浦島太郎になっちゃった?
神に問いたい。式の本番だけどしきたりに沿わない答えでもいいですか?
ついにこの日がやって来た。
広大な竜宮城敷地内のほとんどを領する前庭もとい、本城前の石畳の空間。
玉座の間の玉座を即席の壇上にこしらえ、恰幅の良い竜宮の王が深く腰かけている。しかしその王もこの王位継承式をもって退位する。そして俺が王の座を占めることになるのだ。先行きは不安だが。
壇の下でひしめき合う街の人達も厳かな雰囲気に呑まれて、いつもの活気はなくなっている。でかいのがいると思ったら、クリナさんと俺を運んでくれた時の大亀だった。大きすぎて門の外から見物してる。
「次期王、前へ」
「は、はい」
進行役の女性に指示され、緊張しつつ足を引きずって俺は一歩進み出る。
横合いからミクミが五本の白い花のブーケをもって駆け寄ってくる。
ブーケの花の本数は次期王が決められる。俺は理由があって五本にした。
「もっとシャキッとせい、せぬならこれは渡さぬぞ」
いきなり半眼で睨んでくる。俺は緊張を緩めるため、長く息を吐いてみる。同時に肩の力が抜ける。
「少しは落ち着いたかの?」
「ああ、言ってくれてありがとうミクミ。それじゃブーケをくれ」
ミクミの睨む目が影を潜め、期待しているとばかりの微笑を浮かべる。
「正直に観衆の前で宣言してくるのじゃぞ」
俺は力強く頷いてブーケをもらう。ミクミは元の場所へさっと身を引いた。
進行役の女性が言う。
「次期王、姫の前へ」
俺はブーケを両手に抱え、同様のウェディングドレス姿の少女達五人の前まで歩いていく。俺は最も右のラナイトさんの前に立った。
「ラナイトさん」
「……何かな?」
ラナイトさんは続く言葉を待って俺の顔をまじまじ見つめている。
俺はブーケから花を一本だけ引っこ抜き、それを掲げて片膝立ちにひざまずく。
「最初出会った時、俺は騎士だったラナイトさんの巡回に着いていきました。そこであなたの見せた可愛いものを愛でている時の表情がとても素敵でした。そして今でもその表情が好きです。これをどうか受け取ってください」
「わ、わかった」
戸惑った声で俺の掲げた一本をラナイトさんは手に取った。
次に俺は隣のメラの前に立つ。
「メラ」
「なんですの?」
この場でもメラは普段と変わらず落ち着いている。ブーケから花を一本抜いて、ラナイトさんの時と同じ体勢になる。
「メラの作ってくれた料理は俺が今まで食べた中で一番美味しかった。しかも料理をしてるときのメラに思わずドキッとしました。今でもエプロン姿にはドキッとしてます。これを受け取ってほしい」
メラは静かに俺の言葉を聞いて花を手に取った。
次に俺はルイネの前に立つ。
「ルイネ」
「は、ははは、はい」
名前を口にしただけなのに、ルイネは激しく狼狽え自身の足元に 視線を落とす。俺はブーケから花を一本抜き、その場に片膝立ちで掲げてみせる。
「ルイネはすぐに自分を卑下しちゃうから、どうしても否定したくなっちゃうんだよ。こんなに可愛いのになって。家に行ったときも悲しそうにするから、なぐさめてあげたくなった。よかったら受け取ってほしい」
耳まで真っ赤になったルイネは、顔を伏せたまま花を受け取った。
次に俺はマリの前に立つ。
「マリ」
「なあに?」
マリは気色よく微笑む。これまでと同様に片膝立ちでブーケから抜いた花を一本掲げた。
「マリと喋っていると楽しくていつも時間を忘れます。笑顔を見てると安心できた。時計台を登ったあの時間は忘れません。これを受け取ってください」
わかった、と穏やかに頷いてマリは花を受け取った。
次に俺はクリナさんの前に立つ。
「クリナさん」
「なぁにぃ、シュンくん」
気の抜ける緩い声でクリナさんは間もなく受け答えする。なんて反応速度だ。
予測していたのしか思えない反応に俺は少々舌を巻きつつもそれを押し隠し、他の姫候補時と変わらぬ片膝立ちでブーケから抜いた花を掲げる。
「クリナさんはいつも世話を焼いてくれて、ついつい甘えそうになっちゃいます。でも俺に甘えてもいいんですよ、時々無理してるような気がしましたから。どうかこれを受け取ってください」
微笑んでクリナさんは受け取ったが、少し表情を曇らせる。
「ねぇシュンくん」
「何ですか?」
声のトーンを落としたクリナさんを、俺は不安げに見上げる。
言うのを躊躇うようにしばし間を置いて、クリナさんは言う。
「これって愛情五等分ってこと?」
え?
