ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

バンドラゴラとトロワ②

「……あれの、どこが可愛いのか俺にはわかんね。顔以外」
  率直なテオの言葉に、バンドラゴラは苦笑する。

 「顔を含め、どこもかしこも可愛いけど……しいて言うなら、その可愛げのない所だよ。ほかの女みたいに、ちょいと優しくしただけでコロッといかない。そこにグッと来たのが、夢中になる前の始まりだ」
 「……ほお」
  どうやらタラシ云々は、まったく偽りでもないらしい。テオが半眼になったのを見て、バンドラゴラは笑った。

 「それなりに狙いをつけつつ数うちゃ当たる。一発一中狙っていちいち自信喪失しないこと。百人に声かけて三人落とせばモテる男、そういうことだとおれは思うよ」
 「……うん?」
 「ティオドール、ナンパにいくなら騎士団軍服着て行けよ。王都で一日がんばればボウズってことはないから。場所はバスターミナルがおすすめかな。とりあえず同じ年くらいの、高いところに視線キョロキョロしてる子に近づいて――」
 「ちょっと待て、誰が手当たり次第にナンパする手管を聞いたんだっ」
  見当違いの口上を、それはそれで胸に留めつつ、テオはバンドラゴラを制した。

 「なに?」
 「俺は別に、モテたいわけじゃねえって言っただろ。ただその、なんというか、高嶺の花? じゃなくて――その」
  ああ、と、バンドラゴラはすぐに諒解したようだった。

 「もしかして、アレイニ? へえ。相性悪そうだと思ったけど、結局落ちたんだ。まあ仕方ないか。ティオドール、十六だっけ。うん、仕方ないねえ」
 「……なんだよ……」

  テオは途中で口ごもった。

  押しかけ、恋人の語らいの邪魔をしてまで居座ったものの、実は聞きたいことが定まっていない。何が聞きたいのかすらもわからないのだ。黙ってしまった少年に、はるか年上の男はため息をつく。

 「……悪いけど、ぜったい本命が落とせる方法なんてものがあるんなら、おれがとっくにやってるよ。まさに今、絶賛苦戦中なんだから」
 「あんた、トロワ教官には本気なんだ」
  テオの率直な問いに、バンドラゴラは今度こそ声を立てて大笑いした。

 「ああ、大本命。けど、残念ながら、今度ばかりはおれの片想いらしいや」
  やけくそ気味に声を上げ、芝生に寝転がる。
  テオは眉をひそめた。

 「片想い……ってんじゃなさそうだったけどな……」
 「そりゃーそうでしょ。でなけりゃあんな傷だらけになって、メシを作ってくれるかよ」

  目を閉じ、空に向かってぼやく騎士。

 「トロワは、幼馴染でね。雄体優位だった昔を知ってるから、ちょっとお互い、やりにくいとこもあるんだ」
 「幼馴染?」
  テオは聞き返した。トロワの髪色――愛らしい桃色の髪は、テオと同じ、スラム階級の血筋の証だ。バンドラゴラは深緑。アアと頷くバンドラドラ。

 「彼女の母親が、うちの使用人だった。うちは貴族じゃなく商家でさ。子連れで、住込みで働いてた」

  彼の言葉に、かすかに苦いものが混じったのを感じ取り、テオは察した。

  子持ちの寡婦――女の仕事は、正規ではほとんどない。特別優秀ならば働き口もあるだろうが、赤髪となれば門前払いが関の山。事実、トロワの親世代なら、下町の女の識字率はかなり低いのだ。テオの母親だって字は書けなかった。

 (……商家の大将か。忙しいし、娼婦を買いにスラムへ通うのは人目に付くよな) 

  察して黙るテオに、バンドラゴラも詳細は言わない。

 「あれも昔は、よく笑う、やんちゃなクソガキでさ。チャンバラごっこしたり、勉強を教えたり。けっこう仲良くやってたんだぜ。
  でもおれは十八で貴族の家に奉公に出て……二年後、騎士に合格して帰省した。そのとき、トロワたちはもういなかった」
 「……辞めたのか?」
 「トロワの母親が逃げた。それで親父は……残された子供を、奴隷商人に売ったんだ」

  さすがのテオをも押し黙る。バンドラゴラの表情は変わらない。笑顔にしか見えない真顔のまま、彼は飄々と手を振って、

 「おっと、誤解するなよ。うちの親父は悪人ってわけじゃない。子供に借金押し付けて消えたトロワの両親が悪いのさ。親父だって、女房子供と従業員食わせていかなきゃだもん。縁もゆかりもないガキに割くムダ金も義務もないね」
 「……そりゃあ、でも、よぉ」
 「しょせんこの世は弱肉強食。仕方ない話だよ。
  ……それで、二年がかりで鍛え上げた息子の剛腕に、ぶん殴られるのも仕方ない。そしてその息子が勘当されてしまうのも、ま、仕方のないことだねえ」

