ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

キリコとの再会

 アレイニが姿を見せたとき、キリコはほんの一瞬、眉を上げた。視線がアレイニの全身を映し、すぐにその作業を中断させる。「どこかでみた気がするけど、まあどうでもいいか」――そんな彼の心の動きを見て取って、アレイニは苦笑いした。

 「……相変わらずですね。キリコ博士」

  そう言われても、彼は記憶をたどろうとはしなかった。

  およそ五年ぶりの、上司との再会である。

  キリコは女性の姿をしていた。アレイニがもっともなじんだのは男性のキリコだったので、少し違和感を覚える。
  だがそれはお互い様だ。アレイニもまた雄体時にキリコと会ったことは無かった気がする。彼が自分を思い出せなくても仕方がない。

 「……知り合いだったかしら。それを理由に私の尋問係を申し出たのなら残念。私からしゃべるようなことはなにもないわよ?」

  女の顔に、妖艶な笑みを浮かべてみせる。こちらが雄体と見て取ってからかいに来ている。察して、アレイニは一笑した。

 「私では不足ですか。『クゥ』のモノマネでもして見せましょうか。それで口の滑りがよくなるというのなら」

  強い言葉は、これまでの尋問で培われてきた技術スキルである。だが少なからず感情のこもった台詞に、キリコは表情を変えた。
  女の顔が、なぶるような研究者のものに置き換わる。

 「……そうか。貴様、五年前の……光の塔の女だな。騎士になったのか。ふうん」

 「思い出していただけて幸いです。……ところで、その髪は?」

  言われて、キリコは肩をしゃくった。両手を縛られていなければ優雅にかき揚げて見せたのだろう、白い髪を目で指す。

 「染料を試してみたらこうなった。この地球では、染髪はファッションとしてとても一般的でね」

 「な――バカなことを! 髪を染めようだなんて。そんなことをしたら、肌がただれてしまいますよ!」

  アレイニは声を上げた。
  染髪料というものが、宇宙にあることはすでに知られている。だがラトキア人が使うのは絶対のタブーである。肌質があわず、一度でも使えば頭皮が焼けて崩壊する。禿げるだけで済めばいいが、下手をすれば命を失う自虐行為だ。

 「常識ですよ! なんのためにそんな危ないことを……!!」

  ふるえるアレイニ。対して、キリコはフムと鼻を鳴らした。

 「常識ね。……それっておかしいと思わないか? ラトキア人は、オーリオウルや地球人と劇的に遺伝子が違うわけでもない、肌質も大差ない。なんで彼らが平気で私たちは死ぬんだ」

 「……? だってそれは……染料は、その毒素が……」

 「そうだな。ラトキアじゃまさに劇薬扱いで絶対手に入らないから、私もそれで納得していた。だがこの星に来て、現物を解析してみるとどうもおかしい。『かぶれる』以上の害があると思えないんだよ。それで、自分自身で試してみたらこの結果。……ちょっと加減がわからなくて、思ってたより色素が抜けてしまったが、体の方は無事だ。色もまあ、この上にまた色を入れればいいだろう」

 「……む……無茶を、する。もしも本当に……死んだらどうするつもりだったのですか。怪物のような姿になったら……髪色を変えて、地球に馴染むどころじゃなくなるのに……」

  キリコは高らかに笑った。

 「正直あまり考えてなかったな! 亡命生活のためじゃなく、ただ面白そうだとやっただけだもの。尊い血の証である青い髪、汚らわしい匪賊の証である赤い髪。それが、染料で簡単に交換できるとしたら、痛快じゃないか」

