ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

テオ、頑張る

「おい、こぼれてるぞ」
  と、小突いてきたのは、まだ若く青い髪の騎士だった。テオがあわてて口を閉じる。

そして顎から軍服の襟まで、コーンスープで汚れているのにやっと気が付いた。慌てて裾で拭うのを、周囲から一斉に笑われる。

 「なにボーっとしてんだよ新人。朝飯ならまだしも、もう昼だぜ。呆けすぎだ」
 「あ、ああ……」

  頷き、首を振って、テオは食事を再開する。

  いつもの食堂、食べ慣れた騎士用の昼食である。いつもならものの五分で平らげるものを、その数倍かけてまだスープすら飲み干せない。

(おかしいな。なんか……食が進まねえや)

 食べるときは食べる、寝るときは寝る、戦うべき時は戦う――少年兵時代、耳鳴りがするほど聞いた戦士の鉄則であった。特にテオにとっては、食事カロリーはなにより重要だった。もちろん肥満もよくないが、引き締まりすぎた体もまた、戦士としてよろしくない。
 極端に低い体脂肪率――それは、エネルギーの備蓄が無いということである。まだ成長期にあり、異様に代謝のいいテオは、体温維持のためネズミのごとく常に食べ続けなくてはならなかった。

  本当は、いまよりもっと、脂肪をつけなくてはいけない。

  水で流し込み、どうにか平らげる。逆流しそうになり、テオは上を向いて目を閉じた。

 食べなくてはならない。肥らないといけない――理想は、やはり騎士団長クーガである。テオは頭に、あの美丈夫の全身を思い描いた。

クーガとテオの背丈はほぼ同じ、体重も似たようなものだろう。年もそれほど離れているわけでない。しかしあの鍛え方、肉付きは完璧だった。
 一見細長く、贅肉の一つもないクーガの身体。だが、彼のシルエットはどこをとっても丸みがある。テオのように骨ばって見えない。
 柔軟性のある筋肉と適度な脂肪が、絶妙なバランスで混在しているからだろう。

(……どうすりゃあんな綺麗な脂肪と筋肉が付くんだ? もっと食えばいいのか、もっと筋トレし続ければいいのか、それとも実践を積めばいいのか……)

 天を見上げたまま、テオは考える。

(それとも、団長は雌体だから――)

 その思考が脳裏をよぎった。瞬間、脳裡にあった美青年は、ぽんと音をたて、女の裸体に入れ替わる。

  男性の時と、どこがどう変化したとは言えない。しかし確かに、愁いを帯びた女の面差し。
ギリギリで視認できたほどのわずかに膨らんだ、真っ白のキャンバス。それよりほんのわずかだけ色づいた、淡い肌色の先端――

「うわあっ!」

  テオは叫び、あおむけにひっくり返った。椅子からはでに転がり落ちて、同僚たちが驚きざわめく。

 「なにやってんだお前」
 「い、いや、なんでもっ」
  慌てて起き上がり、椅子に座りなおす。そして顔を上げた、そこに女の裸があった。

  今度こそ純然たる、女である。艶めき、光を放つ柔肌に、テーブルに載るほどたわわに実った豊かな乳房。クーガのものなど比べ物にならない。
  視線を奪われた瞬間、『彼女』はサッと胸元を隠した。たおやかに恥じらう、青い瞳の絶世の美女――アレイニ。

 「アレイニっ?」

 瞬間、アレイニの姿は透けて消え、からっぽの椅子だけが視界にうつる。ただの幻、白昼夢。名残惜しく、テオはそのまま呆然とたたずんでいた。

あーあ、と、隣で男のつぶやき。

 「ダメだこりゃ。魂抜かれてる」
 「なんだよ恋わずらいか。若いねえ。このくそ忙しいときに余裕があることで」
 「恋?」

  テオは疑問符を浮かべた。テオよりもずいぶん年上だろう、先輩騎士たちはニヤニヤ笑っていた。

 「まあでも仕方ないな。アレイニ……って、あれだろ。今朝檀上にあがってた、臨時の」
 「あれだけ上玉はちょっといないよね。いや、顔も別嬪だが、なんていっても……ねえ?」
 「なあ」

  目配せだけで会話が成立する。テオもそれで察し、眉尻をあげた。

 「お、俺は別に、あいつのおっぱいに釣られたわけじゃねえぞっ!」
 「ああそう?」
 「ていうか恋ってなんだ、そんなんじゃねえし。ただなんか、放っておけないだけなんだ。会うたび泣いてやがるから。同期で同室の仲間だからっ」
 「はいはい」
 「ただそれだけで――そりゃこないだはちょっとおかしくなりかけたけど試しに抱いてみたらやっぱり男だったし!」
 「え、なんだもうやったのかよ。いーなーオレもお願いしてみようかなー」
 「やってないっ! ギュって抱っこしただけだっ!」
 「なぁんだヘタレ」
  先輩騎士たちに取り囲まれて、テオは大声でわめき続けた。

どういうわけだか、気が付けば十人ばかり、人だかりができていた。みなこれまで特に、絡んだことのない者ばかりである。ほとんどの騎士は上流階級生まれ、少なからず、赤い髪の民を蔑視しているはずだった。しかしこれが、純情少年のオモシロ初恋劇場とくれば話が変わるらしい。