「一つのブーケを五人に分けて渡すなんてことされたら、それ以外考えられなくて……私は全部でも受け止めてオーケーするのにな」
「いやぁ、愛情五等分って訳じゃなくてですね、そのみんなに感謝! みたいな?」
クリナさんの両の瞳が熱っぽくなり発された台詞に、俺は他の四人の視線を一斉に浴びつつそれっぽく答える。
納得いっていないようで、クリナさんは頬を膨らませた。
「シュンくんひどいわ。私の気持ちに気づいてて告白の答えを教えてくれないなんて」
「告白って俺がハリックからの手紙を貰って読んだあの時ことですか? あれって本気だったんですね、知りませんでした」
「乙女の本気の告白を勘違いするなんて、シュンくんのお馬鹿さん。でもそれなら……」
突然クリナさんは屈んで、俺の顔の前て両腕を広げる。えっ、何を?
予期せぬ挙動に俺が肝潰す隙あらば、至極柔らかいものに顔を包まれる。
「獲ってくれないなら私の方がシュンくんを獲ればいいわ、ふふっ」
普通ならふわふわで弾力のある双丘に包まれるのは幸せと言うのだろうが、俺は断じて思えない。ただ苦しく世間体が恥ずかしくなるだけだからだ。
ドタドタ誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「クリナ! 厳粛な場でイチャイチャするなぁ!」
壇の下からレオンと並んで見物していたキャンさんが、横合いから俺とクリナさんを引き剥がす。ありがとうございます。
「ふぅ」
双丘から脱せられた俺は、とりあえず一息吐いた。
納得していない様子で口をへの字にしているクリナさんに、キャンさんは目くじらを立てている。
「クリナには恥じらいってもんがないのよ! 男に意味なく抱きつくかぁ普通? そもそも考えが短絡的、自分のただデカイだけの胸を使って男を落とそうなんてね! 吊り上げられてすぐのマグロか、もしくはカツオ!」
言ってることと例えとの類似している点が見つけられません。
どうしたもんかと立ち尽くす俺の傍を、レオンさんが通り過ぎた。眼で追うとキャンさんをおろおろ窘め始めた。
「レオンが言うなら、仕方ない。引き下がるよ」
「引き下がるというか、キャンが乱入したんじゃないか?」
「なぁにそれ、私が悪いの?」
「ううん悪くない」
「それならよかった。私達邪魔なるし戻ろう、レオン」
「う、うん」
キャンさんは笑顔を見せると、壇上から一歩で飛び降りる。エプロンドレスのスカートの裾が着地で翻る勢いではためいた。メイドの品行もあったもんじゃない。
二人の闖入者がいなくなり、騒がしかった式場全体が静まり返る。見物客の視線が主役らしい俺に集まる。
え、何を求められてるの?
