ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

2人の新人騎士

 ラトキア帝都の夏は涼しい。

  半径およそ六千五百キロメートルの惑星、そのもっとも気候がよく、災害の少ない盆地に、ラトキア人が暮らす王都がある。

  ドーナッツ型の、きれいな円形によって成るこの国――中心の、空洞に当たる部分が帝都。ふんわりと白い生地が王都。そして、油で変色した外周部分が下町。さらに言えば、点々と焼け焦げて食べられなくなった部分がスラムだ。

  星帝の宮殿を中心に、高級軍人と兵士だけが住まう帝都――そこに、ラトキア騎士団の駐屯地がある。原則、彼らはここの寮で日々、生活していた。

  騎士の特権、王都に本宅として屋敷が与えられてはいるものの、そこから通勤することは許されていない。家族のあるものは非番にだけ帰り、無いものはそのまま、掃除夫が意味もなく通っていた。

  それでも、公休日となれば大抵の者は寮を去る。王都に繰り出し、友人や恋人と遊ぶためだ。

  しかしこの日、騎士団寮一階にある格技場に、二人の男の姿があった。

  両者、赤い髪をしている。
  一人は二十歳ほどの騎士、もう一人は十六になったばかりの少年――やはり騎士であったが、入団二ヶ月目の新人だ。

  ビュンと音を立て、テオのナイフが空を裂く。しっかり身をかわしつつも、シェノクは目を剥いた。
  速い。それに音の重さから察する威力は、木製の模造刀ながら肝を冷やす程だ。
  剣戟も、距離を詰める足の強さもたいしたものだ。

  しかし――シェノクはさらに後ろに跳んだ。追いかけるのはテオの左手、もう一本のナイフである。

  傾げた体をしならせて、シェノクは思い切り肩を回し、全身から引っ張り上げるようにして右手を振った。その手にあるのは黒塗りの剣、麻酔刀。

 「うっ!?」

  テオはとっさにナイフを持ち上げ、横薙ぎの麻酔刀の受けようとした。
  シェノクとテオ、両者の体重に大差はない。だが腕力は圧倒的にテオが強い。ふつうに鍔迫り合いをすればテオの圧勝。
  だがそれを、麻酔刀の異常な重量が補う。ナイフで受けきれるものではなかった。
  シェノクの薙ぎに体を持って行かれ、テオは真横に吹っ飛んだ。

 「ちくしょうっ! なんで勝てねーんだっ!」

  汗だくで、疲労困憊。格技場の床に仰向けになってテオはわめいた。シェノクは小さく、息を吐く。

 「なんでって、何度も言ってるだろう。……この麻酔刀は、あらゆる近接格闘武器の上をいく。電撃を作動させなくてもな。同等程度の戦闘力なら、同じく麻酔刀がなきゃ勝てないんだって。いい加減あきらめて、麻酔刀の練習しろよな」
 「じゃあなんで、騎士一人につき一本しか支給されねえんだ!?」
 「なんで二本欲しいんだよ」
 「だって俺、二刀流が気に入ってるんだもの」
  ばかばかしい理由に、今度こそシェノクはため息をつく。

 「だったらせめて、無駄な大振りを減らせ。空振りが多すぎる。短剣使いのくせに懐を開けっ放しにするな」

  先輩であり、騎士団生活もろもろの教育係であるシェノクの冷めた目など意にも介さず、テオは起き上がり拳を握る。

 「いやあ、やっぱさあ、主人公ってのは周りと違った武器を持ってなくっちゃぁいけねえと思うんだよ」
 「……は? 主人公?」

  うんうん頷くテオ。きらきらとした金色の目で虚空を見上げて。

 「俺は『マンガ』が大好きでよぉ。あっ、知ってるか? 読んだことある? 地球って星の名産で、特に日本製のがよくできてるんだ。俺の実家のそばによく捨てられてて、俺、生まれて初めて読んだ本がマンガだったんだよな。今でも好きだぜ。いいよなーマンガ。英雄譚ヒロイックサーガみたいに堅苦しくなくて、爽快で! 字が読めなくても何となく楽しめて、楽しんでる間に自然と覚えていっちまうし」

  知らねえよ、という、シェノクの声は届かない。聞いてもいないのに少年は、一番好きなヒーローコミックを挙げた。主人公が貧しい村の出身で、赤毛であり、二刀流の戦士であったこと。その特徴的な髪型を真似していることを、実に多彩な身振り手振りを交えて語り尽くす。

