ戻る必要はないはずだった。

  眠らなくてはいけない。体を休めなくてはいけない。

 (明日はがんばるぞ……)

  と――そんなことを、考えながら。アレイニはいつのまにか、居眠りをしていたらしい。夢の中で「眠らなくては」と考えていたのだから傑作だ。
  丸めた膝に額をつけた姿勢のままで、ふと目を覚ました。
  そしテオの声により起こされたのだと理解する。

  テオが喋っていた。

 「――まあ、一人なら男のほうが生きやすいんだろうけど。でもあんたくらいの器量があれば……いや――つまり、捕まえる男しだいってことで」

 (……何の話?)

  どうやら居眠りの間に話が始まっていたらしい。
  アレイニは顔を伏せたまま、話の冒頭を推察しようと試みた。
  それが追いつくよりも早く、テオは勝手にしゃべり続けている。

 「うちの父ちゃんは悪い男じゃなかったけどよ、赤い髪の差別もあって、稼げるほど上等の兵士じゃなかった」

  家族の話、だろうか。

 「だから、俺はこのニホンに来てみたかった。騎士を目指したのも、ひとつソレがあったんだぜ」

  日本の話か?

 「ニホンとの交流は、この先十年で加速する。俺はその、親善大使になりたいんだ。外交に食い込んで、現実リアルの政治や経済、文化をラトキアに持って帰る。……マンガの世界が、なにもかもそのままだとは期待してねえけどさ」

  政治の話?

 「でも、色んな作者がみんなして書いてることはかなり真実に近いと思うんだ。義務教育とか、少年兵はいないとか、母親が幸せそうだとか――」

  へへへ、と笑うティオドール。その笑い声は明るい。
  イタズラ小僧と同じ笑い声――いや、もしかするとそもそも、彼に二面性などないのかもしれない。十二のころから何も変わらない、優しい、ただただ優しいだけの少年。

 「うちの母ちゃんはさ、すげえんだ」

  そうだ、あの時も、『母ちゃん』のことを言っていた。

 「父ちゃんが死んで、自分がめちゃくちゃ働いて、俺たちをみんな学校へやってくれた」

  アレイニはつい無意識に、眉をしかめた。学のない寡婦が働ける場所などごく限られている。相槌すら飲み込んだアレイニに、察したか、テオは続けた。

 「鉄クズから精製をやってたんだよ。昔はそういうとこで働いてたらしくて。古い道具を貰い受けて、下町からスラムのゴミ捨て場近くに引っ越してから、毎日毎日真っ黒になって働いてた。既婚女に仕事がないっていうけどよ、男でもやりたがらないキツい仕事場にこそ、いっぱいいるんだぜ」

  それは、本当に知らない情報だった。最近、知らなかったことを知る機会が多い。高級学生であったときや、研究生だったときよりも。
  赤い髪の民、その暮らしのことなど、アレイニは全く知らなかった。
  いや、嘘の情報ならば十分以上に聞かされて育った。赤い髪の民――下賤な種。
  まともに働きもせず、国からの失業手当による保護と、強盗や汚らわしい行為で日銭を得る、浅はかな人間たち。誰もが生まれつき愚かで、しかもなんの努力もしないのだと。

 「……俺が騎士になれたのも母ちゃんのおかげだ。俺ァ母ちゃんに恩返しがしたかったんだ。山ほど稼いで、デカい屋敷に住まわせて、きれいな格好させてさぁ。
  うちの母ちゃんは美人だろうって、誰よりも母ちゃん自身に見せてやりたかったんだよ」

  欠片の照れもない、テオの言葉。
  テオの母の功績は、なによりこの長男の人柄だと、アレイニは思った。素直でまっすぐで、だがしなやかに強いこの性格を、スラムで育て上げるのは並大抵のことじゃない。