 昼下がりの見世物に、彼らはテオをぐるりと囲んだ。

 「なになに、お前、あのおっぱい科学者と同室? 二人部屋? まじ?」
 「それは素直にうらやましいわ。一日でいいから部屋代われ」
 「あっいいなそれ、次は俺」
 「ふざけんな、あいつに何するつもりだ!」

  叫ぶテオ、その肩を引き寄せて、中年の騎士が耳打ちする。

 「落ち着け、そうカッカせず、まあ聞きたまえよ新人クン」
 「なんだよっ」
 「からかうつもりはない、親切で申し上げよう。試しに、本当にお願いしてみてはどうかね。案外簡単に、ベッドに入れてくれるかもしれないよ」

  テオは眉をひそめた。肩に置かれた手を睨むが、中年騎士はにやにやと笑うばかりである。

 「……何の話だ。俺は別に――」

 「噂だ、噂。フフフ。科学部学生時代からの――僕はあそこの教授と友人でね。あれだけ魅力的な女性だ、男ならみんな目を止める。声をかける男は数知れず……いや、もちろん全員じゃない、何割かだ。うん、多くはない、だが少なくはない『体験者』のなかに、君も入れるかもしれないと――」

  テオは男の胸ぐらをつかんだ。肩より高く持ち上げて締め上げる。気色ばむ騎士たち。激情はほんの一瞬だった。すぐに手を離し、テオは自らの手を見下ろした。

 「あ……あれっ? ……すまん。ごめん」
  テオは素直に謝った。

  頭を下げられ、中年男も毒気を抜かれる。十六の少年相手に、己が失言したことも悟っていた。こちらこそ悪かったと謝罪して、彼は軽く、頭を振った。

 「やれやれ、それならばなお、しっかりやりたまえ新人クン。これは、本当に親切で申し上げるがね。君の想い人は魅力的だ。……こんなところで、オッサンどもとしゃべっているヒマはないと思うよ」
 「……なんだよそれ」
 「時間は有限、チャンスも有限。可能性は無限ということだ。それは彼女にとってもね。……ここは誉れあるラトキア騎士団寮、みな女に飢えてはいないが、その分だけ己に自信がある。
  ……高嶺の花、だなんて、黙っているものはおらんぞ。赤い髪の少年、君は出遅れるわけにはいかんのじゃないかね」
  テオはそれで、駆け出しはしなかった。ただ困ったように眉を垂らし、俯く。でも、だって、などと呟いて、無意味に視線を這わせて目を回す。

 「そんなん……どうすればいいかわかんねえよ」
  男どもから笑いが上がる。

  彼らは無責任に楽しみながらも、真実、親身でもあった。美女との一夜も美味しいが、少年の悲恋譚もまた面白いものだ。頑張れよ、協力するぞと背中を叩き、喝を入れては揶揄をする。

  そしてふと、一人の男がつぶやいた。
 「女を口説く手管なら、アイツにご教授ねがうのがいいんじゃないか?」
 「アイツって」
 「アイツだよ、ほら、ここしばらく『彼女』とも同席してたはずだ。女だけじゃない、ちょっと孤立している人間を見たらすぐ近づいてタラシこむ。そんなだから妙に人気があるんだよ」
  周りの騎士たちも手を打った。

 「ああ、あれか。確かにいつもヒトに囲まれてるね。当人、地味で目立たないんだけど……」
 「あれって振りなんじゃないか。ニコニコと人畜無害な演技して、アイツ中身はぜったい腹黒い――」
 「だから、アイツって誰だよ!」
  とうとうテオは叫んだが、彼らは一様に首をかしげた。エエトエエトと唸って悩む。

 「名前が……いやほんと地味な奴で。……古株の実力派なんだが、表に出ないもんだから名前が……」
 「……オレも思い出せない。なんだっけ、バン……なんか……顔に似合わずイカツい名前だったんだが」
 「イカつい?」
 「というか、毒っぽいというか、敵っぽいというか」
 「武器っぽいかんじでもあったような」

  とにかく、と、最初に提案してきた騎士が手を叩く。

 「アイツは今日、食堂には来てないな。休みか?」
 「いや、オレは見たぞ、昼休み入ってすぐ、デザートだけ取ってコソコソ抜けて行ったのを! たぶんどこかでランチデートだ」
 「おおっ、それならきっと中庭だ! 今日は天気がいいからな。よし、邪魔し――もとい、恋愛相談ふっかけに、いきたまえ新人クン!」
 「お、おう」

  背中を叩かれ囃されて、テオはとりあえず立ち上がった。よくわからないままに、それでも行かなくてはいけない、そんな気はしている。食器を片づけもせず、小走りで食堂を抜けだした。
  遠ざかる、少しおぼつかない足音。騎士たちは適当に手を振って、それからまた、どっと笑った。

 「やー、おもしろ。可愛いなあの新人クン。名前なんだっけ?」
 「これから、厳しい仕事になる。いい息抜きだ。……我らの」
 「ですなあ」
  お茶をすすって、騎士。

 「……しかしこうなったらもう、手を出せないな。うーんあのおっぱいはちょっと惜しいなー。あのサイズはなー……はさめるもんなー……」
 「とりあえず、しっかり振られるまではそっとしておいてあげようや」
 「振られる前提?」
 「……賭けるか」
 「のった」

  昼休みが終わるまであと三十分。騎士たちは各々、有意義な休憩時間を楽しむのだった。


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