ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

告白とおっぱい

 ごとん。と、堅い床に額を打ち付けて、

 「どうも、ありがとうございました」
  そう全力の謝礼を述べたのは、テオよりも一回り年上の先輩騎士、バンドラゴラである。

  テオは差し出された高級酒を受け取り、若干身を引きつつも、

 「お、おう。うまくいったようで、何より」
 「……まだ夢の中にいるみたいだ」

  実際、夢遊病のようにユラユラ揺れながら、昨日、妻帯者となった――正確には婚約を済ませたばかりの男は、ホウと息をつく。気を抜くと頬が緩むらしい、己の顔面を時折叩きながら、再度居住まいを正し、また一礼した。

 「アプローチすること三年、意を決して渡した婚儀の紅を突き返されて、さすがのおれも諦めてたからさ。あいつも、騎士団に美女が入ったなんて聞いてようやく焦りが出たとかで。うん、とにかく、色々とお前がキッカケ作ってくれたんだ。ほんとありがとう」
 「ふうん? まあ、よくわかんねえけど、せっかくだからもらっとく」
  と、酒瓶をベッドの下に転がした。

  もちろん、これから飲み会というわけにはいかない。今日は普通に、騎士の就業日である。
  朝食後から朝礼までのごく短時間のインターバル。わざわざ新人騎士の部屋まで訪ねてくるとは、義理堅いのか、それともよほど舞い上がっているのか。おそらく後者だろうと見当はつけつつも、嫉妬心などはわいてこない。テオは素直に祝福をした。

  薄っぺらいカーペットの床に胡坐をかき、バンドラドラは真顔で言う。

 「真面目な話、おれ、『赤い髪』の境遇ってよくわかってないんだ。……もし、おれがそのへん無神経なことやって、トロワを傷つけるようなことになったら……」
 「ああ、そういうのはあるかもな」
 「もちろん、なるべく気はつけるけどさ。その……これから雑談がてら、そっちの文化とか、色々聞かせてほしい」
  テオは笑ってうなずいた。そのくらい、頼まれるまでもない。

  しかし面白い展開になったものだ。昨日はテオがこの男に相談を持ちかけたはずなのに、こちらが指南役になるとは。
  それを言ったテオに、バンドラゴラは手を叩いた。

 「そうだ、それそれ。アレイニとの恋愛成就な。おれはこれから全面協力する!」
 「おおっ?」
 「まかせろ。女が喜ぶプレゼントやおすすめデートスポットのストックは、軍の前科者DNAリストより充実してるぜ」
 「お、おおう」

 「たとえばひとつ――こんなのどうだ? 自然と密着できるスポットで、王都工具店街に、天然石を使ってスタンドランプを作ろうって店があるんだ。ペアでランプ一つだから、二時間近距離で頬を寄せ合うことになる。最初は童心にかえって夢中で楽しめて、完成するとなかなかロマンチックだ」

 「うん? ……ん、んん」

 「んで、そうなるとそのランプの試運転がしたくなるだろ? じつはその店のそばに『エリソー』ってワインガーデンがあって、夜のテラス席は持ち込みのランプが使える、こうして誘えば断るやつはまあいない。聞いた話、アレイニはハーブと生野菜の料理が好きなんだって。珍しいよな。先に店に連絡しとけば、オードブルはそれで揃えてくれるよ。おれ一度食べたことあるけど、ハーブ蒸し鶏とやらかい葉っぱのやつはまあ食える。生野菜と柑橘皮の混ぜご飯ってやつはやめとけ、あれは男には理解できない食い物だ」

 「は……うん。ええと」

 「くれぐれもゆっくり食えよ。自分のペースで平らげるんじゃないぞ。会話をつないで八時までもたせろ、そうすると花火つきゼリーのサービスがある。このゼリーが、口当たりはいいがシレッと度数の強いリキュールが入ってて、重いランプを持って帰るにはちょっと億劫だなってくらいに酔いがくる。んで、その店、入り口はフラットだが出口は階段上らなきゃバスターミナルに行けないようになっていて――」

 「ええと……」

 「しかしテラスからそのまま直通、ホテルへのシャトルバスがなんと十分置きに。会計のときにそのホテルのパンフレットも一緒に渡される。ランプは寮のほうへ郵送できるから、あとは肩を抱いてそのままっ」