「次期王、どなたを姫になさるかご決断をなさってください」
進行役の女性が決断を促してくる。
やっぱ正直に頼むしかないかな。
俺は言葉を頭の内で選び、壇の中央にしゃんと立った。
「しきたりに……」
いざ臨んでみると、忘れたはずの後ろめたさが眼下の見物客の集まる視線のせいで今ごろになってぶり返してくる。
口がうまく回らない。
「背くことに、なるかも、しれません、けど……もうあと少しの最終決断の日数を延ばしてください!」
「おおー」
見物客の方から予想だにしていなかった大きな歓声が挙がり、拍手までもが巻き起こる。
「あんたなら言いかねないと思ってたぜ、次期王さんよ」
「決断できなくて当然だよな、姫候補の皆可愛いし」
「正直者で安心するよ。王の不倫なんて見たくないからね」
男性も女性も口々に言い囃した。
「ハッハッ、この席はまだわしのもんだな」
見物客がせきをきったように途端に騒がしくなって門から出ていく、俺の言葉を最後に王位継承式は打ち切りとなった。
打ち切りになった式から数日、一通の手紙で公園の噴水前に呼び出された俺は付き添いでいたミクミに断りを入れ、一人で手紙の差出人を待っている。
手紙にはこう書いてあった。公園の噴水の前で待っていてください。私が到着するまでどこにも行かないでくださいね、とだけ。
語格的にルイネのような気がする。語格だけで推測してわかることではないけど。
「待たしてすまなかったのじゃ」
後ろから聞き慣れた声がして、振り向く。
思い悩みのある顔付きで佇んでいる。
「なんでミクミが? そうか、ミクミも手紙の差出人が気になったのか」
「そう見えるかの……」
いつもと何か異にした雰囲気を漂わせている。
「どういうことだ?」
「あの手紙の差出人は、わらわじゃ」
「嘘だろ? また俺をからかうつもりか?」
「わらわの真剣さがお主には伝わらんのかの。全く鈍感の度が過ぎるわい」
ミクミが時折覗かせる大人びた表情に、つい俺も居住まいを正して尋ねる。
「呼び出したってことは、何かあるんだろ?」
「そうじゃ、それもお主の将来に関わることじゃ」
「将来か」
俺が呟いてた間に、ミクミは隣に腰かける。こうして並んで座るとやっぱり小柄だ。
「もしもじゃぞ、候補がわらわしかおらんかったらお主はわらわを好きになるかえ?」
俺の方を見向きもせず、話を始める。
あまりの予想を越えた問いに、言葉の意味を把握するのに数秒時間を要した。
「それは……どうだろうな? 好きになるのかもしれないしならないかもしれない」
「そうじゃろうな」
思っていた通りの回答だったのだろう、すぐにそう頷いた。そして横目に俺を見る。
「それがお主の答えじゃ、対象が一人だったとしても必ずしも好きにはならない。それは対象の人数は関係ないのじゃな」
「なんか今のミクミ、すごく頭の良いことを言ってる気がする」
俺が本心で誉めると、こちらを見向きひどく驚いた顔になっていた。
「こんな単純な話を頭が良いじゃと? お主は鈍感というよりトンマだったのかえ」
「誰がトンマだ!」
聞き捨てならない言い表しように、思わず俺は突っ込んだ。
だがミクミは取り合う気もなく、うざったそうに両耳に耳栓よろしく指を挿し入れた。
しばらくそうしていたが、沈黙が下りかけたところで指を戻してこちらを見る。
「話を続けるがいいかえ?」
尋ねられて俺は頷く。ミクミは再度話をし出した。
「実際にのわらわはお主に恋みたいな感情を抱いたことがないのじゃ。まぁ、嫌いではないがの」
「俺のことひっぱたいた時は大嫌いって言ってたきくせに、今ごろ心変わりかよ」
「……あれはの、お主を説得するために誇張しただけじゃい。そんなことをこまごま話とったら進まんじゃろがい」
「すまん」
素直に謝る。
「じゃからの、お主は無理してあやつらを好きにならんでもええんじゃい。あやつらも習わしだからって好きになられても嫌じゃろうしの」
「そりゃそうだけど、詰まるところミクミは何が言いたいんだ?」
「誰かを好きになるまで待てばいいってことじゃ」
そう答えて不敵にミクミは笑った。
「かといっていつまでも先延ばしにするのはまずいんじゃないか、一応一国の王と姫になるわけだし」
「それは違うの、縛りのある恋愛こそつまらんのじゃ。恋愛はやはり自由性と突発性が醍醐味じゃからの」
うん? 突発性?