  とがった拳を握りしめ、高らかに天へ突き上げて。

 「それで、最終的には清純可憐なお姫様をだな、悪い奴から奪還してよ。うん、やっぱ戦いは男のもんだけどよ、最後にはこう……いいよな! ザ、王道! ラブ・アンド・ハッピーエンドだよやっぱり、俺はそういうのが好きだな! いいよなぁっ!」

  はいはい、と相づちを打ちつつ、聞き流す。この相づちも打たずに無視していれば、テオはちゃんと黙るのだ。この少年にも分別はある。しかし妙なところで面倒見のいい先輩騎士が、流しつつも聞いてやるので止まらない。

  シェノクは己の悪癖を半ば、自覚していた。つき合うから増長するのだ。毅然と、厳しい先輩面をしていればいいのである。

  わかってはいるのだが。

 (どうも、このガキはヒトのペースを狂わせる……)

  シェノクは再び、麻酔刀を構えた。にじんだ汗を拭い、顎をしゃくる。

 「ほら、そんなに元気ならもう一度だ。今度こそ麻酔刀を使えよ」
 「ちぇー……これ、なんかいまいち格好良くないんだよなあ」

  渋々、模造刀のナイフを放り捨てると、腰に差した黒剣に手を伸ばした。呼吸の乱れがもう回復していることに気づき、シェノクは思わず笑ってしまう。

  テオの技は余りにも荒削りで、戦士としては心身ともに未熟だった。だがたしかに、生まれ持っての才がある。

  シェノクは、自らの手を見下ろした。体の軸を使う剣技といっても、やはり腕力は必要だ。短い模擬試合を重ね、握力がほとんどなくなってきていた。
  あれから七年――かつて聞いた、骨の砕ける音を思い出す。

 (俺はもう、これ以上強くなることはできないんだろうな)

  冷静に、そう思う。ここまで握力が戻っただけ儲けものだ。

 (団長の足元にも及ばない……業務の補佐だって、つゆ払いくらいは出来るようでなきゃ、そのうちお役御免に――)

  いや、それよりも、と首を振る。

 (不意打ちの刺客から、団長を守らないと。遠征先でも団長が安心して休息できるように、現場につれていける精鋭が必要なんだ。今はヴァルクスとバンドラゴラくらいしか……)

  思案に耽っている間に、テオはすっかり体力を回復させて、シェノクが構えるのを待っている。シェノクもあわてて型をとる。

  と――格技場の扉が開かれて、凛と美しい声が上げられた。

 「シェノク。ここにいたか」
 「団長?」

  広い格技場を縦断して、騎士団長クーガがまっすぐこちらへ歩いてきた。後ろに巨漢ヴァルクスと、もうひとり男を連れている。

 「近いうち正式に発表するが、シェノクには先に紹介しておこうと思って」

  そう言って、己より幾分年上であろう、後ろの男を前に出す。

 「研究所職員のアレイニだ」

  クーガの言葉に、彼はびくりと身を震わせた。

「……あ、あの……アレイニ、です。どうも……」

  おそらくは、雌体優位であろう。
  腰までありそうな長髪に、ラトキア民族服である貫頭衣の、腰帯が女性向けの飾り布だった。中肉中背、戦士の体つきにはとても見えない。極め付きはやけに分厚い丸眼鏡。機敏さを求められる軍兵で、こんなものをつけている戦士は誰もいない。

  シェノクは眉をひそめた。
  誰より鮮やかな青い髪は、高級貴族の生まれに間違いない。しかしこの男の、妙に卑屈な態度は何だろう?

 「あの……。……顔を出すのは初めてかと思いますが、その……」

  テオも武器を納め、こちらへ歩み寄る。眼鏡の奥にある目を伏せたままアレイニは続けた。

 「薬学のほうが得意で、機械が苦手で、銃火器のほうは人に任せています。学生の頃は色々と講義は取ったので知識ならありますが。でも兵の治療やバイオ兵器、それと、王都の浄水器の管理と、あ、レーションのフリーズドライ調味料を開発したのは私です。それ以外にはたいした成果は、あの……」

  話す順番がバラバラだ。何が言いたいのかわからない。黙ってしまった一同の空気は察し、彼は大きな声で、

 「役に立てるかわかりませんが、よろしくお願いします」

  緊張しているせいなのか、それとも地でコレなのか。研究者というなら勉強はかなり出来るのだろうが――
 怪訝な顔をしている二人に、団長が助け船を出す。

 「しばらく前から騒ぎになっている王都のテロに、かつてのラトキア軍科学研究所班長、キリコがいた。このアレイニはキリコの元助手で、キリコ対策に役に立つのではないかと、オストワルドからの推薦だ。暫定的に騎士称号を与え任務に参加する。何の役に立つのかよくわからないが、邪魔でもないしとくに反対する理由もないので受け入れた」