 「……本当に、相変わらずなんですね、あなたは」

  アレイニは首を振った。全く、本当に変わっていない。わけが分からない、何の役にも立たない科学に身を捧げるキリコは、根っからの研究者なのだ。

  だが、今度は彼は笑わなかった。水色の目が冷たく輝く。凍り付く寸前の湖水のような瞳――アレイニは、ぞくりと身を震わせた。

 「……貴様には、わからないのか。このコトの重大さが。 
  ――そもそも、だ。なぜ、ラトキア人の髪は青く、赤い? 神話によるとラトキア原種の民はみな黒髪黒目。まれに色素異常で生まれても、髪は白色に近くなるはずなんだ。種の進化として矛盾している。現に歴史上、青や赤の髪色は存在しない。ラトキア人の髪に色が付いたのは、ごくごく近年のこと。突然、全ラトキア人が突然変異のように色を変えた――ちょうど、惑星ラトキアが侵略されて、王都という牢獄に飼われ始めた頃に。――この、意味がわかるか? 興味をそそらないのかね?」

 「……興味ありません。……考えたこともないし、どうだっていいでしょう」

 「貴様も変わらないな、肉辞典。まったく、つまらん」

  キリコは大きく息を吐いた。後ろ手に縛られ、椅子に拘束されても、科学者キリコはやはり尊大だった。天井を仰いで息をつく。
  薄く紅を引いた唇を尖らせて、

 「――はあ。私の人生もこれで終わりか。どうせ終身刑で強制労働だろ? まったくつまらない日常だ。どうせなら新薬の実験台にでもしておくれ。ほら、あれ、お前がやっていた例の避妊薬、あれの被験体になってやってもいい。脳味噌のカケラも使わない単純労働で余生を送るくらいなら、山猿に輪姦されはらんでみるのも一興だな。子を産み育ててみるのも面白そうだし。その相手がクゥなら最高、生んだ子がクゥに似てくれたらもっと最高」

  本当に相変わらずですね――と、アレイニが言うよりも少し早く。

 「相変わらずだな。キリコ」

  凛とした強い女の声。アレイニは慌てて敬礼をし、身を端へ置く。キリコは顔を上げ、そしてニヤリと凄絶な笑みを浮かべた。

 「……オストワルドか。老けたな」

 「お互い様ね」

  星間無線投影機――通称「鯨君オットー」の中で、オストワルド将軍は、挑戦的にアゴをしゃくった。

 「……お互いイイ年よ。あなたにもいろいろあったでしょうけど、わたしだって、いろんなことがあった。……それが、顔に出てくる。もうそんな年だわ」

  アレイニは無言のまま、ほんの少し、首を傾げた。

  星帝皇后にして、ラトキア軍の長であるオストワルド女史。彼女と、一般騎士であるアレイニが顔を合わせた機会は数えるほどしかない。平常、騎士団に出入りなどしないし、やりとりは騎士団長クーガ、もしくは補佐役のシェノクとだけ行うのだ。
  それでも何度かの機会で、彼女のひととなりは知っている。凛々しく気丈で、クーガとはまた違うカリスマ性を持つ女傑だった。

  だが――

 キリコも訝しげに眉を寄せる。

 「……どうした。先ほど、そこの元助手にも言ったが、知り合いだからって私の態度は何も変わらないよ。というか尋問自体が無意味だ。亡命者らはヒムが管理をしていた。私から得られるものは何もないぞ」

 「キリコ。お前に頼みたいことがあるんだ」

  オストワルドは言った。
  その面差しは、いつもの気高い女将軍の凛々しさをたたえていた。

「頼み事は二つある。……交換条件だ」

  オストワルドは指を立て、そう言った。
  胸を張り、あくまでも主導権は軍にあることを示しつつ傲然と言葉を重ねていく。

 「一つは、解毒の方法。騎士のひとりと、リタ君がいまだ目覚めない。毒を抜く手段があるならば教えてほしい。その有効性が確認されたら、お前は刑務所で、強制労働の義務を免れる」

