ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

再会の夜③

 ノンシュガーのハーブティをたっぷり淹れて、保温性の水筒に注いで封じる。
 かすかに温かいそれを抱き、食堂から自室へと運びこむ。

  これは騎士団寮に入って以来、就寝前の習慣になっていた。もともと、アレイニの生活にハーブティは欠かせない。できればカップで飲みたいが、自室に湯沸かし機がないので仕方ない。
  特に今日は、風呂上がりとしてはありえないほど、冷え切ってしまった。早く部屋に戻り、就寝前の一服がしたいところである。

  扉を開ける。暗闇であった。

 「……テオ? もう寝た……?」

  先に戻っていたはずの、同僚へ呼びかける。手探りで電灯をつけてみると、彼はやはり、眠ってはいなかった。

  部屋の隅っこ――壁に向かって、膝を抱え座り込んでいる。
  まるで、小一時間前の自分のように。

 「テオ?」
  びくり。少年の背中が縦に揺れた。

 「どうしたんですか、そんなところに座り込んで」
 「あ……ああ、別に」

  そう答えるも、振り返りはしない。アレイニは首を傾げつつ、彼のそばへ腰掛けた。椅子もない部屋である。二段ベッドの一階、テオの寝床に座らせてもらう。

 「お茶、飲みます?」
  一応、気を利かせてみる。彼は返事もしなかった。またビクリと小さくふるえただけ。

  いつもの彼らしくない言動にアレイニは戸惑った。
  そのまま、無言の時間を過ごす。

 「……あのさ」
  声を発したのは、テオのほうだった。

 「あの……俺、外で寝るわ」
 「はっ?」
  突拍子もない発言に、大きな声がでる。そのまま本当に出て行こうとするのを、アレイニは反射的に捕まえる。

 「なに、どうしたの。だめでしょう。この時期夜はまだ冷えるし、怪我にもさわります」
  引き留めると、彼は存外素直に足を止めた。その位置にそのまま、座り込む。そしてまた膝を抱えた。
 「……なんなの……」
  あきれて、アレイニはまた座り直す。直接吸い口に唇を当てて、やけどしないよう、慎重にお茶を吸った。

  じんわりぬくもりが胸に広がる。

  少年が、もう一度話し始めたのは、二杯目を半分ほど飲み終えたころだった。

 「あんた……『男』になったわけじゃ、なかったんだな」

  一瞬、なんの話かわからなかった。そしてすぐに思い出す。つい先ほど――十五分ばかり前に、体をみられたのだ。雌体化がはじまり、わずかに膨らみかけた乳房とともに。
  思わず紅潮したが、狼狽するほどのことではない。あえて、アレイニは胸中以上に冷静な声でうなずく。

 「ああ。一応、雄体優位ですけど、雌体優位の年月が長かったので、雌体化周期には完全に女のようになってしまいますね」
 「……今……は、なんなんだ」
 「男です。見ての通りですが」
 「……。でも……。胸が……」

  もそもそ、口の中でつぶやいて聞き取りづらいことこの上ない。それでも大体、言いたいことは理解する。アレイニは肩をすくめた。

 「だから、雌体化周期に入ってるんですってば。胸が膨らむのは当たり前でしょ」
 「……。でも……じゃああの……だんちょーは……」
  アレイニは笑った。
 「あはは、たしかに、今の私より平らでしたねえ」
 「じゃああの……男……?」
 「違う違う、やっぱり女性だったんだと思いますよ。ただあのひとは、私とは逆に、雄体優位だから。三年前はもうちょっとあったはずで……まあ大きくはなかったけど、あれから成長期に雄体優位が進んだせいで、乳腺が退化したんでしょうね」
 「退化……もう、なくなっちまったのか?」

  アレイニは指を立てて教示した。
 「ちょっとちがいますね。『無くなる』のではなくあくまで退化――成長を逆行、いわば、幼児退行したんですよ」
 「よ、ようじっ?」
  テオが目を丸くする。それはおよそ、クーガの印象と結びつかない言葉だ。

  男性としても長身に部類し、ひきしまった戦士の体躯は女性になっても健在だった。常に落ち着きはらった言動に怜悧なまなざし、端整な顔立ちも、実年齢以上に大人びている。
  つらつらとそう述べたテオを、アレイニは一蹴した。