ミクミのポエマーみたいな台詞に一つ混じった恋愛観念として実感の湧かない単語に引っ掛かる。
「突発性ってどういうことだ?」
「要するに一目惚れとか、そういう一瞬で好き嫌いが無意識にジャッジされるやつのことじゃよ」
「ああー、そういうことね」
うん、それならわかる。
「納得したっていう顔をしとるの、それならもう心配ないわい」
座った姿勢で少し身を前に出して、俺の顔を覗き込み言う。
俺も小さく笑い返す。
「誰かを本当に好きになるまで待つことにするよ。誰を好きになるか予測もつかないけど、いずれは好きになってるよな」
「その決心が聞ければもう話はお仕舞いじゃ。じゃから帰るかの」
そう言って立ち上がり、補助のために俺に片手を伸ばす。
俺はその手を掴んで、そのまま左半身を支えてもらう。でももう必要なくなるかも。
「すまなかったの、ここまで一人で歩いてきたんじゃろ。体の方に痛みとかないかえ?」
俺は首を横に振って、持っていた杖を見せる。
「いやそれがさ、出てく時にキャンさんから杖もらったから歩くのも対して苦じゃなったんだ。あの人やっぱり気が利いてメイドさんには変わりなかったね」
「性格があけすけじゃがの」
俺は杖をついて数歩歩く。
「ほら、歩ける」
得意気にミクミに顔を向ける。
「それならば、わらわの補助も必要ないのう。よかったではないか」
俺とミクミはそんな会話を交わしながら、城へと帰る足を向かわせた。
その道中時計台の鐘が鳴り響き、一日の終わりをもふと感じた。
広大な竜宮城敷地内のほとんどを領する前庭もとい、本城前の石畳の空間。
玉座の間の玉座を即席の壇上にこしらえ、恰幅の良い竜宮の王が深く腰かけている。しかしその王もこの王位継承式をもって退位する。そして俺が王の座を占めることになるのだ。先行きは不安だが。
壇の下でひしめき合う街の人達も厳かな雰囲気に呑まれて、いつもの活気はなくなっている。でかいのがいると思ったら、クリナさんと俺を運んでくれた時の大亀だった。大きすぎて門の外から見物してる。
「次期王、前へ」
「は、はい」
進行役の女性に指示され、緊張しつつ足を引きずって俺は一歩進み出る。
横合いからミクミが五本の白い花のブーケをもって駆け寄ってくる。
ブーケの花の本数は次期王が決められる。俺は理由があって五本にした。
「もっとシャキッとせい、せぬならこれは渡さぬぞ」
いきなり半眼で睨んでくる。俺は緊張を緩めるため、長く息を吐いてみる。同時に肩の力が抜ける。
「少しは落ち着いたかの?」
「ああ、言ってくれてありがとうミクミ。それじゃブーケをくれ」
ミクミの睨む目が影を潜め、期待しているとばかりの微笑を浮かべる。
「正直に観衆の前で宣言してくるのじゃぞ」
俺は力強く頷いてブーケをもらう。ミクミは元の場所へさっと身を引いた。
進行役の女性が言う。
「次期王、姫の前へ」
俺はブーケを両手に抱え、同様のウェディングドレス姿の少女達五人の前まで歩いていく。俺は最も右のラナイトさんの前に立った。
「ラナイトさん」
「……何かな?」
ラナイトさんは続く言葉を待って俺の顔をまじまじ見つめている。
俺はブーケから花を一本だけ引っこ抜き、それを掲げて片膝立ちにひざまずく。