  テオは思わず、破顔した。笑い声がこぼれる。
  笑いごとじゃないよ、と、自分も笑顔でバンドラゴラ。

 「あーあ、おれはただ、商売継ぐのに貴族のハクつけるための騎士団入りだったのにさぁ。いまじゃ帰るところもない根無し草。己の食い扶持のため、戦場にまで出るハメになって、踏んだり蹴ったりだよ」

  言葉とは裏腹に、バンドラゴラの声音に後悔はない。軽薄にみえて、けっこうアツイ男らしい。テオは急速に、この男のことが気に入った。
  身を乗り出して、話をせびる。

 「それで、トロワ教官は?」
 「探し出せるわけないだろ。仮に見つけたとしても、買い戻す金もないよ」

  バンドラゴラは顔をそむけた。

  奴隷斡旋商人――その用途は多岐にわたる。それにより金額は大きく変わるが、騎士の給料で手が出ないとなれば、ただの傭兵でないのは察しがついた。
  ラトキア人が、もっとも高く売れるのは年若い雌雄同体。異星人に玩具として買われていくことだ。

 「……トロワが、どうやってラトキアの兵士になったのかは知らない。言いもしないし聞きたくもないね」
  軽い口調でそう言って、バンドラゴラは身を起こす。

 「人間このトシまで生きてりゃさ、過去なんてあって当たり前。それがあってこその今のそいつ。おれにもあいつにも過去がある。具体的になにがあったなんて聞いてどうすんのさ。目の前にいるトロワ自身にしか、おれは興味が無いんだよ」

  お子様には分からないだろう、と言外に嘲笑を含み、バンドラゴラは軽薄に笑った。
  そして、軍服のポケットからなにかを取り出す。
  細く小さな棒――美しい、深紅の筒である。バンドラゴラはヒョイとそれを投げて、

 「おれにとって、目下の大問題はそれの行く先だよ。早くおれのポケットから引っ越しさせたいぜ」
  テオはまじまじと筒を見た。よく見れば、フタになっている。

 「……ん? なんだこれ。中になにか入ってる?」
 「ばーか、『婚儀の紅べに』だよ」
  どうやら冗談と取ったらしい、一笑に伏すバンドラゴラ。

 「婚儀の……紅?」
 「もちろん、さっきまではキレイな白箱に入ってたよ。ハダカなのは一度開けて、そして返されたせい」

  バンドラゴラは盛大に溜息をついた。

 「はあ。何がタラシだ、ナンパの極意だ。そんなもんこっちが聞きたいよ。なんでダメなんだろう。おれのこと好きでもないのに、嫉妬で殴ってくるわけないのになあ」
 「……好きだったら殴るって理屈もわかんねえけど」

  呟きながら、テオは手元のフタ部分を引いてみた。インクに濡れた筆先が現われる。筆ペンだ。ためしに手の甲に走らせてみると、鮮やかな紅の色がつく。

 「なにこれ。文具? 化粧品か?」
 「こら、使うなよ! なんだお前、本当に『婚儀の紅』を知らないのか?」
 「知らねえ」
  慌てて奪取するバンドラゴラに、即答するテオ。これだから若いもんは、と、緑の髪の騎士は嘆いた。

 「結婚披露宴で、新婦が目じりに引いてるアレだよ」

  ああ、とテオは手を打った。

  婚儀で、夫が妻となる女の目に紅を引く。
  ラトキアが支配されるよりも昔、有史以前からの伝統だ。

  たしかに、社会の授業で聞いた覚えがあった。しかし化粧筆そのものは初見である。
  ふうん、とテオ。

 「ああいうのは、式場でチョイと借りて塗ってるんだと思ってた。わざわざ買うんだな。高そう」
 「高いよ。月給飛ぶよ。ラクガキするなよ」
 「でも、なんでフラれたのに買ったんだ?」
 「プロポーズするのに要るんだよっ!」

  バンドラゴラは叫んだ。大切そうに筆を抱き、

 「アホみたいに高価だからこそ、それだけ本気でお前を迎えるつもりなんだっていう意思表示。経済力の証明ってのもあるんだろうけど、とにかく、ラトキアの男はこれを手渡すことでプロポーズするのがスタンダードだ。なんで知らないんだ? 王都の化粧品屋や婚礼衣装店には絶対に飾ってあるってのに」
 「俺がそんな店いくわけねーじゃん」
 「そりゃそうだけどっ! でも中央大通りを歩いてれば――」