 「外観や性格なんて関係ないですよ。内臓の話ですから。だから、優位性が変わればふたたび成長――成熟というべきですか。それこそ第二次性徴によりまた女性らしい体にもなるでしょうね」 
 「……わ、わけがわからん」
 「今更なにを。ほら、あなただって、雌体化周期が全くないわけじゃないでしょう? 何ヶ月かに数日、おちんちんが――」
  と、言い掛けて途中で飲み込む。恥じらったのではない。テオが猛獣の形相で眼光を強めたので、みなまでいわぬことにしたのだ。

  とにかく、と、咳払い。

 「雌雄同体とは、いつでも雄であり雌であるということじゃなく、そのときにより性別が入れ替わるということですから。団長はまた男に戻るし、彼氏が出来れば女になるでしょう。団長だけじゃない、私だってそうです。そんな、珍しがるものでもないでしょう?」

  テオはますます眉を寄せる。本気で困り果てたらしい、また顔を伏せてしまった。

 「……俺は……俺の弟らはみんな俺と同じ、そのまんま雄体だったから」
 「学校で習ったでしょ?」
  テオは返事をしなかった。

  アレイニのような高等学問とは別種でも、彼もそれなりに教育は受けた軍人である。ラトキアの一般常識、このレベルの性教育を、受けていないはずがない。

  だが聞いたそばから忘れたのだろう。少年にとって興味のない、訳の分からない、無駄知識として聞き流したに違いない。アレイニが多くのことをそうしてきたように、だ。

  自分とは関係のない、他人の世界。
  しかし今夜――二つの世界がつながった。
  テオは混乱していた。
  見るも哀れ、耳の裏まで紅潮しているのに気がついて、アレイニはいよいよ大笑いした。

 (なんだ。本当に、大きくなったのは背丈だけで、中身はあのときのまんま――何にも知らない男の子なんだ)

  腹を抱えて笑い出したアレイニに、多感な少年は一気に眉を吊り上げた。照れ隠しだろう、むやみに不機嫌なふりをして、彼は精一杯、すごんできた。

 「なんだよ! 別に俺ぁ、だんちょーに見とれたとかそんなんじゃねえからな」

  また吹き出すアレイニ。ゆがむ口元を覆いながら、

 「はいはいうんうんわかったわかった、言ってませんよぉそんなこと」
 「笑うな! いや、そっちもだ。わかってるんだよ言われなくても。ちょっと聞いてみただけだ。あんたもだんちょーも男だ。ちょっと、あれだ……あるもんが無くなったり無駄なとこがでっぱったり、そういうことになっただけの、男だ、二人とも。わかってんだからな!」
  ふふん、とアレイニは鼻を鳴らした。
 「だったら、部屋を分ける必要もありませんね。なんなら明日は私が背中を流してあげましょうか」
 「なっ……!」
 「あらまあ、どうしてまた赤くなってるんでしょう。やだやだ、男同士で、なにを考えているんだか。テオったら、男のおっぱいに反応するの? きゃーえっちへんたーい」
  髪を逆立てるティオドール。真ん丸に開いた金色の目は、十二歳のときと同じだった。

  アレイニはもう楽しくてしかたない。
  思えば彼にはずっと、振り回され続けてきた。十も年下の少年に、泣いているところを何度も見られ、慰められて笑われて、まるで自分が子供のように扱われている。ここらでちょっとばかり、いじめてやったってバチは当たるまい。

  アレイニはヒクつく頬を叩いて押さえ、お茶を飲み干す。
  そして――女の笑みを浮かべた。とろけるほどに艶っぽく。
  男の姿になっても、身につけた所作を忘れはしない。少年の顔をのぞき込み、中性的な、整った顔で、甘くささやいた。

 「私はまだ、雌体化周期に入ったところですからね。これからもっと『女』になっていきますけど……押し倒したりしないでくださいよ」

  胸元に手を添える。寝間着越しに見て取れる、ほんのわずか柔らかく膨らんだ胸に指先が沈んだ。
  少年の目が、釘付けになる。
  素直すぎる反応が、たまらなく可笑しかった。可愛いと思った。もう少しだけ困らせてみたかった――ただそれだけのために、