  こちらは両極端なほどに身も蓋もない。後ろでグサグサと何かが刺さって震えている青年に気づきもせず、クーガはシェノクに向かって。

 「ということだから、騎士団寮に部屋を見繕ってやってくれ」
 「えっ?」
  悲鳴じみた疑問符は、なぜかアレイニが上げた。

 「寮? え、私、家が……騎士たちと一緒に暮らすんですか? 王都のほうに家を買って、一人暮らしをしているんですけど……」
 「寮入りは絶対の義務だ。休日は好きにすればいいけど。あ、そういえば言ってなかったかな」
 「聞いてません!」
  案の定、声をあげるアレイニ。しかし拒絶の言葉にはなっていなかったので、クーガはこれをもって承諾としたらしい。

  今度はシェノクを指して、

 「こっちはシェノク。騎士であり俺の補佐のような仕事を請け負ってくれている。文書の作成や騎士団寮の管理、新人の世話も彼の役だ。頼りにするといい。頼むぞシェノク」

 「了解。よろしくアレイニ」
  新人の世話役という肩書きはいつの間についたのだろう、と思いつつも、とりあえずシェノクは手を差し出した。

  そして、一瞬だけ彼の眉が嫌悪感に歪んだのを見て、引いた。

 「……よろしくおねがいします」

  すぐに丁寧に頭を下げて見せたアレイニ、だが彼が自分に敬意を持つことは決してないと、シェノクにはわかっていた。

  青い髪の連中は、決してシェノクを認めない。
  現在の騎士およそ二百人で、赤い髪をしたものは十人に満たない。それですら、この四年で一気に増えたのだ。

  貴族の集まりである部隊に黒髪の騎士団長が就いてから、ラトキア騎士団は変わりつつある。
  誉れあるお飾りから、泥臭い実戦部隊への変化だ。そのために、実力さえあればのし上がれる。そのことを、生まれもっての貴族連中は快く思っていない。

  ずっと後ろにいた柱のような大男、ヴァルクスがぼそりと言った。
 「シェノクは、団のサポートという面で非常に優れた騎士だ」
  アレイニが顔を上げる。そちらを真っ直ぐに見下ろして、滅多に口を開かない男は淡々と説いた。

 「我ら騎士団は皆、脳に言語変換装置を入れているが、対応する言語はまだ多くはない。そういうとき、まずコンタクトを取るのがシェノク。彼が修得している外語は三十に及ぶし、まったく未知なる言語でも、誰よりも先に勉強して修得する。銀河を飛び回る騎士団になくてはならない人物である」

  アレイニが目を剥いた。驚きのなかに、「劣悪な、赤い髪のくせに?」という侮蔑が含まれている。
  クーガが次ぐ。

 「アレイニ。騎士団は近年、変わりつつある。これまではすべてにおいて優れている――総じて及第点であることを求められていたが、現在は専門性、『ただ一つのことだけにも、非常に優れている』人材を採用しているんだ。それは戦闘力だけではない、シェノクのような諜報の力、あるいは、科学や医療に深い造詣のある者求められている」

  アレイニの肩がふるえた。

 「そ、それって、私も……私を、求めて? 騎士団が……」
  頷くクーガ。先ほどと変わらぬ、穏やかな口調で。
 「現状は何の役にも立たないけどな」
 「…………」
 「俺はまだ、お前の使い方がよくわからない。俺自身が科学に無知で、出来ることと出来ないこと、何を期待していいのかがわからないんだ。勉強が必要だな。暇を見て研究所のほうに伺おう。シェノク、そちらの手筈も頼めるか」
 「了解、あちらにも相談して、スケジュール合わせておきます」
  シェノクは微笑みを浮かべて頷いた。

  ヴァルクスの気遣いと、全く気遣いのないクーガの両者に感謝しつつ、アレイニのほうへ向き直る。

 「じゃあ、とりあえず寮のほうへ案内しようか。自宅から荷物を持ってくるのでも、部屋の形は見ておいたほうがいいだろ?」
 「……ですね。はい、そうさせてください……」
  うなだれて、アレイニ。

  まだ納得はしていない、だが反抗はしない、しかし不機嫌を隠し切れていない。自分の悪意にも、他人の好意にも素直になれない人間である。

 (生きにくそうだな……)