 「ちょっと一回黙れオッサン!」
  とうとうと喋りつづけるバンドラゴラを、テオは頭突きでもって黙らせた。

  額を抑えて呻く騎士に、少年は自分も額を抑えつつ、

 「長々と十二時間ぶんのコースを設定してくれてありがとうよ。しかし自分で言うのもなんだが十年早い!」
 「そうか? そんな大金かからないよ。年だって、騎士らしく振舞えば大丈夫」
 「年齢うんぬんよりキャラが違うわ!」
 「……まあ、それはたしかに」

  叫ぶテオに、存外すぐ納得するバンドラゴラ。相談の前に、まずはそのへんのギャップを埋めなくてはならない。テオは手足をジタバタさせた。

 「その、ランプだのなんだの、休日に誘い出せるほどの段階じゃねえんだよ。……共同食堂の朝食ですら勝手に出て行っちまうのに……」
 「はあ? なに、そんな仲なのか!?」
  バンドラゴラは大声を上げた。

 「もう何日も相部屋で一緒に暮らしてるのに。それ、『まだ仲良くない』じゃなく、きっぱり、『すでに仲が悪い』んじゃないのか」
 「……わかんね。喧嘩した覚えはねえけど」
  テオは眉を寄せ、虚空を見上げた。

  まだ仲良くない、ではなく、仲が悪い――客観的に、バンドラゴラの言うとおりだろう。

  当初、アレイニがツンケンしているのは地なのだと思っていた。しかし自分以外のほとんどと、彼女は普通に会話をしている。先ほどの朝食時もそうだ。ドリンクサーバー前を通るたび、アレイニと、このバンドラゴラ達との談笑が聞こえた。

  テオとだけ話してくれない。
  ふと、テオは気が付く。
  なんとなく、流されるままに『恋愛相談』などしているテオ――だが、自分でずっと違和感があった。
  あのアレイニに、恋をしている、付き合いたいという感覚がピンと来ていなかった。改めて、自分の気持ちと向き合って、思いついたことを口にする。

 「俺、やっぱあいつと付き合いたいとかじゃねえわ」

  テオの言葉に、バンドラゴラが顔を上げる。口に出してみるとやはり、それが真実なのだと自覚できた。改めて頷いて、

 「うん、やっぱそうだ。ただ、いまのカンジは気分悪いや。マトモに話できるくらいに仲良くなれりゃいいんだよ」
 「それは……そこから先は全然いらない?」
  テオは、首をかしげながらうなずいた。相反する感情がそこにあった。

  異性として、意識をしてしまっているのは事実だろう。それこそ、大人たちの言葉を借りて言えば『仕方ない』。あわよくば――触ってみたい。その願望は、確かにある。
  テオにだって、女性への審美眼くらいはあるのだ。アレイニは美人で、魅惑的である。
  しかし。

 「……だってあいつ、性格悪いだろ」
 「あ、そこちゃんと気が付いてるんだ」
  バンドラゴラはケラケラ笑った。

  彼もまた、当然それを知っていたのだろう。アレイニは悪人ではない、だがお世辞にも、気持ちのいい性格とは言えなかった。
 「まあ、普通の『オンナ』だと思うけどね。いるいる、ってかんじ。年上のおれからしたら可愛いわがままの範囲」
  軽い口調でそう言う、だが言外に、テオの相手としてはよろしくないことを含ませていた。

  バンドラゴラは、真実、親身になってくれているらしい。頬杖をついて考え込む。

 「仲良く……か。それって案外、一晩なだれこむより難しいのかもな」
 「俺、他人と仲良くなろうって努力したことないからなあ。気が付くとつるんでるような」

  ひどく雑なことを言うテオに、年長者はいよいよ頭を抱える。

 「まあ、それがお前のイイトコだと思うし、おれは結構好きだけど――」
  と、言いかけて、ふと口を噤む。突然黙り込んだバンドラゴラに、テオは首をかしげて覗き込んだ。

 「バンドラゴラ?」
 「……おれとはキャラが違う……ティオドールのイイトコ、か。そうだよな……」

  ぶつぶつつぶやきながら、しばらく思案。
  やがて彼は顔を上げた。

 「うん。そうだよ。ただ仲良くなりたいだけなら、それをそのまま言えばいい。タラシ仕込みの気の利いたデートコースより、お前の思ったこと、望んでること、そのまま口にして見ろよ。……案外、そのほうが、人の心を動かすかもよ」