 「触ってみる? 今はまだ、ココ以外は男の身体でもよかったら――」

  アレイニは少し、調子に乗りすぎたのだ。


  後悔は、恐怖とともにやってきた。両の二の腕を捕まれて、背中をマットレスに強く打つ。その痛みで自分が愚か者であったのを思い出した。
  覆い被さってきたティオドール――年下の同性であり、さっきまで子供だと確信していたはずの体。組み伏せられて初めて気がつく。

  この少年は――男は――自分よりも圧倒的に強い。

  ヒッと喉で悲鳴を上げ、あわてて逃げ出そうともがく。びくともしない。怪我をしているはずの左手も、アレイニの腕を握る力に不足はなかった。
  雄体優位の者と抱き合ったことは何度もある。だが、命を懸けて戦う男の体に、アレイニは初めて触れた。テオが、クーガの手を拒絶した感覚を理解する。それは防衛本能、生物としての、絶対にあらがえない恐怖だ。
  この男は強い。怖い。恐ろしい。

  テオは叫んだ。

 「ちがう!」

  すぐ耳元での怒号に、鼓膜がふるえる。
  アレイニの顔をのぞき込むテオ。恐怖にゆがんでいるのを見て取り、彼は首を振った。

 「ちがう、なんもしない。だいじょうぶ……」

  そこで初めて、自分が力強く握りすぎていることに気がついたらしい。積み上げた壊れ物から離れるように、そうっと、力が抜かれていく。腕の血流が一気に戻り、ジンジン響く箇所を、テオは一度だけ、優しくさすった。

 「……一回、ちょっと、すこし、抱かせて」

  彼の言葉は、実行とともに告げられた。アレイニの動悸に、やはり早鐘のような彼の鼓動が重なる。脱力と緊張、両方で全身をふるわせて、テオはアレイニの体を抱きしめた。

  頭を押さえ込み、自分の胸に埋める。骨ばった、贅肉のかけらもない彼の腕は堅く、心地の良いものではない。苦しいほど体重を乗せて、握力だけは必死でゆるめようとしている、無骨で臆病な抱擁。子供がぬいぐるみに縋るように、父が子を抱くように、乱暴に優しく包み込む。

  窒息時間は、すぐに解かれた。

 「……よしっ」
  時間にしてほんの数秒。テオは言葉通り、一度だけ、少しだけ、アレイニを抱きしめただけだった。
  身を起こす。視線は合わせてくれなかった。

  紅潮したままそっぽを向き、ぶっきらぼうに言い捨てる。

 「ありがと」

  そしてベッドを飛び出し、床へ寝転った。フテ寝するつもりらしい。アレイニは半ば這うようにしてベッドをでると、向かいのハシゴを上り、自身の寝床へ到着した。柵越しに見下ろし、声をかける。

 「空いたよ……」

  テオはすぐに起きあがった。無言でベッドに戻っていく。それですぐ眠りにつけたわけではあるまいに、背中を向けたまま微動だにしない。なんと声をかけたらいいかわからず、アレイニもまた背を向けて転がった。

  理性で、罪悪感があった。
  本能的な恐怖感も、まだ残っていた。
  それとはまた違う、熱っぽい感覚もおさまりそうになかった。
  同時に、アレイニの脳をひとつの思考が占めていた。

  枕に顔を埋め、熱い息を吹き込む。

 (ああ。いけない。これはだめだ)

 ともすれば声に出してしまいそうな思考の奔流。アレイニは枕を抱きしめた。
  高鳴ったままの鼓動が収まらない。

  抱えた枕の間から、そっと手を入れてみる――かすかに膨らんでいただけの胸は、つい先ほどよりも確実に質量を増していた。
 (だめだ……)
 手のひらでギュウと握りこみ、渦巻く激情を抱きかかえ、アレイニは自身を拘束する――

(……私……女になってしまう)


  どれだけ時間がたっただろう。下方で、少年の寝息が聞こえてくる。
  その気配に肌を撫でられて、アレイニはなかなか、寝付くことができなかった。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品