  と――きびすを返したところで、赤毛の少年と目があった。彼を放置していたことに今更気づく。常に何かと騒がしいテオが、ずっと黙って立っていたせいだ。

 「ティオドール、悪いけどこれで中断だ。手合わせがしたければ誰か他の騎士に頼んでくれ」
 「ああ……うん」

  頷くテオ。しかし妙に歯切れが悪い。らしくない――と言う前に、テオは身を乗り出した。

  アレイニの顔を、真正面から見つめる。
  青い髪の青年は、びくりと身を震わせ、目をそらした。テオは構わず不躾に視線をやりながら、独り言のようにつぶやく。

 「……んん……アレイニ……どっかで……?」
 「……。……いえ。人違いでしょう」

  目を伏せたままアレイニは言った。

  二人を交互に見て、クーガが首を傾げる。
 「知り合いか、ティオドール?」
 「んー? いやあ、俺、人の顔覚えるの得意なほうなんだけどなあ……」
 「初めまして。よろしく……ティオドール」
  唇だけで微笑んでみせる、アレイニ。テオは小首を傾げながらも頷いた。

  微妙なアレイニの表情に、シェノクはやはり、彼らが知り合いなのだと見て取った。少なくともアレイニのほうはしっかり記憶している。テオが忘れ、アレイニがとぼけるあたり仲が良いわけではなかろうが、とりあえず知り合いではあるらしい。シェノクは両者を見比べて、ヨシと頷いた。

 「じゃあ、寮はティオドールの部屋にするか。ベッドひとつ空いてるよな」
 「お」
 「え!!」
  今度こそ、アレイニは大声を出す。

 「なんでですか!? 嫌です!」

  そして明確に拒否をした。のけぞるテオに吹き出しそうになりつつ、シェノクは淡々と説く。

 「新人騎士は三人で相部屋と決まってるんだよ。いままでティオドールはたまたま人数の調整で二人部屋だったんだ」
 「三人部屋! 嘘っ! 無理!!」
 「嘘、無理じゃないだろ、なんだお前。学生寮も研究所員宿舎もだいたい相部屋だろうに」
  と呆れてから、そういえば王都に家があると言っていたのを思い出す。

  住宅地でも、帝都に近い地域ともなればかなりの高額だ。一般兵の生涯賃金でも足りるかどうか。学生が出せるわけがない。

 (やはり高級貴族か。称号だけで食いつめてる貴族も多いというのに、羽振りのいいことだ)

  お坊ちゃんにはちょっと可哀想かという気もしたが、むしろいい機会だと思い直す。
  ティオドールと過ごせば、このインテリ青瓢箪も少しは柔軟性がでるだろう。

  クーガ騎士団長に確認すると、「いいんじゃないか」とのお言葉である。ティオドールの方は何とも言えない複雑な顔。さすがの彼も、初対面の人間から全力で拒否されれば傷の一つもつくらしい。それでも渋々アレイニが了承すると、すぐまた笑顔になった。

 「じゃあ、俺が部屋に連れてってやるよ! もう一人同室の奴も紹介するしっ」
  いますぐ飛び出そうとするのを、クーガが止めた。
 「ミルドは今日は帰省している。アレイニはシェノクに任せて、お前は鍛錬を続けろ」
 「えー」
  団長相手にエーとは何だ、と怒鳴りたくなるが、本人が気にしていないので控えておく。

  アレイニを連れて、格技場を出る。去り際に、クーガの言葉が耳まで届いた。

 「ティオドール、休日の自主トレーニングなら合同鍛錬所の演習室へ行くといい。お前は、自分より弱い相手だと無意識に手加減をする悪癖があるから――」

  シェノクは振り返らずに立ち去った。



  アレイニという青年は、人の提案に一度は難癖を付け、そして諦めるというのが癖であるらしい。
  テオと、もう一人ミルドという騎士が二人で暮らす部屋に案内する。扉を開けて見せたとたん、アレイニは真っ直ぐ横断し、まず、窓を全開にした。

 「ごめんなさい、私、不潔な匂いって吐き気がしてくるもので」

  この性格、いっそ清々しいほどである。もう笑うしかない。

  シェノクは空きベッドのクリーニングの手配をするからと彼を置き去りに部屋を出た。
  なんとなく振り向くと、アレイニが手荷物からなにやら仰々しい道具を取り出している。そして彼は、部屋の大掃除を始めていた。

  真っ先にテオのベッドにスプレーを吹き付けているのに背を向けて、シェノクは思わず、クックッと笑った。

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