  そう言って彼はにっこりと――妙に迫力のある笑みを浮かべて見せた。

 アレイニの後姿はすぐわかる。

  腰まである、誰よりも鮮やかな青い髪。そのすぐ下に魅惑のヒップライン。軍服の長ズボンの裾をすこしだけ余らせて、小さな歩幅でトコトコ歩いている。

 「んしょ……」

  時折、そんな独り言。

  テオは大股でずんずん進んだ。あっという間に追いついて、アレイニの肩にポンと触れ、
 「アレイニ。お疲れ」
  かけた声は、そんなシンプルなものだった。

  無言のまま振り向くアレイニ。一瞥だけくれて、また前へと歩き出す。

  その手に抱えた分厚いファイルを、テオは無言で奪い取った。すかさず取り返されるのを、反射神経を駆使してまた奪う。
  テオは眉を吊り上げた。

 「持ってやるってんだから素直に渡せよ! 重さに負けてヨタヨタふらふらしてるくせに」
 「極秘資料です。騎士でも、部外者は触れないでください」

  冷酷な声とともに、また取り返された。
  相変わらずふらつきながら、それでも心なしか、先ほどまでより姿勢がいい。

 (コイツほんとに可愛げねえなあ)

  あきれ果て、テオは黙って後ろに続いた。地下資料室に行くのなら、手前は急な階段である。それを無事降り切ったらもう知ったことじゃないが、足を滑らせたとき、襟首掴んでやらねば大けがになりかねない。
  そんなテオのおせっかいに気づいているのかどうか、アレイニはただひたすら、無言ですすむ。 

  ――会話が、始まらない。
  曲がり角ごとに口をひらき、何も話せず噤むテオ。

  一応、バンドラゴラからは、会話の糸口をいくつか提案してもらっている。袖に隠したアンチョコをチラ見して、テオはなるべく軽く、言ってみた。

 「おい。――今日の服、可愛いな」
  無視はされなかった。
 「あなたと同じ、騎士団の軍服です」
  ただしロクな返事ではなかったが。

  いやこれは自分がアドリブつけなかったのが悪かったと反省し、再びアンチョコをカンニング。
  ほかの言葉とつなげて、なんとか展開させてみる。

 「いや、似合ってるっていう意味だよ。もう二か月着てるんだもんな。だいぶ馴染んだみたいじゃないか」
 「なじむ……どうでしょうかね。親しいひとはバンドラゴラくらいしかいませんし」
  と、目の前にいる同室の男に言ってのける肝である。

  テオはふと思いつき、手を叩いた。
 「そういえば、もう聞いたか? あいつ結婚するんだと」
 「え! 本当?」
  初めてアレイニの声が弾んだ。

  青い髪がふわりと宙を掻き、全身で振り返る。
  思いのほか距離が近い。たじろぐテオに、彼女から身を乗り出した。

 「聞いてないわ。なんだ水臭い、ナイショにするなんて」
 「あ、ああ、婚約したのが昨日のことだから……」
 「まあ、それで今朝はなんだかぼんやりしていたのね。わあーおめでたいこと。どんな奥さんだろう。あ、もしかして本人から聞くまで、知らないフリしたほうがいいのかしら。いや、サプライズでお祝い買っちゃおう。からかい倒す大チャンスね。あの人いつも飄々としてて、私のドジをからかうんだから。とびっきり良い物を贈りつけて、あの細い目を白黒させてやるわ」

  はしゃぎ、ころころと笑うアレイニ。

  その様子に、テオはなんとなく驚いていた。友人の祝い事を、素直に喜ぶ姿がひどく意外だったのだ。

  好意的な人間に対してならば、彼女は自分のことのように喜び、祝う。ちゃんと他人の幸福を喜ぶことができるのだと、テオは何となく感慨深く思った。

 (……笑えば、可愛いじゃねえか)