 「ふむ? それはビミョーな報酬だなあ。単純労働でも、なんにもしないよりは退屈しのぎになるからねえ」

  キリコはさほど取り合わない。それはそうだろう、とアレイニも思った。だがすぐに、オストワルドは二本目の指を立てた。

 「もう一つ。報酬はお前が求めてやまないもののはず。――刑務所に、お前が求めるだけの、化学実験の施設を用意してやる。頼み事は――そこで、お前に作ってほしい物があるんだ……」

  キリコは疑問符を浮かべた。聞きただそうと口を開いて、しかしすぐに諒解したらしい。クックッとのどをふるわせ、やがて声を上げて笑い出した。

 「――はっはははは! なんだ、そうか。くふふ。いや不思議に思っていたんだ。ああ、なぜお前が――星帝の代行と軍の統治、妻として母としての仕事に追われ過労死寸前のお前が、亡命者の捜索などという、身入りのない任務に顔を出しているのかと。ああ、なんだ、そういうことか――それがお前の目的だったんだな、オストワルド! 初めから!!」

  オストワルドは返事をしなかった。その沈黙が彼女の返事だった。犯罪者にあざ笑われて、ラトキアの女傑はただ頭を垂れる。
  頭を下げて、願った。

 「――悪い話じゃないはずだ。予算は、星帝の私財を投じて確保して……被験体も……刑務所ならば、死刑囚と、その遺体が手に入る……」

 「これは面白い。傑作だよオストワルド!」

  キリコは足を踏みならした。笑いながら叫ぶ。嘲笑は怒号に似ていた。身をすくませる二人の軍人に、科学者は遠慮のない侮辱を吐き捨てた。

 「お前ら女はいつもそれだ。真理解明の研究を何の役に立つのかと小馬鹿にし、マウスが可哀想だと批判して――それで、いざ自身のこととなれば縋ってくる。愛のためならなにを犠牲にしてもいいと、よくも臆面もなく言うものだ! ――傑作だねオストワルド。僕は言ったはずだぞ!」

  オストワルドは唇を噛み、ただ震えている。キリコの怒号は止まらない。アレイニも止めることはできない。

 「星帝の病は子供に遺伝する。お前は幸せになれないと、僕は言ったぞ!」

 「あの時とは違うわ!」

  オストワルドが反論する。

 「そんなの二十年も前のことでしょう? ラトキアの科学は進歩した。他民族と交易して、オーリオウルや地球との外交もして、性別や身分の垣根を越えて、軍に優秀な人材が集まった。今はもう、あの時には無かったものがあるのよ! あたし頑張ったもん――!!」

  金切り声が耳をつく。ぎょっとしたのは、アレイニだけではなかった。キリコもまた目をチカチカさせている。

 「でかい声を……出すなというのに……」

  眉間を押さえて、彼は呻いた。

  絶叫した星帝皇后、ほんの一瞬、その姿が、十代の少女のように見えた。
  だが、それはやはり一瞬の錯覚だった。

  くしゃくしゃになった少女の顔は、すぐにまた、女将軍の凛々しさを取り戻す。

  うねる豪奢な黒髪に、縁取られた端正な面差し。天空色の瞳を濡らした美女。
  惑星ラトキアでもっとも強い女の顔で。

 「……でも……それでも、だめだった。たすけて……ハルフィン、アルタカ……愛してるの。おねがいキリコ……」

  オストワルドは、消え入るような声でそう言った。


  キリコが、幼なじみの少女に答えを出す前に、アレイニはその場を追い出された。
  ラトキア星の進退に関わることだ、一般騎士が立ち入ることではない。アレイニも素直に身を引いた。

  正直、あまり興味もなかった。

  アレイニが気にかかるのは、星帝とその子供のことなどではない。それよりも解毒の手段のほうを聞き出したかったのだ。

 (……血清まで作ってやるだけやって、あとは目覚めるのを待つだけと諦めてたけど……)