「最初出会った時、俺は騎士だったラナイトさんの巡回に着いていきました。そこであなたの見せた可愛いものを愛でている時の表情がとても素敵でした。そして今でもその表情が好きです。これをどうか受け取ってください」
「わ、わかった」
戸惑った声で俺の掲げた一本をラナイトさんは手に取った。
次に俺は隣のメラの前に立つ。
「メラ」
「なんですの?」
この場でもメラは普段と変わらず落ち着いている。ブーケから花を一本抜いて、ラナイトさんの時と同じ体勢になる。
「メラの作ってくれた料理は俺が今まで食べた中で一番美味しかった。しかも料理をしてるときのメラに思わずドキッとしました。今でもエプロン姿にはドキッとしてます。これを受け取ってほしい」
メラは静かに俺の言葉を聞いて花を手に取った。
次に俺はルイネの前に立つ。
「ルイネ」
「は、ははは、はい」
名前を口にしただけなのに、ルイネは激しく狼狽え自身の足元に 視線を落とす。俺はブーケから花を一本抜き、その場に片膝立ちで掲げてみせる。
「ルイネはすぐに自分を卑下しちゃうから、どうしても否定したくなっちゃうんだよ。こんなに可愛いのになって。家に行ったときも悲しそうにするから、なぐさめてあげたくなった。よかったら受け取ってほしい」
耳まで真っ赤になったルイネは、顔を伏せたまま花を受け取った。
次に俺はマリの前に立つ。
「マリ」
「なあに?」
マリは気色よく微笑む。これまでと同様に片膝立ちでブーケから抜いた花を一本掲げた。
「マリと喋っていると楽しくていつも時間を忘れます。笑顔を見てると安心できた。時計台を登ったあの時間は忘れません。これを受け取ってください」
わかった、と穏やかに頷いてマリは花を受け取った。
次に俺はクリナさんの前に立つ。
「クリナさん」
「なぁにぃ、シュンくん」
気の抜ける緩い声でクリナさんは間もなく受け答えする。なんて反応速度だ。
予測していたのしか思えない反応に俺は少々舌を巻きつつもそれを押し隠し、他の姫候補時と変わらぬ片膝立ちでブーケから抜いた花を掲げる。
「クリナさんはいつも世話を焼いてくれて、ついつい甘えそうになっちゃいます。でも俺に甘えてもいいんですよ、時々無理してるような気がしましたから。どうかこれを受け取ってください」
微笑んでクリナさんは受け取ったが、少し表情を曇らせる。
「ねぇシュンくん」
「何ですか?」
声のトーンを落としたクリナさんを、俺は不安げに見上げる。
言うのを躊躇うようにしばし間を置いて、クリナさんは言う。
「これって愛情五等分ってこと?」
え?
「一つのブーケを五人に分けて渡すなんてことされたら、それ以外考えられなくて……私は全部でも受け止めてオーケーするのにな」
「いやぁ、愛情五等分って訳じゃなくてですね、そのみんなに感謝! みたいな?」
クリナさんの両の瞳が熱っぽくなり発された台詞に、俺は他の四人の視線を一斉に浴びつつそれっぽく答える。
納得いっていないようで、クリナさんは頬を膨らませた。
「シュンくんひどいわ。私の気持ちに気づいてて告白の答えを教えてくれないなんて」
「告白って俺がハリックからの手紙を貰って読んだあの時ことですか? あれって本気だったんですね、知りませんでした」
「乙女の本気の告白を勘違いするなんて、シュンくんのお馬鹿さん。でもそれなら……」
突然クリナさんは屈んで、俺の顔の前て両腕を広げる。えっ、何を?