  喉仏のあたりに、奇妙な感覚。何かジワリと暖かな緊張が湧き出すのを撫で下ろして、声を絞る。

 「そうだな、じゃあ、俺もなんか見繕ってみるか」
 「あなたには無理でしょ」
  アレイニはキッパリ言い切った。
  悪意はないらしい、当たり前の表情で続ける。

 「ただのプレゼントならともかく、婚約祝いとなるといろいろ制約がありますからね」
 「制約?」
 「法律ってわけじゃないけど……新居で当人が用意するもの、婚約儀式関連で使用するものを私が送るのは失礼だし、金額にも相場というものがあるわ。縁起の悪い物もダメ。すぐ割れるものはいけないけど、処分に困るものも迷惑になるかも」
 「お……おお?」
 「基本はバンドラゴラ個人に宛てるとして、でも奥様の気を悪くさせないようにしなくちゃ。季節が関わるものなら二つ先に使うよう合わせて。でないとすぐに別れる、って縁起が悪いですからね。……今時期なら、秋冬の……シラガヤナギを模したクリスタルトーチなんか良いかも」
 「白髪……とーち……?」
 「下手に大きなモールをうろつくより、決定して発注しちゃったほうがいいかしら。いろいろ見ちゃうと、いろいろ考えすぎてしまいますよね」

  なにがなんだかさっぱりわからない。

  スラム育ちのテオにとって見たことも聞いたこともない単語の羅列だ。何の話だか半分もわからない。黙り込む少年に、アレイニはふと、微笑んだ。
  十歳年上の、教養の高い大人の女性。
  テオのプライドを傷つけないように、だろうか。声を潜め、やわらかく囁く。

 「……連名で、いっしょに贈りますか、テオ」
  一緒に。

  その言葉にまた、喉が疼く。言葉が出ず、コクコクうなずくティオドール。
  彼女はフフッ、と声を上げて。

 「じゃあ、候補を絞れたらお知らせしますね。バンドラゴラには内緒ですよ」
  それでもう、会話が終わる。再び背を向け歩き出すアレイニ。

  もうなにも話すことが無い。細い廊下で、隣に並ぶこともできない。資料室まであともう少しだった。細く急な階段の手前で、アレイニがふと、足を止める。数秒の逡巡――後ろのテオに、助けを頼むか迷っている、そう、テオは思った。

  瞬間、手が出た。
  伸ばした手で、アレイニの腕を捕まえる。
  彼女は別に、階段を踏み外してなどいなかった。それでも捕まえる。

  振り返った目が、何のつもりだと抗議に歪む。
  テオは叫んだ。

 「な――仲良くなりたい!」

 「……は?」
  目を丸くするアレイニ。

  ああ違う、間違えたと、テオは頭を抱えたくなった。だがほかに言葉が見つからない。自分の腹にあるものを、彼はそのまま伝えるほか術がなかった。

 「仲良くなりたい、お前と――いや、その……友達になりたい、わけでもなくて……」
 「……あ……あの、意味が……」
 「意味なんかそのまんまだ。思ってたことそのまま言ってる。ダメだ俺、バンドラゴラみたいに上手いこと言えねえし、見本のメモは忘れた。だからそのまんまだ」

  赤面し、まくし立てている間になぜだか落ち着いてきた。そうだ、自分は言葉を飾ることが出来ない。嘘も下手だしお世辞なんて言ったこともない。
  だが、自分の気持ちは邪悪でない自信があった。ならばそのまま言えばいいはずだ。そう確信めいたものがある。

  アレイニは硬直していた。突然、男の握力で腕を掴まれ、すぐ後ろには急な階段。重たい資料を腹に抱き、目を白黒させている。

 「わ、私と、仲良く……? えっと……」

  美しい相好が崩れ、彼女は視線をあちこちに這わせていた。テオの目だけは頑なに視界から外して、たじろぐ。

 「ええと……」

  肩を寄せ、猫背気味に俯くアレイニ――ぐるぐる回転していた彼女の視線は、己の胸元へ落ちる。水平に抱えていた資料の表紙を見つめて、紅潮した頬を隠そうと、彼女は髪を頬へと寄せた。
  突然、テオも彼女の顔を見ていられなくなった。慌てて視線を逸らし、首を垂れる。

  見下ろした視界に、巨大な物体があった。
  騎士の軍服のラインを突き抜けて、まるく膨れた二つのものが、資料の表紙にドンと鎮座している。

  ティオドールは言った。
  脳裏に浮かんだものをそのままに。

 「おっぱい」

  打撃は、きっかり三秒後にやってきた。アレイニは、やっとこさ抱えていたはずの資料を頭上高く持ち上げて、そのまま垂直に打ち下ろした。ごすっ、と脳髄を揺らす鈍器の感覚。
  テオはそのまま、うつ伏せに倒れ込んだ。急速にブラックアウトしていく視界に、アレイニが踵を鳴らして階段を下りていくのが映る。

  テオは安心して、そのまま意識を失った。


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