ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

新人騎士・ティオドール

 ――ふう。

 分厚い書類の束を整えて。ラトキア騎士団長、クーガは目を伏せた。うっすら桃色がかった唇から息を吐く。
 すかさずシェノクは手を伸ばし、出来上がったものを受け取ろうとする。
 しかし、彼は首を振った。

「いいよ、シェノク。俺が直接、兵士長まで届けにいく」
「俺もちょうどそっちへ行きますよ」
「じゃあ一緒に行くか。少し、外の空気が吸いたい」

 シェノクは赤銅色の目を細め、素直に頭を下げて従った。

 シェノクが、王都で通りすがりの少年に救われて、早五年。
 ラトキア騎士団の一員となり、こうして側に仕えるようになって二年がたとうとしている。

 クーガが、こんな風にため息をついてみせるなんて珍しい。年度末の書類作成業務がよほど堪えたのだろう。それもそのはず、この騎士団長はシェノクよりも二つ年下、まだ十八になったばかり。
 字を書くより体を動かすほうが得意だとぼやく姿は、まるきりただの少年である。

 彫刻のように端正な面差し、艶やかな漆黒の髪に、群青の瞳。神々しいほどに美しい青年――その騎士団長の、こんな疲れた顔を見れる者は、片手の数より少ない。彼の親兄弟のほかは、ラトキア騎士団ではおそらくただ一人。団長補佐という己の位置に、シェノクは満足していた。

 クーガに外靴を用意し、履いている間に、執務室の窓を閉めてまわる。
 執務室は騎士団詰め所最上階、団長私室と続きの部屋であった。普段はこうした仕事が終われば、さっさと私室にこもってしまうクーガ。外に出る気になったのは、ちょうど初夏の快い風を嗅いだからだろうか。

 窓辺に寄れば、涼やかな風は思いのほか勢いが強く、目がくらむほどの晴天だった。恒星は真夏のものと遜色なく、ぎらりと凶暴な光を放っている。

 闇色の髪に、銀星のような白い肌をもつ騎士団長。
 念のため、シェノクは上司に天気を報告する。だがクーガは微笑むだけだった。

「たまにはうだるほど光に当たるのもいいだろう。今日は何となく、そうしたい気分だな……」

 珍しいこともあるものだ。シェノクは丁寧にカーテンを閉ざし、戸締まりをして、クーガの後に続いた。


 騎士団詰め所は、一般兵棟と同敷地、すぐ隣同士にある。
 だがしかし、敷地自体が広い。本来ならシャトルバスで直行する距離を、徒歩で進む。どうやら本当に散歩がしたかったらしい。
 およそ二時間。散歩という距離ではないような気がするが、それだけ執務から離れたかったのだろう。

 シェノクはその後ろにつき、ふと声をかけてみた。

「団長。最近、お休みを取られたのはいつですか」
「今日だ」
「……そうですか。代休の申請ができますので、あとで書類を」
「今日が先週の代休。どうせ来週もこのように過ごす。申請書を書く手間くらいは省きたい」
「なるほど。了解。休出報償申請だけでも俺がやっときます」

 と、言いながら、その金を使う間すら彼にはないことを知っている。

 前をいくクーガが、ぼそりとつぶやいた。

「何をもらったところで、誰と何をするでもない。前回の出征の治療と睡眠が取れたら、後は何もいらない」

 青年の体躯は、戦闘集団である騎士兵らのなかで特別大柄ではない。それでも、まっすぐに伸ばした背筋は凛々しく逞しく、気高い。シェノクはホウと小さく息をつき、彼と同じ速度で、後ろに続いた。


「放せ、放せよこのでくのぼう!」
「……ん?」

 風に乗って、聞こえてきた罵声に二人は足を止めた。

 騎士団詰め所から、一般兵棟へと続くちょうどその中間である。騎士団のものより二周り安普請のコンクリート舎、白壁の手前で、赤い髪の子供がわめき散らしていた。

 いや、子供ではない。年の頃は十四、五歳、背丈はシェノクよりもありそうだ。
 やけに痩せてはいるが骨格はすっかり男のもので、薄汚いジャケットからのぞく手首は太く、力強い。当たればなかなかに痛そうな尖った拳をぶんまわしている。

「放せってば。でかいからってエバってんじゃねえぞ。俺ァ少年兵のうちわじゃ負けナシで、ガキのころから自分よりずっとでかいやつに勝ちまくってここまできたんだからな。なめんなよ。やんのかコラ。くそ、放せ、パンチが届かねえじゃねえか卑怯だぞこんにゃろ下ろせ、正々堂々と、俺と戦え――!」

「……なんだありゃ」

 シェノクは半眼で、その光景を見つめた。
 少年は、たしかに、子供ではない。だが相手が悪かった。騎士団随一の巨漢、ヴァルクスである。

 その背丈も年齢も最長であるこの男によって襟首を捕まれぶら下げられて、少年はひょろ長い手足をジタバタ動かし、空中でひたすら粋がっているのだった。

「うおおおお放せ、てめえ、俺のパンチが怖いのかーっ!?」
「ヴァルクス。何の騒ぎだ」

 一応、騎士団の敷地である。見て見ぬ振りはできず、また多少の好奇心をそそられて、シェノクは同僚へ歩み寄る。

 痩せた少年の三倍近い体重があるだろう、歴戦の熟練騎士であるヴァルクスは、少年をぶら下げた姿勢そのままで回答した。

「侵入者だ。臆面もなく、騎士団領で弁当を食べていた」
「……で、どうすんだ?」
「敷地外に出す」

 そして歩きだす。少年はさらに暴れた。

「なんでだあああっ!? 俺は不法侵入なんかじゃない、ラトキアの正式な少年兵だし、騎士になるんだーっ」

「一般兵が騎士団敷地内に用無く入ることはまかりならん。その規則は、正規兵なら知っているはずだ」

「だから、俺は騎士になるんだって言ってんじゃねえか、聞けやオッサン、このクソオヤジ、ぶっとばすぞ!」

「その前に、お前が飛べ」

 意にも介さず、ヴァルクスはぽいと闖入者を空中へ投げた。気持ちいいほどの空中浮遊、きれいに弧をかいて地面へ落下する少年。

 だが彼は驚くほど巧みな受け身でもって、落下の衝撃を打ち消した。
 少年兵であるというのは本当らしい。

 ――ほう、と、騎士団長が声を漏らした。

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