予期せぬ挙動に俺が肝潰す隙あらば、至極柔らかいものに顔を包まれる。
「獲ってくれないなら私の方がシュンくんを獲ればいいわ、ふふっ」
普通ならふわふわで弾力のある双丘に包まれるのは幸せと言うのだろうが、俺は断じて思えない。ただ苦しく世間体が恥ずかしくなるだけだからだ。
ドタドタ誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「クリナ! 厳粛な場でイチャイチャするなぁ!」
壇の下からレオンと並んで見物していたキャンさんが、横合いから俺とクリナさんを引き剥がす。ありがとうございます。
「ふぅ」
双丘から脱せられた俺は、とりあえず一息吐いた。
納得していない様子で口をへの字にしているクリナさんに、キャンさんは目くじらを立てている。
「クリナには恥じらいってもんがないのよ! 男に意味なく抱きつくかぁ普通? そもそも考えが短絡的、自分のただデカイだけの胸を使って男を落とそうなんてね! 吊り上げられてすぐのマグロか、もしくはカツオ!」
言ってることと例えとの類似している点が見つけられません。
どうしたもんかと立ち尽くす俺の傍を、レオンさんが通り過ぎた。眼で追うとキャンさんをおろおろ窘め始めた。
「レオンが言うなら、仕方ない。引き下がるよ」
「引き下がるというか、キャンが乱入したんじゃないか?」
「なぁにそれ、私が悪いの?」
「ううん悪くない」
「それならよかった。私達邪魔なるし戻ろう、レオン」
「う、うん」
キャンさんは笑顔を見せると、壇上から一歩で飛び降りる。エプロンドレスのスカートの裾が着地で翻る勢いではためいた。メイドの品行もあったもんじゃない。
二人の闖入者がいなくなり、騒がしかった式場全体が静まり返る。見物客の視線が主役らしい俺に集まる。
え、何を求められてるの?
「次期王、どなたを姫になさるかご決断をなさってください」
進行役の女性が決断を促してくる。
やっぱ正直に頼むしかないかな。
俺は言葉を頭の内で選び、壇の中央にしゃんと立った。
「しきたりに……」
いざ臨んでみると、忘れたはずの後ろめたさが眼下の見物客の集まる視線のせいで今ごろになってぶり返してくる。
口がうまく回らない。
「背くことに、なるかも、しれません、けど……もうあと少しの最終決断の日数を延ばしてください!」
「おおー」
見物客の方から予想だにしていなかった大きな歓声が挙がり、拍手までもが巻き起こる。
「あんたなら言いかねないと思ってたぜ、次期王さんよ」
「決断できなくて当然だよな、姫候補の皆可愛いし」
「正直者で安心するよ。王の不倫なんて見たくないからね」
男性も女性も口々に言い囃した。
「ハッハッ、この席はまだわしのもんだな」
見物客がせきをきったように途端に騒がしくなって門から出ていく、俺の言葉を最後に王位継承式は打ち切りとなった。
打ち切りになった式から数日、一通の手紙で公園の噴水前に呼び出された俺は付き添いでいたミクミに断りを入れ、一人で手紙の差出人を待っている。
手紙にはこう書いてあった。公園の噴水の前で待っていてください。私が到着するまでどこにも行かないでくださいね、とだけ。
語格的にルイネのような気がする。語格だけで推測してわかることではないけど。
「待たしてすまなかったのじゃ」
後ろから聞き慣れた声がして、振り向く。
思い悩みのある顔付きで佇んでいる。
「なんでミクミが? そうか、ミクミも手紙の差出人が気になったのか」
「そう見えるかの……」
いつもと何か異にした雰囲気を漂わせている。
「どういうことだ?」
「あの手紙の差出人は、わらわじゃ」
「嘘だろ? また俺をからかうつもりか?」
「わらわの真剣さがお主には伝わらんのかの。全く鈍感の度が過ぎるわい」
ミクミが時折覗かせる大人びた表情に、つい俺も居住まいを正して尋ねる。
「呼び出したってことは、何かあるんだろ?」