  サロンへ入り、湯を沸かす。鍋一つ使えるだけの簡易キッチンである。たいした料理ができるわけじゃないが、野菜くずを使ったスープなら十分だ。

  ざくざく、ニンジンを刻みながら嘆息する。

  オストワルドの話が終わったら、これを持って、再度キリコを訪ねよう。
  あの様子では、第一の交渉は忘れられていそうだった。病院のベッドで眠るティオドールは、自分が救ってやらねばなるまい。
  故郷の味で、あのキリコの機嫌がよくなるとは思えないが、あるだけあって邪魔にはならないだろう。

 (……いや、あの人なら、また難癖つけて不味いとか好みじゃないとかツマラン味つけだ、そのせいでしゃべる気なくしたなんて言ってきそうだ)
 (………………やまほどコショウを入れてやろうかしら……)

  と――
 胸元で、突然ブルブルと激しい振動。アレイニはお玉を取り落としそうになった。薄布越しに、アレイニ用の『オットー』が揺れている。慌てて取り出すと、明るい水色の通信機から、バンドラゴラの声がした。

 「アレイニ、すぐにおいで。ティオドールが目を覚ましたよ!」



  アレイニが病室に飛び込んだとき、そこにはもう、騎士団が勢ぞろいしていた。

  扉を開けてくれたバンドラゴラ、すぐそばにヴァルクス、シェノク、クーガ。ついでにオーリオウルの医者と看護師。個室でもそれだけ集まれば満員だ。その全員を押し退け、かき分けて、突進していった。
  窓際のベッド――そこに、赤い髪の少年が身を起こし、座っている。
  アレイニは飛びついた。

 「お、おおっ?」

  青年の体重を受けて、テオがのけぞる。構わず、アレイニは思い切り抱きしめた。
  ぎゅうと瞑つむった目に涙が浮かぶ。腕の中にある、筋ばった堅い体。鼻孔をくすぐる体臭、人並みより高い体温、緊張にこわばるその所作も、すべてが、ティオドールの生還を物語る。
  それをたっぷり体感し、堪能し、実感してから、アレイニは身を離す。そしてひっぱたいてやった。

 「テオ! ばか! どうして目を覚ましたんだ!」

 「ええっ!?」

  目をシロクロさせるテオ、その頬を摘んでつねりあげる。

 「ふぉっ、は、はれいひ、はにふんら――」

 「よりによってどうしてこのタイミング!? 私ずっと待ってたのに、毎日お見舞いに来てたのに、たまたまほんの数時間基地に戻っただけなのにどうして今日この時に限って目を覚ますんですかこのバカ空気読みなさいよバカテオ――!」

  絶叫は病室にこだまして、その場にいたものが耳をふさいだ。テオだけは目を丸くして、したたり落ちる滴を見ている。

 「いつも、あなたは、肝心なときにっ――」

  言葉が嗚咽に飲み込まれる。しゃくりあげるしかできないアレイニを、テオは穏やかに抱き留めた。

 「……また泣かせちまったな。すまん」

 「う――う……!」

 「俺はもう大丈夫だ。心配かけた。もうぜんぶ終わったから」

 「ううっ――っ……」

 「もう大丈夫だから。泣くなよ」

  テオの手が、優しくアレイニの背中を暖める。

 「泣くなよ……」

  テオの寝間着で涙を拭って、アレイニは何度もうなずいた。それでもなかなか涙は止まらない。
  そうして、シェノクに引きはがされるまで、アレイニはテオを抱きしめていた。

  いい加減にしろ、とだけたしなめられて、アレイニはとりあえず身を離す。それでも感情は舞い上がったまま、テオの言葉以外が耳に入らず、テオ以外が目に入らない。

  騎士達が複雑な表情でいるのも気がつかなかったし、クーガが姿を消していることも知らなかった。

  ただテオが回復したことが嬉しくて。
  テオだけのことで、頭と胸がいっぱいだった。

  その隣の部屋で眠る、少年のことなど気にかかりもしなかった。




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