  どんな女性なのだろうか。

 「……だけど、給料はちっとも受け取ってもらえなかった。管理を兼ねて屋敷には住んでもらったけど、いまだに働きにいってるんだ。『テオの金はテオの家族に使え』って――俺の家族は母ちゃんたちじゃねえかって言ったら叱られた。わたしの家族はわたしのものだ。お前の家族は、これから作る女房子供だって。お前が勝手に家長面するなナマイキ坊主っ、てよぉ」

  気丈な女性だ。しかし優しい母でもあるのだろう。
  愚痴まじりのテオの口調は明るく、母への敬愛で満ちている。
  ティオドールの優しさと強さは、きっと彼女から継いでいるのだ。

 (お会いしてみたいな……)

 「――だから――俺は、俺の仕事をするから。あんたは何も心配しなくていいんだ」

 「……ん?」

  唐突な話題の飛び方に、アレイニは声を上げて顔を上げた。そこで初めて、テオもこちらを見たらしい。布地の跡がついた額に吹き出す。

 「おいおい、寝てたのか? ふざけんなよ、いつから聞いてねえんだ」

 「い、いや、起きてましたよ。ちゃんと聞いてましたっ」

  慌てて弁解すると、彼は眉を垂らし、なんとも複雑な顔をする。頬を掻きながら視線を背けて、

 「――じゃあ、そういうことだから。眠いんならもう寝ろよ。夜の番に二人も三人も要らねえぞ」

  ぶっきらぼうだが、ぬくもりのある声音。いつものテオの声だった。アレイニは安心し、立ち上がった。

 「じゃあ、お言葉に甘えて休みます。おやすみなさい」
 「おい、どこ行くんだ」
 「うん?」

  中腰の状態で硬直する。会話がいまいちかみ合っていない。もちろん基地の寝所へいくつもりだったが、テオに袖を引かれて膝を付く。
  再び腰かけたアレイニに、テオは自分の毛布を被せた。
  ここで寝ろということらしい。

  もしかして、自分が居眠りしている間にそういう話になっていたのだろうか。

  正直に聞き逃していたことを白状し、内容を確認するべきだろうか――

 上目使いにテオを見る。
  テオはアレイニが差し入れたスープを、また一口すすった。ポットの口から湯気が漏れ、テオの唇に赤みが差す。温もりと旨味に、テオは無意識に目を細めていた。

 (……まあ、いいか)

  アレイニは目を閉じた。

  もう寝てしまおうと思ったのに、今度は不思議と、寝付けない。
  どうにも寝心地が悪くて、アレイニは何度となく、毛布の中でうごめいた。船体にもたれかかっていた体が傾ぎ、隣のテオへ倒れ込む。とたんにトロリと眠気が襲う。

  久しく忘れていた感覚。人間の体温は気持ちいいのだ。

  テオは身じろぎひとつしなかった。どんどん脱力していくアレイニに対し、胡坐をかいた姿勢のまま、ずっと前を向いていた。

 「……寝たか。寝たよな」

  ――という、声は、たっぷり小一時間ほど経ってから。アレイニはまた、その声によって起こされた。すぐ耳元にあるテオの口があるのだから当然ではある。
  どだい、この男の声はよく通る。テオはそれを自覚していなかった。先ほど同じようにアレイニが起きたことを、テオは知らないまま。

 「――おい。好きだぞ」

  すさまじく大事なことを、闇に向かって言い捨てたのだった。



  あの夜のことを思い出し――
 ――今になって思う。

  あの時――やはり、居眠りをしていたことを自白するべきだったと。

  そうすればきっと、彼は告白などしなかった。
  己の本音を口にする、それを達成できないまま、翌朝を迎えていたはずだ。

  ――そうして、未練が残っていたら、彼の行動は変わっていたかもしれない。
  彼の未来は、違っていたかもしれない。

  アレイニは思う。

  真っ白な病室で、物言わぬ蝋人形のようになった少年の手を握り、涙をこぼす。
  テオの手は青く、冷たかった。
  命があるということが信じられないほどに、少年は四肢を投げ出して、ベッドの上で眠り続けていた。


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