「そうじゃ、それもお主の将来に関わることじゃ」
「将来か」
俺が呟いてた間に、ミクミは隣に腰かける。こうして並んで座るとやっぱり小柄だ。
「もしもじゃぞ、候補がわらわしかおらんかったらお主はわらわを好きになるかえ?」
俺の方を見向きもせず、話を始める。
あまりの予想を越えた問いに、言葉の意味を把握するのに数秒時間を要した。
「それは……どうだろうな? 好きになるのかもしれないしならないかもしれない」
「そうじゃろうな」
思っていた通りの回答だったのだろう、すぐにそう頷いた。そして横目に俺を見る。
「それがお主の答えじゃ、対象が一人だったとしても必ずしも好きにはならない。それは対象の人数は関係ないのじゃな」
「なんか今のミクミ、すごく頭の良いことを言ってる気がする」
俺が本心で誉めると、こちらを見向きひどく驚いた顔になっていた。
「こんな単純な話を頭が良いじゃと? お主は鈍感というよりトンマだったのかえ」
「誰がトンマだ!」
聞き捨てならない言い表しように、思わず俺は突っ込んだ。
だがミクミは取り合う気もなく、うざったそうに両耳に耳栓よろしく指を挿し入れた。
しばらくそうしていたが、沈黙が下りかけたところで指を戻してこちらを見る。
「話を続けるがいいかえ?」
尋ねられて俺は頷く。ミクミは再度話をし出した。
「実際にのわらわはお主に恋みたいな感情を抱いたことがないのじゃ。まぁ、嫌いではないがの」
「俺のことひっぱたいた時は大嫌いって言ってたきくせに、今ごろ心変わりかよ」
「……あれはの、お主を説得するために誇張しただけじゃい。そんなことをこまごま話とったら進まんじゃろがい」
「すまん」
素直に謝る。
「じゃからの、お主は無理してあやつらを好きにならんでもええんじゃい。あやつらも習わしだからって好きになられても嫌じゃろうしの」
「そりゃそうだけど、詰まるところミクミは何が言いたいんだ?」
「誰かを好きになるまで待てばいいってことじゃ」
そう答えて不敵にミクミは笑った。
「かといっていつまでも先延ばしにするのはまずいんじゃないか、一応一国の王と姫になるわけだし」
「それは違うの、縛りのある恋愛こそつまらんのじゃ。恋愛はやはり自由性と突発性が醍醐味じゃからの」
うん? 突発性?
ミクミのポエマーみたいな台詞に一つ混じった恋愛観念として実感の湧かない単語に引っ掛かる。
「突発性ってどういうことだ?」
「要するに一目惚れとか、そういう一瞬で好き嫌いが無意識にジャッジされるやつのことじゃよ」
「ああー、そういうことね」
うん、それならわかる。
「納得したっていう顔をしとるの、それならもう心配ないわい」
座った姿勢で少し身を前に出して、俺の顔を覗き込み言う。
俺も小さく笑い返す。
「誰かを本当に好きになるまで待つことにするよ。誰を好きになるか予測もつかないけど、いずれは好きになってるよな」
「その決心が聞ければもう話はお仕舞いじゃ。じゃから帰るかの」
そう言って立ち上がり、補助のために俺に片手を伸ばす。
俺はその手を掴んで、そのまま左半身を支えてもらう。でももう必要なくなるかも。
「すまなかったの、ここまで一人で歩いてきたんじゃろ。体の方に痛みとかないかえ?」
俺は首を横に振って、持っていた杖を見せる。
「いやそれがさ、出てく時にキャンさんから杖もらったから歩くのも対して苦じゃなったんだ。あの人やっぱり気が利いてメイドさんには変わりなかったね」
「性格があけすけじゃがの」
俺は杖をついて数歩歩く。
「ほら、歩ける」
得意気にミクミに顔を向ける。
「それならば、わらわの補助も必要ないのう。よかったではないか」
俺とミクミはそんな会話を交わしながら、城へと帰る足を向かわせた。
その道中時計台の鐘が鳴り響き、一日の終わりをもふと感じた。
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