 「歩けねえよ。トロア教官も、そうなんじゃないのか?」
 「……え?」
  バンドラゴラの動きが止まった。

  テオは確かめるようにして、筆を回して造作を見る。やはり、初めて見る物体だった。少なくとも彼の実家にはなかったし、母が紅を引いていた覚えもない。

 「王都中央は、この赤い髪めがけて泥団子が飛んでくる。軍服着てればそうでもないけど、気持ちよくショッピングはできねえな。まして、教官は『女』だ。一昔前はヒト狩りが頻出したっていうし、特別な用でもなきゃ一人でぶらつく気にはなれねえだろ。スラム育ちは教養がないって言うけどさあ、ご近所一帯誰も持ってない高級品なんて知る機会もねーもん、いきなり黙って出されてもわっかんね」

  テオは笑って、ポイと筆を投げよこした。

 「これ渡した時、結婚してくれって言葉もつけたのか?」
 「……いや……。受け取ってくれないか、ってだけ。……普通は、それで伝わる」
 「教官の返事は」
 「……『ボクには似合わないと思う。汗だくになる仕事で、化粧をする機会もないし』って……」
 「それ、そのまんまの意味じゃねえ? 俺も、トロワ教官に化粧紅が似合うとは思わねえもん」

  バンドラゴラは呆然と、手の上の筆を見下ろし、瞬きを繰り返していた。

  だって、そんなまさか、と口の中で呟き続ける彼の肩を、テオは掴んでひっくり返した。無理やりむかせた方向に――木の幹に体を隠し、たたずむトロワの姿があった。

 「ト、トロワ……」
 「……バン」
  恐る恐る、歩み寄るバンドラゴラ。彼よりも少しだけ早く、トロワも近づいてきた。

 「……トロワ……もしかして、ずっと?」
  頷く彼女。

  ちいさな口に手を当て、ぼそぼそと、

 「……ごめん……ボク、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど。立ち去ったあと、物陰に入ってすぐ匍匐して死角から回り込み木に登って潜伏してた」
 「さすが教官」

  テオは冷や汗を垂らしたが、バンドラゴラは全く違う反応をしていた。赤面し、ぎくしゃくした動きで、トロワと向き合う。

  手を伸ばせば触れられる距離で停止して――恋人たちは、そのまま、無言でいた。そこそこ長い時間観察して、テオがパチンと手を叩く。

 「おーい、昼休み終わっちまうぞ。明日に持ち越す気か」

  それで目が覚めたらしい、バンドラゴラが背筋を伸ばす。トロワの手を取り、すっかり体温をうつした化粧筆を置いて、

 「今度は、受け取ってくれるかい」

  トロワの表情は三変した。驚き、喜び、そして悲しみに。いつも眠そうな顔をくしゃくしゃにして、トロワはいきなり泣き出したのだ。

 「バン。だめ、ボクは……」
  バンドラゴラは、辛抱強く、彼女の言葉を待っていた。だがしゃくりあげるばかりで続きが出ない。さすがに焦れたらしい、彼は身をかがめると、自ら化粧筆を持ち、彼女の瞼に引こうとした。
  その手を遮るトロワ。

 「だめ……ボクは……バンの子供が生めない」
  バンドラゴラはひるまなかった。
  トロワの手を掴み、無理矢理開かせる。剥き出しになった瞼から雫を拭い、右の目尻に、細く紅をさした。

  さすが、騎士の月給等価の高級品だ。トロワがいくら泣いても、その紅色はにじまなかった。
  瞼を縁どる紅化粧――送り主の、妻となった証を、トロワは拭わない。
  ただ泣きながら、目を閉じて、もう片方の目への紅を受け入れる。

  きれいだ、と、テオは思った。

  テオの位置からは、男の背中が壁になり、トロワの顔すべてが見えるわけではない。それでも、紅と涙のしずくの狭間にある、山吹色の瞳をとてもきれいだと思った。

  その顔も、バンドラゴラの胸に沈められる。雄弁な騎士は、自身の正念場に多くを語らなかった。
ただ短く、誰にでもわかる言葉を使って、思いを伝える。

 「トロワ、愛してる。結婚しよう」

  身動きできないほど抱きしめられて、トロワはまた声を上げて泣いた。しゃくりあげ、震える唇で、彼女が何と言ったのかテオには聞き取れない。

  ただバンドラゴラがいっそう強く彼女を抱き、身をかがませて、口づけしたのが全ての顛末、である。
  バンドラゴラの背中を掴む、華奢な手。サンドイッチを食べながら、テオはなんとなく、それを見ていた。

  昼休み終了を告げるベルの音。バンドラゴラはともかく、トロワ兵士長は戻らないとマズイですよという声の代わりに、かける言葉を模索する。

 「……ええと……なんだっけ。もげろ? リアル……爆弾? じゃなくてええと……」

  しばらく悩んでから、テオはぽんと手を打って、

 「そうだ、あれだ。『リア充炸裂しろ』」

  そうして、彼はその場を後にした。


  なおその夜、テオは一応の約束通りバンドラゴラの部屋を訪ねたが、全力で居留守をつかわれたことは記すまでもない。


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